中国の「国境」発想
中国という国には、実は近代的「国境」という概念自体が存在しないことは何回か書いてきたと思います。
ロシアも似たような性格を持った国で、モスクワ公国が戦争をしながら膨張していく過程が「国境」ですから、その時代によって国境は違っています。
ばかばかしいくらいロシアが膨張し続けたことがわかるでしょう。そのうえ冷戦終了まではこれに旧東欧圏がついていたのですから、呆れたもんです。
ロシア帝国の拡大の歴史 : 多言語翻訳 Samurai Global ~多言語のススメ
一方中国はロシアと違って、過去の中華帝国の通商関係を「領土」と考えています。
たとえば、中国の尖閣領有権主張の根拠は、琉球王国への渡航の途中に航海者が「見た」ということにすぎません。
石井望(長崎純心大学准教授)は、尖閣諸島のひとつ大正島について、中国・明から1561年に琉球王朝へ渡航した使節である郭汝霖(かくじょりん)が、明国皇帝に提出した上奏文にこうあることを発見しています。
「渉 琉球境 界地名赤嶼」
(琉球の領域に入った。分界地は赤嶼(せきしょう・大正島)と呼ばれる」
これは福州から那覇への航路上に「赤嶼」という島があって、ここから先は琉球王国の領海となるという意味で石井はこれで中国側の根拠が崩れたとしています。
「石井准教授によると「渉る」は入る、「界地」は境界の意味で、「分析すると、赤嶼そのものが琉球人の命名した境界で、明の皇帝の使節団がそれを正式に認めていたことになる」と指摘している」(産経2012年7月17日)
ところがこの石井の論説に対しての中国側の反論がなかなか傑作です。
「航路において復権側の東限に言及しないので、福建から赤嶼まではすべて中国領だ」(高洪 中国社会科学院日本研究所2012年9月)
なぁーに言ってんだか。そもそも国際法などのない前近代のことのうえに、それも使節が大正島を琉球王国の人間に教えられて「見た」だけの話です。
それを大正島から福建まで全部中華帝国の領海だとはよく言ったもんです。この欲ボケめ。
使節が乗って来たのは琉球王国の船で、当然水先案内人は琉球王国の人間が努めています。
そしてたぶん大正島を指して、「ここからが琉球だ」とでも教えたのでしょうね。
つまり、明国使節は尖閣諸島の一部を「見た」にすぎません。
尖閣が琉球王国のものだと、明国使節に教えたことになります。
当時から尖閣は近代国際法の無主先占有ではなく、琉球王国の西限の島であるという認識が当時から存在していて、明の使節も「ああ、そうですか」としか思わなかったのです。
つまり尖閣は無主地先占有ではないということです。
これはどの国にも属していない、無主の土地を自国領に編入する場合に使う国際法上の概念ですが、これには相当しないのです。
にもかかわらず、中国は明国使節が通商上通過した島を「見た」というだけで、自国に領有権があるとしているんですから、たまったもんじゃありません。
実際に、当時の明国が尖閣を領土として認識していたわけではなく、明王朝の公式日誌『皇明実録』において、明の地方長官が日本の使者に対して、「明の支配する海域が尖閣諸島より中国側にある台湾の馬祖列島までだ」とし、「その外側の海は自由に航行できる」と明言した記録も残されています。
さて、中国の領土意識の一端がお判りになってきたでしょうか。
彼らには近代的な国際法が考える「国境」もなければ「領土」もありません。
清朝最盛期の朝貢国までが、中国が考える「領土」です。
上図の黄色部分が直轄領、ピンクが藩部、そして緑色が朝貢国です。
共産中国は、すでに黄色部分の直轄領は言うに及ばず、ピンクの藩部まで領土化し、今やその先の朝貢国部分へと爪を伸ばしているのがわかります。
先ほどの琉球への使節が尖閣の一部を「見た」から領土だという意識の下には、あからさまに琉球王国は朝貢国家なんだから、とうぜんのこととして中華帝国の一部なのだ、という支配意識が眠っているのです。
すると支配意識の裏返しで、琉球側にも隷従意識が生まれました。日本が統治下に置こうとすると、清の黄龍旗船の救援を熱望したり、琉球独立学会とやらも北京で集会をするという、身も蓋ない従属意識があったわけてす。
清の黄龍旗
沖縄タイムスは、コラム「大弦小弦」(2005年5月16日)でこんなことを恥ずかしげもなく書いています。
「黄色軍艦がやってくる…。船体に黄色の龍の文様を描き、黄龍旗を掲げる清国の南洋艦隊は黄色軍艦と呼ばれたという。知人とこの話をしていたら、黄色軍艦が沖縄を侵略すると、勘違いして話がややこしくなった。
実際は逆で、明治の琉球人にとって清国軍艦は援軍だった。武力で琉球国を併合した明治政府に対し、琉球の首脳らは清へ使者を送って救援を求めている。そして、沖縄側はその黄色軍艦を待ちわびたのだった」
思わずなんのための「援軍」、あなたは誰、と問いたくなるような、中国への崇拝意識と裏返しの隷属意識そのまんまです。
※関連記事『日本の国境線画定と琉球王国』http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-a69e.html
では、海洋について中国はどう考えてきたかといえば、中国の歴代王朝が交易していた航路が、すなわち「領海」であり、そのなかの島々は「領土」なのです。
あくまでもここで中国が言っているのは中華帝国の交易ルートでしかなく、そこを漁業などで実効支配していたかとなると違っていました。
海禁政策もあって、中国の近海用ジャンク船では沿海漁業に出るのが精一杯で、とてもじゃないが尖閣や南シナ海には出漁できなかったからです。
しかし、中華帝国は自らの威信にかけて、東シナ海や東南アジア方面、さらにはインド洋にまで交易ネットワークを拡げ、鄭和の遠征においてはアフリカ大陸にまでそれを広げようとしました。
そして交易ネットを持った国に対しては朝貢関係を結んで、今流にいえば一種の安全保障条約を結んだと考えられています。
これは共産中国のように政治と経済を一体のものとして捉える国にとっては、大変に便利な枠組みでした。
世界でもっともグローバリズムの恩恵を受けたのは中国ですが、この原型は既に明・清王朝時代からあったのです。
驚いたことには、彼らは明・清王朝時代から少しも進歩していないのです。
彼らは本来は経済的交易ネットでしかないものを、政治的従属関係に置き換えてしまいます。
中国には、自由主義社会の人間が考える平等で開かれた交易関係はなく、あるのは自分の国の規格に従うのか、従わないのか、です。
一帯一路はただの交易ネットではなく、蘇った中華帝国の世界帝国の版図なのです。
それが中華帝国の領土・領海意識だということを忘れないようにしましょう。
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中国の主張はあまりにも国際法や学術的な要素を欠いているので、それを自覚した今では、論理の多くを台湾の主張にかぶせて背のりしてます。尖閣は台湾のものであり、台湾は中国のもの。したがって尖閣は中国のものとの三段論法ですね。
けど、台湾の主張にも無理があり、記事にある明国使節団の旅行記など国際法上意味はなく、近海での歴史的漁業実績に関しての主張には、すでに意をくんだ日本政府は漁業権の大幅な譲歩をしています。
蔡総統は立場上、領有権を主張しなければならないですが、李登輝氏は「日本の領土」と明確に言っています。
米国陰謀論者の孫崎享氏による、尖閣がカイロ宣言の「日本国が清国人より盗取したる土地」ですらない事も最早明らかです。
中国共産党は、生まれた時から他国を侵略せずには存在しえない政権です。かつては「共産主義主義拡大のためには国境を忘れるべき」だったし、現代においては「国境なきグローバリズム」の時代性が侵略の後押しをしています。
かつて、周恩来はキッシンジャーに「中国は沖縄に潜在的な権利を持っている」と常に言っていた事からも、尖閣や台湾が落ちれば次は沖縄です。
投稿: 山路 敬介(宮古) | 2020年8月24日 (月) 09時27分
中国人の国境意識はありんくりんさんのおっしゃる通りなんだと思います。20年ぐらい前のことでしたが、当時の新聞で、中国領事(沖縄在の?)が沖縄は将来」中国に編入され得る(沖縄の人が望めばとの前置きはあり)と発言したことが記事になりました。これを読み、この領事は何が言いたいのだろうかと当初は意味不明のように感じたものです。何がそのような発言をさせたのか?領事さん、沖縄は中国のものにしたいのかな とフト思いました。それとも、領事さんは沖縄に相当な親近感があり、沖縄の人も中国編入を望む感情があると誤解したのかとも思いました。相当な認識不足のような感じが当時ありました。これが中国の工作というものでしょうか、その後世間ではポツポツとそんな中国傾斜の動きがマスコミなどにも出てくるようになりました。
沖縄が琉球国として朝貢貿易をしたことは、資源の乏しい沖縄の活路を中国貿易に求めたという経済的理由が一番に大きいと思っております。大交易の時代の先祖たちがシャム、アンナンなどの遠地に貿易船を出して行った実行力は今でも私たちにとって誇り高いものです。
貿易を許した当時の中国には感謝もしておりますが、現在の中国はどうなんでしょう、もはや感謝すべき相手ではありません。私は、トランプ大統領の中国対抗策に賛成し、中国共産党の撲滅を願うようになっております。また、この米中の対決は、勝敗の決着が必ず付くような気がしております。パナソニック、トヨタなどの中国進出企業も決断を迫られるのではないでしょうかね。
記事中、
> [実際は逆で、明治の琉球人にとって清国軍艦は援軍だった。武力で琉球国を併合した明治政府に対し、琉球の首脳らは清へ使者を送って救援を求めている。そして、沖縄側はその黄色軍艦を待ちわびたのだった」
(沖縄タイムス)
については疑問があります。これについては重要な論点でありハッキリさせねばならないものだと思っております。ここがあいまいであっては、沖縄人の思想的基盤が崩れてしまい、日本人としての意識が持てなくなるでしょう。
投稿: ueyonabaru | 2020年8月24日 (月) 18時46分
ueyonabaruさん
琉球の官僚たちが清との関係に固執したのは、自分たちの地位・特権・財産が守られるかという危惧のためであり、日韓併合に反対した両班と同じ種類の動機でしかありません。民衆側に立っての事ではないのです。
沖縄におもねる反日的歴史家と、彼らが無理に曲げてひり出した歴史観を悪用して、二紙が別の目的のために活用しているのが真相ですね。
ともあれ、琉球王府関係者が清との関係を続けたいとしていたにもかかわらず、日本への併合が成功したのは、欧米人たちが日本への併合が自然な成り行きだと判断したのが大きかったです。
来琉したペリー提督は、「琉球の言語・衣装・習慣・美徳・悪徳・いずれも日本と同じ」、「多くの日本人が居住・雑婚し、普通の生活をしているのに対し、中国人は外国人として扱われており、ここは日本の領土」、「清とは年一隻の船しか行き来はないが、日本とは年数百隻だ」と記していて、朝貢関係があると言う事と、近代的な意味での「領土」というのとは、ほど遠い概念である事は当時から認識されていたようです。
投稿: 山路 敬介(宮古) | 2020年8月25日 (火) 00時44分