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2021年5月 4日 (火)

「よくできている」日本国憲法

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 いきなりですが、私は日本国憲法というのはそれなりによくできたもんだと思っています。
GHQのタイピストのねぇちゃんまで動員して即席で作ったにしては、上出来です。
いうまでもありませんが、日本国憲法はメイドインUSAです。
特に秘密でもなんでもなく、バイデンすら「核を持てないように憲法をつくったんだ」なんて言っています。

の写真は、ミシガン大学アジア図書館に残されていた、GHQ案を執筆したアルフレッド・R・ハッシー中佐のメモです。
これが後に第9条と呼ばれるようになりました。

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これはマッカーサー・ノートといわれる憲法原案の一部で、ここにはArticle1(第1条)としてこう書かれています。


●GHQ案
Chapter II Renunciation of War
Article VIII War as a sovereign right of the nation is abolished. The threat or use of force is forever renounced as a means for settling disputes with any other nation.
No army, navy, air force, or other war potential will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon the State.

国権の発動たる戦争は、廃止する。武力による威嚇または武力の行使は、他国間との紛争を解決する手段としては、永久に放棄する。
陸軍、海軍、空軍その他の戦力は、決して認められることはなく、また交戦権も、国家に対して与えられることがない。

ね、まんま憲法9条そのままでしょう。いちおう比較のためにジャパンバージョンも並べておきます。

●憲法第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

ここでGHQがやりたかったことは、占領統治体制の永続化です。
ズッと米国に頼らねば生きて行けない日本を作ろうとしたわけです。
当時の米国も、やがて軍事占領を終了して「独立」させねばならないことくらい分かっていましたから、日本に主権を回復させた後でも日本の戦後の国体を縛ろうとしたのです。

ここで米国が日本政府の名前で出させた憲法は、ひとことでいえば、米国なしでなにか考えるんじゃねぇぞ、ということです。
すべてその発想でできています。
日本は日本国家の大元である(国体といってもいいですが)天皇の地位を守るために、すべてを捨ててしまいました。
戦争の放棄、交戦権否認、戦力不所持などは、米国の軍隊がなければありえないものでした。
つまり、日本は人類の高貴な理想たる「戦争の放棄」というロマン主義に酔うためには、日本国中に在日米軍を受け入れねばならなかったわけです。
なんのこたぁない、表向きは戦争放棄だなんだといいながら、世界最大の軍隊を受け入れ、その世界戦略の一部になることで戦力の不所持ができたのです。

これってそうとうに嘘っぽくありませんか。日本人の困った時の得意技、本音と建前の二重底です。
表面では「戦争を知らない日本人」を演じながら、実は米国に多くの基地を貸し出して、それを国の守りの根幹の中にビルトインしているんですから、したたかというかズルイというか。

やや乱暴な言い方をすれば、この二重底構造をスッキリ本音と建前を一つにして作り直せというのが改憲派で、スッキリ自衛隊はなくせ、米軍は出て行けというのが護憲派です。
もっぱらこの9条を舞台にして半世紀以上喧々ガクガクの戦いが繰り広げられてきました。
私自身は前者に近いものの、実際には無理だとかんがえていました。

しかし、ちょっと待てよ、憲法9条だけを見ないで、憲法全体をよく観察するとスゴイ構造になっているということに気がついたのが、篠田英朗外語大教授でした。
篠田氏は、平和構築学と言ってPKOなどの国際平和活動を研究されていた方ですが、彼の新釈憲法学は実に面白いものでした。
まず篠田氏は戦争放棄という概念が、戦後憲法の専売特許くらいに吹聴してきた護憲派に対して、こう冷やかに切って捨てます。

「戦争放棄は日本国憲法が初めて宣言したものではなく、日本はすでに1928年不戦条約に加入したときから、自衛権行使以外の戦争の放棄を宣言していた。日本が新奇な戦争放棄の理念を導入したわけではない」(篠田英朗 『ほんとうの憲法』)

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 逆に日本は戦前、「国境の実力による変更」をしてしまったために、自らこの条約を破ってしまったわけです。
先の大戦は自衛権では説明しきれないもので、植民地解放理念を接ぎ木しました。
保守派は後者を崇高な理念として、それで大東亜戦争すべてが説明できるとしますが、私はそうは思いません。
今の目で見れば、当時の日本がやったことは「国境線の実力による変更」と「国際法への挑戦」だからです。

したがって篠田氏は冷厳に戦後憲法は、国際法遵守への復帰だとします。

「日本が国際法を破って侵略行為を繰り返したために、日本に国際法を遵守させるために導入したのが日本国憲法だ」(篠田同上)

ここで大東亜戦争が侵略か否かに拘泥しないで下さい。
大事なことは、いかなる理由によろうとも、当時の日本が戦前の国際社会と国際法の枠組みに挑戦したということであって、植民地が解放されたのはその結果でしかありません。

さて国際社会は、戦前のような国際秩序の崩壊がおきないようなスタビライザーを仕込みました。
それが国連憲章にある集団的自衛権です。

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国際連合憲章 | 国連広報センター

「第2次世界大戦後、国際法体系は、国産検証の成立によって、戦争違法化の流れをさらに強化した。その動きと表裏一体の関係にあるのが、集団安全保障である。集団安全保障の補てん策として設定されたのが、個別的・集団的自衛権である」(篠田同上)

日本国憲法はこの国連憲章に対応しています。
意外に思われるかもしれませんが、9条1項の戦争放棄は国連憲章2条4項の武力行使の一般的禁止と照応しています。

●国連憲章2条4項
すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。
https://www1.doshisha.ac.jp/~karai/intlaw/docs/unch.htm

国連憲は冒頭の第1条1項に、領土保全と政治的独立」に対する「武力による威嚇」を禁じると言っているわけで、日本国憲法が「世界で唯一の平和憲法」だなんて、ただのナルシズムです。

憲法前文が、この国連憲章第2条4項と同じ「平和思想」で書かれていることに注目下さい。

●憲法前文(抜粋)
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。

ここで憲法前文が言っているのは、護憲派好みの寝ぼけた平和主義ではなく、「国境線の実力による変更」、すなわち侵略行為に対して「平和を維持」し、独裁政権による民族絶滅政策などの「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去することを努め」ることで、「国際社会の名誉ある地位を占めたい」と宣言しているのです。

憲法前文が、憲法全体の理念を語るものだとするなら、これを指針にして9条も読み解かれねばならないのです。
ですから、日本が放棄したのはあくまでも侵略としての軍事力であって、自衛権としての防衛力はむろんのこと、さらには「専制と隷従、圧迫と偏狭」に対して戦う国際社会と協調して共に戦う軍事力はまったく否定されるどころか、むしろ「名誉ある地位を占めたいと思う」とまで言い切っているのです。

これは国連憲章の第1条1項の「目的」に対応します。

●国連憲章第1条1項
国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること並びに平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争又は事態の調整又は解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること。

3月28日、虐殺を続けるミャンマー国軍に対して山崎統合幕僚長が各国の軍トッ プと共同声明をだしています。
その内容の一部にはこうあります。

およそプロフェッショナルな軍隊は、行動の国際基準に従うべきであり、自らの国民を害するのではなく保護する責任を有する。

これは画期的な自衛隊自らの宣言です。
いままで自衛隊は国際法上の「プロフェショナルな軍隊」として、各国軍隊のトップと連名で共同声明を出すことによって「専制と隷従、圧迫と偏狭」に対して戦う国際社会と協調して共に戦う「名誉ある地位を占めたい」という立場を鮮明にしました。

このように見てくると、私は実に日本国憲法は「よくできている」と思うわけです。
極論すれば、このままでも改憲せずに充分にやっていけるとさえ思っているくらいですが(異論はあるでしょうが)、いかんせん一般的にはわかりにくい上に、護憲派の神話的解釈がはびこっているために、若干の手直しは必要かなとは思います。
ですから、改憲といってもそのまま9条を残してもなんらかまいませんし、それに自衛隊を書き加え、さらに緊急事態条項を添えればよい、という安倍加憲案は考え抜かれたものだと思います。

 

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コメント

昨日は憲法記念日だったので、なんか櫻井よしこさん改憲派たちが騒いでるみたいなテレビ報道でしたけど。

むしろ延々と続いて来た「9条教徒」さんたちこそ、虚しくもそれしか無いのね···と。
しばらく前から言われてきたけど、じゃ25条との整合性はどうなのか。
加憲論やらもあって実にゴタゴタしてますけど、概してきゅうし

くぐぐ、、
また指タップミスです。

こうして見ると概して日本国憲法って、なかなか良く出来てるのね!と。
米国占領下でしたので、殆ど改憲は無料なレベルな付帯条項があるのはどうかとおもいますけどねえ。。

同じく敗戦国の西ドイツ〜ドイツの憲法って、分断国家だったから状況は違いますけど、状況次第で何回書き換えましたっけ!?と。

「立憲!」とか名乗る9条教徒ならどんな政府批判でもありな政党や、カビの生えた古い伝統芸能の共産党は、今更何を言っているのやら。
戦争反対!?そんなの当たり前です。
自民や右翼が「戦争できる国にしようとしている」という主張は、誰がそんなことを言ったのやら?です。
国民の議論が成されていない!と叫ぶなら、それこそ批判ではなくまず議論の席に着いて意見を公開で戦わせるべきではないかと。。

とーっても面白かったです。

それでもやはり Proudly made in USA は問題と言わねばならないでしょう。 日本国憲法第九条は、謂わば宗教的狂気というべきものの発露で、あの禁酒法と同根同類です。 別に理想を追求するのは自由ですが、それが許されるのは自分の国だけなのであり、ヒトに押し付けた時点で最早犯罪です。 理想の追求は自分でやる分には勝手であり、崇高で決然たる英雄行為であり得ましょう。 しかし、それを他人で実験するのは専制と隷従を反映する非人道的行為でしかありません。 禁酒法なら、どうぞ御勝手に、ですみますが、こちらはそうはいかないのです。 そういう意味では、第九条は人類史レベルの犯罪と云えます。 そして重篤な犯罪というのは社会を歪めて自然な流れを阻害していきます。 この過剰な平和主義に日本が呪縛されてしまったというのが、悪夢というべき連鎖反応でした。 我々日本国民が occupied Japan にあまりにも素直に馴染みすぎたことが、米国の強烈にして過剰な成功体験となり、今度はそれが米国を呪縛していきます。 米国の占領政策が日本以外で失敗するのは当然で、それは実は日本だけで成功したのであり、その貴重な成功は多分に歴史的な偶然に依っています。 占領政策を円滑に進めさせすぎたことはむしろ戦後日本国民の原罪と云っても良く、アタマの中で何を希求したかは兎も角、実際には米国の認識をアッパー系に歪めたことを通してその後の世界の平和と安定の阻害に寄与したというべきでしょう。

 安倍さんの功績はまず何をおいても、集団的自衛権の憲法解釈の変更にあったと言えます。第一次安倍政権の時から安保法制懇を準備していて、その提言を受けて解釈変更に踏み切ったわけですが、積極平和主義への転換こそが日本国憲法の理念にかなった解釈である事を明確にしました。

そこからまた、篠田英朗氏などが国際法と従来の憲法解釈の矛盾をついて行くわけですが、化石化したケンポー学者からはまともな反論が出て来ていません。
ひとり日本国の繁栄や防衛が出来ていれば良いはずがなく、国際平和への役割や責任も憲法が本来的に示すところ。

自衛隊の追記が「加憲を標ぼうする公明党との妥協点」とよく言われますが、主体としての「自衛隊」を挿入する事で、戦後体制を永続したい似非リベラルや頑固な憲法学者たちの誤解釈を正す事にもなる妙案なんですね、実は。

もう何回も同じこと書いて恐縮ですが、ケンポー記念日なんで、さら
にも一回。ケンポーの和訳作業をしたという白洲次郎さんが本当の
ことを書いているとしたら、以下のような感じだったのだそう。

ケンポーは米国(占領軍)製で、占領軍は日本を統治している間だけ
の仮憲法と考えていたようだし、日本側も講和条約を結んで主権を
回復したら又自分たち日本人自ら憲法を作り直すものと考えていた。

想定外だったのは、共産勢力が思いのほか急成長して朝鮮半島が
危うくなってしまった事と、国債やら軍票が大量に発行されていたの
で預金封鎖や円切り下げ(新円への移行)で国民生活が追い込まれ、
都会民なら列車の屋根に乗って農村へ食料交換しに行くほど困窮
の度合いが酷くなってしまっていた事。

米国は「お前らも軍隊を作って朝鮮へ出兵せい!」と詰めてきたが、
日本経済はボロボロで、再軍備なんかしたら日本は破綻して又終戦
直後のような経済的焼け野原になる。そこで「あん、キミらが作った
ケンポーやがな、第9条のトコを読んでみ、キミらが作ったんやで!」
と、警察予備隊というものでうまく妥協した。

激戦で物資補給のため朝鮮特需が沸き起こり、ズタボロだった日本
経済は復活した。一般の日本国民でさえ、「戦争は絶対したらあかん」
「戦争はヨソでしてもらお」「日本国憲法はサイコーや」、というふうに
思って当然だった。1951年サンフランシスコ講和条約調印。その時
にはもう、日本人の手で憲法を作り直そうなんて酔狂な事を言う人達
は限られていた。もうケンポーは根を下ろしていたんですわ。

うーん、やはり書き方が悪かったかな。 Thoth さんやアホンダラさんのご意見はよくわかります。というか、認識に関しては私も一緒ですから。
今回篠田氏の考え方を紹介したのは、いったんこういう歴史的なことから離れるためでした。
あくまでも憲法を「モノ」として扱う。条文で「読む」、9条にのみ目を奪われないで「全体として捉える」、ということを眼目に置きました。
すると隠されてきた前文と9条との相関関係や、さらには国連憲章との繋がりが浮かび上がりました。
ここを見て頂きたいというのがこの記事の趣旨です。

2021.5.5 相模吾です。
ジャワハラル・ネルー(インドの初代首相)、は「憲法を抹殺したいのであれば、憲法を本当に神聖で不可侵のものにすればよい。憲法が変更されず、停止状態にあるとすれば、その憲法は、それがよいからでなく、その憲法は過去のものになってしまったからである。生きるべき憲法は、成長しなければならない…柔軟でなければならない…変化し得るものでなければならない」と述べています。・・・西修{国民の憲法講座}
 日本の憲法は、世界で最も古い憲法の部類です。アホンダラ1号さんの仰るとおりの国内状況があったからで、その間、新教育で平和憲法を教育されてきましたから、我々も洗脳されました。
安保闘争あたりから、日教組の先生や、デモ活動家をみて疑問を持ち始めたのです。
 平和条項を憲法に規定している国家はほとんどの国にあります。しかしその国ですら徴兵制度をとっている国もあります。おとなりの中國、韓国、北朝鮮も徴兵制度はあります(ロシア、スイス、オーストリア、イスラエル、ベトナム、ノルウェー等々も)。中国は希望者だけで必要人員は満たされているらしく強制はされていません(不合格率は60%ぐらいあるらしいが)。
 近年世界的な変化から環境の権利・保護や国家緊急事態対処等や家族の保護・尊重などが規定あるいは改正される傾向です。どこの国も真剣に変化に対応しようとしているのですよ。アメリカ嫌いの日本共産党がアメリカ製憲法を「一字一句変えない」なんて超々保守党か?

管理人さんへ

前フリ無しの私のコメントの書き方が悪かったようですわ。今回の
記事の趣旨には、「なるほど、こういう意図もあったのか」と、勉強
させてもらいました。それとは別に、日本国ケンポーの生い立ちに
ついて又コメントさせてもらい、神聖化された「護憲至上主義?」は、
侵略戦争を反省して恒久平和の理想国家を作ろうとした国民の心
から生まれたのではなく、いかにも風見鶏的な俗世間の世渡りごと
の力関係から生まれたものだという事を、再確認したつもりでした。

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