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2020年7月11日 (土)

ダムについて本気で再検討したほうがよい

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今回60人以上の死者・行方不明者を出した熊本県をはじめ、九州各地を襲った豪雨災害は、日本の治山治水が今の異常気象にまったく対応できていないことを示しています。

地球規模で有意な海水温の上昇が観測されています。

Fig1_1_15

海面水温の平均年差  気象庁

日本近海の海水温上昇をみると、真っ赤です。海水温は無視できないほど上昇しています。

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2019年9月8日の海水温度の分布図

 地球の7割を占める海水は、目に見えにくいけれど地球気候に大きな影響を与えています。
水は温まりにくく冷えにくいという特性があるので、いったん温暖化トレンドに入ると長期に渡って地上の気象にも影響を与え続けます。

その結果、海面から上昇する水蒸気量を増やし、降雨となって地上に降り注ぎます。Gouukaisuu

1000地点あたりの豪雨・洪水の年間発生回数 気象庁

台風や洪水の激増ぶりは、かつて「大災害はめったに起きない」という日本人の観念を根本から変えてしまいました。
大災害は日常的に起き続けているので す。
ざっと上げるだけで、

2015年 茨城北部の鬼怒川が決壊し、住宅3000戸以上が浸水。
2016年 北海道を3個の台風が直撃し、「北海道に台風は来ない」という気象観測の常識が覆った。
2017年 九州北部の豪雨災害。降雨量が観測史上最大(9時間で780mm)を記録して大きな爪痕を残した。
2018年 西日本(中国・四国地方)をゲリラ的な豪雨が直撃、220名以上の犠牲者。
2019年 千曲川大水害。

かつては大災害は一生に一回の経験則が覆って、毎年数百人が死ぬような事態が頻繁に起きるようになったことを現しています。
そしてこの気候条件の変動に日本は対応できていません。
今回の大災害をもたらした球磨川支流の川辺川ダム建設計画は、2008年に蒲島知事が、治水目的を含んだ川辺川ダム計画に反対を表明し、翌年に前原誠司国土交通相(当時)によって計画が中止されました。
これは共産党が起こしたダム反対運動を朝日などのメディアが熱狂的に応援した「成果」でした。

Nhipolip

民主党政権に定まった治水政策があったとは思えませんが、財務省が主導する緊縮財政の従順な僕である彼らにとって、大規模ダム工事をストップすることはシンボル的な「戦果」だったはずです。
だからムード的な「コンクリートからひとへ」などという意味不明なスローガンをかかげて、まさにコンクリートの固まりにしか素人には見えないダムをバッサリ斬って見せたというわけです。
ムードで斬られちゃ、治水はたまったもんじゃありません。

ダムを中止した理由はカネがかかるということや、環境破壊だというものでしたが、中止以降、国と県、流域12市町村はダムによらない球磨川治水策を協議し、でてきた代案は河道掘削や堤防かさ上げなどの10案で、そこからの絞り込みをする予定だったようですが、その前に球磨川が氾濫してしまったわけです。

ではなぜこの代替案10案がすんなり決まらなかったのでしょうか。
それは代替案のほうがダム案よりはるかにカネも時間もかかることが判ったからです。
川辺川ダムが中止に追い込まれたのは、総工費が、立ち退き費用などがかさんだために350億円から2650億円にはね上がったためだと、熊本県は説明しています。
http://kawabegawa.jp/zougaku/futanritsu.html
しかしこの代替10案の概算事業費額は、最大で1兆2千億円とダムを作るよりよほど膨大なうえに、工期に至っては最大で200年という、笑うに笑えないような超長期になるという見通しがでてしまったからです。
これでは決まるわけもないし、かといってダム原案に戻るのはダム反対で当選した知事のメンツがあってできない、多分そんなところです。

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蒲島知事

それについてダム反対の音頭をとったはずの蒲島知事はこう言っています。

「多額の資金が必要で、この12年間で実現できなかったことが非常に悔やまれる。気候変動は予測できず、ダムによらない治水策が未来永劫続く保証もない。次の世代が考えることもある』とも述べた」(7月6日付熊本日日新聞)

蒲島さん、遅いよ。ナニをいまさら。
ただ、彼がダムを斬った12年前から気象変動が加速化したのはほんとうです。
そして残ったのは、12年間鳩首協議してなにも決まらなかった無駄な時間と、大災害という冷厳な現実だったわけです。

ひとこと言っておくと、ダムの建設費用を単純に堤防などと較べるのは適当ではありません。
なぜなら、ダムは発電という利益を生産し続けるからです。
国交省によれば、川辺川ダムの年間可能発生電力量は約85,000MWHであり、 人吉・ 球磨郡の約60%に相当する電力量の供給が可能です。
川辺川ダムの概要 - 国土交通省
たぶん売電量だけで年間十数億円に達したのではないでしょうか。
ですから20年も運転すれば、建設費のかなりの部分は回収できてしまいます。
しかも法定償却年数は実に100年。その間黙々石油も原子力も使わずにカネを稼ぎだし、そのうえに治水の要となるという優れモノを、「コンクリートからひとへ」なんていうムードで斬られてたらたまったもんじゃありません。
ヒトを守るコンクリートをつくろうとしていたのですからね。

脱ダム運動はまだ地球全体の気候変動が明確に姿を現さない前世紀末に出来ました。
ところがそれから20年、気候変動は、日常的な大水・洪水という形で、私たちを襲い続けています。

関東学院大学名誉教授(河川工学)の宮村忠氏はこう述べています。

「今回の氾濫で『ダムがあれば』と考えた人は当時の反対派にも少なくないのではないか。問題は記録的な豪雨だけでなく、豪雨に備える体制にもあった。人吉周辺は以前は人も少なく、ある程度の氾濫を受け入れて立ち上がることができた。しかし、現在は、交通インフラも整い、施設も増え、氾濫を受け入れる選択肢はない。だとすれば、ダムによる治水が必要だった。それぞれの時代に合った技術を適用すべきだということだ」(7月6日ZAKZAK)

Ichifusadamkouzuibaki

https://livecam.asia/kumamoto/mizukami/ichifusa-dam-kouzuibaki.html

今回も球磨川上流の市房ダムが満水状態となるまで支えたこともわかってきました。
川辺川ダムが存在していれば、状況はまったく違っていたはずです。

「4日に起きた熊本県・球磨川流域の水害で、上流の市房ダム(水上村)は事前の放流で降雨103ミリ分に相当する容量を確保したが、
実際には1日で約420ミリ降り、4日午前11時ごろには緊急放流まで約10センチに迫る水位280・6メートルのほぼ満水状態だったことが、角哲也京都大教授(水工水理学)らの分析で8日分かった。 国土交通省などのデータからダムの操作を分析した。
下流への流出量を最大で毎秒560トン分減らしたが、本流に匹敵する規模の支流・川辺川にはダムがなく、合流する人吉市付近やその下流域で水があふれたという」(東京7月9日)

また民主党政権で工事が中断された群馬県八ッ場(やんば)ダムは、工事を再開し、試験貯水中だった昨年10月の台風19号で治水効果を発揮しました。
ダムについてかつてなされたマイナスの議論、たとえば大規模建設による環境破壊、水質・水温の変化、土砂の堆積、生態系の変化などは、もう一回治水という巨大なベネフィット(利益)と比較衡量される時期に入ったと思います。

これは建設予定地の自治体だけではなく、政府が本腰を入れて考えるべきテーマではないでしょうか。

 

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コメント

政権交代前、当時の民主党菅代表がガソリン値下隊なる政治活動?を行い、複数の所属議員と共に福岡県南部の山間部の大規模な橋(要は林道)の上でのぼりを立ててガソリン税廃止を訴えました。
林道は材木を積んだ大型トレーラーが通過、実家からそこそこ近く通った事有りますが、大型車両に対応した頑丈な物です。所が当時の菅代表は「コンクリートから人へ、緑のダム」と林道整備反対と辻褄の合わない主張に違和感を感じました。

ダムが万能だとはもちろん言わないけど、「脱ダム至上主義」の環境保護派はいつまでも時代や環境の変化に付いていけない某伝統芸能政党と同じというか、活動家が入ってるわけですけど。

当県でも温泉地保護のために最上小国川ダム計画が出てから大騒ぎになりまして・・・「清流を守れ!」と「人の命を守れ!」で真っ二つになって揉めに揉めた上に、県が住宅地図を「賛成派・反対派」で色分けしてた陰湿な事が暴露されたりしまして。
川床を試験的に一部掘り下げたらまた温泉が噴き出したりという大混乱の上で結局「穴空きダム」建設で斎藤前知事時代に決着して、すでに県比88億円かけてすでに完成。
バーターとして鮎の稚魚養殖場の刷新等も盛り込まれた上に、何故か1期だけだった斎藤県政を全否定してギリギリ当選した現知事は全てそのまま裁決。
「妥協して諦めた」と批判された漁協のトップは首吊って自殺しました。全くの悲劇です!
で、今年も普通に鮎釣り解禁されて全く問題無い(大雨の時に入って流されたお爺様が溺死しましたけど)です。
穴空きダムでも大問題だ!なんて山陰地方の例を見てきたという大学教授まで乗り込んで来て、以前は大反対していた連中は今は全くの知らん顔ですな。

最近施行されたダムの運用指針で、事前放流が話題になりましたけど・・・まあ賛成ですが、ただの治水や農業用ダムだと一気に放水は出来ないので見極めの判断が難しいですね。

3年前だったか、1990年にようやく完成した多目的ダムである寒河江ダムなんか、同時に広域水道を担っていたのですが。
上流に想定外の大雨が降って泥水が増えすぎて・・・浄水場の容量を越えてしまい、1週間に渡ってそれこそ村山広域で断水が発生してしまいました。
独自に2系統から水道引いてる山形市と、陸自第6師団本部の給水タンクが使える東根市の一部だけ無事だったという。。
当時はあちこちにある農業用ダムや治水ダムの写真を載せて「こんなにダムはあるのに、なんで利用出来ないのか?リスクヘッジがなっていない!」なんていうご当地ブロガーさんもいました。
全くの的外れで、ダムの構造知らない人でしたわ。それぞれに浄水場設置してさらに多重に水道管ひくのかよ!と。元々高い水道代がいくらになるのやら。。。

Siさん。
ガソリン値下げ隊!懐かしいですね。
麻生政権の時にピケやったりしてましたなあ。08年の7月。
当時は燃費の極悪なスポーツカーに乗っていたので「うわっ!万札出しても満タンにならねえー!」だったのでよく覚えてます。

んで、翌年民主党政権になってからや安倍自民党が政権奪還してからも原油高騰で出てくるチャンスはいくらでもあったはずなのに・・・全く出て来ないというね。実際にテメエらの政治利用だけのパフォーマンスで、一般市民のことなんて全く気にしていない連中でした。辻元さんとかね(笑)

wikiソースですみませんが、川辺川ダム自体の工事はここまで進んでいるようです。
用地取得(1,190件)  98パーセント完了。
家屋移転(549世帯)  99パーセント完了。
代替地(宅地)    100パーセント完了。
付替道路(36.2 km)  90パーセント完了。
ダム本体及び関連工事 仮排水トンネルが1999年7月に完成。現在、本体着工に向けた調査・工事は実施されていない。

中止したといっても、作った分をぶっ壊して山に戻したわけではなく、八ッ場のように続きをやれる訳です。
記事にあるようにダム治水の再評価と早期の工事再開が望ましいと思います。

脱ダム熱狂当時を振り返ると、メディアはダム工事費用を高額に感じさせる為に、代替案の費用との比較をろくに載せませんでした。
私を含め大勢の日本人が、TVに映る巨大な空撮ダム風景と億のケタがズラズラ並んだダムリストを観て「流域をこまめにケアする方が安いのでは」と錯覚しました。
なんかわかんないけど川という自然と共存していけるようなイメージだったのです。
雇用も生まれそうだしとか。でっかいダムの会社だけ儲けて自然壊すのかよ、みたいな。

蒲島知事と熊本県は、12年脱ダムにこだわるならば、年々洪水リスクの高まるハザード地区の都市開発はせめて抑えるべきでした。
ハザードマップを過大にアナウンスすると土地価格に影響はでるのですが、『ダムによらない治水』が何も実行に至っていない事を「水浸しになってやっとわかる」以外の方法で早急に知らせていくべきです。
日本中に居るダム反対自然大好き活動家が「ちょっともう暫く何も言えないな」と引っ込むように。

これから大災害が頻発しても、政府は暫く放置するのではないかな?「地元の要請」も理由にダム建設を止めたのなら、全国が被災地となって、被災地が「ダムでもなんでもどうにかしてくれ!」とならないと、もう政府は動かないと思う。今更野党は「ダムを造れ」と言えないし、既に政府もダムなしの治水計画を策定してしまっていて、ある程度の被害はやむなし、警報出たらサッサと避難しろという方向に転換しまったようだ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/f6a54f1924c95ded2b7cd436e5ddc6a7f2ec6de1?page=1
国は既存のダムの放水量調節を一括管理する事で、治水力を上げたと言います。それでも足りない分は、堰自体が必要だという方向へ話を進めて欲しいですね。

私の親も「ダムをつくると環境が破壊される」と言っています。

しかし、ダムがつくられなかった結果、今回のような被害が出ているため、とても環境が守られたようには思えません。
何より、多くの被害者が出てしまったことがとても悲しいです。

今後の熊本での選挙は、ダムをつくるかが焦点の一つになるような気がします。

いつも楽しみに拝読しております。

田中角栄に代表される公共投資の利権構造が、「コンクリートから人へ」が支持される背景にあったわけですが、だからと言って自然災害への対策をしなくても良いというわけではなかったということが、今回尊い犠牲の上でわかってきたように思います。ブログ主様の一つ前の記事に関連して、9条があるから外国から攻撃されないはずという思い込みも同じようなもので、こちらは国土防衛の必要性を犠牲が出てからわかってはいけないものだと思います。
少々妄想に近いかもしれませんが、ダムも含めタブーない自然災害の対策と、外国からの攻撃に際し国民がサバイバルし反撃できる今様の「国土強靭化計画」を、利権構造と関係なく検討し実行することが必要なのだと思いました。

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