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2021年5月12日 (水)

第1波を凌いだ後に「熱い湯」を入れるべきだった

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国民には政府のコロナ対策が後手後手で手遅れになっている、という気分があるようです。
なまぬるい、遅い、というところでしょうか。
だから五輪のせいだとメディアと野党が煽ると、そうかやっぱり五輪なんかやるから限りある医療ソースが持っていかれてしまうんだぁ、とかんがえます。
五輪か、国民の生命か、ってことになります。
先日も外国人選手の患者が先か国民が先か、なんて答えようがないことを聞いた立憲のバカ議員がいましたね。(例のアノ人ですが)
首相が外国人選手だなんて答弁すれば、もう大喜びだったんでしょうがね。
首相がはぐらかした答えをすれば(アレはわざとですよ)、そらみろ首相は錯乱している、政府はもう統治能力を失っているんだ、なんていいだすんですから、はれほれ。

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上の広告は大手新聞各紙に出たものですが、ワクチンもないクスリもない、竹ヤリで戦えというのか、とアジっています(苦笑)。
コロナ細胞を日の丸に見立てて、なんて悪趣味。
ワクチンが遅れたのは、米英の製薬会社が日本より2桁多い死亡者を出してしまった自分の国の接種を優先したからです。
日本が感染拡大を抑えられた結果が、今のワクチンの遅れを招いたといえないこともないのです。

クスリがないに至っては、特効薬がたった2年できるはずがありません。
製薬会社の研究員は、勤務している間に一回くらい新薬を作れたら僥倖だってことを知らないみたい。
それにどーでもいいですが、この写真は竹槍ヤリではなく薙刀だそうです。
えてしてこういう手合いが、五輪中止を叫びます。

私は五輪とコロナ対策は同じことであって、かえって加速化するのだと主張してきました。
ただし、この国民のイライラには仕方がない面もあるのです。
それは日本のコロナ対応は欧米と較べると遥かに手ぬるいために、メリハリがなくグダグダだからどうしても後手後手に見えてしまうのです。
そのために、「政府の対応の遅れ」というメディアの煽りに乗ってしまいがちです。

たとえば、今でている緊急事態宣言はナンチャッテ緊急事態宣言であることは、とっくに国民も分かっています。
言葉が仰々しいだけのことで、ただの「お願い」にすぎません。
こんなナンチャッテの形になったのは、私権の制限が憲法に引っかかる可能性があるからです。

私は、緊急事態宣言を出すならヨーロッパ型でするべきだと当初から考えていました。
つまり国家主導による私権の制限です。

たとえば、罰則既定つき外出制限や店舗営業の制限はあたりまえ。
医療機器、設備・施設薬品などの、食品などの生活必需品の統制までするべきでした。
さらには隔離病床数の指定、無症状者隔離宿泊施設の確保にいたるまで、徹底した国家主導で遂行されるべきでした。

しかし、国会を早く通すためなのか、このような私権の制限を伴う措置は消え、日本型緊急事態法で強制性があるのは、医療施設のための土地建物の収容、医薬品・食料の保管命令の2つくらいなものでした。
今の飲食店の営業時間の制限、酒類の提供もすべて要請であって、命令ではありませんでした。
そのために、東京都や沖縄県のように無症状者用隔離ホテルを確保し忘れたりする自治体がうまれてしまい、それが病床数を圧迫することになりました。

もっとも重要な市民の外出禁止については、罰則既定すらありませんから、メディアが宣言前より増えたの減ったのと監視しているだけのことです。
こういうあいまいさが、国民の相互監視するような「自粛警察」なんてものを生み出すのです。

下の写真は、フランスの緊急事態宣言の初期の風景ですが、まるで戒厳令よろしく自動小銃を持ったポリスが警戒にあたっています。

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AFP

フランス北部ルトゥケで、新型コロナウイルスの感染拡大防止措置としてカフェの閉鎖を監督する警察官とのことですが、このようにフランスは「不要不急の公共場」を閉鎖し、警察によってそれを守らせています。

各国比較を読売が出しているのでみてみましょう。

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読売

日本の非常事態宣言を上の一覧で見ると、いかにいいかげんなものかお分かりいただけるかと思います。
ヨーロッパでは外出は食料品買い出しと散歩以外は全部禁止ですが、わが国は「外出自粛」、「施設使用自粛」、「イベント自粛」でしかなく、いままでの「お願い」の化粧直しして法的根拠を与えた程度のことでしかないからです。

しかし結果として、日本では良いのか悪いのか、これで済んでしまいました。
下図は去年3月から4月の第1波の頃ですが、日本は初期のコロナウィルスの来襲をほぼ完全にブロックしています。

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それが今になるとジリジリと欧高日低の構図が崩れてきています。

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込み入っているので見にくいですが、日本は表の中ほどの英国のやや上に位置しています。
つまり、日本は初期において「なぜか」見事にブロックできていたが、去年暮れから今年にかけて苦戦を強いられているわけです。
初期にうまくいったことに対して、先日来紹介しているワクチン学者の峰宗太郎氏はこう言っています。

「感染症の対策の視点から言えば、生ぬるい、というか、怠慢のそしりは免れない部分があるのではないかと。それでも拡大がこの程度で収まっているのは、3密を避ける、マスクをして手を洗う、外出・外食を控える、といった、当初からの対策である基本予防策と、それをちゃんと守って努力してきた人々の力、さらには島国という幸運な条件があるゆえだと思います」
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00087/042600218/

では一方、ここまで強い国家の権限による私権の制限をした国々がうまくいったかといえば、違いました。
米国CDC(疾病対策予防センター)は、自由主義圏で最も強い権限を与えられており、その実力は世界一と自他ともに許していた機関でしたが、初期には惨憺たる失敗を演じてしまいました。
米国がメタメタなのはご承知のとおりです。
同じ惨状を呈した英国BBC(2月23日)から「ひとつの国で計50万人が1年と少しで亡くなったことになる。これは、第1次世界大戦と第2次世界大戦とヴェトナム戦争で亡くなったアメリカの戦死者の総数を超える」などと、やぁご同輩、あんたの国もひでぇもんだな、といった書き方をされる始末です。

その原因は日本の成功した方法と逆をしたからです。
日本がとったのは、病院が検査によるリソース枯渇に陥らないために、あえてPCR検査を制限しました。
メディアと野党は、それを検査をさせないのは、真実を暴かれるのがこわいからだなどと連日ガナっていましたね。
ちなみにPCR制限は五輪をするためだ、みんな五輪が悪いんだ、なんていう五輪悪玉論はこの時期からぼちぼち登場し始めます。
まぁ結果としては、メディアの言うことに耳を貸していたら、とっくに医療崩壊を起こしていたはずです。
まったく反省の色もありませんけどね。

それは米国を見ればよく分かるでしょう。

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CNN

「日本よりもずっと強力な制度、リソースがあったのですが、国内の「検査して隔離」を求める声が大きすぎてそちらにばかりに力を振り向けたこともあり、大変な惨事になってしまった。広報の内容にも3密回避・人の密集を防ごう、はあまり力点が置かれていなかったですし、換気などについても触れ出すのは遅かったですね。なにより原理原則の、「げ」である、「感染は人の接触で起こる」というところへの意識の向け方が弱すぎました」(峰前掲)

検査と隔離で医療リソースを崩壊させてしまったために、米国は看護師不足と病床不足に陥り、軍の病院船まで投入しようとしたほどです。
それがやっと落ち着いたのは、ワクチ接種が現実に行われてからのことです。

では日本は第1波をしのいだ後に何をすべきだったのでしょうか?
峰氏はこの第1波と第2波の間に訪れた小康期間に、その後に備えての制度的な強化を計るべきだったとしています。

「個々の戦いを批判的に振り返るのも大切ですが、私は、「緊急事態宣言」という、お願いベース以上の強い方策(もちろん補償も含めて)を打てる環境整備、これをこの「小康」を得てかせいだ時期に用意できなかったことが、大きな失策ではないかと思います。
手持ちの対策で時間をかせいでいる間に、風呂に熱いお湯を入れる、強いブレーキを踏むための準備をすべきだった。
感染者が再び増えた際にどこの組織がどう動くか、そのために必要な制度は何か、国際対応、水際対策はどうするのか、といった、行政・政治面ではほとんど何もしなかったと思います」(峰前掲)

峰氏の表現を借りれば、「ぬるい風呂に熱い湯を注ぐ」必要がありました。
それはひとつに、緊急事態宣言の世界標準化です。
自治体に丸投げせずに、国家が責任をもってコロナ対応の司令塔になることです。
たとえば、緊急事態宣言にもうたわれている外出制限や医療リソースの提供なども、自治体管理から国が管理できる制度的仕組みを変更せねばなりませんでした。
仮に現行憲法の議論になろうとも、国家主導型宣言を模索すべきでした。

また第2に、ワクチン接種についても、歯科医、獣医、薬剤師まで含めた総動員体制で臨める制度を、国が作る必要があったと思います。
国産ワクチン開発に対して、去年の早い段階で国産ワクチンを早期に開発するために強力な手だてをとらねばなりませんでした。
日本のワクチン開発は、反ワクチン運動によって大きく阻害されてきました。
それを決定づけたのは予防注射反対運動が起こした訴訟で、92年に東京高裁が国の賠償を染命じる判決を出したことです。
この判決の同年にこのワクチン無用論に同調するかのように、反ワクチン運動が要求してきた予防接種法が改正され、接種は従来の義務から「努力義務」に格下げになってしまったことが決定的でした。

日経『新型コロナ・ 必然だったワクチン敗戦 不作為30年、民のはしご外す』によれば、インフルエンザワクチンを開発しようとしていたバイオ企業のUMNファーマーは認可を拒否されて100億円の開発費を失いました。
治験が副反応をおそれるあまり極めてタイトになったからです。
現行の制度では、新ワクチンの治験には4年以上かかり、しかも通らないと言われています。
そして、その後に朝日が執拗に続けた反子宮頸ガンワクチンキャンペーンによって、日本ではワクチンを作らせない風土が生まれてしまいました。
これで日本の製薬会社にワクチンを作れ、というほうが無理です。
現況では日本企業ではわずかの数の製薬会社が細々と研究をしているにすぎないまで縮小ししていきました。
かつての、世界で最先端を誇ったワクチン技術は、この十数年の空白期でほとんど失われ、日本はワクチン不毛地帯と化してしまったのです。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODL024HX0S1A400C2000000

ここまてワクチン製造を痛めつけておいて、急にコロナだからといってすぐに作れといってもどだい無理な相談です。
ワクチンが遅い、ワクチン後進国だ、政府の怠慢を許すな、と言っている左翼の人たちやメディアは、かつて自分ら反ワクチンの旗を振っていたことを思い出すのですね。あなた方がワクチンを作れなくしたのです。

だからこそ、国は今こそ予防接種法を改訂して、義務化するための法改正が必要です。
また、失われつつある日本ワクチンの技術を蘇らせる強い財政的支援も必要でしょう。
おそらく反ワクチン論にしがみついているメディアは大騒ぎするのは目に見えていますが、現にワクチン無かりせば今世界は地獄だったことを訴えるべきです。

これらのことは、逃げないで国が前面に出てやらねばならなければならないことなのです。

 

 

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コメント

蓮舫ですね。(敢えて敬称省きます)
党代表の枝野(これも敬称省きます)は国会で「一番悪いのは吉村…」とかなんとか云ったそうですが、語るに落ちるとはこの事です。
吉村知事がどうのこうのではなく、今現在誰が悪いのかれが悪いのと語っている時点で、こいつはコロナ禍を脱する前向きな考えがないことを晒しているようなものです。彼らはすべてのことが政府を貶めるネタ、政局としか観ていないのでしょう。

日本維新の会の馬場伸幸氏が立憲民主党を称して
「日本に必要のない政党」と語ったとか。
蓮舫などは「何様」と気色ばんだそうですが、馬場さん、まだまだ認識が甘いです。
立憲民主党は「日本に必要のない政党」ではなく「あってはならない政党」ですよ。

いついかなる時でも権限を侵害しない事が素晴らしい
という無制限の自由主義が非常時にいかに脆弱か国民は身をもって感じてこれを変えるべきか否かをしっかりと議論しなければいけません。
今回に関しては去年の段階で各自治体の知事には手に余る案件だと分かり切っていたにも限らず「きっとこのまま収束する」という根拠のない希望的観測を多くの人が抱いてしまい、専門家や政治家もそれに流されてしまった。
これは自分もそうだったので反省しなければいけない点です。

戦略面で間違えているのにその中で動いている人間を叩くだけというのは簡単ですけどなんの解決にもなりません。
この間違いを正させない国会議員、しかもそれを束ねる党首が現場を非難などいかに問題の本質を理解していないかよくわかる醜態ですね。

政府はワクチン接種が年明け頃から行えるからコロナは防げると考え、あぐらをかいていたのかもしれませんね。
私は不要不急の外出をする、路上飲み、旅行など足並みを揃えない自分勝手な人々に嫌気がします。

話は違いますが、今日発表された横浜市立大学の研究チームのワクチン接種の効果について。

>研究では、今年3~4月に米ファイザー製ワクチンの接種を受けた同大付属病院の医師や看護師ら105人(24~62歳)から、接種前後の血液を提供してもらった。

 2回目の接種から1週間後の血液に含まれる抗体の効果を調べたところ、従来型(欧州型)に対しては接種者の99%で十分な感染防止効果を持つ可能性を確認できた。変異型に対しては、国内で流行する英国型には接種者の94%、南アフリカ型は90%、インド型は97%と、いずれも高い感染防止効果が見込まれた。

とのこと、ワクチン接種は大いに期待できます。

厚労省官僚の年度末の歓送迎会でコロナクラスターを出してしまったのはターニングポイントになってしまいましたね。
あれで一気に国民が真面目に感染対策に従おうという意識が著しく低下したと思います。

ワクチン接種も早い者勝ちのような申し込みではなく
エリア別に順番に摂取する方式をとれば混乱は抑えられたと思うのですけどね。
そのタイミングで摂取出来ないという人だけ個別で申し込むのではれば小さなキャパでも十分対応出来たと思うのですが。

実戦で活躍する時が来ないのがいちばん望ましいが、必要になった時に無いと困るどころか致命的になる「備え」というものは、幾つもあります。
それを我々は「無駄!」の掛け声の下に削り、価値のないものであるかのような扱いをしてきました。自分で考えたにせよ、つくられた空気に乗ったにせよ。
「百年兵を養うは一日これを用いるため(言い方諸説あり)」、このような考え方は、平時を保つため・戦時に生き残るため、両面の話だと考えます。

この度の新型コロナ禍で、個人も組織も「考え」「お気持ち」「実力」は本当に様々、ピンキリであるという当たり前のことが、改めて顕著になっていますね。
オリンピック・パラリンピックにしたって、個々はもちろんプロアスリートとアマチュアアスリートで、また種目によって、その意味、重さ、何を犠牲にし何を賭けるのか、それらが様々であろうことは想像に難く無いですが、よく知りはしないことを見守るに留め置く人々があれば、勝手に「お気持ち」を決めつけて代弁する人々、誹謗・脅迫紛いの輩もあり。
自分のことも自分以外のことも努めて客観的に見て、「優秀」から「もう消えちゃえばいいのに」と思うものまで多様な中、この難局にすら「戦時体制」は取れない・取らないで、国民の様々な自由を問答無用に制限はできない・しない我が国ですが、文字通り全体の命運がかかる「戦時」にあっては、国の采配に国民・企業・自治体が従い協力できる準備は必要そうだと、見えてきたと思います。
報酬や利権との比較衡量も考えられるようになりたい。
そして、品質下がる一方のマスコミとは「そーさる・でぃすたんす」を取り、起こる多くのことは我々自身の選択の結果だとして受け入れるにあたり、間違う確率は少しでも下げたい。
そのために、肯定・支持・容認・諦め・不支持・否定、何であれ、己の考え・選択に穴はあると、職業立場問わず出来るだけ多くの人々が常に疑い、己の穴を塞ぐ方法を考える。
根拠が変われば考え方や方法も変わるので、変化を無闇に非難しない。
そういったことが出来ない人ももちろんいる。
もう、できる人から先へ進むと宜しいのじゃないでしょうか、難局は続きますし。

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