細野豪志の証言 その1
福島第1原発事故の真摯な総括が出ました。
あの半狂乱に陥った首相に率いられた官邸スタッフの中でほぼ唯一正気だったのは、当時首相補佐官(後原子力事故担当大臣)だった細野豪志でした。
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船橋洋一『メルトダウン・カウントダウン』 には、細野が対策統合本部事務局長として、混乱を極めた官邸内で専門家を中心とするチームを作ろうと奮闘している様が描かれています。
当時の官邸は、平時からキレ易い体質のカンが、3日間も寝ないで荒れ狂っており、「オレの言うことに答えればいいんだ」と絶叫する暗愚の独裁者と化していました。
政権側にいたのが、枝野官房長官、海江田経産大臣、そして細野補佐官でした
専門家といえるのは東電の代表としてて送り込まれていた武黒一郎フェローと斑目春樹原子力安全委員会委員長でしたが、彼らはカンの怒号に押しつぶされ、専門家としてなすべきことを放棄したばかりか、武黒などはカンの注水停止「命令」まで吉田所長に強要する有り様でした。
果ては、カンは学生時代のゲバ仲間を官邸に招集し、なんの専門性もない彼らに内閣参与の肩書まで与えて事故対応の「助言」をさせていたのですから、なんともかとも。
※関連記事『福島事故 「素人政治家」に屈伏した原子力テクノクラートたち』
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この状況に抗して、独断で原子力事故の専門家による「助言チーム」を作ろうとしたのが細野でした。
彼は、近藤駿介原子力委員会委員長にこの助言チームのリーダーを依頼します。
近藤は、原子炉の確率論的安全評価の第一人者であり、この時期、海を隔てて同じく福島事故どのような対応するべきか苦慮していた米国原子力規制委員会(NSC)トップとも人的ネットワークを持っていました。
この官邸側近藤氏と、現場の吉田所長らの働きによって、なんとか事故は収束に向かったわけですが、ほんとうに薄氷の危機とはまさにこの時期のことでした。
このように細野について私は影の功労者といってよい人物だと評価していました。
しかしその後、その当の細野が野田政権で環境大臣だった当時、1ミリシーベルトという極端に低い規制値を設定したために、過剰な除染作業によって帰還が大幅に遅れる原因を作り出しました。
このあたりの矛盾した内情をぜひ細野から聞きたいものだとかねがね思っていたところ、福島現地から鋭い報告を送り続けた社会学者の開沼博氏との共著で一冊の本を出しました。
タイトルに「自己調査報告書」とあるように、他者への批判ではなく自らの犯した過ちについて率直に書かれています。
『東電福島原発事故 自己調査報告書』(徳間書店)
この本に合わせて、細野はニューズウィーク(2021年3月11日)のロングインタビューにも答えています。
※『3月11日で東日本大震災と福島第一原発事故から10年。当時、民主党政権の担当相として、最前線で事故処理・対応に当たった細野豪志衆院議員が語る反省と課題と希望』
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/03/10-127.php
冒頭彼は、いわゆる政治家本にはしない、と断ったうえで、「私は歴史法廷で、罪を自白する覚悟をもって本書を書いた」としています。
「細野:震災から10年なので、記憶の風化を考えるとここがラストチャンスと思ったんです。2012年に原発事故直後の対応については政府・国会・民間と3つの事故調査報告書が出ていますが、2011年から12年にかけての政策決定の検証は十分には行われていない。その中で、明確にいくつか検証されるべきこと、改善すべき問題があると思っていました。それを書きたかった」(NW前掲)
私はこのような証言を待っていました。
カンや斑目のような人外魔境の自己弁護は論外として、船橋氏や門田氏の優れたドキュメントを除き、当時事故対応に当たった側の記録は欠落したままです。
わずかに各種事故調に残されていますが、一種の黙契でもあるかのようにな口裏合わせじみた証言が見られるに止まっています。
このような粘ついた空気の中で、「歴史の証言台に立って罪を自白する」と語り始めた細野に拍手します。
ではなぜ、1ミリシーベルト除染や甲状腺検査などの過剰な対応が生まれたのでしょうか。
それはゼロリスクに縛られていたためだ、と細野は言います。
「細野:そこはまさに一致する。ゼロリスクを求めたことの問題点です。あと、およそ科学的に分かっていることについて、言葉を濁すことの弊害。まさにワクチンがそうです。ワクチンを打つことが個人にとっても、社会にとっても必要だと言うこと。みなさんが打つ、打たないは自由と言わない方がいい。打ってくださいときちんと言うべき。
そのうえで、リスクとベネフィットを説明する。打たないことで、違うリスクが出ることの説明をすべき。
そこが十分やりきれなかった反省が、処理水や食品の安全基準の問題でした。のち甲状腺検査が問題になった時も、リスクをどう考えるかということが非常に影響した。今につながる問題です」(NW前掲)
事故後福島に対して政府がとった過剰な対応は、当時の世相に色濃くあったゼロリスク信仰におもねるものでした。
元来は運動家たちの大きな声でしかなかったものを、メディアがことさらに取り上げて増幅し、まるで国民が皆揃って不安だというような脚色を施して「民意」としてしまいました。
政府は科学的ファクトを伝えずになぜか口ごもり、行政責任者にも小池知事のように「安全だが安心ではない」ということを平気で言い出す者も現れてきます。
とどのつまり、政府はたとえば今回の海洋放出も満タンになるまで問題解決を先送りにするような迎合的対応を続けてきてしまいました。
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反省が出来ることは政治家としても人間としても美点で良いことです。なんか昨夜のフジテレビの変わった裁判官ドラマでも似たような···
先程、薄めて海洋放出という既定路線が政治決定されたようですね。
昨日からなんだか関係ない韓国さんが騒いでますけど。。あちらの原発は薄めもせずに普段から日本海に垂れ流してますね。。
投稿: 山形 | 2021年4月13日 (火) 08時33分
私もあなたも、我々の両親のそのまた両親も、我々の子もそのまた子も、誰でも、日本中何処にいても世界中何処にいても、呼吸しても水を飲んでも雨に降られても、原発無しでも、人生で毎日ずっと曝され続けるトリチウム。
ゼロかゼロ以外かではなく、それはどんなもので、どのくらいあるのかの話。
ALPS処理水は基準値から更に薄めて放流される。しかも2年後。
濃度が高いと人体に有害な成分を含むものを排出する事業所や研究施設など、みなそれぞれ定められた基準値内の濃度で放流・放出しているのはなぜ。
世界各国が海洋放流している科学的な理由、IAEAが今回の日本の決定を支援する科学的な理由にはどういうものがあるか。
これくらいならたいてい誰でも調べられることですが、信じたくない人、知りたくない人、知らせたくない人にとっては、「持っているお気持ち」に沿わなければ価値が無いことなのでしょう。
「お気持ち」にはもう充分付き合ったんじゃないですかねぇ。
投稿: 宜野湾より | 2021年4月13日 (火) 13時19分