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2020年2月 6日 (木)

沖縄豚コレラ再発、県の責任は逃げようがないが、それだけではない

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この時期をはずすとそのままフェードしてしまいそうなので、豚コレラ再発問題を続けることにします。
宮崎口蹄疫を体験した現役獣医師である「一宮崎人」さんからこのようなコメントを頂戴しました。

「口蹄疫禍の時、何故あんなに感染が拡大したのだろう?と言われていました。様々原因があるのは事実ですが、一番大きい要因は人の往来だったような気fがします。発生当初、皆にあまり緊張感がない時には、言い方が悪いですが、野次馬的防疫業務従事者も多かったのではないかと?いわゆる近所の同業者が善意で防疫業務に携わることで、ウイルスを拡散していいた可能性があります」

見立てどおりだと思います。おそらく感染拡大の最大の原因であるヒトの移動を安易に認めたために起きたとかんがえるのがもっとも合理的です。
おもいだしたのですが、宮崎では震源地の川南を中心として「戒厳令」状態を敷きました。
畜産地域から離れた街まで真っ白い消毒剤が撒かれていました。食堂の前に消毒剤、スーパーの前にも踏み込み槽。
川南だけではなく、全県あげて東部地域で封じ込める、これ以上拡げないという協力態勢が作られていました。

東国原知事が非常事態宣言を出して警戒を全県民レベルまで拡げたことは評価できます。
問題の多い知事でしたが、姿が見えないデニー氏とは同じポピュリズム政治家でもひと味違いました。
だから終息宣言を出したときには、連帯感と達成感を県民全体で共有することが出来ました。

Photo_20200206054601

https://www.pref.miyazaki.lg.jp/shinsei-kachikuboe...

比較するのは気の毒な面もありますが、今回、沖縄では県民一般はどこまで豚コレラに関心を持っていたのかさえも疑問です。
原因もわからずなんとなく始まり、なんとなく終わり、が故になんとなくまた再発しているような気さえします。

ご指摘のように、発生農場への善意の防疫参加やお見舞いなどでヒトの行き来があったのだと思います。
家保が少なくとも制限区域内農場に関しては消毒には限界が残るということを厳重に農家に伝え、不要不急な相互訪問に制限をかけるべきでした。
法的根拠がありませんが、そのくらいしないと面の制圧できません。

Rgn1810110017p1

宮崎口蹄疫
https://www.sankei.com/region/news/181011/rgn1810110017-n1.html

山路さんによれば「県はハトなどの野生動物の侵入もあるので、出来るだけ早い時期に全面的に設置するように指導していた」そうですが、ハトの侵入と防鳥ネットの不備ですって、県はそんな馬鹿なことを言っているのですか、呆れたもんです。
防鳥ネットはわが農場でもつけていますが、それは霞ヶ浦が渡り鳥の留地だからで、ネットはあくまでもその対策なのです。
ひるがえって今回の発生が渡り鳥とどんな関係があるのでしょうか。全く関係ありません。
そもそも豚コレラにおいて、野鳥類はウィルスキャリヤーとは疑われていないのです。
ハトまで言い出したら、次はウィルスキャリヤーの野生イノシシの糞についたハエが飛んで来て豚に接触したのだ、いや蚊だノミだってアブナイ、というようにどんどん妄想はエスカレートしていくことでしょう。

あくまでも感染拡大の最大原因は我ら人間です。
新型肺炎も原理は一緒ですが、ヒトは自分の移動に伴って、ウィルスの付着した着衣や靴といったモノを移動させ、自身も手で触ってしまいます。
ここから2次感染が起きます。
ヒトによる感染拡大に較べれば、野生鳥類による感染拡大のリスクなど何万分の一にすぎません。

野生動物に安易に原因を求める言い分は、ヒトの責任から目を逸らせる言い逃れにすぎません。
そんなあるかないか空想的なことに原因を求めるのではなく、移動制限区域で再発したことを重く見るべきです。

ですからハトなどをどうのこうのと言うより前に、まずは素直に発生動向調査の失敗、消毒作業の不徹底、発生後の移動制限区域内のヒト・モノの移動を疑うべきです。
しかしそれをすると県の責任が浮上しますから、だから目くらましのように野鳥原因説をいうのかもしれません。
いまからそんなところに落とし所を探っているようでは、また再発するでしょう。

県は責任の所在を明らかにして、原因究明を進めねばなりません。
その基本姿勢が首里城炎上事件でもグラグラですから、これがデニー県政の体質だとおもうしかありません。
デニー氏はヒダリだミギだという「高級な」問題以前に、責任をかぶって決められないこと、そして同じことの表裏ですが、なにか起きた場合の責任逃れ体質が染みついた人のようです。

世界を見渡せば、デニー氏は隣の国のムン閣下によく似ています。
頭の中身というよりその行動様式です。
腰が定まらず右往左往したあげく時間ばかり空費させ、自己解決不能にさせてしまったあげく最後はグダグダにして乗り切るというパターンです。

ただしあえて県を弁護するなら、海外悪性伝染病がいったん発生した場合、家伝法どおりにその防疫を県に一任すること自体に無理があります。
限られた予算、限られた人的リソースの地方行政に、徹底した面のサーベイランスや万単位の大型家畜の殺処分はそもそも無理です。
ましてやてワクチン接種までやらせようとするから、防疫のイロハのイの発生動向調査が手抜かりとなるのです。

ですから「一宮崎人」さんがこう述べておられるのは、まったくそのとおりなのです。

「(宮崎口蹄疫時には)国が第一線に出てきて、防疫業務の動線をきっちり区分し、畜産関係者の安易な移動を制限することで、ウイルスの拡散にブレーキをかけ、最終的にはワクチン接種により食い止める事ができました」

今回、県は自衛隊の総括にもあるように現場での統制すら満足にできず、自分らは夕方定時で引き上げてしまったと発生農家はツイートしています。
移動制限区域で食い止めないと全県に及び、野生イノシシに入れば半永久的に豚コレラウィルスが常在化してしまうという危機意識がなかったとしか思えません。

ただしそれは現行家伝法が、防疫の対処の決定権を県に与えてしまうかの如き書き方をしているからです。
かつての宮崎口蹄疫によって家伝法が一部改訂されました。
しかしあれだけ大規模な畜産災害だったにかかわらず、県知事による国の防疫方針に対する抵抗といった点まで修正が及びませんでした。
実は国と県の権限の切り分けと整理こそが、家伝法改訂のポイントでなければならなかったはずでした。

今回の豚コレラの連続発生と再発を教訓にして、発生後の防疫作業を地方行政に委任することを止めて、国が前面に出た防疫体制に切り換えるべきときです。
昨日書いた自衛隊の安易な利用も、ここから直して行かねばならないのです。

 

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コメント

>原因もわからずなんとなく始まり、なんとなく終わり、なんとなくまた再発しているような気さえします。

鋭いご指摘です。

数年前、息子が左派系の「仲間たち」を連れて我が家へ来たことがありました。「仲間たち」のかわす会話から雰囲気が読み取れました。
「仲間たち」のひとりの若い女性は大学で「平和勉強」しているそうでした。私は「仲間たち」へ質問してみました。「平和ってなんだろうね?」」「あなたたちにとっての平和って何?」と。・・・・・誰も、何も、返答しませんでした。が、何かを言いたげな表情はしてました。即答できる「平和」を彼ら彼女らは「持ち得ていない」のだと思いました。

県民の食卓には欠かせない豚肉。それなのに、この「ありさま」です。
豚とは、豚肉とは我々県民にとって一体「何」なんでしょうか?
「どっかの誰かが上手くやってくれる」と心の底では思っているのでは?

宜野湾くれない丸さん

 ご意見に賛成です。平和も防疫も自分たちの責任です。おろそかにすると自分たちが苦しむことになりますね。平和は戦争のない状態を意味すると思います。防疫はありんくりんさんがおっしゃるとおりです。

 現実的に考え実行することが大事ですね。沖縄の知事は県民が選びました。今度は誰をえらぶのでしょう? 自民党、準備はできておりますか。志高き人物が出てくれることを期待しております。

のんびり、ゆったり、島時間。
これは沖縄の失いたくない大きな良さのひとつに違いないですが、あらゆる場でそうであってよいわけでもなく。
しかしながら、仕事の段取りや質のゴール設定が甘いまま、曰く「(あまりよく考えず根拠なく)大丈夫~」、曰く「〜のせいで出来ない」、曰く「本土の人は細かい」、こういうことは予てから沖縄社会によくあります。
仕事にあたって「のんびりゆったり」しない職種・職場の方々も当然ありますし、県外の大都市圏で揉まれる社会人生活を経験した県民も多いはずなので、日常の中で場違いな対応があると、カチンときたりヒヤッとする県民も少なくないとは思われるのですが…
現状の沖縄の(いろんな意味で)指導的立場の人たちには、より多様な揉まれ方を経験した人が無いのだと考えます。
その上で、沖縄の人にある、篠原章氏が仰るところの「自分から電気を点けに行かない」傾向、これが温室をつくっている、ということはあるように感じます。(ちなみにここ、人がどうかより各自が自分で自分の頭の中に明かりを点けるか点けないかの問題だと私は思っています)
国の存続、県の存続、地域の存続、社会の存続、会社・生業の存続、家系の存続、家庭の存続…それらには、何らかの犠牲が必ずあるもの。
生命存続の危機から遠ざかり、なんだかんだ言って平和な世の中が続き、有難くもみんなが個人の自己実現を追求できるようになっていて、全員で足並みを揃えなくてもいい自由があるのが今です。
大災害や戦争があった方がいいとは当然思わないけれども、反面、命からがらのどん底を見ないと、ONE TEAMは機能しないようにも思ってしまうのです。
今回、自衛隊の総括を読んで、私も予測通り半ば、がっかり半ばでした。
仰る通り、家伝法と防疫体制の整備は必要と考えます。

 「防鳥ネットの不備による可能性」は、4日のタイムス本紙7面に載っていたものですが、いわば県当局の言い分に寄り添う前提で成り立つ記事です。
つまり、1/11の検査(サンプル数30頭)では検出されなかったので、その後の発見までの間に別の方法により感染があった、という事を示唆したものです。

およそ地方紙というものは当局から情報を得る都合もあり、多かれ少なかれ地元行政の言い分に偏りがちなものですが、沖縄二紙は少し異常です。自分からすすんで行政当局におもんばかり、原因究明に資することをしないばかりか、「様々な可能性」といいながら、県民の目くらましばかりしようとする。

結局は首里城消失の原因究明同様、「誰も悪くなかった、誰の責任も問えない」としたい方向性が見えています。
二紙にとっては今の県当局は「権力」ではなく、共闘する同志ですからそのようになる。行政の側も適切な批判を経ないで物事をすすめられるメリットを十分に享受していると見ていいでしょう。

養豚関係者はだから、そういう事を理解しているので、問題の完全解決にはならないにしても当初から「まずワクチンを!」という要望にならざるを得ないのです。

ポッと出のデニー氏を知事にした沖縄県民は
猛省しなければならないとおもいます。


やはり沖縄の首長は保守系がいいですね。
保守系だと、県内メディアは監視の目を光らせるため、
行政も緊張感をもって取り組むとおもいますが、革新系
だと山路さんのおっしゃるとおり同志なんで監視の目が緩み、
やりたい放題の印象を受けます。

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