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2021年7月20日 (火)

宜野湾くれない丸氏寄稿 「小山田圭吾のイジメ問題」を発端に感じたことその2

014    

組織委員会は小山圭吾氏の辞任を発表しました。  

「東京五輪組織委は、23日の五輪開会式のクリエーティブチームのメンバーとして音楽を担当していたミュージシャン小山田圭吾の辞任を正式に発表し、午後10時から武藤敏郎事務総長らが緊急会見に臨んだ。武藤総長は「小山田氏の作曲した楽曲は開会式では使用しない」と明言した。」(報知7月19日)
https://news.yahoo.co.jp/articles/b2ba9c163caba98a8714806fae7f82231d9bc1a9

当然です。
組織委員会の対応の鈍さ、そもそもこのような鬼畜男をえらんでしまったことの失態は大きいと思います。
くれない丸さんが書いておられるように、音楽業界には才能さえあればいかに異常人格であろうと許容される、という歪んだ文化があります。
それをくれない丸さんは「サブカル臭」と指摘されていますが、まさにそのとおりです。
彼らは勝手にやって自滅すればよいと思っていますが、オリンピック、そして何よりもパラリンピックは全く違う次元のことです。
障害者に排泄物を食べさせて得々としていた男が、パラリンピックを祝賀する公式音楽を書く、なにかの悪い冗談でしょうか。

小山田のように実は終わっているが、ゾンビーのようにそこかしこに生息していて、感性だけのふわふわした存在なので論破されることもない、状況が変化するとまた社会に出てきて同じことを言い出す、 こんな「サブカルな文化人」たちが支配しているのが今のメディア業界です。
組織委員会の音楽担当の電通が知らないわけがありませんもんね。やれやれ。
     

                                 ~~~~~~~

        「小山田圭吾のイジメ問題」を発端に感じたこと その2
                                                                          宜野湾くれない丸

承前

■良薬にも麻薬にも変化するエンタメ
凡そ、文化芸術いわゆるエンタテイメントに携わる者は変わり者が多いのは事実だし、広く一般の人たちも当然分かっていることだと思う。
特にアーチストと呼ばれるような作り手・作家さんには「変わり者」は多い。下世話な言葉でいえば「いっちゃってる人」だ。
程度の差こそあれ普通にいる。特に不思議なことではない。それこそ「多様性」を皆が理解し「心の中でお互いを尊重し合っている」から「エンタメを安心して楽しめる」のだと私は思う。
肝はこの「関係性」だ。一旦この関係に綻びが出てきてそれが悪化すると、これは途轍もない「修羅場」と化していくこともある。
現在世界中でこの「関係性に綻び」が噴出してきているように感じる。
お互いがお互いを詮索しあい、裏読みをしながらエンタメなんてのは「楽しめるはずもない」であろう。

私はエンターテイメントというものは一種「心の薬」だと思っている。この「薬」は時々「麻薬」になってしまう。
エンターテイメント全般の見方を変えれば、以下のようにも言える。

エンターテイメント(芝居、音楽、絵画、映画、、)=薬(酒、麻薬、覚せい剤、コカイン、LSD、、、)
エンターテイメント業界(企画制作会社、芸能事務所、、、)=製薬会社、薬局(麻薬製造販売会社、元締めマフィヤ組織)
エンターテイナー・アーチスト=お調子者、詐欺師、サイコパス、ペドフィリア(幼児・小児性愛・性的嗜好)
売れっ子=ヤバサが半端ない詐欺師
そんなアーチストが創作したものを我々は観たり・聴いたり・体験をして、、、「凄い」「とても良かった」「感動した」と、、、、これはつまり「このクスリ、スゲーキクーーーッ!!」ってことなんですね。

■二つの顔
スポーツもこのエンタメ色を多く含んでいて、五輪に関しては特にロス五輪あたりからビジネス度合が増していき、つまりはエンタメ業界(麻薬製造販売会社)の介入が深くなり、「ヤバサが半端ない詐欺師」が集まってきた。
五輪レベルの大規模なエンタメだから長い時間をかけて、政財官あげて水面下での「闇取引」や「駆け引き」も多発してくる。
その意味では、森喜朗の組織委員長は「適任」だったと思う、、、が、先にもあげたメイン会場設計白紙撤回やその他もろもろの件が立て続けに生じ、挙句の果てには、どーでもいいような「女の話は長い」問題で森は失脚させられてしまった。
上手く進展している・成長している組織やグループにはだいたい「二つの顔」が見える。

・ソニー(盛田昭夫、井深大)
・アミューズ(大里洋吉、山本久)→(サザンオールスターズや福山雅治などが所属)
・サザンオールスターズ(桑田佳祐、原由子)
・ローリングストーンズ(ミックジャガー、キースリチァーズ)
・ビートルズ(ポール・マッカ-トニー、ジョン・レノン)
・東京都政(石原慎太郎、浜渦武生)
・日本国政(安倍晋三、菅義偉)→これは・・・・?
民間企業はもっと沢山あるだろう。

この定義で見ると東京五輪組織委員会からは「森喜朗」の顔しか浮かびません。有能・敏腕なソフト系片腕がいたなら、、、といまさらながら思ってしまう。

■感性と理性
少し前にトランスジェンダーの重量挙げ選手がニュースになった。同じくトランスジェンダー・カップル間に生まれた赤ちゃんにおっぱいをあげるニュースもあった。(「体は男で心は女」の「母」からおっぱいを吸う赤ちゃん、、、、)一体どうなっていってしまうんだろうか。

世界中いたるところで「感性」と「理性」の火花を散らしたぶつかり合いが発生している。それは思想背景をもったもの同士のぶつかり合いだとも言えるし、それを煽っている者たちも見え隠れする。
そしてそこには必ずと言っていいほど「カネ」の匂いがついて周ります。「利権」と言ってもいいと思う。
「利権」はつきものだが、それを「長く持つ」とおかしな方向になっていく。いつの世も同じよな事を繰り返して、違うのは「舞台(装置)」と「役者」だけです。

浅学な私が、思想がどうのこうのと偉そうなことは言えないが、大学生の頃に「共産党宣言」や「資本論」に初めて目を通し、その難解さから相当時間がかかりましたが、とても面白く、なるほどなーと感想を持った。
でも何だか窮屈だ、ガチガチの理論で固められ責められている気がして、どうしても窮屈な気持ちが残った。
「人間ってそんなに理路整然とやれるのかなー」と。でもロジックが正しければそうなるに違いないよなーと。
が、しかし「そうはならなかった」のだ。

■「感性左派」が支配する世界
ロジカルな思想基盤が崩壊し、拠りどころが「感性」しかなくなってしまった人々(私はこれを「感性左派」と言ってます)、言い方を換えれば、マルクス主義の思想基盤崩壊(歴史的事実)を受け入れられなくなって、感性にしか訴えることが出来ない人たち。
そんな人たちの行き着く先は、そう、「感性だけで訴え、運動することが出来る」文化芸術や環境系、LGBT系という枠なのである。
そしてそれが世界規模で「尖鋭化」しつつある段階が、現在である。
つまり「感性に訴える」ことを意図して、周到な計画の元に「実行」すれば、果たしてどのような事が起きてくるのか、はこれまた歴史を顧みればおのずと分かってくる。
逆に「見せたいようなロジック構成」が出来れば、「理性」に訴えることも可能かもしれない。いずれにせよ「歩んで来た道からひとつひとつ判断していく」こと以外近道はないのではなかろうか?

■大きな「利権構造の中で
横道にそれてしまいましたが、今現在、世界は「大きな利権の枠組み」で構築されていると思う。
最たる利権が「エネルギー利権」である。石炭、石油、原子力、そして半導体。何処の誰がそれを「牛耳る」のかで世界構図が変わってしまう。
いきなり小さな話ですが、沖縄のいわゆる左右のグループは実は「一枚岩」となって政府に対抗していることは、そこそこ県民の皆が気がついている。
「左が騒ぎ」「右がマネー交渉」と、勿論それぞれのグループ内でのお家騒動も頻繁にある。
この「左」「右」「政府」というトライアングルが、実は世界規模でも存在するのではないか、、、、と最近感じている。

①米を中心とした「自由主義陣営」→物事を進めるのに時間がかかる。
③中国を中心とした「共産主義陣営」→物事を進めるには「鶴の一声」でやれる。
③カネを中心とした「グローバル資金(マネー)陣営」→よく言われるところのディープステート。

①のトップは4年ごとに入れ替わる(可能性がある)。
②はここ暫くは同じである。
では③といえば、私にはよく分からない。
言えることは、①②③の「共通項目(共通語)」は「資金(マネー)」ということである。

世界各地で同時多発的に起こっている様々な出来事も、一件関係ないような出来事すらさえ、この①~③の基盤をもとに繰り広げられていくような気がしてきているように思えてならない。

                                                                                                    (了)

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コメント

サブカル化というのには実にストンと腑に落ちました。このモヤモヤしてたのはそういうことなのだと。。

90年代半ばのあの頃は正に「サブカルブーム」でしたね。「ブーム」化した時点でサブカルチャーでは無いわけですけど、本屋に「役に立たない雑学」なんてポップ付けたコーナーが置かれて、アニメやヒーロー物の物理学的論考をする本とかが沢山ありました。エヴァは極端というかそれだけでどんだけコーナー埋めてんだよ!な現象でしたけど。
面白くてけっこう読みました。元々宝島社のVOWとか好きでしたし。

音楽ではメインストリームが小室哲哉一色に染まってたからまだサブカルではありましたけどね。
小山田圭吾なんて名前くらいしか知りませんけど、散々炎上してるのに起用した組織委員会が腐ってるというほぼ全方位からの批判記事が出てますけど···

なんのことはない、電通がバカやって委員会はそなままホイホイ入れたというだけかと。。

戦国から江戸、時代の彩りのひとつになって後の歌舞伎に繋がっていく傾奇者(かぶきもの)たちは、非行狼藉に明け暮れ、それを偽悪的にせよマジの自慢にせよ公言しました。
その一方で、芸能や美学の為には自らの命を惜しまない、ロクな死に方をしないのを受け入れる無頼な暮らし方は市井の人々にある程度理解され、批判非難と賞賛憧れ、両方を得たといいます。
1996年、一発屋の前提で企図されデビューした女性ボーカルデュオPUFFYは、近田晴夫評したところの「どうせ私たちは消える」という姿勢とともに、それを「脱力系」と呼んだ若者大人だけでなく子供にも受け入れられ、数々の名アーティストたちにプロデュースされ、一発屋どころかアジア・北米でも成功し、自分たちの番組が世界中で放送されるまでになりました。
1995年には既に安室奈美恵ー小室哲哉による世の中席巻が始まっていましたが、PUFFYが「どうせ」という欲の無さをどこか醸すのは変わりませんでした。
傾奇者やPUFFYに見られるような、自身への何処か醒めた見方を内側に持っているかいないか、この違いは存外大きいのだろうと考えます。立場に関わらず。
現在のコーネリアス小山田に「高い倫理観」があるならば当然、いや無くてももし自身への醒めた視線があれば、オリンピック・パラリンピックの仕事オファーがあった時点で自ら避けたでしょう。
この件は、被害者の尊厳が常に考慮の順位下位にあることも含めて、小山田の行為の質より発言したことを問題とするズレた認識の組織委の己の選択の結果であり、虐待からあの記事で格好良さげに自分語りした伏線回収まで小山田自身の選択の結果なんだなぁ、と因果応報を思いながら、我が身はどれほど醒めていられるだろうかと考える今日この頃。
あと、感性、感情による主張がただのお気持ち、感想表明より上質になるとしたら、それが圧倒的な教養から出たものである場合なんじゃないかとも。
オリンピック・パラリンピック文化プログラムに起用されている中にも、福島への風評表現で、自身向けを含む客観性にも教養にも、疑問符が付く人がいますねぇ。

なるほど。 良薬~の段、実にいい例えです。
コメントで「メインもサブも草刈り場」といただきました。
それは、このクスリの売人たる芸能事務所が「粗悪品のクスリ(芸)」をごり押ししてるからでしょうね。カン流然り、ひな壇芸人然り。
不謹慎を承知で言いますが、快楽亭ブラックなんて永遠にメインにはなれませんが、外道もあそこまでいけば一つの「芸」だと思ってます。しかしどこの事務所も彼のセールスには精を出しませんね。(笑)
二つの顔も面白い。
Led Zeppelinで例えれば、ジミーペイジにボンゾ
三国志劉備家臣なら諸葛亮に関羽ら猛将
徳川幕府内治の功労者、本田正信・正純親子に南光坊天海
次郎長親分なら、大政小政に森の石松
明治維新、大久保・木戸らに始まる薩長閥
吉田学校の俊才、さとうえいさく・池田はやと
これは例えたらきりがありませんが、確かにその通りです。
感性左派、PCを信奉するいわゆる日式リベラルやサヨクにシンパシーを感じるエンタメ界隈の方々、と解釈しています。 大きな利権構造、確かにそれはあるでしょうね。 現在の自民党中枢に巣食う親中派勢力は、二階のような老獪で利に聡い政治家を中心としています。経団連などがそのディープステートに当たるでしょう。沖縄県内なら那覇商議所を舞台とした国和会系とその他企業群との主導権争い、といったところでしょうか。 このディープステートに近い親中派は、河野洋平的な恥知らずな親中派より厄介です。 経済や平和を盾に侵食していくんですから。

※管理人さまへ
キーワードの「さとうえいさく」、さとうが漢字表記だとスパム認定で投稿されないみたいです

コメントの数々ありがとうございます。
少し「大きくひろげちゃった感」が残ってますが、「小山田事件」はそれほどまで私にとって大きな出来事でした。

ここに至るまで、小山田は自身の犯したことに正面から真摯に向き合ってきませんでした。結局、最後は彼の愚行を世界が知ることになりました。「小山田叩き」が起こるのも当然でしょう。が、一方で彼は「病」を抱えていたんじゃないのか?とも思ってます。

「作品」と「人格」は別だとか、いまいち分かったような、分からないようなフワフワ&ドロドロしたことで何となく収束しちゃって・・・というのは最悪です。

「音楽・医療・教育ジャーナリズム」それぞれからの視点で掘り下げて考えることは必要不可欠なことだと思います。特に「音楽ジャーナリズム」の責任は問われてしかるべきだと思います。

この辺の動きに注目していきたいと思います。

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