タリバン、アフガン全土制圧
タリバンが首都カブールを陥落させました。
ひとつの国が崩壊する時は、かくもあっけないもののようです。
1975年5月1日のサイゴンの情景が蘇ります。
国家が堅牢で、常にあってあたりまえと思っている日本人はこの光景をよく見ておいた方がいい。
ロイターは大統領府が制圧され、ガニ大統領は国外に脱出したと伝えました。
「シンガポール=森浩】アフガニスタンのガニ大統領が15日、首都カブールから国外に退去し、隣国のタジキスタンに向かった。アフガン政府でイスラム原理主義勢力タリバンとの和平交渉を担当するアブドラ国家和解高等評議会議長が明らかにした。2001年の米軍進攻後に成立したアフガンの民主政権は事実上崩壊した。
アブドラ氏は公開したビデオメッセージで、ガニ氏を「元大統領」と呼んでおり、ガニ氏は既に辞任している可能性がある。アブドラ氏はガニ氏について、「国をこのような状況に追い込んだ」と批判した。
ガニ氏は14日の演説で「治安部隊の再動員が最優先で、必要な措置が進行中だ」と述べ、戦闘を継続する意志を明らかにしていたが、わずか1日で国外に退去した。タリバンは1996年にカブールを制圧した際、ナジブラ元大統領を処刑した経緯がある。
国内の大半を支配下に置いたタリバンは15日、カブール郊外に進攻を始め、政府側と政権移譲に向けた協議の開始を明らかにしていた。タリバン報道官は15日夜、戦闘員に治安維持の名目でカブール市内に入るよう指示を出した」(産経8月15日)
大統領が国外に脱出したのは、タリバンが1996年に同じくカブールを占拠した際にナジブラ元大統領を処刑した過去があるからです。
おそらく今まで占領地でさんざんしてきたように、タリバンは政府と政府軍関係者、そして彼らからイスラムの掟に背くと目された市民を容赦なく摘発し、処刑していくことでしょう。
わずか1か月前までは、大統領は軍に抗戦を命じ、政府軍にとっての情勢は日に日に悪化しているものの、「まだ政治でなんとかなる状況かもしれない」と米国政府は見ていました。
米国の目論見では、政府軍は圧倒的な装備を持っているから、もしも政府が各地の部族長を味方につけることができれば、タリバンと政府のどちらも決定的に勝つことも負けることもない、膠着状態が訪れるかもしれないと、考えていたようです。
勝てないが負けない不安定も、長く続けばそれは「平和の時代」だというわけです。
もちろんそれは真の平和を意味しませんし、その「平和」の中でもタリバンは報復処刑や誘拐、暗殺、刑罰を繰り返しましたが、それもいつものことだと割り切ろうと、当のアフガン人は考えていたようです。
アフガン人にとって、近代において数十年単位の「平和」など無縁だったからです。
米国によってもたらされたこの20年の安定した時期は、特筆される時代だったのかもしれません。
この時代に、アフガンは女性の権利などが大幅に認められるなどしたのですが、その危ういバランスに乗った「平和」は根本から崩壊しました。
外国の大使館は一斉に退去を開始し、日本大使館も撤収を始めました。
彼ら外交官は逃げおおせるでしょうが、多くのアフガン国民にとってカブールは逃げたくても逃げられない人々の最後の溜まり場と化しています。
「【カブール、ワシントン共同】アフガニスタンの反政府武装勢力タリバンが15日、首都カブールに進攻して大統領府を掌握、ガニ大統領は国外脱出した。ロイター通信などが伝えた。政権は事実上崩壊した。タリバンは全34州都をほぼ制圧し「全土が支配下に入った」との声明を発表、治安維持名目で戦闘員を首都入りさせ、カブール郊外で衝突が発生、40人以上が負傷した。
イスラム原理主義の神学生らが結成したタリバンが首都を支配すれば、米中枢同時テロ後の米英軍による攻撃で旧タリバン政権が崩壊して以来約20年ぶりとなる。バイデン米政権は15日も米軍撤退方針を堅持すると改めて表明した」(共同8月15日)
また国外へのルートすべては、すでに7月下旬にタリバンが検問所を設置しています。
各地に残存する政府軍兵士やその協力者たちは、処刑を恐れて必死に国外に逃亡を計るでしょうが、その道は険しいようです。
タリバン、国境の要所複数を制圧と アフガニスタン - BBCニュース
「アフガニスタンの反政府武装勢力タリバンは9日、イランとトルクメニスタンへ至る国境通過の要所数カ所を制圧したと発表した。
タリバンは、北部ヘラート州で大攻勢を展開し、イランに近いイスラム・カラ、トルクメニスタンと国境を接するトルグンディの街をそれぞれ制圧したと明らかにした。アフガニスタン政府当局もこれを認めている。
現場動画では、国境税関事務所の屋根からタリバン勢力がアフガニスタン国旗を引き下ろす様子が映っている。
イスラム・カラ検問所は、アフガニスタンとイランを結ぶ最大級の交易の要所で、月額約2000万ドル(約22億円)の収入を政府にもたらしていた。トルグンディは、アフガニスタンとトルクメニスタンを結ぶ2大交易拠点のひとつ」(BBC7月10日)
今や残された米国大使館と諸外国の外交関係者、そして民間人をどのように国外退去させるのかが焦点になってきました。
米国は米国職員、関係者の救出、渡米ビザ発給支援等で約5000人の増派をするとともに、カブール国際飛行場に連絡基地を置くと公表しています。
しかしこのカブール国際空港も、タリバンの海に浮く小島のようになっているはずです。
これも1975年のサイゴン・タンソンニャット空港と重なります。
おそらく似たような大規模な脱出作戦がとられるはずですが、その際に、米国の協力者をどれだけ逃がすことができるのかが、今後の米国の信用につながります。
それとは別に、米国は事後対応に追われています。
7月4日には、オースティン米国防長官が、アフガンと国境を接するウズベキスタンとタジキスタンの外相と相次ぎ会談し、アフガン情勢の安定に向けた協力を要請しています。
両国は米軍のアフガン進攻に際して基地を提供した経緯があり、バイデン政権としては両国をアフガンの治安対策の拠点とする構想を描いているようです。また、ロイターによると、バイデン政権はタジク、ウズベク、カザフスタンの中央アジア3カ国を、米軍協力者の一時受け入れ先にする方向で調整を進めているといいます。
おそらく米国は、これら中央アジアの国々となんらかの軍事協定を締結し、支援を送ることになるでしょう。
一方、アフガンを自分の弱い下腹だと考えているロシアは、アフガンから中央アジア諸国へのイスラム原理主義テロリストの浸透を恐れて軍事支援を強めています。
この動きは米国と一緒ですが、ロシアは米国よりも遥かに強い影響力を保持しています。
現にロシア軍は8月5~10日、タジキスタンと、同国南部のアフガン国境近くで、隣国のウズベキスタン軍も加えた3カ国合同演習を行いました。
この3カ国演習の目的は、国境から侵入したイスラム武装集団を撃退することだとされています。
同じくロシアは、8月2~6日には、ウズベキスタン南部国境沿いのテルメズでも同国軍との演習を実施しています。
これらは米軍がアフガンから完全に撤退下後に生まれる軍事的真空状態に、イスラム過激派と中国が影響をおよぼすことを念頭においたものだと見られています。
一方タリバンは、政権奪還をもくろんでいた去年段階から、各国と外交折衝を始めています。
「天津で王毅と会談したタリバン代表団は、7月初めにはモスクワを訪問し、かつて宿敵だったロシアからも、中国と同様の承諾を引き出している。そしてタリバンもロシアや中央アジアの旧ソ連領国家の脅威とならないと表明した。
インドも6月、同様にタリバンと接触。タリバンといかなる形であっても接触しない、という立場を変えて、初めてタリバンと正式な交渉ルートを開くことにした。(略)
中国とタリバンの天津の会談後、ブリンケン米国務長官は、本音かどうかはわからないが、中国がアフガン事務に参与することは、「ポジティブなこと」と期待を示した。中国がタリバンに対する経済的影響力でもって、平和的に衝突が解決し、本当に代表制と包括性をもった政府が誕生できるのであれば、すべての方面の利益になる、という」
(福島香織の中国趣聞(チャイナゴシップ)NO.402 2021年8月16日)
タリバン政権を巡っては魑魅魍魎が跋扈するでしょうが、彼らの本質は変わらないのではないかと私は思います。
この20年間の民主国家としての積み重ねは帳消しになり、「イスラム法」が支配します。
そして中国はいち早くタリバン政府を承認して国交を結ぶでしょうし、巨額の援助を復興支援と称して送り込み、インドに替わって経済影響力をのばそうと図るはずです。
なお、中国とタリバンの関係についてはやや複雑なので、別記事といたします。
本日は、中国のコロナ再拡大についてアップしましたが、急遽差し替えました。
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今月初め頃には···あーこりゃ本当にヤバイな。秋か年内には落ちるかくらいに思ってたんですけど、ここ数日の展開のあまりの早さに驚いています。
先週多くの都市が制圧されて、カブールにも迫りつつあるだったのが、昨夜にはもう政権移譲して大統領国外脱出だというね。
あーあ、90年代に戻って女性や庶民は苦しみ続けることになりますね。。
投稿: 山形 | 2021年8月16日 (月) 05時53分
一度自由を知ってしまった市民、特に女性には辛い時代に逆戻りでしょうね。
アメリカの弱点は短期的に物事を解決しようとする癖ですね。
20年は長い様で、住民の意識改革には短い。最初から50年計画で、じっり小さい範囲から取り組んでいれば違っていたでしょう。
国という意識より部族単位意識が強いようですから、そのうちいくつかを糾合してナショナリズムを定着させ、少しずつ勢力拡大する。というやり方だったら、成功してたかもしれませんが、そんな長期計画は四年から八年で交代する大統領制の下では難しいでしょうし、そもそもテロに対する過剰すぎる反応で侵攻したので、国民に結果を見せつけなくては行けず、結果稚拙な対応に終始したと言えます。
唯一の超大国という万能感も当時はあって侮ったのかもしれません。
気がつけば大失敗。民主主義の失敗というか、米国型資本主義の限界と言うべきか。
投稿: 田中 | 2021年8月16日 (月) 07時26分
映画『カンダハール』で描かれた光景を思い出しますね。結局あの時代に戻ってしまうのはタリバン政権を潰してビンラディンを抹殺した時を考えると尚のこと虚しいです。
投稿: 中華三振 | 2021年8月16日 (月) 08時32分
2021.8.16 相模吾です。 あっという間もないカブール陥落ですね。
在アフガニスタンの日本人の方達の安全が気になります。 アフガン緑化に貢献した中村哲医師が殺害された記憶も新しい。
茂木大臣は15日にエジプト、イスラエル等中東7か国に出発しました。日本政府もこんなにあっけなく陥落するとは考えていなかったのかな。 コロナ対策のためにアフガンへの渡航禁止措置が取られていたのが多少救いも知れないが、外務大臣不在時にアフガンへの対応が遅れなければよいが。
投稿: | 2021年8月16日 (月) 13時25分
米国から見れば武器や兵員が上回るにもかかわらず、アフガン政府にはあまりにも自身で自国を守る意志に欠けていた、って事になるのでしょう。
しかも、アフガン政府のやり方は従来から李氏朝鮮末期のように、大国を天秤にかけて有利な条件を引き出す事にばかり執心していたし、そんなアフガンを欧州も見て見ぬフリでした。
よく考えれば、日本人である我々には身につまされる話です。他山の石として、しっかりと見なければならないと思います。
福祉予算ばかり増やして憲法改正すらせず、防衛費は未だにGDP1%周辺でいて、同盟に基づく米軍があるから大丈夫との認識が大勢です。
安易な比較は禁物ですが、原則的に民主制は国民皆兵の政治体制である事を失念している共通項があるように思いました。
投稿: 山路 敬介(宮古) | 2021年8月16日 (月) 17時18分
結局アメリカがもたらした猶予期間の間にアフガンを近代国家に生まれ変わらせようという指導者が現れなかった。
原理主義者なんて結局はイスラム教を支配装置にしているだけである意味で最もイスラム教を冒涜している方々ですし中国の全体主義思想とはとても相性がいいのかもしれません。
彼らが統制が取れた組織であれば。
これまでは対アメリカという異教徒との闘いで一枚岩になれましたがそれが完遂してしまった後でもそれを維持出来るとは思えませんし、中国が下手にその中の一勢力に肩入れする事があれば取り返しの付かない内輪揉めに発展するでしょう。
アメリカにとっても自滅してくれれば都合がいいので、撤退後も資金面等の裏からの介入を計るのではないでしょうか。
投稿: しゅりんちゅ | 2021年8月16日 (月) 18時23分