それにしてもわが国の尖閣での対応はピリっとしませんね。
気がついたら、中国はどんどんとエスカレートを繰り返し、「公船」なんて中国語であいまいにしてきましたが、いまや海警はれっきとした準軍隊に成長し、尖閣水域は「施政権」だから武器の使用もありえるなんて言って日本漁船を追い回しているんですから、よー言ってくれますわ。
ところでデニーさん、政府に県の漁船保護を要請するなら、手紙でやんなさんな。やるきなさ見え見え。
そして東京に行ったら、中国大使に面会して抗議のひとつくらいしたらどうです。
うちの県民をこれ以上いじめるな、怒るぞ、くらいタンカ切って来なさい。少しは見直すから。
一方、竹島ときたら、日本はまともな返還要求ひとつするわけでもなく、完全にアチラの国に差しあげたも同然となっています。
先だっての「竹島の日」などは本来は国がやるべきものを、島根県任せにしたうえに、いまや式典に政府は顔すら出しません。
このような無意味な妥協は、相手方の増長を生むのは当然で、竹島を自衛隊が奪還に来ると言って、対日戦争目的の空母や戦略原潜の保有を計画する始末です。
なんでもコリアが言うには、自衛隊が実力で奪還にくるから防備を固めねばならないそうで、そんな事、誰がするかって(笑)。
日本の海保に測量中止を警告する韓国海上警察
海上で睨み合う海上保安庁VS韓国海洋警察庁 憂慮されるのは一触即発
このように軍事的エスカレーションの階段を登り始めた韓国は、今度はいままでまったく係争水域にすらなっていなかった五島列島におけるEEZで、海保の測量船にイチャモンづけをし始めました。
「海上保安庁は11日、長崎県五島市の女島沖139キロの排他的経済水域(EEZ)内で海洋調査をしていた測量船「昭洋」(3千トン)が、韓国海洋警察庁の船から調査を中止するよう要求されたと発表した。日韓の地理的中間線より日本側で、昭洋は「EEZ内での正当な調査」と回答し、調査を続けた」(朝日1月11日)
この水域は今までいちどとしてもめていなかった場所で、突然相手国のコーストガードにこういう警告をすることを、世界では領土的野心があると言います。
初めは竹島、そして五島列島水域、そしてやがては対馬でしょうかね、やれやれです。
私はかの国を友好国だなんてこれっぽっちも思っていませんから、怒る気にもなれないのですが、これがわが国の国境を囲む実情です。
では、なぜここまでこの両国は増長するのでしょうか。
理由はいろいろあるでしょうが、そのひとつに「密約」の存在があります。今日はこの角度から考えてみましょう。
密約というのは、政府間が条約の裏で決めた秘密の取り決めのことです。
密約は、国民に知らせないで行われた合意、ないしては了解事項のことです。
これ自体は古今東西よくあることで、かつての帝国主義や冷戦期にはしばしば秘密協定がなされて、そのほうが表の条約よりも重要だった時代がありました。これを「狭義の密約」と呼びます。
一方、このように文言で文書化はしないものの、あえてあいまいにしたままにして交渉を終結させることを「広義の密約」と呼ぶ場合があります。
契約概念が希薄なアジアでは、このようないいかげんな決着法が「賢人の知恵」だなんて呼ばれた時代もあったのです。
わが国も例外ではありません。
それが尖閣と竹島の「密約」問題です。
田中角栄×周恩来「尖閣密約」はあったのか | 外交・国際政治 | 東洋経済
まず尖閣ですが、1972年9月、日中平和条約を締結した田中角栄政権時にそれはなされました。
この時、中国側は文革時の混乱から立ち直るために、なにはともあれ喉から手が出るほど日本の経済支援が欲しかった時期でした。
文革と四人組による内乱によって、極度の国際的孤立と国力の疲弊をきたしていたからです。
そこで訪中した田中に周は、「小異を捨てて大同につく」という甘いささやきをします。
周は戦時賠償を放棄し、日米安保について触れないという妥協を示し、太っ腹ぶりを示して国交を結ぶことを優先しようと誘ったのです。
しかし喉に刺さった最後の刺が尖閣領有権問題だったわけです。
これについて元中国大使だった丹羽宙一郎がこんなことを書いています。
『田中角栄×周恩来「尖閣密約」はあったのか日中問題は45年前の智慧に学べ』
https://toyokeizai.net/articles/-/190196
「しかし、最後の最後になって田中首相より尖閣諸島の領有権問題が出た。尖閣諸島は日中どちらの領土なのか。領有権を主張し合えば、国交正常化交渉は暗礁に乗り上げ、まとまらないだろう。
このとき周首相が、「これ(尖閣問題)を言い出したら、双方とも言うことがいっぱいあって、首脳会談はとてもじゃないが終わりませんよ。だから今回はこれは触れないでおきましょう」と言うと、田中首相も「それはそうだ。じゃ、これは別の機会に」と応じ、交渉はすべて終わり日中共同声明が実現したといわれている〔横浜市立大学名誉教授の矢吹晋(すすむ)氏による〕
仰天するほどの村政治です。
こんな阿吽の呼吸で、領土問題という国家間の重大事が決まってしまうことに驚きを感じます。
日本側には国交回復を焦る必要はなかったはずです。まとまらなかったらマラソン協議をすればいいだけのことです。
それを自分の手柄にしたいばっかりに田中は焦ったのです。
領土問題という重大事を棚上げにしていい道理はありません。
むしろ同じ年の2月に日本の頭越しに 共産国と国交を結び台湾切り捨てた米国に対して、東アジア情勢を不安定にしてどうするのだと抗議してもいいくらいだったはずです。
しかも、周と田中の2人が密室で裏取引してしまい、それがわかったのは田中が後に身内の野中広務に漏らしたからでした。
「元官房長官の野中広務氏は2013年の訪中の際に、「双方で棚上げして、そのまま波静かにやっていく」ことで合意が結ばれたと、田中角栄元総理から直接聞いた話として語った。野中氏は当事を知る「生き証人」の責任として真実を語ったのだと述べている」(丹羽前掲)
これがいわゆる「尖閣棚上げ論」です。
日本政府はいまだ公式には否定していますが、あったのかもしれません。
しかし問題はむしろ、どうしてこの「棚上げ論」がゴミ箱に投げ捨てられたのかです。
その理由は拙劣な旧民主党政権の国有化が原因だったと丹羽は述べています。
「ひるがえって尖閣問題が日中間のデリケートな問題であることを知りながら、安易に国内問題として国有化に舵を切った民主党政権の応用動作は田中角栄に較べ見劣りがする。胡錦濤主席(当時)と直接言葉を交わし、国有化反対の意思を聞いたにもかかわらず、国有化の手続きを継続した野田佳彦首相(当時)の一連の動きを見ると、あまりに反射神経が鈍かったと思わざるをえない。
中国大使として、尖閣の国有化は日中間に大きな影を落とすと、強く進言していた私としては残念でならないことだった 」(丹羽前掲)
丹羽に言わせると、(彼は「(外交的)反射神経の鈍い」民主党政権が抜擢した中国大使だったはずですが)、尖閣を係争地にし日中関係を悪くした最大の原因はこの尖閣国有化だったということのようです。
なるほど、この野田の2012年9月の尖閣国有化を待っていたかのように、中国海警は大規模な領海侵犯を開始して、いまに至ります。
中国政府の船舶等による尖閣諸島近海での挑発行動 - 尖閣諸島|内閣
日本でも指折りの親中派である丹羽は、「先人の知恵に学べ」と述べて、こんなことを言っています。
「われわれは、尖閣諸島の領有権にあえて白黒をつけず、棚上げとしたまま国交を回復させた日本と中国の先輩たちの智慧(ちえ)に学ぶべきだ。それが、45年前に日中の国交が正常化した今日9月29日に、私が言いたいことである」(丹羽前掲)
なにを寝言を言っているのか。寝言は寝て言え。
周と田中が阿吽の呼吸で「じゃ、これは別の機会に」と収めた裏合意は公式文書には存在せず、しかもその性格からして賞味期限つきだったのは自明です。
当時の中国は、開放改革を掲げた鄧小平時代の韜光養晦((とうこうようかい)路線をとっていました。
聞き慣れない熟語ですが、光を韜 (つつ) み養 (やしな) い晦 (かく) すこと、才能や野心を隠して、周囲を油断させて、力を蓄えていくという中国流処世術ですが、転じて経済大国となるまで外交方針は抑制的にしていろ、という教えです。
鄧小平の演技は実に巧妙で 上の写真でも彼は「井戸を掘った」角栄宅を訪れて、いかに中国人が恩義に報いることに厚いかをアピールしました。
当時の角栄は失脚していましたが、それを重々承知でこういう憎いことができたのが人たらしの鄧小平という人物です
子供に手をやる優しいしぐさは、いかにも古い大国の好々爺然としていて、日本人の中国ファンを激増させました。
当時の日本メディアなどこぞって、鄧という老賢人が発展途上の老大国を再興しようと奮闘努力しているのだから、日本人は日中戦争のお詫びに大いに協力せよ、という論調で報じました。
トヨタ、松下などの日本を代表する企業が、社運をかけて争うようにして中国に向かったのはこの時期からです。
しかし、この経済大国になるまで低姿勢でニコニコ外交をするという路線は、リーマンショック以後、中国が経済の世界の覇者となるに及んで、弊履のように捨てられました。
もう猫をかぶっている必要がなくなったと中国は見て取ったのです。
代わって登場したのが、習近平の「中華の夢」路線です。
習近平皇帝。もちろんクソコラ
習は「中国の夢を実現しよう」「中華民族の偉大なる復興」という言葉を好んで使い、秦の始皇帝時代から清朝初期まで、ほとんどの期間世界の覇権国家だったことを強調しています。
過去の中華帝国の栄光を取り戻し、それを凌駕する世界に冠たる覇権国に返り咲くことが、習が掲げた国家目標でした。
中国の国家主席が世界帝国になることを堂々と宣言する時代になって、いまさら文革明けの韜光養晦の時代に戻れ、先人の知恵に学べと言われても、そんな時代に戻れもしないし、戻る気もない、ということをいちばんよくわかっているのが、当の中国のはずです。
客観的に見て、日中尖閣密約が仮に存在したとしても、今日棚上げ論が存在する余地はまったくありません。
中国は棚上げにするどころか、施政権すら求めて実効支配を進めています。
そんな相手に対して丹羽のように「先人の知恵に学べ」などときれいごとを言って、かんじんの聞く耳を中国が持っているでしょうか。
従ってわが国も、「そのような密約はなかった」の一言で一蹴するべきです。
双方の正式に外交文書に存在しない以上、ないものはないのです。
田中が言ったとされる「別の機会に」論は、外交用語で言うテイク・ノート(メモで書き残したような非公式記録)でしかありません。
丹羽が日本側がこの密約合意を一方的に廃棄したから、尖閣が紛争化したのだという言い方は、アチラの国の言い分にすぎません。
中国は手ぐすね引いて、東シナ海領有化のタイミングを狙っていたちょうどその時に、ノータリンの民主党政権が絶好の餌を投げてくれた、ただそれだけのことです。
長くなりましたので、竹島密約については次回に回します。、
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