NATOが「不拡大約束」を破ったから戦争になったという都市伝説
昨日はプーチンが言っている「NATO東進脅威」説が、ばかばかしい妄想だということを見てきました。
ま、ホントはだから他国に国境を乗り越えて侵略してよいということにはまったくならないのですが、それを言うと話がそこで終わってしまいますもんで。
プーチンの被害妄想は、大国は勢力圏を持つべきであり、大国と大国の間の国々はしょせん大国のチェスの駒にすぎないのだという19世紀的パワーゲーム観があります。
カビ臭い地政学ロジックですが、これがまだロシアでは、すくなくともプーチン党の中では脈々と生きているのは確かなようです。
まったく救いがたいアナクロで、大国が小国にアレコレ命じて当然、手下は服従して当然、という猿山のボス猿の如き感性をお持ちのようです。
ところが現実のウクライナ戦争では、米露の代理戦争どころか、勇敢な小国が大国の鼻ヅラを引き回し、仕掛けた大国のほうを衰退させてしまいました。
さて、もうひとつNATOがらみで、プーチンがネチネチと怨み節の如く言い続けていることがあります。
それは、「冷戦集結時に米欧はNATO不拡大をロシアに約束しただろう。裏切られた」というものです。
なんでも安倍氏とふたりきりの時になると、この愚痴とも怒りともつかない「ロシアは裏切られた」とぶつぶつ言っていたそうです。
この「不拡大約束説」も、わが国に浸透している説らしく、ロシアの侵略は致し方がなかった、どっちもどっちなどとという人たちが必ず口にする説です。
れいわ新選組(すごいネーミング)が、国会でのロシア非難決議に反対票を入れた理由がこれだったはずです。
結論から言えば、「不拡大約束」がされた事実はありません。
外交の世界の都市伝説のようなものにすぎません。
しかしプーチンはこれを固く信じており、2022年2月24日のウクライナ侵攻を始めるにあたっての演説でもこう言っています。
「NATOを1インチたりとも拡大しないという約束もあったが、彼らは我々を欺き、さらにはもてあそんだのだ」
(ブルームバーク2022年2月24日)
もちろんこれがウクライナ侵略の最大の動機とも思えませんが、それなりに自分では大義名分であると考えていることがわかります。
鶴岡路人氏が、この「不拡大約束説」に詳細な検証を加えています。
※『プーチンの主張する「NATO不拡大約束」は、なぜ無かったと言えるのか』
fsight 2022年3月2日
プーチンの主張する「NATO不拡大約束」は、なぜ無かったと言えるのか:鶴岡路人 | Foresight(フォーサイト) | 会員制国際情報サイト (fsight.jp)
不拡大約束説でかならず引き合いに出されるのが、1990年2月、モスクワを訪問したジェームズ・ベーカー米国務長官とミハイル・ゴルバチョフソ連共産党書記長との会談で、ベーカーが言ったという説です。
ベーカー・ゴルバチョフ会談 一番右側がベーカー
プーチンの主張する「NATO不拡大約束」は、なぜ無かったと言えるのか:鶴岡路人 | 記事 | 新潮社 Foresight(フォーサイト)
問題となったのはこの部分で、頻繁に切り取られました。
・ベーカー 「今すぐ回答を求めるわけではないが1つ質問をしたい。ドイツ統一が実現するとして、(1)NATOの枠の外で完全に独立して米軍部隊の存在しない統一ドイツがよいか(2)NATOとのつながりを維持したうえで、しかしNATOの管轄権や部隊は現在の境界から東には拡大しないとの保証のついた統一ドイツがよいか?」
・ゴルバチョフ 「全てについてじっくり考えたい。指導部において議論する。しかし、当然のことながら、NATOの領域が拡大することは受け入れられない」
・ベーカー 「その点については同意する」
この部分だけ取り出すと、確かにそう聞こえないではありません。
鶴岡氏は、この「同意する」という部分を切り取っても意味はわからないとしています。
当時の東西関係でなにが議論されていたか理解できないと、この発言の意味が理解できないし、歪曲も可能になってしまうからです。
実はこの発言はドイツ統一交渉のひとこまだったのであって、東欧全体について話されたものではないのです。
当時米国は、機運が盛り上がっていたドイツ統一問題を、ソ連が決して認めないだろうという前提で交渉しています。
ソ連からすれば、認めてしまえば、それは鉄の団結を誇ったワルシャワ条約機構の最前線国家を失い、共産陣営の崩壊に繋がりかねないからです。
また当時のソ連は、ドイツに対して一定の管理権をもつことを認められていました。
ですから、ベーカーは慎重なうえにも慎重に、この後の1990年9月に締結される「ドイツの最終的地位」を念頭に置いて交渉しています。
この条約は第5条3項にこうあります。
「外国部隊や核兵器、およびその運搬手段はドイツの同地域[旧東独地域]に駐留、展開されない」
これがNATO「不拡大」の中身です。「不拡大」は旧東ドイツ領と明示されています。
小川和久氏はこう述べています。
「 同盟条約の適用地域の一部には米軍を配備・展開しないことを、米国と同盟国が旧ソ連・ロシアに保障した例として、ドイツ最終規定条約(東西ドイツ、米ソ英仏の6か国で締結)の下記の条項を紹介した。
ドイツは1990年10月3日の再統一と同時に、米国を含むNATOの北大西洋条約を全領土に適用される一方、旧東独地域では現在に至るまで米軍が活動せず、1994年まではロシア軍が駐留していた」
(NEWSを疑え!』第727号(2018年11月19日)
ドイツ最終地位条約とは、ドイツ降伏、東西冷戦による分断を経て、ドイツ統一時にドイツ占領4カ国(米英露仏)と東西ドイツが結んだ、国境線などを確定した条約のことです。
ドイツ最終規定条約 - Wikipedia
この条文の中で、NATOは統一後のドイツ全土に対して適用される一方、米軍は旧東独地域には駐屯しないとされました。
これは米軍のみならず、外国軍すべての「展開」にまでおよんだもので、いうまでもなく、ロシア(当時ソ連)が無用な警戒心を起こすことに配慮したものです。
ちなみにこの枠組みを作ったのは、当時米国NSCソ連東欧部長(後に国務長官)のコンドリーザ・ライスです。
ブッシュ大統領(右端)とゴルバチョフ書記長の会談を準備中の コンドリーザ・ライス氏(中央、1990年9月9日、ヘルシンキ大統領宮殿
実はこのドイツ最終地位協定は生きていて、いまでも旧東ドイツ地域にNATO(外国)部隊は駐屯していないことでもわかるように、二人の間の「NATOの領域が拡大することは受け入れられない」 「その点については同意する」というやりとりは、東ドイツに対してだけ言ったものなのです。
ここを読み飛ばして一人歩きさせてしまい、旧ソ連圏全体にすり替えてしまったのが「不拡大約束説」です。
ね、都市伝説と私が言ったのがお分かりでしょう。
鶴岡氏は、「ドイツ統一交渉時のNATO不拡大約束については、すでに膨大な外交史研究が存在する」として、議論は外交文書の公開が進んで完全に決着がついたテーマにもかかわらず、ただ政治的に生き残っているだけだ、としています。
また、「ベーカーのような発言はあったものの、少なくとも文書化された合意は存在していない」ことは、ロシア側もわかっており、正式な外交議論には登場しないようです。
つまりプーチンひとりが国内向けに言っているだけのことなのです。
それを裏づけるように、交渉のソ連側代表だったゴルバチョフは回顧録の中でこのように述べています。
「「(NATO不拡大の)保証はもっぱらドイツ統一に関して与えられたものだった」
「旧東ドイツ領だけでなく、東方全体へのNATO不拡大問題を提起すべきだったのか。私は確信している。この問題を我々が提起するのは単に愚かなことだったであろう、と。なぜなら、当時はNATOだけでなく、まだワルシャワ条約機構も存在していたからである。あの当時こんなことを言っていたら、我々はもっと非難されていただろう」
「NATOの東方拡大のプロセスは、別の問題である」
はい、これで決定的ですね。
「不拡大約束」は東ドイツに対して向けられたもので、旧ソ連圏全体とは無関係なのです。
だめ押しですが、ロシアはNATOの「東方拡大」について手打ちをしています。
それが1997年5月のNATO・ロシア基本議定書で、1999年のチェコ、ハンガリー、ポーランドへの拡大の道を開きました。
2002年5月NATOとロシア間で締結された「ローマ宣言」は、2004年のバルト諸国等への拡大に道を開くものでした。
しかも「ローマ宣言」はプーチン政権が署名したものです。
「不拡大」が絶対的約束ならこんな条約を結ぶはずがありません。
在日ウクライナ大使館(@UKRinJPN)さん / Twitter
ウクライナに平和と独立を
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