山路敬介氏寄稿 報道されない現代自衛官の本質 その2
報道されない現代自衛官の本質 その2
~沖縄タイムス「防人の肖像」は現代自衛官の姿を表していない。コロナ宮古島派遣自衛官の姿から ~
承前
話がそれました。
宮古島では重傷者用の病床が足りず、自衛隊のヘリで本島に搬送される事態にまで至った事はご存知のとおりです。このことの原因としてメディアはGOTOトラベルをあげましたが、この時点で県内宿泊施設からは一人の発症者も出していません。どこでも同じだと思いますが感染は家庭内が多く、宮古島でのクラスターは特養老人ホームや障がい者用などの施設で発生しています。
メディアとちがい、そうした状況を正確に地元の自衛隊は予め把握していて、デニー知事から出動要請が出た時点ですでに必要派遣人数や、やるべき事も十分に練られていました。
むしろドタバタしたのは沖縄県の方で、派遣自衛官(看護官)の宿舎の手配や要望、支払いなどの細々した事は同時進行的に市役所や現場で了知されて行ったのです。
派遣自衛官は朝7時には宿舎となったビジネスホテルを出て、駐屯地から差し向けられたマイクロバスで目的の施設に向かいます。この車は窓から内部の様子がうかがえず、私は乗降口方向から中を覗いてみましたが、沢山のビニール間仕切りが徹底されていて、席毎にさえ区分してあるように見えました。
現場では施設ごとにやる事がちがいますが、当初は感染者の出た部屋や棟全体への消毒など、またリネン類の処分や取り換えなど事後処理が行なわれました。
それから今度は、今後感染者が出た場合の従来動線と別のラインの確保、厨房が使用不可の場合の予備的な対応などを想定した措置をしています。
これらの事は同じく派遣された看護師たちとの共同で行なわれましたが、参加した看護師によれば「感染を防ぐ目的として、自衛隊の措置は徹底しているだけでなく、最新の予防医学に基づいていたよう」だとの感想を私に話ました。
当初私は根拠なく、これら自衛隊の関わりは主として施設へのピンポイント的な対応でしかなく、漠然と「不十分なのではないか」と考えていました。けれど、ワイドショーなどで「コロナ地獄の島」のように興味先行の報道をされていた宮古島市が、自衛隊着任後一週間を経ずに新規感染者数がゼロ近くになったのです。いかに合理と徹底・集中が重要であるか、それを行なえる自衛隊の叡智はさすがだと感じざるを得ませんでした。
宮古毎日 http://www.miyakomainichi.com/2021/04/139370/20210414
今はまた感染者数が徐々に増えてはいますが、件の施設等へのワクチン接種は行きわたり、月末には高齢者一般への接種が始まります。感染者数や保菌者数はともかく、今後は宮古島から死者は出ないだろうと見られています。
ところで、前に「県の手配がバタバタしていた」と書きましたが、それはたとえば県が用意した宿泊施設は隊の要望を満たすものではありませんでした。派遣された隊員自身が現地で直にホテル側とていねいに相談して、すでに交渉済みの予算枠の中でほぼ100%の協力が得られたものです。
彼らはまず、万々が一を考え、隊員からの二次感染など夢にも起こらぬように、フロアーを貸し切りにする交渉をしました。キーは各自持ち切りにして出入りは外の非常階段からのみとし、他の宿泊者だけでなくホテル従業員にすら相対しない方法をとりました。
食事も夕食と翌朝の朝食(パンと飲み物程度)が夕食時に一緒に駐屯地から届けられ、狭い部屋で各自別々に済ませます。
洗濯は自前の洗濯機を一台フロアーに設置して、他の客と接触する可能性のあるホテルのランドリーは使用していません。ホテル側による部屋の毎日の掃除は断り、シーツ交換などはリネン類とともに所定の場所に用意してもらって、それで各自でしています。
もちろん、夜間外出などという事はなく、休日もフロアーから出る事はありません。
体がなまってしまうとかで、フロアーに出てバランスボール運動とかマットを敷いての柔軟体操を良くしていたそうです。
ちなみに同ホテルには県から派遣された看護師の皆さんも宿泊していて、そちらは一切が他の宿泊客と同様で朝食会場にも行くし、コインランドリーも使っていたとの事。
自衛隊なら、より厳しく万全の体制をとる事の命令があっただろう事は理解できます。
ただ、派遣されたチーム自身が朝夕のミーティングによって、自ら課して常に改善していた点が特筆されるべきでしょう。
また、報道のせいで看護師団同様に予定の二週間で任務を終えて帰っていったように理解されていますが、その後10日間はホテルで待機し続けています。
感染状況がぶり返さないかどうか注視する目的もありますが、自らが感染源になる事のないよう念を入れての意味が重要だったようです。ですから待機中の10日間も、それまでの二週間と同じように同じフロアーに缶詰め状態で過ごしていたわけです。
私ら市民有志はこのチームに対し記念的な謝意をあらわすべく奔走しましたが、丁重に辞退されています。唯一、かかわりのあった施設から駐屯地経由で夕食時に届けられた質素なフルーツ折だけが届けられました。
コロナ禍中だったので仕方ありませんが、私だけでなく市民の誰もが名すら知らないままで感謝の言葉を届ける暇もありませんでした。チームの皆さんの声をじかに聴くことも出来ないままでした。
フルーツ盛に添えられていた小さな栞に「自衛隊の皆さん、感謝します」と書いてあって、それをチームの誰かが自分のドアの真ん中に誇らしげに張り出してあった事を私に話してくれた清掃担当のおばちゃんがいて、ポツンと「ちょっと、泣けた」と言いました。
了
文責 山路敬介
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