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2020年11月 2日 (月)

宜野湾くれない丸様寄稿 一生一代の大芝居を成し遂げた首里城を改めて考える

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 宜野湾くれない丸様より寄稿を頂戴しました。ありがとうございます。
このサイトは、自由で開かれたインド洋・太平洋じゃなかった、ブログです。寄稿は随時受け付けております。
発信者のお名前等は厳重に秘匿し、私にも公開する必要はありません。
私と主張を同じくする必要もありません。
いつも重厚なコメントを頂戴している「宜野湾より」さん、そろそろいかがでしょうか。
プロフィール欄に私の連絡先があります。
明日から通常更新に戻ります。

さてそれにつけても維新は残念をしました。
追い込み時期に、毎日の典型的な捏造報道にやられました。
ギリギリであっただけに、維新の主張を根本から覆す「財務局幹部の証言」は威力を発揮したようです。

いよいよ明日に迫った米大統領選はまったく世論調査が信用できないという未曾有な状況のまま幕切れを迎えようとしています。
ハンター・バイデンの醜聞を隠し通そうとしたオールドメディアは、最後になってとうとうネット言論によってそれを暴かれ、報道せざるをえなくなってしまいました。
民主党はそれを予想していたから、郵便投票や期日前投票を進めたのです。

また終盤に差しかかるにつれ、オールドメディアが強く支持するノイジーマイノリティは力を失い、沈黙を強いられたサイレントマジョリティが復権しようとしています。
そう考えると、この大統領選は対中姿勢だけではなく、さまざまな意味で、今後の世界を占う重要なもののような気がいたします。
今週はこれ一色になっちうゃうかもね。

                                                ~~~

                         一生一代の大芝居を成し遂げた首里城を改めて考える
                                                                                宜野湾くれない丸

つかの間の休日、関西では「大阪都構想住民投票」、お隣の愛知では 「お辞め下さい大村秀章愛知県知事・リコール運動」 、はたまた関東方面からは「GO
TOキャンペーン」だの「ハロウィンの渋谷」だの「学術会議問題」だの、、、、そして、海のむこうの彼の地では大詰めの「大統領選挙」。どこもかしこも「俺が正しい、奴らに騙されるな」的な喧々諤々騒動だ。そのうちサイレントマジョリティー主催の「令和のええじゃないか♪騒動」でも起こりそうな雰囲気もなきにしもあらず(国会前でちょこちょこやってるあんなのではなくね)。

そんな喧騒を流しながら見聞きしていたら、我が沖縄県では「首里城再建へ向けて・・云々」の報道が溢れている。毎朝のルーティーンである当ブログを開くと、山路さんの簡潔明快な「下地幹郎分析と沖縄・日本普通関係論」。宜野湾さんがコメントで述べられていたのと同様に私も「すっかり下地さんのことは忘れてました」です。
「あー、そう言えばそうね、餌投げの100万円貰ってたかっこ悪い下地さんね」 と思い出す。

比べるには飛躍しすぎるが、仮に、もし、下地幹郎がトランプ的な素養を持ち得ていたら、どんな風に振る舞っているかな~と(金額・桁の違いはあるが)、ボケーーーとしながら妄想を膨らませた。
たぶん大袈裟でドタバタ田舎芝居的な演出をするだろうな。自身の不甲斐無さ(未熟さ)を真摯に反省し、「反省&お詫び行脚」タスキを身にまとい選挙区は勿論のこと、県内隅々まで訪問し、お江戸へのぼり所属政党へ更なるお詫びをし、そして議員辞職をキッチリとおこなう。コテコテノの大芝居・茶番劇(失礼)を打つだろうな~。

トランプだったら「ピンチをチャンスに変えちゃうパワーがあるもんな」と。そんな事を想像するのも、あの「首里城炎上」の絵図らが脳裏にあるからなんです。不謹慎かもしれないが、あの映像を見て、私は「一生一代の大芝居だ・・・」と感じてしまったのです。見事なまでの崩れゆくさまを見ながら「皆に何かを伝えたい、訴えたい」んだと「あれはハリボテで覆い尽くされた首里城の叫びだ」って思ってしまいました。

「大芝居」をまたまたボケーーーと考えていたら、
「貧乏人は麦を食え」が浮かんできた。ご存じ、第58、59、60代の内閣総理大臣・池田勇人である。

浅はかな知識で妄想を膨らますのは「恥かしいかぎり」ではあるが、「はっきりした物言い(失言が多い)」をする池田だったが、口から出た言葉(公約)はキッチリと成し遂げる。「失言は多い(口汚い)」が「成し遂げる」というトランプも同様だ。池田は大蔵大臣、通産大臣の経歴を持つ、一方、トランプはディーラーを生業としていた。「経済畑」という点では同じ土俵である。そして共にその国の「頂点を極めた」二人である。

池田は「政治の季節」を「経済の夢」へ変換させた。「所得倍増計画」をぶち上げ、その計画実行の過程で「貧乏人は麦を食え」と言い放った、、と報道拡散されまくったみたいだが、その発言内容を読む限りでは「身の丈になった暮らしをしましょう」という文脈だ。
『人物像はおおらか、酒豪で失言も多かった。この頃の有名な発言に「貧乏人は麦を食え」があるが、実際は、国民に「麦ではなく米」を食わせるために悪戦苦闘していたのである』(武冨薫週刊ポスト2020年8月14日・21日号)とあるように、決して「見下した」発言ではなかった。

発言から70年経った現在池田の事を「差別主義者だ」とか「横柄な奴だった」とかそんな事を言う人を私は知らない。今も昔もメデァイなるものは「食いつきの良い言葉に置き換える(売れ筋のいい文脈に角度をつける)」のは海の向こうもこっち側も同じである。もう90才を目の前にした親父へこの当時のことを少し聞いたが、池田の「貧乏人は・・」の件は皆目何も思ってない様子であった。
当時の奄美群島は日本復帰を成し遂げてだいたい10年くらいの時間が経っていた頃だ。「麦を食え」などのマスメディア先行煽りより、「所得倍増計画」の方が島民にとっては「魅力的」だし「やる気」を起こさせたに違いない。

沖縄は本土へ対して苦言を言えば、それは色々とあるであろう。これもまた不謹慎な表現かもしれないが「ネタは多い」のである。
重箱の隅をつつき、小さいことを大きくカモフラージュ仕立てれば、それこそ「ネタの宝庫」ではある。がしかし沖縄の将来という視点をもっと深く考えれば、それもこれも飲み込み、清濁併せ呑むとでも言うのか、「もはや戦後ではない」と言い切れること(言い切ること)ではないのだろうか?

日本政府は、戦後11年目の昭和31年(1956)に経済白書で「もはや戦後ではない」と「宣言」した。サンフランシスコ平和条約締結から5年後のことである。まぁ、その実質的な内容はともかく日本はサンフランシスコ平和条約で「独立」をし、戦後復興期を経ての5年後には「もはや戦後ではない」と言い切ったのだ。そこいらじゅうに戦災の痛みがまだまだ残っていたその時期にである。
鳩山一郎、石橋湛山、岸信介と政権を経て池田勇人内閣(在任1960年~1964年)で「所得倍増計画」をぶち上げ、そしてそれを見事なまでに達成させた。人それぞれの見方、考え方、捉え方はあるとは思うが、それまでの「政治の季節」から「経済の夢」へ国民を向けさせたのだ。もっとも「戦後」は、ボディブローを受けた如く、ゆっくりと重く覆いかぶさりながら、今現在でも引きずっていることは、先の安倍政権が「戦後レジームからの脱却」を掲げたことでもあきらかではある。

「日本と沖縄の関係性をリセットする」
山路さんのこの言葉は、これはとても重要な視点だと思います。
リセットするためには、先ずは、その両者ともが「清濁併せ吞み」お互いを思いやる努力をし、信頼関係を再構築させることが基本中の基本です。
この両者にはお互いに欠けるものがあり、それはお互いを「補えるもの」であり、この「補う」という事が、双方にとっても明るい未来・可能性のある未来へ繋がるものだと、私は確信しているからです。この事に一刻も早く気付くべきなのです。

日本政府は「もはや戦後ではない」と64年前に「宣言」した。
池田勇人は「所得倍増計画」をぶち上げ、そして「成し遂げ」た。
資源もない小さな島国日本を「やれば出来る」んだ、という「自信を持たせた」ことは紛れもなく池田の功績であり、今一度その功績と軌跡を学び、考えてみることは決して無駄なことではないはずだ。

沖縄地元メデァが「県民の拠りどころ、アイデンティティーだと叫ぶ首里城」は、一世一代の大芝居を成し遂げ「朽ち果て」た。
今沖縄に必要なことは何なのか・・・・と、
またまたボケーーーっとしながら考えたりしてます。


                                                                                                大阪都構想住民投票の日に

 

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コメント

 11/1の沖縄タイムス紙には、かなり引きました。
一面全体をたっぷり使って、「首里城焼失一周年特別記念号」みたくなってました。財団の「もう絶対燃やさない誓い」みたいな、うそ寒い談話があったりして、新首里城は文化的遺産から沖縄固有の全体主義宗教の偶像的地位へと、その価値を変えていくのだろうと思いますね。とても悪い兆候です。

それで、お正月とか年に二、三回はやる本紙全体の外皮おくるみ広告紙面が施され、広告費を通じた経済界との二人三脚ぶりは「戯画」のような、堕落した沖縄リベラルの本質をも垣間見えるようでした。

大阪都構想の敗北は残念でした。
けれど、府民がそういう選択をしたのですから、それはそれで正しいのでしょう。私が「残念」と思ったのは、沖縄地区は九州沖縄地区として道州制のように行政区を一本化する事も将来の選択として有りではないか、と考えるからです。

かつての市町村合併は経費上の問題以外、マイナス面ばかりが取りざたされていました。けれど、人々の心理面から相互の社会的往来は増進されました。商圏は拡大され、生活の選択肢も増えたと思います。
沖縄は、「自ら閉じている」事に問題のひとつがあります。そこにいくら本土の金を突っ込んでも、既存利権者勢力がうるおうだけで終わります。

衆院一区の候補者は國場か、下地かだって?
そんな事は誰も興味がありません。ゲスかチンピラかの選択にすぎないからです。
振興資金における既得利権者たる国場組と、同じ大米の談合プレイをいかに新しい自民党がはねのける事が出来るか、これだけが関心事です。

高良倉吉先生は首里城再建にあたって、「搾取の象徴」である首里城に反対する方々にかなり圧力をかけられてたそうで。その方々はいずこへ?

「もはや戦後ではない」、どころか、「今や戦中である」、くらいの意識があれば「日本と沖縄のリセット(米国も含めて)」がなせるかな〜、とか思ったり。相手はどこかわからない人、いませんよね?沖縄がここにある以上、防衛の最先端にならざるを得ないのです。

沖縄二紙とか首里城再建を殊更に強調するメディアをみてるとオール沖縄?、本島のことしか考えてないっしょ?、ってなもんで。サムレー意識っすわ。

一世一代の首里城の大芝居…。首里城はもっと大きな視野を持て、俯瞰的に見よ、と身を呈して世界に示したと考えるもいいのかもと思えました。高良倉吉先生は首里城は巨大な漆器とおっしゃり、庶民たる職人の文化の結集だともおっしゃっています。いろいろな意味で沖縄の抱えてきた矛盾に目を向けるきっかけになればいいですが。

宜野湾くれない丸さんの記事は知性、教養を感じさせながらも自身の感性にあふれて好きです。厳しいようでも優しさも感じます。

都構想は結局「大阪市が無くなる」という感傷と煩わしさを打ち消すほどのメリットを維新側が提供出来なかった結果だと思っています。
大阪市民の大半はこれまでの維新の改革を支持していますし今後も継続して欲しいと願っていると思います。
しかし都構想のようなドラスティックな改革までは望んでないと言う事です。
投票率が前回よりも下がっているのにもかかわらず拮抗した展開になったのがその証明です。
今回を結果を持ってして維新を全否定にかかる人ほど大阪を理解していない層だと個人的に判断しています。
ただあの投票日直前の反則捏造報道はいけませんね。
それに乗っかった反対派の方々も反対派の主張そのものを貶める行為だと全く自覚していないのもいかがなものかと感じました。
以前から選挙の際の報道の自主規制はどうかと感じる事もありましたが、今回のような事が起ってしまうと今後起りうる憲法改正などの国民投票などさぞかしえげつない事が起きるのだろうなと容易に想像できます。

晴川雨読(せいせんうどく)さんというブロガーさんが、2019/10/31より前に「首里城は県民全体のアイデンティティーの象徴」であったかわかるものがあるかを調べてくださって、記事を書かれています。
結果、見つかったものは
「沖縄アイデンティティを測定する」
http://sfi-npo.net/ise/quality_education/no4_downloadfile_7.pdf
「沖縄住民のアイデンティティ調査」
http://ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12000/10367/1/No11p105.pdf

の2つで、前者に首里城の言葉は一切出てこなく、後者も同様で、沖縄アイデンティティと結びついているのは各種の文化的要因であることが示された、と書かれている。
それ以外には沖縄 アイデンティティ 象徴 首里城 で検索しても、それらしいものは見つけられなかった、とのことです。

示されている論文に目を通して、私としては「首里城は沖縄県民のアイデンティティの象徴」説、はい解散。

寄稿へのお誘いを頂きまして、身にあまる光栄です。
なのですが私、残したい発言が降ってくる時より来ない時の方が多い上、根本に持っているものが貧弱で暗いので、寄稿に値する文は書けません。
ごめんなさい。
極端を見なければ変化は起きない、失わなければわからない、破滅しなければ再生しない、これが私の基本で、「沖縄」に対してすらこれが自分の正直な思いです。
もちろん、灰の中から手塚の火の鳥の如く飛び立つことも頭の中に留め置いてはいるのですが。
管理人さんや山路さん、くれない丸さんの文章や皆様のコメントに触れてようやく、ダークサイドに行き過ぎないでいるのがやっとな毎日。

こんなHNを使っていますが私はあの首里城が大嫌いですw
元々眺めのいい場所が好きな性分なので城跡とか気分転換によく行く「好きな場所」なのですが、あの首里城はダメでした。
過去の文献を参考に再現したという触れ込みですが実際に出来上がったのは過去の文献の豪華な部分を良い所取りして更にそれを現代の技術で必要以上に磨き上げたまさにバブル時代を象徴する豪華絢爛、文化や生活感ゼロの観光施設でした。
最初に本殿の御庭に足を踏み入れた時のコレジャナイ感はいまだに覚えています。
なんというかクラッシャーさんのおっしゃる「搾取の象徴」をそのまま形にしてしまったのではないかとも感じました。

んでもって今当たり前のようにその平成首里城をそのまま再建築しようしてるのも正直ゲンナリしますが、再建する事が最優先だという同調圧力が発生しているのか奥武山のサッカースタジアム計画が完全に停止している状況です。
単なる偶然なのかもしれませんがスポーツを通じた新たなる文化、産業振興に通じるプロジェクトであるはずなのにあまりのやる気の無さにビックリします。
改めてこの島の人間には商才がないと痛感する今日この頃です。

脈絡のない稚拙な文章にコメント数々のコメントを戴き、ありがとうございます。私は「覚悟」や「志」の「意味」を改めて考えなおす必要がある、と思っています。沖縄も本土も日本全体も、ギリギリのとこまでイッチャッタ合衆国アメリカは「今、それを問われてます」。

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