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2020年1月20日 (月)

伊方3号機がまたまた停止仮処分

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伊方3号機がまたまた停止仮処分で゙停止になる可能性がでました。これでなんと2回目です。またですか。

「愛媛県にある伊方原子力発電所3号機について広島高等裁判所は、地震や火山の噴火によって住民の生命や身体に具体的な危険があるとして、運転を認めない仮処分の決定を出しました。現在は定期検査のため停止中ですが、検査が終了する4月以降も運転できない状態が続く見通しになりました。伊方原発3号機が司法判断で運転できなくなるのは平成29年以来、2度目です」(NHK2020年1月17日下写真も)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200117/k10012249231000.html

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呆れたとしかいいようがない高裁判決です。
これには既に最高裁判決がでているのですから、下級審がそれを覆したことになります。
わずか3人の訴訟で何年もの歳月と莫大な費用をかけてできた安全対策も、それをまた膨大な時間をかけて審理した規制委員会の判断も、短期間でヒッくり返せるのですから、裁判所とは気楽な稼業ときたもんだ、です。
関連記事
樋口
判決 http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/post-c2ac.html
山本判決http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-32fe.html

既に地裁ではこの訴えは退けられており、更に最高裁でも判決は確定しています。
まずは
最高裁判決を見てみましょう。よい機会ですので、判例要旨を転載しておきます。
この最高裁判例は最高裁判決だからというだけでなく、裁判所がどこまで原発の稼働に踏み込んだ判断ができるのか、その限界を明確にしめしています。法律文章が頭が痛くなる方は下に飛んで下さい。
http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=54276


■ 最高裁判所第一小法廷
 伊方発電所原子炉設置許可処分取消 平成4年10月29日
● 裁判要旨 一 原子炉施設の安全性に関する被告行政庁の判断の適否が争われる原子炉設置許可処分の取消訴訟における裁判所の審理、判断は、原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の専門技術的な調査審議及び判断を基にしてされた被告行政庁の判断に不合理な点があるか否かという観点から行われるべき(略)
二 (略)被告行政庁の側において、まず、原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の調査審議において用いられた具体的審査基準並びに調査審議及び判断の過程等、被告行政庁の判断に不合理な点のないことを相当の根拠、資料に基づき主張、立証する必要(略)

ここで最高裁は、「原子炉施設の安全性に関する審査及び判断は極めて高度な最新の科学的専門的技術的知見に基づいてなされるから、それらに看過し難い過誤、欠落、不合理な点が無ければ、行政庁の判断を尊重すべきである」という判示をしめしています。

最高裁判例には拘束力があります。今回のような新たな判例が出た場合、高裁の上級審の最高裁判例が優先するからです。

「異なる判例がある場合、優先順位としては、上級審の判例が優先され、同級審の判例同士では新しい判例が優先する。特に最高裁では、「判例変更」の手続が取られて新しい判例が出来た場合、「古い判例に対する違反」を上告理由とすることが出来なくなり、古い判例の「先例」としての価値が無くなることから、新しい判例の優越性が明確である
判例 - Wikipedia

つまり最高裁は、専門家が最新の技術的知見を結集した行政判断を簡単にはくつがえせないよ、するなら新たな科学的知見が発見されねばならないんだから、そうでもない限り最高裁判例に従ってもらうからね、と言っているわけです。
下級審がなにをどう判断するかは自由だが、判例としては最高裁判例、つまり「最新の知見による行政判断を尊重せよ」、ということです。

では新たな科学的知見はあったのでしょうか。
この奈良県香芝市から伊予灘を経て愛媛県の佐田岬に達する全長360キロの断層帯 活断層が、原発敷地沿岸部に走っているということを判決の根拠にしています。

「広島高裁は、「十分な調査をしないまま活断層が存在しないとして、再稼働の申請をした」とし、敷地の近くに活断層の存在が否定できず、問題がないとした原子力規制委員会の判断には「過誤や欠落がある」と認定した」
「広島高裁は、「敷地2キロ以内にある中央構造線が横ずれ断層の可能性も否定できず調査は不十分」としている」
(加藤成一『広島高裁「伊方原発差止」決定は異議審で取消される』
http://agora-web.jp/archives/2043858.html

さてさてこの高裁判決でもまた出ました、「(リスクは)否定できない」という論法です。
実はすでに2回に渡ってこの活断層は海底ボーリングや海上音波調査をされています。

ひとつは地震調査委員会は、この断層帯の状況による長期評価をしており、また四国電力も独自調査をしています。

四国電力側は、前記の通り、原発敷地沿岸部海底の地層の状況について、「海上音波探査」をして、活断層の不存在を確認している。海上音波探査とは、調査船により海底に向けて一定の間隔で音波を発生させ、その反射した音波を観測し、海底の地質構造を調べる方法であり、日本では活断層の分布を明らかにするために広く利用されている。
さらに、四国電力側は、上記沿岸部海底深度2000メートルの「ボーリング調査」も行い、地下構造を原因とする顕著な地震動の増幅がないことを確認し、その結果を平成30年10月19日原子力規制委員会に報告している(平成30年12月21日付け「四国電力報告書」より)」(加藤前掲)

よくあるメディアや運動団体が法則的にやる論法が、この「事故は避けられたはずだ」「予知できたはずだ」というものがあります。
このような議論を私は「はずだ論」と呼んでいますが、この判決でも「ずれる可能性は否定できない」というお定まりの論法が登場しました。

「危険を否定できない」という言い方にはさんざんつきあわされました。代表的なのは、低線量被曝の「危険を否定できない」論でした。
1
00ベクレル以下の低線量域での発癌などの健康被害は、ないか、無視し得るリスクにも関わらず、一部の学者とマスコミは「危険を否定できない」という言い方で恐怖を宣伝し続けました。
低線量被曝の健康被害が確率論であることを逆手にとって、「危険の可能性がある」という言い方です。
現実には他のリスクに紛れ込んで無視しえるノイズていどの「危険」であっても、このような人にかかるとあたかも無限大の「危険」に膨張します。

反原発運動にはこのような詭弁論理が多すぎます。
確かに「可能性」としては残るわけですが、科学に100%がない以上、「危険は残る」わけです。

「残る」のは確かですが、コンマ以下のリスクなどは確率論として無視しえるのです。
ですから、こういう表現をとって「危険」を必要以上に煽る人たちを、私はあまり信用しません。
こういう言い方を真に受けると、今回の高裁のように阿蘇山の噴火が大昔あったから「爆発することを否定できない」ということになります。

Photo

今回の高裁判決はいわば、隕石がぶつかったら原発は壊れるぞというようなもので、9万年前の阿蘇のカルデラから火砕流が流れて、海を渡って130㎞伊方原発に達するということを述べています。 

これについて、田中俊一前規制委員長がこうクールに言っています。

「最近の研究によりますと、カルデラ噴火の場合には噴火の数十年前くらいからマグマの大量の蓄積があるということです。当然地殻変動とか何かっていうことが察知できるというふうに判断されています」(2014年8月25日議事録【PDF:416KB】 - 原子力規制委員会

まだ福島第1事故の時に言われた貞観地震(869年)のほうが、はるかにリアリティがありました。せいぜい千年に一度ですからね。
それを言うに事欠いて9万年前ときたもんだ。もう私、開いた口が塞がりませんでしたよ。
万年単位で危険性判定ができるのなら、地上にあるすべてが「危険」です。
Aso4は阿蘇山最後の破局噴火と呼ばれていて、現在の阿蘇山がAso4レベルの大噴火を起こす可能性は、かぎりなくゼロです。
破局噴火 - Wikipedia
阿蘇山 - Wikipedia

科学にゼロはありませんから、ありえないとは言いませんが、火山学者ですぐに起きるという人がいたら、そうとうにレアな人でしょう。
では、もしAso4レベルの大噴火が起きたらどうなるのか、ラフ・シナリオを描いてみましょう。

火砕流によって地元の熊本はおろか、大分、長崎、佐賀、宮崎県北半分、山口県南端は短時間で全滅します。
時速200㎞の火砕流から、この範囲の住民1千万人は逃げる術すらないでしょう。

Aso4九州全域はほぼ人が住めなくなり、降灰は本州、四国、北海道、朝鮮半島にまで達します。
判決がいうように、火砕流は伊方にも海を渡って怒濤のように押し寄せるでしょうから、伊方原発はたちまちその下に埋没してしまって、ちょうどいい「石棺」となって放射能を遮蔽してくれるかもしれません。(もちろん悪い冗談です)
Aso4の降灰は40㎝にも及び、沖縄、鹿児島、宮崎南部を除いて、北海道においても地層として今でも地層年代測定の目安になっています。

すなわち、再びAso4クラスの噴火が起きるとすれば、九州、西日本のみならず日本列島全部を火山灰に埋没させてしまいます。
だから原発うんぬんというレベルをはるかにこえたメガ災害であって、こんなものを「リスクの可能性」と呼ぶなら科学文明を一切やめますかという事になります。
裁判所は、その下に活断層が無数に走っている日本の道路を走る自動車や鉄道、工場などは運用停止の仮処分を出さねばなりません。

これはあながち冗談で言っているわけではなく、Aso4 クラスの噴火が起きれば必然的にそうなります。
下の絵は1783年の浅間山の噴火を描いたものですが、Aso4よりはるかに小規模でしたが、江戸時代の3大飢饉の1つ天明の大飢饉が引き起こされました。
それは噴火によって火山灰が成層圏まで吹き上がって地表を覆うという「火山の冬」が訪れ、夏がなくなったからです。

Photo_3http://blog.livedoor.jp/nara_suimeishi/archives/51782666.html

特に、東北の南部藩、津軽藩の冷害と旱魃、それにより引き起こされた飢饉は地獄を思わせるような悲惨な状況だったことが記録されています。
この降灰は民家や工場、公共施設の屋根に積もり、やがてラハール(土石流)となって倒壊させます。
土石流 - Wikipedia

交通インフラは寸断され、自動車は通行すらできなくなるでしょう。航空機は降灰をエンジン・タービンに吸い込むとストール(失速)を起こしますから、陸も空も交通機関は壊滅状態になります。
かつての東日本大震災は関東東部と東北地域に限定されていましたが、これを遥かに凌ぐ規模で、しかも全国規模で引き起こされ、工業、農業共に致命的打撃を受けます。
この時点で、日本経済は死滅します。経済だけに止まらず、政府機能も急速に失われていきます。
そして短期間にもはや居住することすら不可能な列島に変貌するでしょう。
ですからこういう数万年に一度という極端な想定をしてしまうと、建築基準法も自動車の安全基準もすべて無意味となります。
だったらいっそのこ、そんな「リスクの可能性」のある列島に住むのを止めますか、という事になるのです。

私がこのテの「はずだ論」は、科学の仮面をかぶったノストラダムスの大予言みたいなもんだと思っています。
そもそもこのような国のエネルギー政策を、司法が裁くこと自体がナンセンスなのです。 
司法は短時間の審理で、規制委の専門家の意見を否定したわけですが、どこでそんな素晴らしい知見を民事専門の野々上裁判長閣下がいつ蓄積されておられたのでしょうか。
あくまでも広島高裁判決は「司法としての判断」であって、国の「政府としての判断」でもなければ、再稼働審査の権限を持つ「規制委の判断」でもないからです。
司法に 国の判断も規制委員会の判断も超越できる権限を、一体誰が与えたのでしょうか。

そもそも、福島第1原発の事故はどうして起きたのでしょうか。何万年に一回あるかないか誰にも分からない、広島高裁のいう活断層が原因だったのか、阿蘇の大噴火の火砕流が原発に到達して起きたのでしょうか。
いいえ、その
どちらでもありません。これについては、とっくに規制委が事故原因の結論を出しています。
福島第1は巨大地震に耐えましたが、その後の津波による配電盤の水没によって全交流電源ブラックアウトに陥りました。これが事故原因です。

にもかかわらず、「最新の科学的知見」とやらで活断層が見つかったとか、阿蘇山の溶岩が攻めてくるぞとか、もはや妄想の域に達しています。
いいかげんにしてほしいものです。

 


 

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コメント

どのみちこの決定の有効性は、山口地裁岩国支部で係争中の差し止め訴訟の判決言い渡しまでです。
けれど、反原発の人達には気の毒ですが、この判決は異議審で必ずひっくり返ります。

国は再稼働にあたり規制委員会が許可を出した場合には稼働して良いという政令を出していて、そのうえで規制委員会が許可を下した案件です。
この規制委員会の決定に誤謬があるというのが今回の判決ですが、規制委員会の判断に不合理な点はありません。

専門家ではなく、科学的知見もない裁判所がこうしたジャッジメントする場合、規制委員会の判断が一見して明らかに誤りである事の証明が必要です。

こんな判決がまかり通るなら、国の政策など不必要だと言う事になりかねません。司法による行政への介入に等しい愚かな判決です。


想定された阿蘇山火砕流の流域に住んでいます。仮処分を出すほどの危険が迫っているそうですね。それにしては地元の自治体はおろか、地元の新聞、TVローカルニュースでも判決内容は伝えても「危険が迫っている」「避難計画は」とかの騒ぎは一切ありません。いたって平静です。

これですよ。活動家による政治的主張による民事訴訟を自称リベラルメディアの論調が支え、これに裁判所(リベラル派裁判官)が乗っかった判決だったということ。実生活とは無関係の裁判です。でもね、こんな裁判でも仮処分が出ると即効性が出るのです。日本の司法制度の欠陥ですよ。いや民主主義の弱点をさらしたとも言えるでしょう。

さてこの“画期的”判決を出した広島高裁の森一岳裁判官は、この1月25日で65才になりめでたく退官されるそうです。毎日新聞によれば昨年9月に審尋を開始した際に「退官になる1月中に判決を言い渡す」と宣言していたそうです。

民事訴訟というものはつまるところ担当する裁判官の“心証”が決め手になります。どっちの言い分に軍牌を上げるかの行司の役割です。そこが刑事訴訟とまったく違うところです。検察に証拠を出させてどこまで真実に迫るかが刑事訴訟であり、出てきた証拠が一定の域(確率)に達しなければ自動的に無罪になります。民事訴訟では裁判官の“当たり外れ”が大きいのです。

大相撲の行司には審判員の“物言い”があり、ビデオ判定もあります。わずか数分で“行司差し違え”の修正もできます。しかし先の差し止め仮処分の異義審が出たのは1年後でした。

原発を頭ごなしに嫌う人は少なくありません。したがって一定の確率で裁判官にもそのような人がいるでしょう。広島高裁で二度目の原発差し止め仮処分です。広島高裁にはこのような“外れ”の裁判官が多いのか、それとも担当裁判官を決める高裁事務方の何らかの意向が働いているのでしょうか?

森一岳裁判官が退官すれば自動的に弁護士という“二次就職”するでしょうから、いい手土産になったのではないでしょうか。重宝されますからね、その筋の界隈では。

もう一言言わせてもらえば、電力会社が差し止め訴訟の原告に対して損害賠償請求をしなかったのも大きいと思います。仮処分で出た損害は、その仮処分が取り消された段階で損害賠償請求請求できます。一般人や一般の会社相手の仮処分であれ必ずと言っていいほど、この損害賠償プロセスが発生します。これをやらない電力会社の経営者の責任も問われるべきだと思います。

特許権等の無効審判(権利潰せる)は特許庁の管轄更に結果への不服は高裁へ、事実上特許庁が地裁です。
海保の海難審判も同様で事件が専門性強く「素人」の裁判官では判断できないから。

判断の是非以前に専門技術者による行政処分の技術的内容を裁判所が判断出来るのか大いに疑問です。

尚、先日の「台湾選挙圧勝」では投稿に返信頂いたのにそれへの返信が出来ず失礼しました。

 司法界は「三権分立」の美名のもとに世間から置き去りにされた「排他的閉鎖空間」。
 遺伝的に脳精神に疾患のある異常者に完全に乗っ取られましたな。

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