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2021年4月23日 (金)

慰安婦問題はメビウスの環

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昨日の慰安婦判決記事の補足です。
昨日私はたんに「判決」とだけ書きましたが、ネットでこれが「却下」か「棄却」かで論争があったようです。
この二つは意味が違います。「却下」はひとことでいえば門前払いで、「棄却」は裁判はしたが原告の訴えは認められず敗訴ということです。

今回のソウル中央地裁の判決は却下ですから、門前払いです。
裁判は開かれたが、日本政府は出廷そのものを拒否しているのですから裁判として成立しませんし、以後出廷するはずがない以上、日本政府相手の慰安婦訴訟はこれでジ・エンドだ、というのが私の記事に書いたことです。
なお、徴用工裁判のほうは主権制限論とは無関係ですから、続きますので念のため。

さて、HNしゅりんちゅさんからこのようなコメントを頂戴しております。

「あくまで「主権免除」に触れるから訴えが認められ無かっただけで、この胡散臭い活動そのものが否定された訳ではないので手放しでは喜べませんね」

おっしゃることはよくわかります。
残尿感が残る判決ですね(←たとえが悪いゾ)。
ソウル中央地裁は慰安婦運動について判決は言及していません。なんせ「却下」ですから当然です。
門前払いですから、慰安婦団体はギャーギャー騒ぎ続けるでしょうし、今後も彼らの運動は残り続けます。
これはいたしかたがないことだと割り切りましょう。
慰安婦問題は国のアイデンティティというと聞こえがいいですが、一種の土俗宗教化していますから、われわれとしてはどうしようもないのです。

Photo

韓国の慰安婦運動は、文明国における市民運動ではなく、一種の宗教的信心の類です。
信仰は自由ですから、売春婦像を拝もうとどうしようと自由です。
しゅりんちゅさんが望むように、「活動そのものを否定」することは、韓国では非国民扱いですから絶対に司法はそんなことはしません。
ですからあたかも国際的配慮をしたために却下するという婉曲な形にしたのです。

訴えた元慰安婦のイ・ヨンスが14歳で慰安婦になったといおうが、慰安婦団体の女帝・ユン・ミヒャン が巨額の不正横領をしていようが、どこまでも牛の涎のように続きます。
したがって、いかに司法から門前払いされようと、懲りずにまた同じ訴訟をなんども起こすことでしょう。

慰安婦団体は最高裁に上訴するでしょうが、しかしあいにく最高裁(韓国は「大法院」)は下級審と違って「法律審」なのです。
これは国際的スタンダードで、これは韓国も日本も一緒です。
「法律審」とはこういう意味です。

「地裁、高裁、最高裁で3回にわたって、同じような裁判を繰り返すわけではありません。以下、民事裁判について説明しますが、地裁、高裁で行われる裁判(下級審)は事実審、最高裁で行われるのは法律審であり、裁判の基本的な性格が異なります(略)
下級審の判決に不服である場合、必ず最高裁に上告できるわけではありません。上告するには、判決の憲法解釈に誤りがあること、憲法違反があること、最高裁の判例とは異なる判断が下されたことなどの上告理由を満たしていることが必要です。高裁での控訴審で敗訴した側は、最高裁でも争って判決を覆すべく、これらの条件を満たす上告理由を書面に記入して提出しますが、ほとんどの場合は理由を満たしていないと最高裁に判断され、上告は棄却されて控訴審の判決が確定します。このため日本の裁判制度は「事実上の二審制」との見方もあります」(しらかば法律事務所)
https://www.potato.ne.jp/shirakaba/hkeizai/51.html

このように最高裁は下級審と違って事実を認定する「事実審」ではなく、下級審の法律解釈そのものを見る「特別な裁判所」なので、大多数の最高裁への上訴は棄却、つまり門前払いとなります。
だから今回の件で、慰安婦団体が最高裁に上訴しても、ふたつの制限主権論を認める判例がある以上、よほどの強烈な政治的圧力がない限り敗訴は決定的です。
まぁこの政権への忖度が濃厚にあるのがかの国ですから、下級審の判決を覆すものが出ないとも限りません。
ただ出る可能性は非常に少なくなった、とはいえます。

というのは、どんな訴訟を起こそうと、わが国はそんな裁判自体を認めずに出廷することは絶対にありません。
裁判自体が不適切である以上、出廷してしまったら裁判を認めることになるからです。
被告人にされた日本政府が出廷しない以上、自動的に裁判は成立する要件を失いますから、司法としては却下しか出しようがないのです。

その理由を菅さんが会見で簡潔にこう述べています。

「まず国際法上、主権国家は他国の裁判権には服さない。これは決まりですから、そういう中でこの訴訟は却下されるべき、このように考えます。そして、日韓の慰安婦問題については、1965年の日韓請求権協定において、完全かつ最終的に解決済みである。ですから、韓国政府として国際法上違反を是正する、そうした措置を採ることを強く求めたいと思います。
我が国としては、このような判決が出されることは、断じて受け入れることはできません」(2021年1月8日首相会見)

「主権国は他の国の裁判権に服さない」、そして慰安婦問題は65年の日韓請求権協定で終わっているし、さらにそれは日韓慰安婦合意で裏書きされている、これが日本政府の立場のすべてです。
この日本政府の立場は、なんど蒸し返そうと不変です。

ここで首相が言う「そういう決まり」とは、2004年12月2日、国連総会において『国及びその財産の裁判権からの免除に関する国際連合条約(国連国家免除条約)』を指します。
これが国際法です。
ですからわが国は「国際ルールに則れ」とだけいうしかありません。
それをやっとわかったから、韓国司法はとりあえず国際ルールに乗っ取る姿勢を見せたのです。

もちろんそれは韓国が日本の言い分を承服したという意味ではありません。
韓国は日本のいうことを聞いて大人の対応をしてやったのだから、日本も少しは韓国にも花をもたせろや、ということを言い出しました。

「この日の判決と関連し聖公会(ソンゴンフェ)大学日本学科のヤン・ギホ教授は、「外交的な領域で扱われた慰安婦問題が韓国国内の訴訟で司法的な領域に入ってきたが、裁判所は韓日両国の対話と協力を通じて問題を解決せよとして慰安婦問題を再び外交の領域に押し出した」(中央日報4月22日)

司法は外交的解決をしろと押し戻した、さぁ外交交渉で負けを挽回するぞ、ということのようで、まことにもってご苦労さんなことです。
だからムン政権の外相は、またぞろ日本は韓国政府の提案を聞け、とあたりまえの顔をして言い出したというわけです。

というわけで、終りはありません。
ただしすべて彼らが望むような外交問題ではなく、彼らの国内問題にすぎません。
国内問題である以上、まるでメビウスの環のように、一回ねじれてもどこまでも続くということになります。
こんなことに私たち日本人はつきあう必要はまったくないので、勝手にやっていなさい、というだけのことです。

 

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コメント

 >韓国の慰安婦運動は、文明国における市民運動ではなく、一種の宗教的信心の類です。
信仰は自由ですから、売春婦像を拝もうとどうしようと自由です。

 慰安婦運動は宗教的な情念の問題なんでしょうね。宗教は自由ですからいかなる信仰でも許される筈です。ですが、この宗教的信念が行動となり一般社会の常識規範と背反してしまうと問題が起こることもあります。一般社会では、慰安婦の存在は当時は許されていたことであり違法ではありませんでした。

 問題は強制的に慰安婦が働かされたのかどうかですが、これも今では否定されたことです。強制連行はなかったのですね(一部例外はあるが、これは当時において軍法会議で処罰された)。

 韓国人が慰安婦問題を韓国人のアイデンティティーが傷つけられたとまでに考えるのはなぜだろうか? 宗教的な情念まで行きついていったのはなぜか? 

 慰安婦問題は、慰安婦合意にもとづいた今回の判決で法的決着もついたと見て良いと思います。
ただ、韓国でいう「国民の情緒」というものは別で、そうしたモノまで我々日本人は付き合ってはおれませんから、放って置くしかありません。今後は意識して距離感を適切に保つよう、日本政府には心がけて付き合ってもらいたいです。

初期の韓国政府は韓国民の意識改革のために「反日」を作り出し、さらに人気取りのために利用して来ました。文政権では対日歴史問題を、離米して中華圏入りのための正当事由としている気味合いもうかがえます。
しかしまた、歴代政府は常にこうした韓国民の国民情緒に振り回され、持て余して来たのも戦後の歴史です。

法律で掬えないないなら、国民情緒の行先は大統領府(内政)に向かうしかありません。それを回避するための方策が李容洙(イ・ヨンス)おばあさんらが主張するICJへの提訴で、「時間稼ぎにはなるだろう」という考えのものでしょう。
しかし、その結末がハッキリしている事も、もう国民の多数が知るところとなっています。

我が国としては距離をおいて、もよう眺めしているべきですね。
「巻き込まれ」は国力を削ぎますので、最大限淡泊なスタンスを貫くべきでしょう。

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