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2020年8月10日 (月)

なぜ核兵器禁止条約はうさん臭さいんだろうか?

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8月6日と9日は、日本人にとって特別な日です。
それは75年前のこの日、人類史上初めて広島と長崎が核攻撃を受けたことです。
※関連記事『1945年8月6日午前8時15分 広島市島病院上空』
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-2d7d.html

上空580メートルで炸裂した原爆から照射されたガンマ線、中性子線を中心とする高エネルギーの放射線は、直下の人々の頭上に降り注ぎました。TNT換算で15キロトンでした。
その結果、当時の広島市の人口35万人(推定)のうち約半数に当たる9万から16万6千人が被爆後2カ月から4カ月以内に死亡したとされています。

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広島原爆資料館

米国は、大戦の後にくるであろう対ソ戦に備えて核兵器の実戦データを欲していました。
砂漠などの実験では原爆の威力が読みきれなかったからです。
ぜひ実際に市民が住む都市に落として、その威力を確認する必要がありました。
ただの政治的警告ならば、無人島でもよかったし、退避勧告をすればよかったのです。

投下された地点が広島・長崎だったのは、一方が海に向かって開かれており、三方が山でとざされている地形が、原爆の威力を高めることを知っていたからです。Photo
一切の事前通告なしに、その威力が実験でしか確かめられていない核兵器を使用する、まさに悪魔の所業です。

8月6日の当日、小倉は近隣の八幡製鉄への空襲の煙て視界が閉ざされており、広島は晴天でした。この瞬間、広島の運命は決まりました。
照準点は市内中心部にあるT字型の相生橋。午前8時15分に投下された原爆は、相生橋の南東約300メートルにある島病院の上空約600メートルでさく裂しました。
それは人々が、夏の暑い日差しの中で一日の平和を祈りながら職場や学校へ急いでいる時間でした。

オバマが広島演説で述べたように、母親は乏しい食料から精一杯の弁当を作り、14歳の少年を送り出しました。
そしてその少年は、学校への途上、数万度の高熱により炭化した柱に変わっていたのでした。

このように広島・長崎合わせて約21万人の犠牲者は、生きながらにして人体実験に供せられたのです。
これは非戦闘員の大量殺戮だけを目的とした明白な国際法違反、すなわち戦争犯罪です。
これを戦争犯罪と呼ばなければ、いったいなにを戦争犯罪と呼ぶのですか。

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毎日

さてこの日、広島・長崎ではあいも変わらない催しが行われました。

「米軍が長崎に原爆を投下してから75年となる9日、原水爆禁止長崎県民会議は長崎市の爆心地公園で核兵器廃絶を訴えて座り込みをし、約150人が参加した。被爆者たちは、日本政府が核兵器禁止条約に賛同せず、長崎を訪問した安倍晋三首相が長崎原爆資料館を今年も訪問しなかったことに怒りの声を上げた。
長崎の被爆者団体は、日本政府が核兵器禁止条約に署名・批准するよう繰り返し求めているが、政府は米国の核の傘に依存していることを理由に賛同していない。安倍首相はこの日の平和祈念式典でのあいさつでも核兵器禁止条約については触れず、「(核兵器の保有の有無などで)立場の異なる国々の橋渡しに努める」との従来の考えを述べただけだった。
 長崎で被爆した原水爆禁止日本国民会議の川野浩一議長(80)は「75年、核廃絶はなんでできないのか。首相は『橋渡しをする』と言うが何もしない。『米国の核の傘の下でぬくぬくと住んでいけばいい』という考えだ」と批判。参加者は原爆投下時刻の午前11時2分に合わせて黙とうした」(毎日8月9日)

いまさらのように被爆者たちが叫ぶのは、「核廃絶の願い」ですが、そのようなことは日本政府は戦後75年一貫して主張していることにすぎません。
その流れから1976年には核兵器不拡散条約(NPT)に加盟したはずです。

これ以上、今の日本国政府になにを求めようというのでしょうか。
どうやら長崎市長も口にしたように、核兵器禁止条約に加盟しないことをもって非核化に背を向けている日本、と言いたいようです。
それを毎日の記事のように、「米国の核の傘」に入っているから親分を批判できないという印象で批判しています。

半分は正しく、半分は正確ではありません。
日本が安全保障で米国の核の傘に入っているのは自明なことで、ならば中国の核の傘にでも入りますか、という択一問題なのです。
核を抑止するのは核しかありません。
核兵器を使う意志をためらわせるのは、人間の善意でもなければ、反核の理想でもなく、先制使用すれば自らも報復核攻撃を受けてしまう冷厳な事実からにすぎません。

たとえばあの韓国ですら、米韓同盟を廃棄すると自動的にその次の選択肢としてどこの核の傘にはいるのかが迫られることになります。
選択肢は二つ、北の核か、中国の核か、いずれかひとつです。
このように核の傘からの離脱という政治選択は、現今の国際政治体制の下では、別の国の提供する核の傘に入るか、自ら独自核武装するのか、ふたつにひとつしかないのです。

ですから仮に日本が核兵器禁止条約に加盟するとすれば、それは米国の核の傘から離脱し、中国の核の傘に入れてもらうか、独自核武装をするしか方法がありません。
前者は中国と軍事同盟を結ぶという意味ですから考慮にも値しませんが、後者については技術的にほぼ可能なこともあって常にそう主張する人たちもいますが、技術的にできてもそれをしたことによる政治的損失ははかり知れません。
米国と再び戦争をしたい人はどうぞ勝手に、ひとりでおやり下さい。まきこまれるのは御免です。
※関連記事『独自核武装はやってやれなくはないが、そう簡単なことではない』
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2019/02/post-b0b9.html

ではなぜ日本はNPTを批准して、核兵器禁止条約を拒否しているのでしょうか。
理由は簡単です。
NPTだけが、現在の国際秩序の下で唯一有効な包括的国際法の要件を備えているからです。
それはNPTの紆余曲折を見れば理解できます。
NPTができたのはあんがい古く1969年7月1日のことです。
しかし採択こそなされましたが実効性はありませんでした。
なぜなら、安保理常任理事国(P5)のうち中仏が批准しておらず、彼らが加わるのはなんとそれから実に24年たった1992年のことだったからです。

ここまで遅れた理由は、採択当時中仏が充分な核兵器を揃えられておらず、その途上でNPTを批准すると核武装にブレーキがかかってしまうからでした。
悪い冗談のようですが、P5すべての国の核武装が完成して初めてNPTは実効性がある国際法となったのです。
これによりP5、別名「核倶楽部」は、核保有の特権の代わりにこれ以上の核拡散と核軍縮を条約上の義務とすることになったわけです。

ただし、だからといってNPTは無意味だということではなく、これをもって核管理の上の国際的枠組みが完成したことは確かです。
もしNPTがなければ、おそらく一国が核武装すればその隣国が対抗上核武装に走り、そのまた隣も核武装するという、いわゆる核の連鎖が世界各地で起きたことは疑い得ません。
たとえばイランとサウジ、アルゼンチンとブラジル、南アフリカ、リビア、そして核保有しているとみられるイスラエルなどはまちがいなく核武装を完了させたはずです。

現実にNPTがあっても、中国の政治的圧力に核が加わったことに恐怖したインドは核武装に走り、その敵対関係にある隣国パキスタンもまた核武装しました。
これらはNPT条約違反として厳しく制裁されましたが、いったん握った核というスーパーパワーを手放すことはありませんでした。
これは、NPTを脱退して核武装に邁進する北朝鮮をみればわかるでしょう。

いったん握った核は二度と手放さない、非核化の特効薬はないのです。
だから迂遠に見えても、今あるNPTの枠組みを弱めることなく、段階的な核軍縮の道を一歩一歩進むしか方法はありません。

ところが、この核兵器禁止条約は、この1992年にできたNPTの枠組みの外にもうひとつ別の枠組みを作ろうというものです。
これは日本のような非核国家を核の傘から引き剥がして分断させる役割をもたらします。
先ほど述べたように、日本が米国の核の傘から離脱して核兵器禁止条約に加入するとなれば、日米同盟はその根幹を揺るがされることになります。

現実に世界のさまざまな国に核の傘を提供しているのは米国であって、中国ではありません。
したがってこの核兵器禁止条約は、とりもなおさず米国の同盟諸国を分断、孤立させる効果をもたらします。
これが、今の米国と中国の対立局面においていかなる働きをするのか、かんがえないでも判ろうというものです。

たしかにNPTは矛盾多き存在です。
たとえば、先述したインド・パキスタンの核容認、そしてなにより北の核武装化、中国の核軍縮不参加などの問題をひとつひとつ具体的に批判し、改革していくべきです。
そのためにNPT条約に問題があるとすれば、第8条の改正手続きで漸進的改革をするべきではありませんか。
それをせずに、いきなりNPTを全否定するかのような新条約を対置すること自体に、なんらかの政治的意図があるように感じられてなりません。

そういえば、こぞって核兵器禁止条約を批准したアフリカ諸国は、中国の札束に頬を張られたような一帯一路の国々でしたし、日本で推進するのも共産党系か旧社会党系なのも偶然ではなさそうです。

 

 

 

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コメント

NPT体制の問題はやはり、先に核装備した国だけが特権として核装備を認められる傲慢な点でしょう。

早い者勝ちのルールで持つ国が持たざる国に対して禁止を呼びかけても上からの押し付けに感じるのも無理はない。

イランからしたら不倶戴天の敵であるイスラエルが保持しているのだから安全保障の面で核を保持したくなるのは当然。

マンハッタン計画の関係者とそれを漏らしたソ連の原爆スパイの罪深きことよ。

 「(核兵器禁止条約は)我が国の立場と相いれない」とする安倍総理の見解はしごく真っ当です。
さらに、この条約には国際社会を導く力はありません。
「核なき世界」を目指すなら、むしろ核兵器禁止条約など絶対に批准してはいけません。
この条約の内容そのものに問題があるし、むしろ核軍縮の実際を遠のけ、日本国自身の安全保障をも危うくします。

たとえば「普遍性」などという言葉が条文に盛り込まれているけど、締約国だけに限定された「普遍性」が一体、何の役に立つか。
こうしたものは米・中・露などの非締約国を喜ばせるだけのもので、我が国の平和憲法同様、独りよがりのマスターベーションにすぎません。

岸田政調会長が広島県出身の彼らしい含意した言葉で、「核兵器国と非核兵器国の対立を一層深めるという意味で、逆効果にもなりかねない」と言ったが、良く考え抜かれた実のある回答と思いました。

教条、理想、政治プロパガンダに囚われるか、歴史と現在の諸々の現実評価をまず考えるか。

ウクライナは独立した時、ソ連の要所であった故に置かれていた核兵器を含む強力な軍備を、ソ連崩壊による幸運で得たわけですが、ロシアとアメリカの圧力に屈して核兵器とそのインフラを放棄・破壊したばかりでなく、国力の無さで自ら通常兵器も他国へ売却してしまい、軍事的にも経済的にも力の無い小国になりました。
その後のウクライナではNATO加盟の是非が議論されますが、「戦争に巻き込まれる」との加盟反対世論が支配的とされました(どこか既視感
そしてウクライナとグルジア(現ジョージア)の申請は、ロシアに忖度するフランスとドイツが拒否し、NATO加盟は実現しませんでした。
現在のジョージアは欲しかった南オセチアをほぼロシアに取られ、ウクライナはクリミアを取られたままですね。
一方、もっと小国のリトアニア、ラトビア、エストニアのバルト3国はNATO加盟国となった結果、ロシアにとって防衛線拡大からも支配の必要がある地ですが、迂闊に手を出すことはできないまま現在に至ります。
歴史と言うにはまだ早いかもしれませんが、これらの現実は、どの国も持つ自国防衛の命題あるいは野望が、夢のような理想で解決、太刀打ちできるものではないことを示します。
ICAN事務局長の、「核保有国を容認・擁護している日本、オーストラリア、韓国が間違っている」「日本は軍縮が進展しない問題の一つ」「トランプ米政権は中国の不参加を言い訳に使っている。中国に責任を押し付けるのはまっとうではない」(7日時事通信)に至ってはもう、笑っちゃう。
夢見るだけの人でなければ中共の代理人で、な?これが生き馬の目を抜こうとする世界の現実ってやつだぜ、としか。

ICANの話はもうねえ・・・ぷははっ!です。

日本政府は得意な遺憾の意をこれまでよく述べてきましたが、
イカンのイではなくアカンのア!だとと表明すればいいのでしょうかねえ。

岸田がかなりマトモなことを言っているようですけど、現政権に取って変わるほどの器だとは到底思えないんですよねえ。残念ながら。

安倍政権もこのところバタバタガタガタですけれども、他に任せられる人っていますか?
コロナ対策にしてもそうですけど批判するだけなら簡単だけど、対案出せる人いないでしょ。

ああ、伝統芸能として隔離保存すべき共産党だけは「軍事費を止めて福祉に回せ!」と言い続けてますね。

いつも楽しみに拝読しております。この時期毎年報道を見て違和感を覚えながら感じていたことを、とても端的にまとめていただいたように思います。

NHKが言うようにたとえ本土決戦で米軍の死傷者が100万人出るとしても、市街地のど真ん中に原爆を落として良いという理由にはなりません。この米国の非人道的な行為は絶対に許すことのできないものです。ただし、歴史は変えられませんから、今は再び核の惨禍が起こらないようにするしかありません。
現在の日米同盟というのは片務的だと言われています。しかし、日本が自前の核兵器や空母打撃群を含む強力な海軍を持つことを、本当に恐れているのは中国ではなく米国なのではないでしょうか。日本から見ても、何も生んでくれない自前の核兵器や強力な海軍を揃えるコストを考えたら、トランプ大統領が言うお金を払ってもはるかに安上がりですし、余ったお金は米国債を含む対外投資に回っています。バーナンキがリーマンショックの際価値算定できないCDSを全部額面で買い取れたのも、背後に日本のお金があったからだと思います。そう考えると、現在の日米同盟というのは相互補完的で利害が一致したうまくいっている同盟なのではないかと思っています。

ちなみに国際政治と関係ありませんが、私自身半世紀以上生きている中で、外国人の友人も沢山おりました。ただ、近くて容姿が似ている国々の方々(向こうは友人とは思っていなかったかもしれません。)とは悉く金銭トラブルで疎遠になり、現在でも付き合いが続いているのは、なぜか米国人ばかりになっています。

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