「衆院選の敗北を受け、立憲民主党の枝野幸男代表の引責辞任が決まった。4年前の結党以来「枝野私党」「1強」と形容された体制が幕を閉じる。4年前の前回衆院選では枝野氏の明快な言葉と覚悟が躍進の原動力になった。ただ、その後は数の寄せ集めを重視する「永田町の論理」や、独特の理屈に基づく共産党などとの野党共闘に走って勢いが失われ、有権者には首相候補と映らなかった。
枝野氏は2日の執行役員会で辞意表明した際、「政権選択選挙の構えを作ることができた」とも語り、創業者の自負をのぞかせた」(産経11月2日)