いやー、面白い、なんと野田聖子氏が出るとか。こりゃ驚いた。
もはや下手なエンターテイメントより面白い総裁選となってきました。
「あす告示を迎える自民党総裁選で、出馬に意欲を示していた野田聖子幹事長代行が、出馬の意向を固めました。立候補に必要な推薦人20人を確保したことを周囲に伝えたということです」(9月16日TBS)
野田さんの旦那が反社なのはかなり有名ですが、しかし出たい、出ます、出させて下さいの執念や見事。
野田氏は河野-ゲル連合支援に回るかと思っていたのですが、よもや自分からでるとはね。
「支持を見込んでいた石破茂元幹事長に近い議員から協力を拒否されたが、他の陣営から支援を受ける動きが広がった。背景には、野田氏の出馬で票を分散させ、党員票で有利とみられる河野太郎ワクチン担当相の勢いにブレーキをかけたいという他陣営の思惑もありそうだ」(産経9月17日)
なくほどね。競合候補の票を分散させるために、あえて野田氏を推すという偽装野田派も混ざっているようですから、複雑怪奇。
一回目で過半数を押えないと、決戦でどうなるかわからないというのがミソです。、
この野田氏の日頃の主張は石破氏に一番近い人ですから、野田氏が出ることで、果たしてリベラル陣営を作ってしまった河野-石破派の票を分散させてしまうか、それとも同じ女性候補の高市氏に響くか、まだまだわかりません。
野田氏の登場と関係あるのかどうなのか、一回は反原発と女軽天皇容認論に蓋をした河野氏が、今度はチラチラ左を向いて夫婦別姓・同性婚容認を言い出し、さらにはモリカケもまたやるとかいいだしました。
一体、なんなの、これ。
諸派閥の支持を得たいとなると持論を捨て、ゲル氏につけば左旋回し、野田氏が出そうになるとさらに左にハンドルを切る。
腰が座らないダメ男ぷり全開です。
決然とした所作がチャームポイントだったんじゃないかな、河野さん。
それに調べるといいますが、赤木ファイルには安倍氏は無関係だと明瞭に記されいるし、赤木氏が自殺したのは財務省の内部問題です。
そしてその財務省の所轄大臣は誰だったのかな、あなたのボスでしょう。
もう後ろ足で砂をかけたから、徹底的にゲル状になるんだ、という宣言ですか。
でも麻生派の支持も欲しくて、自分の決起集会には顔を出さずに、派閥の会合に行ったんですからため息しか出ません。
さて、いきなり季節遅れの怪談噺みたいな日本共産党のお話です。
共産党が「暴力革命をめざしている」と中傷された、とお怒りのようです。
ことの起こりは、9月10日、お昼のワイドショー『ひるおび』での八代英輝氏の共産党をめぐる発言でした。
「共産党はまだ『暴力的な革命』っていうものを、党の要綱として廃止してませんから。よくそういうところと組もうって話になるな、というのは僕には個人的には感じますね」
これに対して、恐れ多くも畏くも共産党トップの志位氏から直々の怒りのツイートが降ってきました。
TBSはたちまち腰砕けして、八代英輝氏に謝罪させたのがこれ。
「先週の私の発言についてですが、私の認識は閣議決定された政府見解に基づいたものでした。一方、日本共産党はそれをたびたび否定していることも合わせて申し上げるべきでした。申し訳ありませんでした」
う~ん、いかにも局から頭下げさせられたから下げましたって、かんじムンムンですね。
ここでころんでもただ起きない八代氏が、「政府見解に基づいて」と政府に振ったので、アレは謝罪になっていないという声も上り、あるスポンサーがCMから降りたとか、降りないとか。
しかし私から見れば、八代さんは修正しておいたほうがいい点はありますが、大きくはハズしていないのです。
というのは、八代氏が言うように、こういう政府答弁が既にでているからです。
●閣議における答弁決定 2020年6月11日
「日本共産党は、昭和26年から28年にかけて、革命の正当性、必要性を主張し、党組織や党員が殺人や騒擾などの暴力主義的破壊活動を行った疑いがあります。現在においても暴力革命の方針に変更はないものと認識しており、破壊活動防止法に基づく調査の対象になっているものと承知しています」
そこで、共産党は矛先を政府に向けて食ってかかりましたが、それが加藤官房長官の答えです。
「加藤勝信官房長官は14日の記者会見で、共産党の「いわゆる敵の出方論」に立った暴力革命の方針について、「変更ないものと認識している」と改めて政府の立場を説明した。これに対し、共産党の志位和夫委員長は「全く成り立つ余地のないデマ攻撃だ」と反論する談話を出し、政府見解について「到底許されない」と非難した」(時事9月14日)
つまり政府に言わせれば、共産党さん、きみら暴力革命方針をちゃんと捨ててないだろう、だからデマ攻撃には当たらないんだよ、ずっと監視をつづけるからね、ということです。
ま、そのとおりです。共産党は今に至るも暴力革命路線をあやまりであったとして完全に清算していません。
していないから、破防法調査団体指定からはずれないのです。
「公安調査庁はホームページで、共産党について「革命の形態が平和的になるか非平和的になるかは敵の出方によるとする『いわゆる敵の出方論』を採用し、暴力革命の可能性を否定することなく現在に至っている」と指摘している」(時事前掲)
政府見解の根拠となっている公安調査庁の当該部分です。
一部だけ切り取られることが多いので、やや長いですが当該箇所を抜き出しておきます。
https://www.moj.go.jp/psia/habouhou-kenkai.html
●共産党が破防法に基づく調査対象団体であるとする当庁見解 公安調査庁
(略)
共産党は,第5回全国協議会(昭和26年〈1951年〉)で採択した「51年綱領」と「われわれは武装の準備と行動を開始しなければならない」とする「軍事方針」に基づいて武装闘争の戦術を採用し,各地で殺人事件や騒擾(騒乱)事件などを引き起こしました。
その後,共産党は,武装闘争を唯一とする戦術を自己批判しましたが,革命の形態が平和的になるか非平和的になるかは敵の出方によるとする「いわゆる敵の出方論」を採用し,暴力革命の可能性を否定することなく,現在に至っています。
こうしたことに鑑み,当庁は,共産党を破壊活動防止法に基づく調査対象団体としています。
共産党は,「(武装闘争は)党が分裂した時期の一方の側の行動であって,党の正規の方針として『暴力革命の方針』をとったことは一度もない」(3月24日付け「しんぶん赤旗」)などとしていますが,共産党自身が5全協を「ともかくも一本化された党の会議であった」と認めています(第7回党大会中央委員会報告,昭和33年)
公安調査庁の共産党認識を整理しておきましょう。
①第5回全国協議会(5全協)で軍事闘争の開始を宣言して、各地で殺人事件や暴力闘争を行った。
②共産党は武装闘争は分裂した一方の派閥がしたことだとしているが、一本化された正式な会の場で決定された方針だったことは自らも認めている。
③事実、後の不破執行部も「全組織を上げて戦った責任ある行動だった」と述べている。
④不破氏は、「敵の出方次第で、武装闘争もありえる」(敵の出方論)という言い方をして、暴力革命論は否定していない。
中核自衛隊 - Wikipedia
この5全協路線は、中国共産党が命令したもので、「中核自衛隊」や「山村工作隊」といったゲリラ部隊を作り、武器を取って敵権力を殲滅することを指令しています。
当時の文書ですが、むき出しの調子で暴力革命をせよ、と煽動しています。
「軍事組織の最も初歩的なまた基本的なもの、現在では中核自衛隊である。中核自衛隊は、工場や農村で国民が武器をとって自らを守り、敵を攻撃する一切の準備と行動を組織する戦闘的分子の軍事組織であり、日本における民兵である。— 日本共産党第5回全国協議会「われわれは武装の準備と行動を開始しなければならない」1951年(昭和26年)10月
なかなかスゴイでしょう。今の 共産党は一貫して平和闘争はしてきたとは言っていますが、実はこのような死人がでるような血なまぐさい闘争をしていた時期もあるのです。
もちろん失敗して自滅しかかって方針を転換します。
これを六全協路線と呼びますが、外に向けては「あれは分裂していた別の派閥がやったことだ」という言い訳をしました。
公安調査庁の先の見解は、そんな言い訳は通用しませんよ、と言っているわけです。
この苦しい言い訳を考えたのが不破哲三氏で、彼は志位和夫氏の前任者でした。
いまだ高齢ですがかくしゃくとしていて、共産党の奥の院に鎮座して院政を敷いているという噂の人です。
不破哲三氏と宮本顕治氏
今の共産党の考え方の基本を作ったのが、この不破氏です。
志位氏は21年間トップを続けていますが、不破氏など48年間も君臨していました。
普通の政党では考えられないような長期政権ですが、なにぶん共産党はミニ共産国家ですから開かれた党首選などいまだかつて一回もしたことがありません。
もっとも不破氏自身も宮本顕治氏の院政に支配されていました。
このようにひとりに権力が集中しやすい構造も、共産国家によく似ています。
とまれこの不破氏が、弟の上田氏と書いた本が『マルクス主義と現代イデオロギー』で、ここに有名な「敵の出方論」が述べられています。
「『暴力革命唯一論』者の議論は,民主主義を擁護する人民の力を無視した受動的な敗北主義の議論である。
しかし,反対に『平和革命』の道を唯一のものとして絶対化する『平和革命必然論』もまた,米日支配層の反動的な攻撃にたいする労働者階級と人民の警戒心を失わせる日和見主義的『楽観主義』の議論であり,解放闘争の方法を誤まらせるものなのである」
(不破哲三著「日本社会党の綱領的路線の問題点」)
不破氏の文章は、左翼内にしか理解不能の隠語で書かれていますので、ナニを言っているのかすこぶる分かりにくいのですが、要はこういうことです。
暴力革命だけでなんとかなると思うな、かといって議会を通した平和革命にだけ甘んじるのは、敵階級に対する警戒心を失った日和見主義だ、そんなもんに染まるな、常に暴力革命をする準備をしておけ、ということです。
ですから素直に読めば、普段はおとなしく議会を通して勢力を伸ばすことに専念しても、革命の時来たらば、武器を手にして立ち上がれ、ということになります。
おお、なんてデンジャラス。まるで過激派じゃん、と思われるかもしれませんが、過激派のルーツは共産党です。
今の過激諸派はすべてが共産党から分かれたものです。
60年安保の後に飛び出した連中は、大部分が学生共産党員でしたが、共産党が暴力革命路線を放棄したこと日和見主義だとして飛び出したのです。
まぁ今から見れば、当時の共産党は、天皇は認めず、自衛隊も認めず、与党の言うことはあらかじめ全部反対、資本主義打倒、というバリバリの極左政党だったのですが、暴力闘争を止めたということで、今度は左翼業界内では日和見主義扱いにされたのです。
こういう左翼業界の空気が生まれたために暴力革命を全否定しないで、とりあえず今はやりません、ていどにボカしておいたというのが「敵の出方論」です。
したがって、共産党が今は暴力革命など考えていないというのは、その限りでは間違いではありませんし、綱領に暴力革命と書いていないのもそのとおりです。
先の八代発言の間違いを強いて探せば、「綱領に書いてある」と言ってしまったことで、今の綱領には書いてありません。
では書いてないから、共産党にキッパリと暴力革命の要素はないかといえば、 それはウソになります。
だって、書き換える前まで自分はマルクスレーニン主義の党だと綱領で書いていたわけですし、この思想はそもそも暴力革命の思想のルーツなのですから。
これは共産党もわかっていて、76年の第13回臨時党大会で「マルクス・レーニン主義」という言葉を、「科学的社会主義」という造語に書き換えています。
ただしここでもマルクスレーニン主義を清算する、とはひと言も言っていません。
つまり戦前期と1950年代の暴力闘争は「敵の出方論」で化粧直しし、マルクスレーニン主義には言葉の言い換えで凌いだのが共産党なのです。
もう少し細かくみておきましょう。
戦前から戦後の5全協(全国協議会)までの共産党は、日本のマルクスレーニン主義のバチカンはオレ様だという宗主意識を持ち続けていましたから、ガチガチの暴力革命論者でした。
ちなみに日本共産党は、当時のソ連が日本に共産党をコミンテルン日本支部として移植したのです。
カネから方針まで丸ごとソ連直輸入でした。武器までもらっていたようですから、丸抱えです。
戦後も、先程述べたように中国共産党の指令で朝鮮戦争の後方だった日本でさんざん暴れ回り、爆弾や火炎瓶を投げていたのですが、結局国民から孤立して壊滅に追い込まれました。
当時、共産党が国民から大変に怖がられていたのはそのせいです。
この暴力革命に走った連中のクビを「分派」と呼んで切り捨てたのが、今につながる宮本-不破-志位の流れです。
きちんと清算し切れなかったのは、共産党の無謬神話が崩れてしまうためです。
オレたちは日本でいちばん古い老舗左翼だ、戦争に唯一反対した革命党だ、一貫して過ちを犯したことがない、というのが権威の源泉でしたからね。
なんといっても共産党とは、左翼の世界のバチカンで、そのトップは赤い法王なのですよ。
赤い法王が私は過ちを冒しました、なんて口が裂けてもとは言えないでしょう。
そこで苦しまぎれに出したのが先に述べた不破氏のひねり出した「敵の出方論」という便法です。
武装闘争は止めたとはいっているものの、それは「一時停止」にすぎず、議会だけに頼るのは日和見だ、敵の出方次第でまた暴力闘争もやるからな、平和的闘争だけで済ませようなんて日和見主義だ、と言っているのですから、まったく暴力革命路線に対する反省がありません。
共産党に「アレルギー」? その正体とは | 特集記事 | NHK政治マガジン
もちろんこれは苦しい言い訳にすぎませんから、いままでも言われ続けてきました。
その都度反共攻撃だとか、デマ宣伝だとか言って噛みついてきたのでが、ならばきちんと清算すればいいだけのことです。
自分の暴力革命路線が日本では受け入れられず、国民から浮き上がって自滅したのですから、六全協が終わり宮本派に権力が移行した時点で、暴力革命決別宣言を出し、自分らがやらかした暴力闘争に対して国民にちゃんと謝罪して、二度と暴力は用いません、と言うべきでした。
ついでに「日本共産党」という血と暴力に彩られた党名も変更して、党改革を行い党首選挙が可能な執行部体制を作るべきでした。
そうすれば、晴れて新しい国民政党として生まれ変われたのです。
なぜできないのかと言えば、それは院政政治だからです。
不破時代には宮本氏が目を光らせており、志位時代には不破氏が頭の上に乗っていました。
だから変えられない。
「革新」勢力どころか自己変革がまったく不可能な、国政政党で最も古臭い保守的体質の持ち主がこの共産党なのです。
このていたらくですから、内部ではあいかわらずマルクスレーニン主義そのものの階級闘争論が幅を聞かせています。
元共産党区議だった松崎いたる氏は内部資料を公開しています。
そこには古式ゆかしく左翼隠語を散りばめてこう述べられています。
「現在の警察は政治警察であり、二十六万の警察(敗戦時でさえ七万人)が、常時、日本共産党を監視下におき、攻撃の機会をねらっている。
警察法にいう「公平中立」など空文で、日本共産党対策こそかれらの本質。そもそも国家権力の支配の根幹に、権力としての強制力(警察、軍隊、装判所・監獄、徴税 機構)があることを常に念頭におく。「和解」できない階級対立がある」
(1992年版『選挙・政治活動と党防衛のたたかい』)
流出!日本共産党の教育資料を公開「警察は攻撃の機会を狙う、階級闘争の不可避、和解できない階級対立」
今どき権力=暴力装置論もないものですが、共産党内部ではいまでもそう考えているのです。
ズレきっているというか、国内の北朝鮮みたいですね。
私も大昔零細労組の書記長をしていた時に、共産党の勧誘を受けましたが、今まで覆面でいた人が急に名乗りを上げるんですから、ここは秘密結社Xかと思いましたよ(笑)。
こういう外部に開かれない秘密体質は革命党の名残りですが、いまだにぜんぜん変わっていません。
それはさておき革命党的体質でも、今は暴力革命はする気などありません。
だって、やるもやらないもできませんもん、そんな危ないこと。
党員も「しんぶん赤旗」も減る一方で、残った党員は見渡せば老人ばかり。
たまに青年が入ってくると、もう金の卵扱いです。
しかも親が共産党員という世襲党員です。
だからSEALDs が登場した時に、一番たまげたのは共産党でした。
共産党が把握していないところから飛び出したからです。
筆坂氏が言うには、一昔前は選挙といえば地区の民青が数百人集まったというのに、いまや片手の数も集まらないということです。
これで暴力革命なんぞできる相談ではない。
だから「敵の出方」もなにも、暴力革命なんかやりたくてもできない、というだけのことです。
私も何人か現役共産党員を知っていますが、みんな失うものは鉄鎖以外イッパイあるという人たちばかり。
支持者も何人か知っていますが、高級住宅地に住み、高級外車を乗り回しておられます。
彼らが銃や爆弾で武装するなんて、地球の回転が逆になってもありえません。
ならばイタリアのように共産党という重い看板を置いて、普通の左翼政党になればいいのですが、それもできない。
「筆坂)今まで一貫して、「変えたらどうか」という人がいっぱい出てきました。私がいたときは共産党の支持者ですら言いました。「名前を変えたら、俺たちは周りにもっと支持を訴えやすい」と。そういうことを言う後援者の人もいっぱいいました。でも共産党は必ずこう言っていたんです。「名前は変えません」と。「政党が名前を変えるのは、過ちを犯したときだけだ」と。「我が日本共産党は過ちを犯していないのだから、変える必要はない」と」
元日本共産党議員から見た、現在の共産党 | 須田慎一郎のニュースアウトサイダー | ニッポン放送 ラジオAM1242+FM93
「党が名前を帰るのは過ちを犯した時だけだ」って、ナニ言ってんのか、犯したでしょうが。
1950年代、暴力革命路線に走っていたのはどこの党だったのでしょうか。
1960年代の末、学園紛争でこん棒を握って内ゲバに狂奔していたのは、どこの誰だったのか。
つまりは名前を変えていないというのは、あれら暴力闘争はすべて正しかったということなのです。
というわけで、自己浄化ができないのでいつまでもフツーの国民政党に生まれ変わることができず、いまだに公安調査庁からは破防法調査対象とされ続けているのです。
まぁ、これも身から出たさびというものでしょうか。
最近のコメント