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2021年7月19日 (月)

宜野湾くれない丸氏寄稿 「小山田圭吾のイジメ問題」を発端に感じたことその1

  009

宜野湾くれない丸氏より寄稿を頂戴しました。ありがとうございます。
五輪に起用された小山田圭吾の唾棄すべきいじめ問題についてです。

氏はそれにとどまらず、さらに背景となったもの全般についても、眼をむけられておられます。
なお、内容的に2分割し、文末は「である」に統一し、構成の一部を編集しました。

※事件についてはこちらから。
障害者支援団体 小山田圭吾いじめ加害に声明「強く抗議」雑誌告白「極めて露悪的」組織委「重い説明責任」
2021年07月18日 23時43分スポニチアネックス
https://news.nifty.com/topics/12278/210718492250/

Keigooyamada

ヤマハ | 今月の音遊人:小山田圭吾さん「唯一の趣味が音楽だった .

私も教えられてこの「ロッキング・オン・ジャパン」(94年1月号)の当該記事を読んでみましたが、この男の獣のようないじめ行為もさることながら、小山田がこう言ってのけたことにのけぞりました。
はっきり言って、人間のクズです。

「この場を借りてお詫びします(笑)。だってけっこうほんとキツいことしてたよ」とその「ヤバさ」のほうに話を転化した上で、「それがサブカルってものだった」という言い方で自己肯定してしまっていることです。

もちろんなにひとつ反省はおろか、楽しい青春の差別虐待事件だったようです。
またその時に舞い戻れるなら、もっと新手の虐待を楽しみたい、といわんばかりです。

さらに件の事件が発覚し、逃げきれないでした言いわけが、もはやこの男の人格の救いのなさをよく現しています。

「多くの方々を大変不快なお気持ちにさせることとなり、誠に申し訳ございません。心よりお詫び申し上げます」と通りいっぺん頭を下げた上で、続けて「熟考した結果、自分の音楽が何か少しでもお力になれるのであればという思いから、ご依頼を受けるに至りました」ですと。

この男が「熟考の末すこしでもお力になれるのであれば」といった東京五輪のテーマは、こともあろうに「多様性と調和」です。
障害者や特定の目をつけられたクラスメイトに言葉にするのもはばかられるリンチを加えたことを「ほんとうにキツイことしたよ(笑)と笑って言ってのける人物が「多様性と調和」だそうです。
笑わせないでいただきたい。この男がした「いじめ事件」の数々は、死人が出なかったことが不思議なくらいの刑法犯罪ばかりなのです。

その上、この男をそのまま使うとした組織委員会のいいわけがこうです。
「本人は当時の発言については後悔して反省しており、現在は高い倫理観を持って創作活動に献身するクリエーターの1人である」だそうで、「高い倫理性」という言葉はこういう時に使われる便利な概念であることを初めて知りました。

すいません、長くなりました。ではどうぞ。

                                                             ~~~~

                              「小山田圭吾のイジメ問題」を発端に感じたこと
                                                                          宜野湾くれない丸

■27年前の自慢げな記事
「小山田圭吾のイジメ」については、随分以前から知ってはいた。
今回一連の報道からも分かるように彼は、94年当時(発売)音楽雑誌の取材で「それらの行為」を語っている。
当時私はその雑誌を読んだ記憶があるからだ。鮮明に記憶しているのは彼(ら)の行った行為は、言葉では表現できないくらい下劣極まりないものであるにも関わらず、そのインタビューではさも「自慢げ」に語っていたので、そのことに強烈な印象があったからだ。
記事からは「反省」「悪いことをしてしまった」などの気持ちのカケラなど全く感じられなかった。
不快で、憂鬱で、どうしようもない気持ちになった記憶がある。それまで彼らの音楽は少しは知っていたが、その事があって以来、現在に至るまで聴いてない。メディアなどで彼らの名前や活動を目にしたり耳にしたりしても「あ、あいつか」で済ましていた。

■小山田の件は日本国民皆で真剣に考えなければならない
仮に仮にではあるが、小山田が「釈明会見をし、五輪を潔く辞退した」のなら、そうすることが社会の構成員としてのルールであり、倫理ではなかろうか?
しかも五輪という「世界が見る舞台」でのことだし、「無責任極まりない小山田と組織委員会の話」ではすまないことである、と私は思う。
仮に彼が辞退してたら、私個人のモヤモヤした気持ちは少し変わったかもしれない。
勿論、被害を被った方々の事を思えば何ともしがたい拭いきれない思いは残る。
しかしながら、変わり者のアーチストが創る創作物を国民は皆共有してたではないですか。そこからそれなりに「生きる糧」とか「活力」とかを自分なりに見出してきた人たちがいることも事実である。
私は彼の音楽から「糧」とか「活力」を受けたことは一度もありませんが、他人事では済ませられない気持ちがあるのも事実だ。

益々混沌とする世の中で人々に潤いを与えてくれるひとつの財産が「文化芸術」「エンターテイメント」であることは誰しもが認めてくれることでしょう。

■なんともやるせない気分になる
小学校の頃、まだ特殊学級とか仲良し学級とはなく、ハンディがある子どもたちも皆同じクラスにいた。
私は担任の先生からそんなハンディがある児童の「お世話役」に指名された。
隣の机に座り手取り足取りその子のお世話をするのです。昭和40年代(60年代後半~70年代半ば)の奄美群島でのことである。
当時奄美は国境の島々でした。どのクラスにもひとりやふたりくらいはハンディがある児童がいた記憶がある。街でもけっこう見かけた。
いわば、それが「普通」な状況だったのである。子供たちは身勝手で、やんちゃで、騒々しく、残酷でもある。それが子供だ。
「やってはいけない事はダメだ!」と大人が先生が言い聞かせないと子供は分からない。面白いと感じれば色んなことをへっちゃらでやってしまう。
悲しいかな小山田は「やってはいけない事」が分かってなかったのかもしれない。
もしかしたら教えてくれる大人が身の回りのにいなかったのかもしれない、そう思うとなんともやるせない気持ちは拭い去ることが出来ない。

■何だこのサブカル臭さは、、、?
今回の報道で、彼が東京五輪の開会式の音楽を担当してた事を知り驚嘆したと同時に、あの当時の「憂鬱」な気持ちが蘇ってきた。
メイン会場設計白紙撤回にはじまり、エンブレムの盗作、豊洲移転にまつわる周辺道路工事の遅延をはじめ小池都政による一連の騒動、たたでさえcovid19で大打撃を受け続けているのにも関わらず、ここへ来ての極め付けで「無観客開催」「小山田問題」、、、、何となくぼーっとネットニュースを眺めてきたら「代々木の生首気球」が目に飛び込んできた、これも五輪関係のイベントとのこと、、、あー、、、。
「表彰式でのユニフォームのデザイン」といい、音楽の小山田といい、なんだか「サブカル色」が悪い方向に突出しすぎているような気がしてならない。正直言って、開催直前になんだか嫌な気分になってしまう。そうそう、大阪ではあの「表現の不自由展」が再び開催されてますねぇ。

「すべての人が自己ベストをめざし(全員が自己ベスト)」
「一人ひとりが互いを認め合い(多様性と協調)」
「そして、未来につなげよう」

開催1週間前にして、「大会ビジョンはただのお題目を並べただけのもの」であることを世界へ向けてアピールしてしまったも同然です。
ピンチをチャンスに変えることは出来るはずなのに・・・・何故に。
組織委員会や小山田側からのコメントは既にネットに溢れるほど出ているので、ここでは触れないが、一言だけ言わしてもらえれば、
それでも「小山田圭吾はこの仕事をやる」のだそうだ。
27年もの間、被害者やそのご家族へ対してお詫びのひとことも無いにもかかわらず、である。

                                                                                              (次回完結)

 

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コメント

まあ一番悪いのは彼を知っている人なら誰でも知っている程度の話を「知らなかった」としてオファーした組織委員会ですね。
関係者は全員腹でも切って欲しいくらいの失態です。
選手入場と聖火点灯だけの開会式でいいよもう。

サブカル臭、なるほど。
私も世代的には90年代で中高大と過ごしたので、サブカルが将にメインストリームへ躍り出ようとしていた、混沌としたあの頃の雰囲気はよく覚えています。
破天荒なライブパフォーマンスながらもスターダムにのしあがった、サブポップレーベル出身のNIRVANAが時代の象徴だったと思います。それらを模倣するかのように
『これがカッコいいってことなんだ』
と、言ったもの勝ちのような空気感で様々なサブカル文化が世に出ました。
端的な例を挙げると、椎名林檎のようにレトロな雰囲気のものをヴィヴィッドなカラーで表現したことで、新しい平成モダンを造り上げ、現在に至るまでより美しく進化したものもあれば、当時は訳も分からないけどなんとなく人気を博していたものも、今でも同じ芸風だと稚拙に見えるものもあり、サブカルも玉石混淆だったと思います。
小山田圭吾なんて、今回の騒動を聞いたときに「え?まだ活動してたんだ」と思ってましたし、完全にスルーでしたので騒動の詳細も興味なく過ごしてましたが、こちらで取り上げられましたのでそこで初めてソースを洗ったくらいです。
なぜ、宜野湾くれない丸さんが『サブカル色』と述べたように、五輪に関するアート色はここ数年、大したことのないものばかりが取り上げられ、その都度批判を浴びてきたような気がします。

昨年あれだけ話題となったあいちトリエンナーレ騒動で、90年代のサブカルの亡霊みたいな芸術監督が跋扈していたことを考えると、ポップカルチャーの権威的な層?に、サブカルの亡霊みたいな人たちが、未だに往時を引き摺って跋扈していることが露呈しました。

そこで何となく思ったのですが、「包摂」を謳っている昨今だけに、たまたまスポットが当たってしまったのか、はたまた最初から五輪の空気を乱すことが目的で、それらを積極的に起用し、東京五輪を貶めようとする流れが関係要所にいたのか…。まあ、そこまでいくと単なる考えすぎかもしれません。しかし、彼ら前世紀の亡霊が未だそこにいることだけは確認できました。

いずれにしても、サブカル色、という喝破はストンと腑に落ちました。

明日の続きも楽しみにしています。

osyouさん

「漂っている感」をとても感じるんです。全てに関して。「サブカル」ってあくまで「メイン」があって、それに「対抗」して出てくる、しかもアイロニカルな色合いをオブラートするから意味や価値が出てくるような気がします。

でも、今の日本はあらゆる方面からの「草刈り場」と化してしまっている。
「メイン」にも「サブカル」にもパワーを感じない。
osyouさん言うところの「前世紀の亡霊」がただ「漂って」いるだけです。
皆恐れているんですその「亡霊」に。だから「刺々しく」なっていく。

すみません、ただただ単に今回の記事を読んで坂口安吾の「不連続殺人事件」を思い出してしまいました。

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