山路敬介氏寄稿 応募工問題は国際司法裁判所で決着を その2
応募工問題は国際司法裁判所で決着を ~橋下徹氏らの言説から~
山路敬介
■ 橋下徹氏の欠点は、さながら「問題解決」だけを指向する事
少し前の事になりますが、SNS上で百田直樹氏や有本香織氏などと橋下氏が靖国問題で論争になった事があります。令和の時代になったのだから、出来れば陛下に靖国にご参拝頂きたいと考えるのは私も同様です。橋下氏の正直な見立てのように、靖国問題はイコール中・韓問題である事も100%同意できます。
ですが、そのために橋下氏が目指すところはA級戦犯の分祀であったり、国立追悼施設の新設なのです。要は橋下氏は中・韓に文句を言われないためにこそ、そういう施策が必要だと言っているのですね。
私は特に熱狂的な靖国信者ではないので、そのような論もわかる事はわかります。しかし、それで問題が解決すると考える橋下氏の「軽さ」には辟易します。国会で戦犯身分から回復した旧A級の人たちを分け隔てるなら、少なくも結果面で確実な担保が必要でしょう。
いったいどこの誰が、責任持って中・韓とこの手の約束事の実効性を将来まで担保し得ると言うのでしょうか。分祀なり新追悼施設が出来たとして、ふたたび陛下の参拝がかなわなくなった時の弊害は今度こそ取り返しのつかないものになるでしょう。
橋下氏は日本人の心の問題を左右する事に味をしめた中・韓の行先を、それでも「友好」だと思い込めとでも言うのでしょうか。
アホンダラ1号さんがコメントでいい事を言っています。
「日本人の感覚では、「争い」は大変に遺憾なことであって、可及的速やかに「和」を持たなければならないと、そういう風に考えがちです。韓国などとの外交においても拙速に過ぎる「和」を求めて自縄自縛みたいになり、フェイク新聞屋にエエように書かれたりしてしまっています。日本も強面のタフネゴシエーターとなって「争い(非暴力の)上等!」を旨とするぐらいになって欲しいです」
全く同感です。日本人はもう、中・韓との軋轢や争い事は「常態」として受け入れてしまうべきです。そのうえで、個々の事案によって協力すべきは協力すれば良いだけの話です。
橋下氏の対中韓への過剰配慮は主に歴史認識の誤謬から来ているものでしょうが、大きく言えば国家観が欠如した結果なのでしょう。大阪を愛すると同じ程度に、日本国をも愛して頂きたいと思うものです。
■ ポイントは「対抗措置」か?
それでありながら橋下氏は「まず、韓国企業の在日財産を差し押さえるべき」と極端な事を言います。その理由は「目には目を」の体で、過激と思えるくらいの対処をした諍いを経てこそ、「お互いこんなバカな事はやめよう」となって、その後には真の友好関係を構築できるという、橋下氏一流の喧嘩道にもとづくもののようです。
まぁ、わからなくもないのですが、しかし、韓国と同じ汚い土俵にまで下りて行く必要もない事ではないでしょうか。目標は協定で決められた仲裁委員会の設置や、国際司法裁判所での決着一本にしぼるべきです。そして、そのための国際社会の賛意を得る事の方が、韓国との友好関係などよりもはるかに重要だし価値のある事です。
いづれ日本企業資産の現金化がなされれば、日本政府も対抗措置を取らざるを得ません。「対抗措置」とは違法性阻却事由の事です。違法性阻却事由とは、韓国の国際法違反に対して日本が国益のために、他の国際法に違反して韓国から損害の回復を図る事が出来る、とした国際法に準拠した正当な措置です。その場合の日本の国際法違反の違法性は阻却され、違法とは見做されないという意味です。
ですから、橋下氏のいう事も一つの方法には違いありません。過激すぎるとも思いません。
しかし、韓国企業が違法をおかしているわけではなく、韓国政府の国際法違反を問題としているケースなのです。それに、「日本の違法性が阻却される」といっても、どこまでも過剰な対抗措置がゆるされるわけではありません。
この問題の解決は長く続くと予想され、そのため第二第三の対抗措置が必要になってくるので、適宜に関税等を使った対抗措置の方が額も算定しやすく使い勝手も良いでしょう。
そうなると、お互いに対抗措置の応酬になるのは見えています。日本は対抗措置を繰り出しつつ対抗措置での勝ち負けを競うのではなく、国際社会に向けてあくまで条約に基づいた仲裁委員会の判断や国際司法裁判所での決着を主張しつづけるべきです。
条約で決められた解決策それ自体を受け入れたくない韓国側と、どちらが国際社会の納得を得る事ができるか、そういうベクトルで進めていくべきです。つまり、相手にするのは韓国でなく、国際社会だと言う事です。
■ 「今日から君はスミス」と言われたら
旧聞になりますが10/5の朝日新聞によれば、絶対に総理にしてはいけない人物NO.1の石破茂氏は、 「なぜ韓国は『反日』か。もしも日本が他国に占領され、(創氏改名政策によって)『今日から君はスミスさんだ』と言われたらどう思うか」と発言しています。
石破氏はかなり日本と朝鮮半島の歴史を勉強していると自負していて、それでいてこの体たらくとはどういう事でしょう。おそらく韓国の歴史教科書でも用いて学習しているのでしょう。結論からいえば、日本が朝鮮人に氏名を強制した事実はなく、そういう政策もありませんでした。
一族同門の呼称があっただけの朝鮮において、家の呼称である「氏」を新たに設けようとしたのが創氏です。従来の金や李の姓をそのまま氏にしたい人は届け出をする必要はなく、実際にそうした人たちは少なくありません。伝統的な姓や本貫も戸籍から消されてしまったわけではありません。
これを日本の場合に例えれば江戸時代の人別帳から、より文明的な明治の戸籍制度に変更させたほどのものです。まず女性配偶者の姓だけでなく名も記載されるようにし、姓名が与えられなかった奴婢の戸籍も作らせました。さらに総督府は出生・婚姻・死亡など記載する近代戸籍へと整備したのです。
改名は進歩的な知識人層が多く行ったものの、全体として一割にも届いていません。これを強制と言うのならば何を任意というのか、それが不思議です。
日本人ふうに改名した知識人層の動機は、内地人と朝鮮人の差別をなくしたり、日本帝国の中で朝鮮民族の地位を上げるためにあり、改名は自らの固い決心にもとづいた結果です。「君は今日からスミスだ」などと言われて改名するような人たちではありませんでした。石破の発言はそういう意味できわめて侮辱的です。
石破のような粗雑な歴史の理解の仕方が、今日の日韓関係を危うくした元凶の一つと言えます。石破の友好関係というものは「相手の認識に合わせる事」にあるので、今の中・韓・朝の国々にとってはまさにありがたい「役に立つバカ」という事になるでしょう。
もうひとつ石破の根底にあるのは、植民地=悪という薄っぺらい公式的理解です。それで思い出すのは、先の大法院判決で応募工が受けた被害認定の根拠について、「(日帝の)不法支配下において、原告らが精神的苦痛を受けた事は経験則上明らか」としている事です。
そうしたいい加減な被害認定をする裁判官は法匪と言わざる得ないですが、もし石破が総理であったなら、そこにずっぽりと収まるアホな同調姿勢を示していた事でしょう。
李承晩や朴正煕の頃の反日と今の反日、岸信介らの時代の親韓と今の親韓は本質的に違います。終戦に向け朝鮮半島の日本同化は右肩あがりで進んでいて、その最中に突然敗戦が訪れたのです。李承晩は日本人化した朝鮮人たちを国のためにまとめ上げ、統治するために反日を利用しなければならない面もありました。
吉田茂は朝鮮半島には冷たい感じだったですが、岸信介や佐藤栄作などは反共の砦とした価値だけでなく、そうした反日政策の意味を理解して許容していた面があります。
石破らの親韓姿勢にはおもねりと同調しか感じられず、マスコミなど国内的な評判を気にして事を荒立てたくないというだけの怠惰しか感じられません。
■ 西松建設判決は二重基準か?
2007年に判決があった中国人徴用工が起こした西松建設事件訴訟において、最高裁は中国人側の請求を認めませんでした。しかし、その傍論で「和解による救済がのぞまれる」とういう趣旨の意見が付き、西松建設は和解に応じて二億数千万円を原告側に支払っています。
橋下徹氏はこの裁判を指して安倍政権の「請求権協定で解決済み」とする主張に反論しています。橋下氏ではないですが、これを韓国人差別と見る向きもありました。ですが、この中国人たちのケースと今回の韓国人募集工を同列に並べる事はできません。
西松訴訟の被害者は「徴用工」と言うよりも、そのほとんどは戦争捕虜です。当時の国際法でも戦争捕虜を働かせること自体は違法ではありませんが、給金など無いに等しいものでした。中国政府は日本との平和条約締結の際に中国国民の請求権をすべて放棄しています。ですが、原告らは中国政府からの金銭は受けた事がなく、それまで原告被害者には補償が行われていません。
対して、韓国政府は日韓基本条約に基づいて韓国人の請求権を日本から一括して受け取っていて、実際にその資金や別途の手当てによって、韓国政府は二回も補償を実施しているのです。
橋下氏の耳は「条約で決められているから不可能」という紋切り型の対応として安倍総理の言葉を誤って聞いてしまったに過ぎないのでしょう。けれど、中国人徴用工の場合もそうですが、まずは支払いの義務は認めていないのです。
韓国側は大法院の判決により、法的義務として日本企業の支払いを求めている事案です。そうであれば日本政府は「請求権協定で解決済み」と言うしかありません。また、日本国として、韓国側の条約上の違法をまず正す行動を取らなくてはならないのが当然の事です。
そのうえで日本企業が「見舞金でも払うか」というのならそれでもいいし、全くその意志がないのなら、それはそれまでと言うだけの事です。
(次回完結)
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コメント
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山路さんの、いつもながらの緻密、冷静、クリアーな論に感心しきりです。
ボケボケの当方にとっては、問題点が整理されてありがたいです。
ここのレベルだと、コメントをするのも難しいんですが、読むほうはなんとかくっついていられるので頑張っていきたいと思っています。
投稿: ゆん | 2019年12月21日 (土) 08時41分
> もうひとつ石破の根底にあるのは、植民地=悪という薄っぺらい公式的理解です。それで思い出すのは、先の大法院判決で応募工が受けた被害認定の根拠について、「(日帝の)不法支配下において、原告らが精神的苦痛を受けた事は経験則上明らか」としている事です。
石破さん、案外に深みに欠けるかもしれませんね。このくだり、参考になります。
投稿: ueyonabaru | 2019年12月21日 (土) 22時37分