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2022年6月29日 (水)

皆様、温かいお言葉をありがとうございました

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皆さま。ご丁寧な弔辞、ありがとうございます。
無事に火葬を済ませることが出来ました。
亡き母も、皆様の温かいお言葉を喜んでいます。

さて、喪主という立場は涙することが許されません。
個人の哀しみより、その立場が重いからです。
しかし考えてみれば、恐ろしいばかりの多忙の中に立たされているから、救われているのかもしれません。

母と私は決して平坦な関係ではありませんでした。
時には、理不尽なほど母を憎んだ時期すらあります。
しかし今、こうして白磁の壺に納まった母を抱いて帰郷すると、その軽さに胸を絞られる思いです。
哀しみは、これからやってくるのかもしれません。
火葬までの時期は、この哀しみの緩衝の時間だったのでしょう。

享年98歳。天寿でした。
医師からなんて根性がある人だと驚嘆されたことは、私にとっても誇りです。


                     母の旅立ちから2日たって
                                                            ブログ主

まだ雑用が山ほど残っておりますので、更新再開は今少しお待ち下さい。

 

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コメント

毎日の激しく厳しいブログ記事のなか、突然のご葬儀も無事済まされ、
本当にお疲れ様でした。
一息ついて、ほっとなされたことと思います。
先日の、皆さまのお悔やみのコメントのなか、浮き上がったような、
勝手違いなことを書いてしまって、申し訳ない気持ちがしていました。
本日の写真も先日にひき続き、凛として、気品あふれる蓮の花、
私は、蓮の本物を見る機会は、あまりありませんが、睡蓮は、毎日、
ボランティアの水かけの花壇のなかで、挨拶して、ともだちです。
蓮も睡蓮も、その気品の漂いが、花一輪だけであっても、抜群です。
本日の写真絵も、又、ため息の出るような、気高さ。              
 一輪にて 数輪におよぶ道理なれば、・・数少なきは 心深し。
                        ⁂ 池坊…伝書[生花巻]。

プロ野球の、亡くなられた野村克也監督が、
番組で自分の母親のことを語られるとき、
いつも涙が抑えられない姿が、印象に残っています。
母親との思いは、子にとって、皆、それぞれの感があるのですね、
    ・・母親談義・・
わたしの母親は、小学校しか出ていないなかったけど、りっぱごとや、
おしえごと言わず、ただ、そこにいるだけで、わたしの師であった。
私に、いつも身近な温もりで、私の(同じ)時代を一緒に生きてくれた。
最後の数年間は、私が母のお茶飲み友達として、しあわせな時間が
過ごせた。私は、私の母の子として生まれたことのしあわせに、
素直に感謝です。マザコンでも、なんでも、いいのです。
(写真の中にあっても・・)、わたしには、今でも、生きて輝く命の光。

ご苦労様でした。
やはり忙しくて悲しむ暇は無いんですね。
私が26歳の時に父が急死しまして、若い故に葬儀など何も分からず、あれよあれよという間に時間が過ぎたように思います。
ひと通り片付くと悲しみが込み上げてきました。

まだまだ大変かと思いますが、猛暑でもありますし、お身体に充分配慮されますようお願います。

今日は私の母の命日です。蒸し暑い日でした。昨夜は観測史上最速の梅雨明けで今年初の熱帯夜で色々と思い出しました。
生前はやはり色々ありましたね。本気でぶっ殺したいと思ったことも。
でもやはり良い母親でした。大好きでした。

ド田舎の良家出身の几帳面できれい好き過ぎで、愛読書は瀬戸内寂聴(源氏物語の初版本がありました)や古典小説で、あとは暮らしの手帖は初号から全部ありました(没後に私立図書館に寄贈)。
健康オタクなところもあり洗剤や食品添加物には敏感で、好き嫌いの多い息子にも幼少時からMILO飲ませたり。自らもなんかお高い健康食品摂取したり、毎年ガン検診も受けてたんですが···パート先(官公庁です)をきっちり定年まで務めて退職後は自由気ままになった直後に、どうにもお腹の調子がずっと悪いと検査入院したら末期の転移ガンで手遅れ。手術後も入退院を繰り返して63才で亡くなりました。

葬式と火葬とお寺さんや親戚とのやり取りをしながら気持ちがついて行かないというか、どうにも実感が無いままにオートマチックに勝手に事が進む感じでした。

あ、もう母さんいないんだ···という現実がガックリと来るのはしばらくしてからです。
マジで鬱と不眠症を発症して病院に行きましたよ。今でも睡眠薬は処方を受けています。

今年は100年に一度の暑い夏だそうで···管理人さんが心配です。身体的にもメンタル的にも、ツライ時にツライと言える人と一緒にいて下さい。無理だけはしないで(とは言っても既に無理な負荷が掛かってる状況かと)下さい!

謹んでお悔やみ申し上げます。
喪主は本当にやることが多いし、周りに気遣いしながら大変だと思います。
亡くなられたお母様の思い出を胸に感謝の気持ちを伝えてあげてください。

我が家は昨夏に義母が他界し、コロナ禍の最中、見舞いも臨終も立ち会えず義父と夫義弟の3人のみによる略式葬でした。
お見送りが十分にできていないとまるで置いて行かれたような、供養が少なくて申し訳ないような、そして孫達には実感のわかない、そんな一年を過ごして来月一周忌を迎えます。
残された義父は「一周忌までちゃんと仏事をやりきるよう生きる」を口にしながら、一年かけて少しずつ本来の生気を取り戻しつつあるように見えます。
納骨や片付けなど、一つあるごとにガクンと疲れが出たりしますから、お身体たいせつに。
更新も不規則になろうとこちらはずっと朝開いて読み返したりいたしますから、無事に夏を乗り切りましょう!

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