• 20250113-081014
  • 20250114-011659
  • 20250113-133232
  • 20250113-134354
  • 20250113-134844
  • 20250113-135719
  • 20250114-062849
  • 20250112-044948
  • 20250112-050804
  • Dsc_1204

« 中村医師倒れる | トップページ | 北のどん詰まりの恫喝と日本がすべきこと »

2019年12月10日 (火)

中村さんと「防風林」

1811-028

昨日の中村哲暗殺事件のテーマをもう少し続けます。いくつかに切り分けられると思います。

ひとつめは、中村さんのアブガンの実践がいかなるものだったのかという、事実を知ることです。
ふたつめは、中村さんの平和思想と死との関係です。「平和憲法」との関係と言ってもいいかもしれません。
みっつめには、どうしたら非業の死を防げたのか、という現実の政策の問題です。これはPKOやISAFなどの国際警察活動と民間NGOとの関係と言い換えられます。

ひとつめについては、昨日の記事でも引用させていただきましたが、ペシャワールの会の会報を読むことをお勧めします。
中村さんがいかに大きな視点でアフガンの国作りを考えていたのか、よくわかります。
特に私は中村さんが、欧米NGOなどによくありがちな人権や男女同権に着目したのではなく、「水」に注目したことを素晴らしいと思いました。
欧米型のNGOはえてして西欧型民主主義を移植することが途上国支援だと思っているようですが、切実にその国の民が欲しているのは「いかに生きるか」の術なのです。
その意味で中村さんの支援事業は、その国の民が本当に豊かで健康的に暮らせるようになるには何が必要なのか、という本質に切り込んでいます。
ペシャワール会 会報・歳時記

K10012204351_1912061802_1912061959_01_02

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191206/k1001220...

ふたつめですが、護憲派が一様にいわば平和憲法のガンジーが死んだという礼賛調で、返す刀で日本の為政者をくさすといういつものパターンだったことには、特に驚きませんでした。

あの界隈の人たちの、なんにでもアベを持ち出す政局好きはいまに始まったことではないからです。

一方、一部の在特会系サイトには、テロ特措法時の中村さんの発言を切り取って批判をしていたことにはうんざりしました。
怒りすら感じたといえば大げさでしょうか。
中村さんの実践をまったく見ずに、憲法観だけで裁断してなにがわかるというのでしょうか。
彼が何を目指して血の滲むような努力をしてきたのか、どうして自分の実践を平和憲法と重ねてしまったのか、それを考えないと中村さんの死は犬死になってしまいます。

私は日本のいわゆる「平和憲法」の単純な批判者ではありません。
現行9条が現実にそぐわない空理空論になっていることは3歳の幼児でも分かることですが、むしろ改憲した後になにがしたいのかが明確にならない改憲論は片手落ちです。
自衛隊の地位を書き込めばオシマイではないはずで、そこからなにをするのかをもっと議論すべきなのです。
ひとつの考え方として、私は篠田英朗氏が提唱するように、前文にある「国際社会で名誉ある地位」を積極的に求めるためになにができるのかを積極的に問うて行くべきだと思っています。

Small

https://lineblog.me/dnjbig6668/archives/2059637.ht...

さてここで中村さんの実践との接点が見えてきました。そこで三つ目です。
中村さんは徹底した非武装中立主義者でした。その意味で、9条の精神の体現者だったといえます。
ただし日本国内で日本国家に十重二十重に守られながらそれを叫ぶのと、アフガンのようないつどこから銃弾が飛んでくるかわからない土地で、丸腰でそれを実践するのとは、まったく別なことだということです。

前者はただのフラワーガーデンに住む平和主義者にすぎませんが、中村さんのそれは最後は自らの死と引き換えにした重い行為でした。

中村さんの言葉が残されています。

「憲法は我々の理想です。理想は守るものじゃない。実行すべきものです。この国は憲法を常にないがしろにしてきた。インド洋やイラクへの自衛隊派遣……。国益のためなら武力行使もやむなし、それが正常な国家だなどと政治家は言う。私はこの国に言いたい。憲法を実行せよ、と」 (12月5日 毎日 )

平和憲法は実践するものだという考えについては、私はまったく同感です。
しかしそれが後半の平和構築否定に短絡してしまっているのは違和感があります。
平和憲法と平和構築のふたつは対立する概念ではないのです。

「平和憲法」は神棚に祭り上げおくものではありません。使うものです。
すりきれるほど「平和憲法」を使い倒しながら、その不具合を検証し、修正をかけてよりよいものにしていくものです。

では戦後の日本が「平和憲法」の精神を、「国際社会で名誉ある地位を占める」まで高め上げたでしょうか。
否です。米軍にたっぷりとおもいやり予算を配分し、基地を提供しただけではありませんか。
「平和憲法」は怯懦の言い訳に堕してしまいました。
給料と作戦費用以外は全部日本が出して、いわば米軍を傭兵にしていただけです。
まぁ、向こうさんからすれば、日本列島を丸ごと策源地にできることで充分にペイしていたんですから、痛み分けですが。

それはさておき、「平和憲法」の精神が、中村さんのような人たちの手によって国際的には体現されてきたのは一面の事実なのです。
彼らが国家不信となるのは心情的には分からないではありません。
重武装で外国軍隊がアフガン現地に来られてしまえば、自分たちまで同類と見なされて危険がかえって増す、来るなというのは理解できます。
中村さんは一貫してPKOにすら反対してきました。
そしてタリバンすら哀悼声明を出したように、この凶悪な集団とも信頼関係を築こうとして、それに一部成功しました。
すごいことだと思います。並の理想主義者にはできないことです。

ただし「信頼」を武器としてだけで安全を確保することには、限界があるのです。
アフガンにおいて水の確保こそが死活問題であり、さまざまな勢力が軍閥となって水争いをしてきた歴史があります。
このような中で、きれいな水を豊富に確保できる仕組みを建設していけば、とうぜんその分配について利害対立が生じるのは必然です。
今回の彼の暗殺は、この利害対立に巻き込まれたからだろうという説もあります。

Afp_jiji_afghan_nakamura

https://www.news-postseven.com/archives/20191207_1...

またテロリストは貧困と差別を温床とします。
国が豊かになっていけば、テロリストの苗床は枯れていくのです。
テロの温床が干上がることに恐怖した勢力がいたことも事実でしょう。

いずれにしても中村さんの死を前にすると、「信頼」だけを頼りにして安全を確保することには限界があったのだと思わざるを得ません。中村さんは、同時多発テロ直後の2001年10月13日に開かれた衆議院の「国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動等に関する特別委員会」に参考人として参加しました。
彼の持論はアフガンにおいて、いかなる
軍事組織も介入すれば「暴力の連鎖を生む」という考え方でした。
同じ参考人として出席した小川和久氏は、いちどじっくりふたりきりで話したかったとしながら、こう述べています。

国連の平和維持活動(PKO)などに軍事組織を派遣することが国際的には「防風林(ウインドブレーク)」として位置づけられており、参考人意見陳述のときの私の考えと同じだということが裏づけられたことでした。
いかに復興支援をしようとしても、内戦に近い状態が続き、武装勢力が跳梁跋扈するところに、いきなり医療、農業支援などの関係者を送り込んでも、命を落とす危険性が極めて高いことはいうまでもありません。
最初のステップとしては、武装勢力を引き離し、安全地帯を創り出すだけの強制力を持った軍事組織を投入し、「防風林」の役割を果たさせることが不可欠というもので、それが世界に共通する平和構築の基本的な考え方です。
中村さんの「語録」に滲み出ているのは、軍事組織=悪という先入観です。むろん、平和構築に派遣される軍事組織と国家間などの戦争に投入される軍事力の編成・装備・運用などの違いを知っている人の考えではありません」
(小川和久 『NEWSを疑え!』第821号(2019年12月9日特別号)

小川氏はこう結んでいます。

「参考人同士として会ったとき、ひょっとしたら、私は控え室で中村さんに問いかけたかもしれません。
いくらアフガンで井戸掘りをしようとしても、安全地帯を創り出すことが物事の順序というものではないですか』
中村さんは反論などせず、あの穏やかな笑顔を浮かべたまま、無言で下を向いたような気もしています」

小川氏も指摘するように、中村さんはそれがわかっていたような気がします。
しかし、彼の母国はアフガンの「防風林」になって、彼を守ろうとはしなかったし、仮にそう政府がうごいたとしてもそれに最も抵抗したのは「平和憲法」の崇拝者たちだったでしょう。
結局、政府はアフガン政府支援をしながらも、中途半端なかたちのまま投げ出しています。
また現実にそれが可能となれば、中村さんは「平和憲法」の持つ軍隊アレルギーのために拒否したことでしょう。
ここに悲劇的なすれ違いがあります。

それはもっとも献身的に平和構築を実践しながら、自らの「防風林」すらも悪として拒絶した中村さんと、それをすることにあまりにも怯懦なわが国のあり方だったような気がします。

 

 

 

« 中村医師倒れる | トップページ | 北のどん詰まりの恫喝と日本がすべきこと »

コメント

中村さんは『医者であるが故』に、理不尽な形(戦争・貧困問わず)で人の命が失われることに憤慨したのだと思います。
そしてその貧困を失くす事に尽力された、と理解しています。

中村医師が九条を声高に叫んだのは、自己の信念の部分もあったでしょうし、ご自身の活動が現地から反感を買わないようにし、日米同盟から離れた存在だということを強調する為の『方便』の側面もあったのだと思います。だからこそ国会であれだけ米軍後方支援を厳しく反対なさった側面があったのかとも思います。(仮にそうであったとしてもけして表に出せないことでもあります)

中村医師の訃報を聞いたときに思い浮かんだのは磯田道史の「無私の人」でした。中村医師の矜持は、ある意味において日本人の美徳であった、と感じています。
九条の精神のそれではなく、自身の信念を命を懸けてでも賭していく。私はそこに「武士道の美徳」を感じます。仮にご本人が否定されたとしても、近いものを感じる方は少なくないと思います。

今事件が九条を軸に対立する改憲派、護憲派(または反安倍)の双方から引用され語られる事が多いのですが、管理人さんがおっしゃるように、この事件を引用する形で、
「アベよ聞け」や「九条信者の末路」などと言うのは、言語道断だと同じく思います。
この事件は、『世界は暴力で溢れている』ということと、『人の可能性』二つを教訓に残してくれました。私自身は、前者の認識はもちろんありますが、後者の『人の可能性』は、アフガニスタンでの中村医師の追悼報道を見て、僅かではありますが希望を持ちましたし、改めて中村医師の偉業に感嘆もします。

今はただ、ご冥福をお祈りするばかりですが、国会での改憲議論において、今事件が「低俗な形で」引用されることが無いように。とも合わせて願うばかりです。

↑HN入れ忘れました。
osyouです。

しかしコイツはPKO活動に参加した自衛官を「兵舎に引きこもって糞を漏らすブリキの兵隊」と嘲笑し、「俺にはタリバンが味方に付いている。その気になれば腐れジャップを皆殺しにするのなんて簡単だ」とイキがっていたことを忘れてはいけません。
実質、タリバンの使い走りであり武器の密輸や外国人の誘拐に加担していた可能性があることも踏まえれば、決して勇気ある正義の人ではなく、単にテロ組織の気まぐれで飼育されてたペットに過ぎないとしか言えません。
「国家による戦争は悪だがテロリストによる暴力は国家を倒す正義だ」と吹聴するクズでしたが、尻尾を振って媚びていたタリバンに用無しと見なされて処分された間抜けなオチには自業自得という感想を抱いた次第です。

「反・反」さん。その発言のソースはなんですか?
また中村氏が武器密輸などや誘拐に関わっていたということですが、そのソースを教えて下さい。

私も中村氏のタリバン擁護はよく知っていますし、それが彼の致命的失敗だとも思っていますが、「テロリストによる暴力は国家を倒す」うんぬんという言辞は寡聞にして知りません。
これもソースを明示してください。

あなたの書き込みはすべて情報源・引用源があきらかでないので、これでは論評のしようがありません。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 中村医師倒れる | トップページ | 北のどん詰まりの恫喝と日本がすべきこと »