ロシアの「特別な一発」
訪欧した岸田首相が、バチカンの主である教皇と面談したそうです。
なにをしにと思ったのですが、どうも法王庁が核兵器使用についてアピールを出したかったようです。
「そのうえで「教皇の平和へのメッセージと『核兵器のない世界』へのメッセージは、多くの日本国民の心に深く刻まれた。被爆地・広島出身の総理大臣として『核兵器のない世界』に向け、バチカンと協力したい」と述べ、両氏は、核兵器のない世界の実現など、人類共通の諸課題に対応するため協力を進めることを確認しました」
(NHK5月4日)
岸田首相 ローマ教皇と会談 核兵器なき世界実現へ協力確認 | NHK
岸田氏が言っているのは毒にもクスリにもならない一般的核廃絶論にすぎませんが、教皇はヨーロッパで核戦争が近づいていることに警鐘を鳴らしたかったようです。
教皇の危惧には根拠があります。
プーチンはまたもや核兵器の使用をほのめかしました。
TBS
「ウクライナ侵攻をめぐりロシアのプーチン大統領は、外部からの干渉が脅威となれば、「反撃は電光石火で行う」と欧米を強くけん制しました。
ロシア プーチン大統領「我々にとって受け入れがたい戦略的脅威を作り出すなら、反撃は『電光石火』で行われると認識すべきだ」
プーチン大統領は27日こう述べたうえで、反撃のための「手段はすべてそろっている。誰もが持っていないものもある」と述べました。核兵器の使用も辞さないことを示唆したもので、ウクライナへの軍事支援を拡大させる欧米を強くけん制した形です」
(TBS4月28日)
いつもどおりのヤクザまがいの脅迫的台詞ですが、気色が悪いのは、「我々にとって受け入れがたい戦略的脅威を作り出すなら、反撃は『電光石火』で行われると認識すべきだ。反撃のための「手段はすべてそろっている。誰もが持っていないものもある」と言ったことです。
日本が同じ台詞を言っても、それはアニメかねといわれそうですが、ロシアは違います。
彼らが「誰もが持っていないもの」と凄む時には、エネルギーと核兵器を武器にするという意味と考えられています。
核兵器を政治的脅迫の神経戦に持ち出す国は、世界ひろしといえど北朝鮮とロシアしかありません。
ウクライナ戦争が始まってからも、ロシアは核の恐怖を煽ってきました。
侵攻からわずか4日目に、プーチンは戦略核抑止部隊に「特別態勢」への移行を命令して、世界を驚かせました。
その理由は、米国やNATOの介入阻止ですが、その目論見は見事に当たり、米英とNATO諸国は直接軍事支援に躊躇するようになります。
もっとも支援に積極的だった英国すら、ウクライナ上空を飛行禁止空域にすることを拒んでいます。
直接のロシアとの戦闘が、限定核戦争に発展する危険があるからですが、プーチンは見事にその意図を達成したわけです。
小泉悠氏によれば、ロシアは限定核戦争の軍事思想を持っています。
それが国防次官だったアンドレイ・ココーシンの核による「エスカレーション抑止」です。
「ロシアは弱いからこそ、核兵器を有効に活用しなければならない――軍事力縮小の担保として、核によるエスカレーション抑止の概念は登場したのです。(略)
劣勢が補いきれない場合はどうするか。2つ目の案が、前述のエスカレーション抑止です。戦争に負けそうになったら、1発だけ限定的に核を使用する。その核の警告によって相手に戦争の継続を諦めさせる、あるいは、ロシアにとって受け入れ可能な条件で戦争を停止させることができると考えたのです」
(小泉悠 『徹底分析 プーチンの軍事戦略』 月刊文藝春秋5月号)
戦争になって劣勢になったら1発だけ核を使って形勢を逆転する、あるいは有利な条件で講和を結ぶ、まさに今のロシアが置かれた軍事的状況そのものです。
ココーシン自身の考えはむしろ受け身で、あくまでもソ連崩壊直後の弱体化したロシア軍が置かれた状況に則して展開しています。
しかしこれは相互確証破壊という核戦争のセオリを一歩抜け出して、核の先制使用を構想するものでした。
しかし超大国として蘇った(とプーチンは思っている)現在のロシアが、安易に用いてよい軍事思想ではありません。
ロシア軍部もそれを分かっていて、ココーシン理論について口を濁してきました。
しかし、プーチンはこの間再三に渡って、核の先制使用を口にしています。
西側は、このプーチンの核を用いた脅迫を、限定的核兵器使用を示唆したものだと受け取りました。
法王の憂鬱はここから来ています。
さてこの2カ月間、ウクライナ戦争を追跡してきましたが、この戦争はきわめて「政治的」な戦争です。
ロシアはこの戦争を政治的動機で構想し、政治的な干渉を受けて軍事戦略が決定され、軍事指揮まで政治が介入し、それが故今や戦線は膠着し勝機を失いかかっています。
今のロシア軍の苦戦は政治的に強いられたからです。
たとえば、どうしてロシア軍はわずか19万という少ない兵力で侵攻を開始したのでしょうか。
19万とは、ウクライナ軍の陸上兵力とほぼ互角で、攻勢側3倍原則に則れば50万は欲しいところです。
しかもその少ない兵力を東部2州に集中させずに、ベラルーシから南下するキーウ包囲軍と、クリミア半島から東へ進軍する南部軍に三分割してしまいました。
結果として、戦線は徒に伸びきり、まるでガダルカナルからアリューシャン列島、中国まで戦線を拡大したために兵站が破綻した大戦中の日本軍のように、ロシア兵に飢餓すら発生しました。
腹を減らした兵隊たちは民家や商店を襲い、やがてそれが組織化し兵隊マフィアと化し、彼らは人外魔境へと堕ちて行きました。
これが昨日見た、ロシア軍の規律と士気の深刻な崩壊現象です。
この理由は、プーチンが軍事作戦に干渉したからです。
小泉氏はこのように述べています。
「今回の戦争は、政治の介入を受けていることが想像されます。
おそらく軍人の意見に対してろくに耳を傾けず、プーチンがトップダウンで始めたものの、予想外の苦戦にとまどっている。国家指導者が現場にあれこれと口出しして、軍事作戦にいい結果が出た例しはありません。
独ソ戦でドイツが赤軍に敗れたのは、ヒトラーが作戦に口を出し、軍人たちの反対にもかかわらず、兵力を分散させ、時間を浪費したためでした。プーチンはヒトラーの二の舞を演じているようにも見えます」
(小泉悠前掲)
小泉氏は、プーチンの「歴史好き」が禍して、ウクライナとロシアを同族視するあまり、ウクライナを侮っていたこと、クリミア簒奪があまりにも簡単に成功してしまったことに気をよくして、二匹目のドジョウを狙ったと見ています。
あまりにも簡単にクリミアを手にしたことが、プーチンの思考を狂わせてしまったようです。
プーチンはこの成功で一躍民族の英雄にのし上がり、磐石の独裁体制を固めたのですが、この万能感こそが罠でした。
スパイ出身で軍事的知識に乏しく、軍隊経験もないのに軍事作戦にクチバシを突っ込み、ゴマスリの制服組だけを周辺に置くスタイルが、プーチン流となっていきます。
プーチンによく似た指導スタイルをとった指導者は、ヒトラーです。
悪意のレッテル貼りでそう言っているのではなく、国軍との関係が酷似おり、その失敗をトレースしているからです。
素人のプーチンに反対できない軍事官僚たちは、言うなりになったあげく失敗に失敗を重ねていくことになります。
プーチン大統領の側近たち この戦争はどういう顔ぶれが遂行しているのか - BBCニュース
今やプーチンとロシア軍は、進みたくとも進めず、退きたくとも退けない状況に立ち至ってしまいました。
進めば、戦死者はたちまち2万人台に登り(すでに達しているかもしれませんが)、それは世論の厭戦気分を駆り立てるでしょう。
また退けば、それはプーチンの独裁者の終了を意味します。
また長期持久戦に持ちこもうとしても、それは西側の経済制裁が更に効き、部品を国産化できないロシアの貧弱な製造業は、なにも作れなくなる日が近いのは、ロシア中銀総裁が忠告するように目に見えています。
ひとことで言うなら、打つ手なしです。
理性的な指導者ならば、ここで和平交渉をして、わずかの占領地を確保することで満足するでしょうが、100か0の答えしか持たないこの男は「最後の勝利」まで戦おうとしています。
今、折から戦われようとしているドンバス会戦で勝利をつかめばよし、さもなくば、「最後の勝利」を手にするためには核兵器のボタンに手を伸ばすこともありえる、そうプーチンが考えていたとしてもなんの不思議もありません。
小泉氏はこのように述べています。
「このような膠着状態の中、ロシアが「エスカレーション抑止」と呼ばれる核戦略を取るのではないかとにわかに注目を集めています。エスカレーション抑止は一般的に、次の2つの考え方があります。
(1) 進行中の紛争においてロシアが劣勢に陥った場合、敵に対して限定された規模の核攻撃をおこなって、自身に有利な形で戦闘の停止を強要する。
(2) 進行中の紛争ないし勃発が予期される紛争に、米国などの第三国が関与してくることを阻止するために同様の攻撃をおこなう。
実際のウクライナでの戦況を見ると、ハリコフやマリウポリでは民間人への無差別攻撃がおこなわれ、子供も含めた多くの命が失われている。国民の死に対しては麻痺状態であり、生半可な脅しをかけるくらいでは、事態は打開できないわけです。ロシアが仕掛ける核攻撃は、ウクライナ軍や政府の士気を一気に挫くような、特別な一発でなければなりません」
(小泉前掲)
米国やNATOは、プーチンが核のカードを切る可能性がきわめて高まったと考えています。
ほかに今の袋小路から逃れるすべがないからです。
侵攻をしなければ落し所は数多くあったはずです。
両者不満でも、ミンスク合意に戻ることで折り合えば、戦争は回避可能でした。
何度も書いていますが、プーチンの戦争理由はことごとくいいがかりで、やる必要がない戦争だったからです。
しなくていい戦争を始めたプーチン: 農と島のありんくりん (cocolog-nifty.com)
引き返し可能地点はいくらでもあったのにかかわらず、あえて戦争の道を選び、戦争の拡大に突っ走り、そしていまや戦線を膠着させました。
まったくヘルプレスです。
ブチャなどの大虐殺が発覚した以上、(しかもこれはロシアがしでかした残虐行為のほんの一角にすぎませんが)、ウクライナと自由主義陣営は決してプーチンを許すことはないでしょう。
細い糸のような解決は、ゼレンスキーとプーチンが直接会談することで講和の道を探ることですが、現時点でその可能性は限りなく少ないでしょう。
ただしゼレンスキーは、プーチンが核攻撃することを予想していますから、直接会談には前向きのようです。
では、仮にプーチンが核を使うことを決断した場合、どのようなシナリオがあるでしょうか。
小泉氏は、いくつかのシナリオを提示していますので、参考にしつつ整理しておきます。
私は、これをプーチンの精神状況の段階で考えてみたいと思います。
・シナリオ1・最悪ケース。完全に狂気に陥っている状態。
・シナリオ2・中程度のケース。半ば狂っているが、完全に狂気とはいいがたい中間の状態。
・シナリオ3・理性が残されており、幕僚のアドバイス聞くことができるていどの精神状態。
長くなりましたので、次回に続けます。
ウクライナに平和と独立を
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不思議なのは、我々のような銃も持ったことない正に「ド素人」ですら、
「防御側と同数の兵数で攻め込むのは愚策」「戦力の逐次投入は愚策」「多正面作戦は愚策」「補給路を伸び切らせるのは愚策」「補給線を無防備に敵の目に晒すのは愚策」と知っているし、理屈も何となく分かっているのに、
何故プーチンは、それを理解してない(ような動きをする)のでしょうね。古くは世界中の故事から(横山光輝の三国志で、孔明が補給線を寸断して敵を追い返すシーンを何度も見たな…)、近くは先の大戦の日本軍まで、いくらでも教訓はあるのに。
投稿: ねこねこ | 2022年5月 6日 (金) 09時44分
ゼレンスキーが求めた飛行禁止区域の設定をNATO側が思い止めたのが、プーチンの核兵器使用の脅しだったと言って良いかと。
すると、今回の欧米側の見解として「プーチンの口先だけの脅しにはのらない」との統一的な意思を重要に思いたいところです。
ただし、ロシアの劣勢は西側の火器が届くほどにあきらかになってきて、ベラルーシもカザフも参戦を拒んでいる現在はCSTOなんぞも、まるで意味を成さない同盟です。
逆に劣勢になって士気も下がり、孤立化しつつあるからこそ核を使う脅威が高まっているという現在地です。
2016年のシュミレーションでオバマ政権はロシアが核使用した場合、ベラルーシに核報復するとしました。
バイデン政権や民主党は「第三次世界大戦は絶対避けなければならない」とのメッセージを発していて、わざわざかような事を言う事自体がプーチンをつけあがらせる事につながったと思います。
加えてトランプ政権では旺盛な軍事費増と核開発も盛んにおこなわれていて、それをバイデンは中止させた。
結果として現在米・露の核保有のバランスが崩れている事がプーチンの強気の原因で、プーチンをして「西側からの核報復はない」とする確信を持つに至ったワケです。だからこそ、堂々とウクライナを核で脅している。
欧米は「プーチンは核使用しないだろう」という見通しは述べますが、「使用したら、どうする、こうする」の発信が一切ないです。
ウクライナ向けの武器供給を制限する事にでもなりはしないかと、気が気ではありません。
投稿: 山路 敬介(宮古) | 2022年5月 6日 (金) 16時29分