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2022年4月23日 (土)

宜野湾くれない丸氏寄稿 照屋寛徳氏のこと

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                                                    照屋寛徳氏のこと
                                                                                 宜野湾くれない丸

衆議院議員の照屋寛徳氏が15日に亡くなられました(享年76)。
18日の告別式には保革を超え2000人の方々が訪れたとの報道がされております。
ご冥福をお祈り申し上げます。合掌。

ここ数日「ウチナーの未来はウチナンチュが決める!」という言葉が(こっちの)メデァイで流れてます。
寛徳さんは、国政選挙のたびごとにこの言葉をキャッチフレーズとして繰り返し発言してました。
でも私はこのフレーズを聞くたびに何だか違和感を感じてました。

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【評伝・照屋寛徳さん】護憲と平和を論じたウチナー政治家 沖縄の指標、示し続けた - 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報・情報サイト (ryukyushimpo.jp)

いつ頃からこのフレーズを耳にしたのかは記憶は定かでありませんが、いつぞや、選挙期間中に寛徳さんの選挙事務所へ電話を入れて質問をしたことがありました。
「僕は2区の有権者で奄美出身なんですが、寛徳さんの言うウチナンチュとは誰のことなんでしょうか?そしてそれはどんな定義でしょうか?」と。
今にして思えば、なんだかポリコレ的な感じですが、自分としてはそんな刺々しい気持ちは全くなく、純粋に「どう考えているのだろう?」というものからでした。

国政の場であれほど政権与党へ対して鋭い質問をしている寛徳さんですので、このフレーズにも寛徳さんなりの意味と思いがあるのではなかろうかと。
あるいはただ単にキャッチフレーズなだけなのかもしれない。いずれにせよ本意を確認したかったのです。
事務所の人は面倒くさいな~、と思ってたかもしれませんが、私(有権者)としては候補者はどう認識しているのか?を知りたかったからなのです。
選挙のたびごとに問い合わせをしました。まずまず納得のいく返答は一度ももらえたことはありませんでした。
ましてやそっけない対応をされたこともありました。そんなこともあって、寛徳さん自身のホームページへ問い合わせメールをしたり、事務所へハガキでお問合せをしたこともありますが、返信は全くありませんでした。
なんだかガッカリした憶えがあります。

「僕は奄美大島生まれ育ちで、つまり出身は鹿児島県なんです。両親も奄美出身です。生粋の奄美です。で、在沖数十年になります。僕は沖縄の人たちのことを身近に、親戚とでもいうか、そんな風に感じてます。
寛徳さん事務所としては僕はウチナンチュのカテゴリーに入っているんでしょうか?僕にはウチナーの未来を語る事は、決めることは出来るのでしょうか?そうでは無いのでしょうか?」
とまぁ、こんな意地悪な言い方をしたこともありました。

その時電話口で対応された選挙事務所の方は、返答に困ってました。候補者のキャッチフレーズに使う言葉の意味を有権者から問われて、その問いに満足な返答を言えない選挙事務所のスタッフ・・・とは?
更に「なんだか私はこの言葉に『排他的』な印象を受けます」とも伝えました。
何も嫌がらせをしようとは思ってませんが、それまで選挙のたびごとに同じ問い合わせをしているのだから、少しくらいは有権者の言葉に耳を傾けてもいいのでは?という気持ちがありました。

「寛徳さんの所属する政党は、多様性の尊重を積極的に発信されてます。であるならば何故・・・」と、そこまでは言いませんでしたが、そんな思いが渦をまいてました。
「寛徳さんは、自身の言うウチナンチュの定義も有権者へ示さず」に、何年もこのフレーズを使い続ける。
私からのこのような「問い合わせ」は寛徳さん自身へ伝わっているのだろうか?
少なくとも事務所としては「問題意識」していないことが分かりました。
熱くも鋭い気骨な寛徳さんの国会答弁などを見ていると、再びガッカリした記憶があります。
ここ最近では党大会席上で「福島瑞穂党首批判」をする寛徳さんのニュース映像を目にすることがありました。
なんだかため息が出ました。批判するのはいいけれど、「それ、遅すぎるんじゃない?・・・」。

あるとき知人のSNS記事にこう書かれているのを目にしました。
「このキャッチフレーズは、これは対抗馬へ対してのものであろう」と。
あー、そうか、そうか成る程、成る程ね。ストーンと腑に落ちました。
「『東京の未来は江戸っ子が決める』と言ってるようなもんだ」という事も書かれてました。
なんだか安い代理店の付け焼刃的な仕事の匂いがしました。そしてそれに踊らされる我々有権者。
今度は思わず苦笑してしまいました。

沖縄は来月15日本土復帰50周年を迎えます。
同郷の先輩が彼のFB上に「奄美群島が本土へ復帰した後の沖縄県内における奄美出身者へ対しての蔑視(差別)」記事をUPしてました。復帰50年を祝うと同時にこのようなことがあった事実も改めて認識を共有せねば、と。
そのようなことをしっかりと認識共有しているのであれば、上記のようなフレーズとはまた違う言葉でアピールしているんじゃないのか?と感じてます。
あのフレーズはあくまで選挙選での「対抗馬」を意識した言葉であって、決して「有権者を前向きにする言葉」ではないと私は感じてます。
もっと言えば「煽り言葉」です。まぁ、選挙でとかく使われるネガキャン的なフレーズと見ればそれまでですが、何だかもっと「将来へ向けたワクワクする言葉」みたいなものはなかったのか・・・・
何も目くじらをたてて言うわけでもないのですが、今は少し残念な気持ちがしております。

この辺に沖縄社会の根底に渦巻くひとつの問題があるのかもしれません。
世代としての問題であるのかもしれません。

ちなみに私は「本籍は奄美、住民票は沖縄、国籍は日本人」という帰属で、意識としては「奄美」が一番強いです。

                                                                                                                     (了)

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コメント

沖縄へ移住して来られた方々の中には、所謂「オール沖縄」側に共感している人や具体的に活動協力している人もけっこういるのに、「ウチナーンチュが決める」って言い草…と微苦笑した思い出。
自分らと考えが同じでも違っていても、県外から沖縄に来て住民票は移さずに行政サービスを享受し続ける人じゃないなら、大事な県民であるのは当然なはずなんですがねぇ。
私のお友達のひとりに、本土から来られて20年以上、お付き合いも同じくらいになる方があります。
「有難いことに仕事も順調で、県にそこそこの納税もしてるけど、俺には権利はまわって来ないみたいね」と、選挙のたびに彼はいたずらっぽく笑い飛ばします。もちろん普通に投票に行きます。
移住者の有権者で反基地活動をする人々からこれまで、「ウチナーンチュが決める」と言われて、大きな反発があった話も聞きません。
誰にどういうことが刺さるのを想定してのフレーズなんだか。
「ウチナーンチュ」の定義を示さない、誰に向けた言葉なのかも曖昧な「ウチナーの未来はウチナーンチュが決める」は、何かいっているようで何もいっていないと、ずっと私は判断しておりまする。
それが照屋寛徳氏の人柄や実績を否定することはない、それは書くまでもないのですが、書いとかないと直情的に怒る人もあるので。
合掌。

島社会で「物事をはっきりさせるために詰める」ようなことは避ける生活の知恵は必要ですが、いつでもなんでも流し過ぎると、個人の能力や生活から地域や国の安全保障まで危機に繋がることもあり得ますから、とりあえずいろいろ流さないで考えてから決める、です。
流していいことと流しちゃマズいことを嗅ぎ分ける力って、場数を踏まないと身に付かないですものね。

A「それぞれの立場で沖縄の事を親身に考えてくれる人はみなウチナーンチュ」
B「それなら政府も政府の立場で沖縄の事を考えてくれてるんじゃないの?」
A「県内在住者のみで…」
B「県外在住者や2世3世はのけ者って事ですね、世界のウチナーンチュとかイベントやってるのに」

てな感じでややこしい事になりますねw
ハッキリと「沖縄の有権者が決める」と言えばいいだけの話なのですが。

エンタメやスポーツ、個人的なプライドとして帰属意識を持つ事は悪い事では無いとは思いますが、沖縄の場合これを政治に持ち込んで自分らに都合の悪い踏み込んだ事は考えさせないという悪い方向へ利用しているケースが多々見られるのが残念ですね。

 ウチナーンチュとか言っても、私は一度もそんな帰属意識を持ったことはないですね。私らはミヤコンチュであって、ウチナーンチュではありません。 断固として。(笑) 
くれない丸さんが「俺は奄美人」と言うが如しです。

ウチナーの未来もミヤコンチュの未来もすべて当事者が決められるワケではなく、日本の中のウチナー、アジアの中のミヤコンチュ、世界の中のウチナーでありミヤコンチュです。
自ら決められることと、そうでない事の区別は必要です。

「ウチナーの事はウチナーで決める」と言った寛徳さんのフレーズは、沖縄県民の劣情を引き出すためのプロパガンダであって、首里人の傲慢に過ぎません。
排外主義とか人種差別をことさら忌み嫌った寛徳さんが、ウチナー利権を言い募ったのは矛盾でしかありません。

その首里人にしろ、琉球王権の源流は九州熊本の名和氏にあり、第一尚氏以前は奄美群島の喜界島が琉球弧における政治・文化的な中心地でした。
そもそも今の沖縄県民は平安時代頃に移住してきた九州の人々が祖で、琉球人という固有の種などは元々なく、何らかの「固有の元祖」みたいなものもないですね。

その九州でさえも、7500年前の喜界カルデラの大噴火で琉球諸島もろともいったん無人化していて、つまり琉球においての港川人もピンザアブ原人も今の沖縄県人の祖先ではありません。
沖縄県人に縄文人のDNAが多いのは辺境で閉ざされた環境によるのであって、原日本人のDNAが固守されてきた結果。
しかし、その後のミクロネシア系や少数の台湾・中華系も入り混じった混交が今の沖縄県人と思います。

ところで、くれない丸さんの美点は、ガンガン代議士の事務所に電話して聞く事ですね。実は私もそうしています。
主権者である私らの声をちゃんと届けるという事、それが保守派人士には絶対的に足りない部分だと思うのです。
なじみのうるさ型になる事によって、けっこう巷に出ない情報も採取出来たりしますから一石二鳥です。

難しいことはわかりません。
沖縄のマスコミは何かあると、沖縄対ヤマトの対立構造を作りますね。
もうそれは、薩摩の琉球侵攻から明治の廃藩置県。米軍統治、現在に至る辺野古移設問題まで、沖縄対ヤマトの沖縄差別に誘導します。
オール沖縄がそうであったように、それが県民には受け入れやすい。
良く歴史を勉強すれば、沖縄差別などなかったのにです。
差別があるのなら、それに洗脳された人たちの心の中にあります。
多くの沖縄出身者が、サラリーマンとして、芸能界でスポーツの世界で活躍しています。そこには何の制約も差別もありません。
沖縄のマスコミは、仲井真知事が辺野古移設を決断したとき、沖縄の心を金で売った裏切り者と、最大限の罵詈雑言を浴びせました。
そのくせ、沖縄振興予算が減額されると沖縄差別という。
沖縄のマスコミにも聞いてみたいですね。
沖縄の心って何ですかと。


沖縄をテーマにした記事がでるとよくあることなのですが、また荒らしコメントが入りました。
くさない丸さんの記事は無視して、山路氏のコメントのある言い方がきにくわなかったようで、そこに突っかかって想像をたくましくしています。誹謗するしても内容がなさすぎます。

内容があるものなら議論の余地があるでしょうが、議論する中身が欠落して、あるのは山路氏への侮辱だけででは話になりませんから、承認しませんでした。
このようなものを許すと、どんどんとコメント欄の空気が悪くなります。

改めて書きおきますが、コメントにおいて侮辱的言論は承認されません。ただし公人は除きます。

コメントの数々ありがとうございます。

疑問があって、それを当事者(事務所)へ問い合わせたが、何だか的を得ないはぐらかせ的な答えだったので、何度も同じような質問をした、、、それだけのことです。でも、これって有権者をそこそこ蔑ろにしてると私は思ったわけです。「無視された」と言ってもいいかもしれません(被害者目線でみると)。

何で「無視される(た)んだろう?」
「有権者」の私としては、なんだか「おかしいよねー」と感じているんです。
「清き一票」をもつ私としては、「素朴な一言」をぼやいているわけです。

そう言えば、喜界島城久遺跡群のこと、これもあんまり話題にもならなかったですね。山路さんのコメント読んで思い出しました。

 私の感覚では、沖縄人も奄美人も相当に似ております。小学時代には奄美の出身者がクラスに何名もおりましたし、皆仲は良かったですよ。講和後、多くの友人が沖縄から去りました。これらは、懐かしい思いでとなっております。

 性格の違いは出身地で大方決まるだろうと思いますよ。政治家がうちなーんちゅと言うとき、奄美人はどうなんだと詰問するのは正当だと思います。しかし、強く言いすぎると煩く思われるでしょうし、これは難しいことでしょう。

 さて、照屋寛徳さんのことですが、彼とは琉大時代の同期です。学生時代から政治活動をしており、彼の支持者は多かったですよ。色々と不祥事や辛いことも多かったと思いますが、結構頑張ったと今は評価はしたいと思います。高い識見があった政治家とは必ずしも言えず、沖縄の出身の政治家として名が残る程度の方でしょう。

 もっと大きな政治家が望まれます。これを私は我那覇真子さんだと言いたいのです。前途遼遠と今は思われるでしょうが、この方の成長を私は期待しているんです。

宜野湾くれない丸さんの寄稿はいつも沖縄の深部に淀む問題に迫るものだと感じます。沖縄二紙などがういうウチナーは沖縄本島、とりわけ無意識ながらサムレー意識が根底に根付いている人々の感覚ではないかと感じています。

沖縄市長選、現職無事当確出ました

宜野湾くれない丸さんの寄稿文も、いつも考えさせられる内容です。

沖縄関連の選挙の度に思うのですは、うちなんちゅーとかの、しまぐゎ~の縄張り意識の強い言葉は使ってほしくないなということです。
言うならば、沖縄県のことは沖縄県民が決める!ですよね。

寄稿文から外れますが、
山路さんのコメでの、喜界島の話はちょっと目からウロコでした。
あとで調べてみなくてはいかんと思いました。

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