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2022年2月 5日 (土)

崩れたロシア幻想・反省を込めて その2 揺らぐプーチン帝国

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北方領土反省会に戻ります。

私の判断ミスは、日露互いに強い保守長期政権だから親和性があるだろうという思い込みでした。
北方領土はロシア人の目から見れば彼らの大嫌いな「領土割譲」ですが、それをなだめられるのはプーチンをおいて存在しないと考えてしまったのです。
保守層をなだめられるのは、強い保守指導者しかいないのは一定の真実なのです。
慰安婦合意をしたのが、仮に鳩山氏や菅氏だったら保守層は猛烈な批判を加えたでしょう。
しかし他ならぬ安倍氏だったことで、この合意の裏にはそうせざるを得ないなにかが隠れているのだろうと、保守層が妙に納得したことに似ています。

互いに保守長期政権であることは惑星直列のようなミラクルですから、プーチンと安倍氏が在任中になんとかまとめてしまわないと、もう先が見えなくなるぞ、という気分に日本側が駆られてしまったのです。
まさにプーチンの術中にはまったというところです。
そしてそのプーチンが「ヒキワケ」という柔道用語を口にしたことから、北方領土2分割返還論が生まれます。
私自身も、この案の現実性は高いと思っていました。

「日露の平和条約交渉において次の大きな転機となったのは、2018年11月のシンガポールでの首脳会談だ。北方四島のうち、歯舞群島および色丹島の二島の日本への引き渡しが明記された「1956年日ソ共同宣言」を基礎に、平和条約交渉を加速させることでロシアと合意したのである。
これまで日本は、ロシアとの間で「北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結する」ことを交渉の基本方針としてきたが、シンガポール合意は、日本が「(最大で)二島」へと大きく舵を切った瞬間とも言え、その意味で日本の一大方針転換であった。
しかし、日本側の大きな決断にも関わらず、その後も交渉は難航。昨年7月には、領土割譲禁止条項が新たに加えられた改正憲法がロシア国内で成立し、今後の交渉の見通しがますますつかなくなるなか、安倍政権は退陣した」
(吉岡明子 2021年1月13日キャノングローバル研究所)

この時点で安倍は二つの交渉の失敗をしています。
ひとつめの決定的失敗は、2014年3月のクリミア侵略を受けても、ロシア融和策を変更せず、北方領土・平和条約交渉に邁進してしまったことです。
そして2016年5月には、オバマの反対を押し切って安倍自身が訪露し、ソチを再度訪問し、ロシアに「新アプローチ」という経済支援プログラムを伝えます。
そして続く同年12月には、プーチンを故郷山口に招くところまで前のめりになりますが、ご承知のようにプーチンはゼロ回答でした。

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山口県長門市湯本温泉・大谷山荘での「日ロ首脳会談」

これは今思い返せば,重大な失敗でした。
クリミア進攻に対して課せられていた制裁に、わが国も加わりながら、バックドアではプーチンに宥和してしまったからです。
日本の信義違反ととられても致し方なかったかもしれません。
いわばメルケルのノードストリームに似た役割を、北方領土交渉はしてしまったわけです。
ですから、ことプーチン対応となると西と東の主要国が同じような融和策を演じてしまったことになります。
メルケルと安倍、いずれもしたたかな猛者を手玉にとリ、しかも踊らされた事に当人たちは気がつかないのですから、たいしたタマです。

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朝日

そして二つ目は、2018年9月の東方経済フォーラムにおいて、安倍は「今やらないで、いつやるのか、我々がやらないで、他の誰がやるのか、と問いながら、歩んでいきましょう」とプーチンに直接呼びかけ、プーチンはこれに答えて「今、思いついた。あらゆる前提条件をつけず、年末までに平和条約を結ぼう」「争いのある問題はそのあとで、条約をふまえて解決しようじゃないか」とアドリブで答えています。
確かに見応えのある老練な首脳外交でしたが、ここで安倍は2島返還論に正式に舵を切ります。
しかしこの後、プーチンは「領土割譲禁止」を盛り込んだ憲法改正に着手します。
安倍の強すぎる北方領土解決への野心と、過度なプーチン個人への信頼感が安倍の目を曇らせたのです。

ところがどっこいプーチンの政治基盤は、外から見るほど磐石ではなかったのです。

「プーチン治世において、確かに政治・経済の隅々まで「権力の垂直化」が図られてきたことは事実である。しかし、石油や天然ガスといったエネルギー資源、あるいは巨大化した国営企業に依拠した垂直型の経済システムは、既に10年ほど前からほころびを見せ始めており、2014年以降は、そこに原油価格の低迷と欧米諸国からの経済制裁も加わった。プーチン政権下のロシアを、ソ連末期の「停滞の時代」とまで比喩する論が、ロシア国内でも散見されるようになっている。
経済が停滞すれば、経済的な利権構造を基盤に築かれたロシアの政治システムそのものも、同時にほころびを見せ始める。エネルギー資源や国営企業に依拠する経済の構造改革が、大統領の掛け声に反して遅々として進まないのも、それらが政治の利権の温床になってきたからだ」(吉岡前掲)

経済の低迷が続くなか、2018年のロシアの統一地方選挙で、いくつかの地域で与党が敗北するという現象が起きました。
下図はレバダ・センターというロシアの調査機関は、毎月実施している世論調査で、国民が最高指導者のプーチン氏を信認しているか、いないかを長期的に跡付けています。
※参考資料 服部倫卓 『プーチン政権が陥った袋小路 「4つのロシア」論から読み解く』 朝日クローバル+
https://globe.asahi.com/article/12657828

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朝日グローバル+

上図はプーチン政権の支持率推移ですが、2014年、つまりクリミア進攻の年がグラフ中央に位置しています。
左端の2007年から2010年にかけては80%から90%という驚異的な支持率ですが(かえって怪しいですがね)、以後徐々に低落して2013年には6割まで落ち込んでいました。
これを一気にハネ上げたのが2014年3月のクリミア略奪ですガ、これも後の制裁ですぐに低落していきます。
特に国民に評判が悪かったのが、憲法の三選禁止規定を回避するため大統領職を首相のメドベージェフと交代したことです。
まるで国家を私物のように扱っているじゃないかという、非難の声が全ロシアからわき起こりました。
プーチンが、再び大統領に復帰する方針を示した2011年秋以降、プーチンの支持率は目に見えて悪化しました。
プーチンとメドベージェフが、国家をまるで私物のようにやり取りする様子に、少なからぬ国民が愛想をつかしたからのようです。

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ウィキ

ちなみにこのドミートリー・メドベェージェフは、プーチンとレーニングラード大学の同窓で、ペテルベルク副市長時代の部下です。
この人物を見ると、プーチンのもう一つの姿が浮きだしてきます。
メドベェージェフはこう述べています。

「ロシアには他の国と同じように特権的利益を持っている地域がある。特権的利益を持っている地域を保持していく。
特権的利益を持っている地域とはロシアの国境付近の地域を含むが、その地域に限定しない。
居住する場所に関係なく、ロシア人の生命を保護する。
欧米諸国や他の国と友好関係を築いていくが、米国の一極支配の世界は受け入れられない」
(ウィキ)

これが自国であろうとなかろうとロシアが「特権的な利益を持つ地域」があるとする「勢力圏」思想です。
メドベェージェフは北方領土交渉について、ちょうど1年前にもこんなことを言っています。

「ロシアの国家安全保障会議で副議長を務めるメドベージェフ前首相は、昨年の憲法改正を理由に北方領土問題を話し合うことは不可能だと明言し、「日本との平和条約交渉はテーマがなくなりつつある」と述べた。
 国家安全保障会議はプーチン大統領が議長を務める。メドベージェフ氏は「我々は憲法上の立場がはっきりした。我々にはロシア領土の主権を引き渡す交渉を行う権利がない」と述べた。平和条約交渉で日本と北方領土の共同開発について協議することは可能だとしたが、「日本国内では(北方領土の返還が)国民的コンセンサスとみなされているため、合意するのは不可能だ」とも話した」
(朝日
)

国家安全保障会議とは、かつてのソ連共産党政治局に似せて作られている政治最高指導部ですが、このメドベェージェフの「北方領土は交渉不可能」というのがロシアの公式見解である以上、いかなる幻想も持つことももはや無意味です。

話を戻します。
権力の入れ代わりなどをしていた上に、経済は振るわず失業者だけが増加するという状況の中で開かれた2011年12月の議会選挙で、プーチン政権は大規模な選挙不正をしました。
それを糾弾する民主化デモが、モスクワ中心部で大規模なに開かれることになります。
このような政治の私物化や民主化デモ、政権内の党派闘争の激化などの現象は、プーチン型政治システムのほころびを示すひとつの象徴でした。

深刻な事態に陥ったのは、このメドベージェフ率いる与党「統一ロシア」(エジーナヤ・ラシーヤ) の支持率低下でした。
ゴルバチョフは、「統一ロシアはソ連共産党の出来の悪いコピーだ」と評しています。

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 統一ロシアの支持率の推移(1ヶ月移動平均)JIIA -日本国際問題研究所

「上図が示すように、全ロシア世論調査センター(ВЦИОМ)の調査によると、統一ロシアの支持率は2008年以降低下傾向にあり、2011年下院選挙時には34%にまで下がった。
2014年のクリミア併合後の政権支持拡大の影響で統一ロシアの支持率も上昇したが、近年は再び低下傾向にある。特に、2018年の年金改革の影響は大きく、統一ロシアの支持率は再び30%台半ばにまで急落した。
そして、新型コロナウイルスの感染拡大がロシア経済に打撃を与えたことは、さらに統一ロシアの支持率を引き下げた。2021年に入ると、同党の支持率は20%台にまで低下し、結党以来最低の水準で下院選挙をむかえることになった」
(溝口修平・法政大学法学部国際政治学科教授2021年12月21日 日本国際問題研究所)
https://www.jiia.or.jp/research-report/russia-fy2021-05.html

このプーチンのレームダック化は2000年代を通じて顕著であって、2014年のクリミア進攻も上図中央の2014年に一時的に急上昇していますがすぐに下降を開始しており、直近の2021年にはとうとうレッドラインの30%を切る始末です。
そしてプーチンは、危機を迎えた独裁政権にありがちな世論の弾圧に走ります。

「このような状況下で選挙を戦うことを余儀なくされたプーチン政権は、反体制派や野党に対する締め付けを強化することで対応した。2020年夏の毒殺未遂事件後にドイツで治療を受けていたナワリヌイは、2021年1月にロシアに帰国するや否や空港で逮捕された。執行猶予中の出頭義務に違反したことが逮捕の理由とされ、その後裁判所はこの有罪判決を実刑に切り替える決定を下した。そして、ナワリヌイの拘束に抗議するデモが起こると、当局はここでも強制的な手段に訴え、数千人のデモ参加者を拘束した」
(溝口前掲)

そしてあげくが反体制指導者やジャーナリストや野党指導者が連続的に不審死を遂げます。

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邪魔者は殺す プーチン大統領のデスノート

この毒殺政治はいまやプーチンの定番となり、近年では野党指導者のナワリヌイを毒殺しようとして、ドイツから抗議を受けています。
収容所はないが、政敵は暗殺するのがプーチンのKGB流儀です。

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アレクセイ・ナワリヌイ氏
ロシア野党指導者、当局者が毒殺行為を「自白」する音声を公開


「ドイツ政府は2日、同国で治療中のロシアの野党指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏(44)について、神経剤ノビチョクによる毒殺が図られた「明確な証拠」があると発表した。
アンゲラ・メルケル独首相は記者会見で、ナワリヌイ氏は殺人未遂の被害者だとして、ロシアに国際社会への説明を求めた。
ナワリヌイ氏は先月、ロシア・シベリアを旅客機で移動中に体調が悪化。同国の病院を経て、ドイツ・ベルリンの病院に空輸された
(BBC2020年9月3日)

一時クリミア進攻で上昇した支持率はすぐにズルズルと下がり始め、それに反比例するようにプーチンは自らへの権力集中を進めました。
2020年の憲法改正によってプーチンが2036年まで大統領を続けることが可能になったことは、その象徴です。
しかし権力を強化しても政権や統一ロシアに対する支持率はいっかな上がらず、2018年には年金受給開始年齢の引き上げ、2020年5月のコロナ感染拡大による全国的なロックダウン導入と打撃を受け、とうとう政権成立後初めて支持率が60%、与党統一ロシアなど支持率が3割を切る始末です。

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ロシアの戦勝70周年記念日 したたかな習近平と親欧米国にとどまらない

「こうしたなか、国民の間に漂う閉塞感のはけ口として、あるいは政治システムにおける利権に代わる接着剤として、プーチン政権はこれまでも、大国主義とナショナリズムを利用してきた。近年では、これに加えて、第二次世界大戦におけるロシア(ソ連)の「歴史の正当化」というテーマも積極的に活用されるようになっている。2014年にロシアで成立した第二次大戦の記憶に関する法律も、プーチン大統領自身が2020年6月に発表した論文「偉大な勝利75周年~歴史と未来への責任」も、同大戦におけるロシアの正当性を強く主張するものだ」(吉岡前掲)

このような綱渡りじみた政権運営をしているプーチン相手に、国内では「領土割譲」ととられる北方領土返還交渉をしても無意味でした。
彼にはそのような力は既にありません
その意味でも、安倍氏はプーチンを過大評価していたのです。もちろん、この私も含めてですが。

今回の再度のウクライナ進攻のポーズは、このような背景から生まれています。
内政の行き詰まりを外征に転化する、古典的ですが独裁国家の常道です。
前回クリミアではこの内政の外征転化で成功したことが、プーチンの自信になっているはずです。
しかし前回と違うことは、ウクライナに再度進攻した場合、前回の無血奪取とは異なり多くの戦死者を予想せねばならないことです。
それをロシア市民は歓迎するかどうか。
そしておそらく最大限にかけられるであろう経済制裁を受容できるかどうか。
私は難しいと思います。
だからエルドアンに仲介を依頼したのでしょう。

というわけで、将来、北方領土交渉が再度ありえるならば、それはプーチン帝国が瓦解する時を除いてはありません。
その時期が訪れたなら、ためらわずに一気に北方領土交渉を押し進めんことを願います。
その時の交渉相手は、もはやプーチンではないかもしれません。
案外その時は近いかもしれません。

 

 

 

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コメント

クリミヤ占領して国際的に批判を浴びる中の2014年に「制裁で今は国内経済に悪影響が出ているが、あと2年ほどすれば良くなるだろう」と、プーチンさん言ってましたけど···なんか良いことありましたっけ?
あちらからすれば安倍さんは小道具に使われた程度だったというわけでしたね。手練手管のレベルが初めから違っていました。
私もプーチンさんには元KGBで強権を持ってもそれなりに期待していたんですけどね。
やはりロシアは信用しちゃいかん!という大前提を忘れてはいけませんね。
他の独裁体制国家も同じ事ですけど。。

 太田述正さんは「樺太・千島交換条約のフランス語で書かれた正文を検討すれば千島列島(クリル列島)に国後・択捉が含まれると判断できる。またそれは当時の日本人・ロシア人にとって常識であった。日本はサンフランシスコ講和条約で千島列島を放棄している。よって国際法上、日本が返還を主張できるのは歯舞・色丹の2島に限られる」という意見であり、私も同意見です。詳しくはブログ
ttps://www.ohtan.net/blog/
のカテゴリ「北方領土2島返還」をご覧ください。
 そもそも日本国政府が4島返還を言い出したのはアメリカの使嗾によるものだったのです。一方ロシア(ソ連)は不凍港にして重要な軍事拠点である択捉を手放すつもりは絶対にありませんでしたし、これからもそうでしょう。プーチンさんが「ヒキワケ」と言ったのは2島返還で手を打とうという事だったと思います。
 私の未来予想は「日本が4島返還にこだわるのでいつまでも北方領土問題は解決せず、平和条約も結ばれないまま」です。悪賢いロシアには、ウブな日本は決して近づかないというのが現在望みうる最善策でしょう。

安倍元総理をはじめとする自民党保守派が先のロシアとの領土交渉をきちんと「失敗だった」と認識したうえで現実的なスタンスを表明して欲しいですね。
ここをハッキリとさせないとまた親露派に利用される隙となりかねません。
特に今の岸田総理は大衆に対して耳触りが良いと思えばロクに考えもせずに口にする悪癖があるのでしっかりと釘を刺しておく必要があります。

世界の何処で誰がどれほど多様性やら共生やらを唱えようと、己の価値観に他者を併呑しようとする者は絶えずあり、そういった行為を批判したり擁護したり沈黙したりも都合次第。
ヒトは何らかの欲望を持つことから逃れられず、己を律することができる能力は人によりそれぞれ。
エスカレーション・コントロールを考えなくてよくなる時はきっと来ません。
バックドアは常に用意されるものですが、それを開くのは互いの決定的惨事を回避する時で、安易に使うものでもないはず。
どんな考えを持っても自由だが「それ」は考えるだけにしておけ、「それ」を実行したらあなた終わるよ?と言い続けなければならない守るべき境界は確かにあり、それを越えた者には「終わり」が確約されることを示さねばならないし、踏み越えた者に実際に「終わり」を与える例がなければ、やった者勝ちの試みは減らないor増えるでしょう。
ビアスの「悪魔の辞典」では、「平和」を「国際関係において、二つの戦争の時期の間に介在する騙し合いの時期を指す」と定義していますよね。
ヒトはたぶん素晴らしい生き物でしょうが、ヒトゆえに信用しきらない方がいい。
信じるけど信じない、その塩梅が我々みんなにわかるなら、どれほどマシだったでしょうか。

 今日の記事の通りであれば、すなわち実力を失ったプーチンがロシアを統治できなくなるのであれば、大きな不安感が私には湧きおこりますね。他に誰がロシアを統治してゆくのでしょうか? メドベージェフなのか他の誰かなのか?

 プーチン亡き後のロシアが今のところ私には考えられません。

 二島返還でまとまるのかと思っていたのに、領土割譲を禁止する条項までが加えられたのはなぜでしょうか、プーチンの実力の低下なのだろうか、不可思議な事実ですね。

 プーチンがクリミアを取った後の、諸国によるロシアへの経済制裁が大きなファクターなのかと思われますね。ロシアにとって経済制裁は痛かった。

私は、トンデモナイ交換条件で、歯舞と色丹の二島だけを取り返すので精一杯だと思いますわ。国後と択捉は、戦争でブン取るしかありません。それが出来ないのなら諦めるしかない、あの時、無条件(もう煮るなり焼くなりして下さい)降伏をしたんだから。旧日本帝国の軍部と政府がヘマしやがった。自国民に自爆攻撃を事実上強制した手前もあって、今さら「参った、この辺りで手打ちをいたそう」と言えなくなってしまい、最後の最後まで逝ってしまった。特大の自縄自縛ですわ。

ロシア側から見れば、国後と択捉という大島を日本に返すメリットがない。米国にとっての沖縄のように、日本や太平洋(グアム等)への前線基地ともなり得るボーダーの島々です。

無人島ならまだしも、すでに日本人は追い払われ、善意の第三者的に大勢のロシアの人達が根を下ろしていますから。その住民から「ワシらの居住権はどうなるんじゃ?」と言われ、「そんなら1人アタマ10億円払います、文句ないでしょ」なんて言えません。「じゃ、オレには1000億円出してもらおうかい!」という輩が続出するからです。そうなるとロシア政府は、「なら、まとめて1000兆円でドヤ?」となるに決まってますわ。

戦争でブン取るしかないというのは、そういう意味ですし、ケンポー第9条を持ち非核の日本国にとっては、それは諦めるしかないということです。

四方を海に囲まれた島国の日本は、かつて元・高麗連合軍に攻め込まれた事があるくらい(神風が吹いて、海岸線で追っ払った)で、巨大な外敵から侵略されたことがない(大東亜戦争は、先ず日本が盧溝橋や真珠湾に仕掛けたもの)ので、私を含め多くの人が領土というものを軽く考えているキライがあるようです。が、大陸にあって陸続きだと、それこそ大昔から血で血を洗うようにして異民族と領地や領土をブン取り合いしてきたのが人類ですわ。「領土」という概念は、ロシア人にとってはタタール人からの激しい侵略から死守したものというのがあるハズで、日本人の万世一系の天皇陛下の治める土地というのとは、土地に対する執着心がケタ違いなんだと推測しますわ。それに心情的に、ノモンハンや満州帝国崩壊やシベリア抑留だけでは飽き足らず、日露戦争のリベンジを思っているに違いないですわ。

そう思うようになって、ウクライナのゴタゴタも「お互い、もっと仲良くすればいいのに、戦争はイカンよ、命はひとつなんだからね」なんて思ってた自分は、やっぱり平和ボケなんだと反省してますわ。

 「プーチンには二島返還の意思があったが、国内保守派の反発を抑えきれなかった」とか、「返還予定の二島には、米軍を近づけない約束をすれば実現した」、または「米政府からストップがかかった」などなど、保守論壇では様々に言われていました。
今や答えは出ていて、最初からプーチンに返還の意志などなかったのです。

安倍さんは強固な日米関係を背景にプーチンとの交渉に臨みましたが、プーチンはまさにその強固な日米関係にクサビを入れるための方策を取ったのだと思います。なので、安倍さんは騙されたことには違いないですが、致命的にもならなかった。
岸田さんはまだ「強固な日米関係」を築いたとは言えず、にもかかわらず米主導の対露経済へのお誘いは保留(共同 2/6現在)とか。大丈夫なのか、アホなのか。

2022.1.6 相模吾です。北方4島の帰属について悲観論が多いですね。現在のロシアの強気は今、始まったわけではない。この半世紀ずっと日本の要望を無視し続けたしたたかさがあります。プーチンさんがいなくなり、ロシアが経済的に困まるまで押すしかないと思います。それが領土を守ることではないでしょうか。
 私は前に3島返還で手打ちをと投稿しました。今でも変わりません。 ゴリポン先生の投稿は太田述正さんの北方4島は千島列島に含まれるというご意見に同調されていましたが、サンフランシスコ講和条約のフランス語正文のピリオドのあるなしで決めつけるのはおかしいなと思います。文法的には解釈が分かれるようですし、何よりも1875年の「千島・カラフト交換条約」中の日本の認識として千島列島から4島を除いた18島名をきちんと明記しています。サンフランシスコ講和条約はソ連が認めていませんから、その他の戦勝国が日本の言うとおりだ、といえば済む話。日本政府の認識がどうであったかは、吉田首相の4島は日本領。でおしまい。
とはいえ、現在のプーチンさんの強気は、習さんの影響だと思います。 厄介な隣人をもったものだ

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