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2022年7月25日 (月)

My Friend, Abe San

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まわりにひとりくらいいませんか、なんにでも意見を言う人。
「私はこう思う」「私はここが違うと思う」、そして「あなたはこうすべきだ」と、頼まれてもいないお節介を垂れます。
なぜか断定口調で、決めつけます。
一種のナルシズムなのでしょうか。
この人たちはいつも怒っており、自分が糾弾する側にいつもいるのが当然だと信じて疑いません。
もっとも声高に言うわりに、誰も聞いてはいませんが。
ノイジーで神経をいらだたせるからでしょう。

あえて誰がとは申しませんが、今回の元首相の非業の死に対してもまた同じようなことをやっています。
私たちには静かに哀悼する権利はないのでしょうか。
あなたがたにそれを妨害する権利を誰が与えたのですか。

国葬に反対というならそれもけっこう。
出席したくないというのもけっこう。
弔いたくない、唾を吐きかけたいというのもけっこう。
ただし、国葬の場に押しかけて、世界の弔問客の前で聞き苦しいシュプレッヒコールなどしないように。
そして国葬に過半数の国民が賛成している事実を素直に受け止めて、静かにやるように。
そのていどの節度は持ちなさい。

いまは喪に服する時です。
静かに亡くなられた方に思いを致すときであって、政治主張をわめく時期ではないのですから。

亡き安倍氏にたむける心打つ弔辞がありましたので、ご紹介します。
このような心がこもった弔辞が海外から寄せられる一方、メディアに踊らされて、カルト宗教狩りと山上同情論ばかりに偏った日本の世相をうとましくかんじます。

こういった殺伐とした日本の空気とはちがって、インド首相のモディ氏から友情のこもった弔辞をいただいております。
訳出された高橋克己氏に感謝いたします。

モディ首相の「My Friend, Abe San」:安倍さんへの最大級の賛辞 | アゴラ 言論プラットフォーム (agora-web.jp)

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安倍元首相がインドにこれだけ愛された3つの理由  Wedge ONLINE(ウェッジ・オンライン) (ismedia.jp)

My Friend, Abe San

Narendra Modi 2022年7月8日19:27 IST

Shinzo Abe-日本の優れたリーダーであり、世界的な政治家として聳え立つ、日印友好の偉大な擁護者(champion)-はもう私たちの前にはいないのです。日本と世界は偉大な先見性を持つ人(visionary)を失いました。そして、私も親愛なる友人を失いました。

私が彼に初めて会ったのは、2007年、グジャラート州首相として来日した時でした。爾来、私たちの友情は、肩書の虚飾(trappings of office)や公的な儀礼の枠(shackles of official protocol)を超えたものとなりました。京都の東寺訪問、新幹線の旅、アーメダバードのサバルマティ・アシュラム*訪問、カシのガンガー・アラティ**、東京での入念な茶会など、私たちの記憶に残る交流は数限りない。そして山梨の富士山麓のひっそり閑たる(nestled)ご実家にお招き戴いたこの上ない光栄(singular honour)を、私はずっと大切に思っています。
*グジャラート州にあるガンジー「塩の行進」の発地 **ヒンズー教の儀式

2007年から2012年まで、そして2020年以降、彼が総理大臣でなくなっても、私たちの絆(personal bond)は変わらず強いままでした。Abe Sanとの会合は毎回、知的な刺激に満ちていました。彼はいつも新しいアイデアと、統治、経済、文化、外交、その他さまざまなテーマについての貴重な洞察に溢れていました。彼の助言は、私がグジャラート州の経済を選択する際の着想を与えてくれました。そして、グジャラート州と日本との活発なパートナーシップを築く上で、彼のサポートは非常に大きなものでした。

その後、インドと日本の戦略的パートナーシップに前例のない変化をもたらすために、彼と一緒に仕事ができたことは私の特権(privilege)でした。狭い範囲での二国間の経済関係だったものが、Abe Sanのお陰で広範で包括的な関係になり、国家活動のあらゆる分野をカバーするだけでなく、両国とこの地域の安全保障にとって極めて重要な存在になったのです。

彼にとって日印関係は、両国の人々や世界のために最も重要な関係の一つでした。彼は、自国にとって最も困難なインドとの民生用原子力協定を断固として推進し、インドの高速鉄道*に最も寛大な条件を提示することに断固とした態度を示しました。独立国インドの歩みの中で最も重要なマイルストーンの如く、彼は新生インドが成長を加速させる際に日本が傍らにいることを保証しました。彼の日印関係への貢献は、栄誉あるパドマ・ヴィブーシャンが2021年に授与されたことで高く評価されました。
*グジャラート州の工業都市アーメダバードとマハラシュトラ州の商都ムンバイとを結ぶ

Abe Sanは、世界で起きている複雑で多重な変遷に対する深い洞察力、政治、社会、経済、国際関係への影響を見抜く時代の先端を行くビジョン、なすべき選択を知る知恵、慣行に立ち向かって明確で大胆な決断を下す能力、そして日本国民と世界を彼と共に前進させる(carry)稀有な能力を持っていました。彼の遠大な政策-アベノミクス-は日本経済を活性化し、国民のイノベーションと起業家精神の再点火につながりました。

彼の最も偉大な贈り物(greatest gifts)であり、最も永続的な遺産(enduring legacy)であり、世界が常に恩義を感じるのは、時代の潮流の変化と嵐の到来を認識した彼の先見性と、それに対応するリーダーシップでありましょう。2007年のインド議会での演説では、インド太平洋地域が現代の政治的、戦略的、経済的現実として出現し、今世紀の世界を形成する地域となる土台を、他の誰よりも前に築きました。

そして、主権と領土の尊重、国際法とルールの遵守、平等の精神に基づく国際関係の平和的運営、より深い経済的関与による繁栄の共有など、自らが深く愛する価値に基づいて、安定と安全、平和と繁栄の未来のための枠組みとアーキテクチャを、彼は正面から構築したのでした。

クワッド、ASEAN主導のフォーラム、インド太平洋海洋イニシアティブ、アフリカを含むインド太平洋地域における日印開発協力、災害に強いインフラストラクチャー連合なども、すべて彼の貢献によるものでした。国内での躊躇や海外の懐疑的な態度を克服し、ファンファーレ抜きの静けさの内に、彼はインド太平洋地域全体における防衛、接続性、インフラ、持続可能性を含む日本の戦略的関与を変革しました。そのお陰で、この地域はその運命に対してより楽観的になり、世界はその未来に対してより自信を深めることができています。

今年5月に日本を訪問した際、日印協会の会長に就任したばかりのAbe Sanにお会いする機会がありました。エネルギッシュで、人を惹きつけ、カリスマ性があり、とても機知に富んだいつもの彼でした。日印友好をさらに強化するための革新的なアイデアを持っていらした。その日、彼に別れを告げた時、それが私たちの最後の面会になるとは、少しも想像していませんでした。

私は常日ごろ、彼の温かさと知恵、優雅さと寛大さ、友情と指導に恩義を感じているので、心から彼を惜しんでいます。

インドの私たちは、彼が寛大な心(open heart)で私たちを包んでくれたように、彼の死を私たちの仲間として悼みます。彼は、自分が最も好きなこと、つまり人々にインスピレーションを与えることをして亡くなりました。彼の人生は悲劇的に短くなったかもしれませんが、彼の遺産は永遠に続くでしょう。

インドの人々を代表して、また私自身を代表して、日本の人々、特に安倍昭恵夫人とそのご家族に心から哀悼の意を表します。

オム・シャンティ(Om Shanti)

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コメント

国葬の差し止めを求める市民団体まで出てきましたね。安保法制の時にも散々同じような輩が出てきましたけど市民団体とかいう市民の面を被った政治団体=活動家集団を市井の声みたいに扱うのほんとにやめて欲しいです。

志位るずことsealsの最初の登場時に騙された身としては左翼団体とマスコミの共犯関係には反吐が出ます。

故人を追悼するどころか、下品で、醜い罵詈雑言を声高に投げつけることに躊躇いや、恥ととらえる情感はないのでしょうか。突然、最愛のご主人、ご子息を奪われたご遺族へ配慮する心情は微塵もないのでしょうか。
あまりに醜くく、嘆かわしく、見下げ果てた騒動に暗澹とした気持ちに沈みます。あまりに醜い。

あの日以来、特にニュース報道番組は見ていません。せめてお天気情報や災害関連の報道でも見ようとするのですが、アナウンサーやコメンテーター、レポーターの何もかもが白々しく感じて、見るのもおぞましく感じます。

国葬の日は、日本武道館にはさすがに行けないし、入れないので、
近場の自民党本部まで出向いて、お花を手向けに行きます。

モディ首相のメッセージの後半、安倍さんがインドへ向けて、金や技術・安全保障といった具体的な交渉カードをただ出すだけでなく、相手国のポテンシャルを引き出すような前向きなアイデアの種蒔きをされてきた片鱗を読み取り、涙しました。
インドだけでなくあらゆる国へそうしてこられたのでしょう。
発展途上の国々から沢山の弔意が寄せられる所以です。

その人と会って話すと、文句ばかりだったサイクルが何故かリセットされ、その問題が解決するまで無理かなと思いこんでいたことも、それはさておき「取り組むためのタスクを探す」で動き出す。
こういう人に幾人か逢えた事が私もあります。話すうちに自分の心に灯りがともり、自らの力で輝き出そうという意欲が湧くような相手。お金では買えない魂のようなものです。
安倍さんとお会いした方々が皆大好きになる、という理由のひとつなのだろうかと思います。

慰霊の日の式典に招待した総理に罵声を浴びせる一部の不届き者と、それを止めようともしない主催側の沖縄県。
この毎年繰り返される恥ずかしい光景を見ているうちに慰霊の日自体がどうでもよくなってしまったことを思い出します。

国葬会場周辺はえげつない状況になるかもしれませんが、一線を越えた人々は粛々と拘束してもらわないと、主催する日本の真剣さを問われる事態にもなりかねません。
極力波風を立てない事に注力してきた岸田首相ですが国葬を行う意味とそれに必要な覚悟を見せなければいけない時です。

 安倍総理の各国首脳との信頼関係は、その人間性ゆえにあったと言えますね。知るかぎり最初に悔やみを発信したトランプさんしかり、モディ首相の有難い言葉の端々にもそれを感じます。

よく私たちは安倍さんへの評価として、良い意味で「人たらし」と表現してきましたが、その意味を分析して小川榮太郎氏は「独特の含羞」と言いました。
20代の私の甥や姪たちは安倍さんの大ファンですが、安倍さんを「照れ屋さん」とか、「恥ずかしがり」などと言います。
なるほどそうで、時折見せる演説時のつかみのユーモアにも、それを必要とする意味が伺えます。

プリンシブルだの何だの、その政策すらも、そういう次元を超えた安倍さんの人間性の本質を若い人は良く見ていたのであって、だから若者に人気があったのだと今は分かります。

安倍さんが亡くなって私は非常にガックリ来てしまい、これからの日本の先行きにも暗いものしか感じられなくなりそうでした。
けれど、故人のこれまでの必死の努力とその成果を思えば、まずは自分自身しっかり努力して余すところなく生きる事が供養だと考えられるようになりました。

国葬は安倍さんをしのぶ世界の要人たちにとって、私のような者にとっすらも区切りとなる重要なイベントです。
費用云々が言われますが、議員一人当たりの任期中の歳費と同程度のもに過ぎません。この程度の催事を行う事が政府権限外にあるはずもなく、反対派の「法的根拠論」は完全に失当です。


何という悲しくも優しく力強いで弔辞でしょうか。安部氏のこれまでの行いが凝縮されたかのようです。ますます、失ってしまったものの大きさに打ちひしがれてしまいます。

安倍晋三が嫌いでもなんでもいいが、追悼くらい静かにやらせてもらいたい。山上徹也を擁護するような奴らは相模原障がい者施設殺傷事件の植松聖やそれを擁護した奴らと同根だと思う。自分達が気に入らない、自分達の役に立たない者はいなくなっていいと、心の奥底で思ってるんでしょう。

SNSで拾ったもので恐縮ですが紹介させてください。これが「人」ってもんでしょう。
「自分は左翼だという垢が、「安倍元総理は嫌いだが、献花台の腰に手を当てた笑顔の写真は良い写真だ。夫人にも良い印象はないが、ご主人をあのような形で亡くされた奥様の心情は察するに余りある」と投稿していた。これが常識的な普通の日本人の感覚だろう。口汚く罵ってる人間は、一体どこの人間だ」

https://www.youtube.com/watch?v=XtyCvA8eN18
皆さんのコメントを読むことで、日本の行く末に希望が持てます。
故安倍元総理への敬意を失った人たちは、ある意味で人種差別をする人と同じだと思います。日本人は士農工商→以下云々のようにヘイトを安易に行う民族なのでしょうけれども。
ウクライナのこと、ウルグアイのこと、考えて欲しい。自分達が恵まれていることをきちんと考えて欲しいです。
若者がどう考えているか、未来をどう考えるか、小手先で勝手な意見を垂れ流す、物事を真剣に考えない、反安倍元総理の意見を垂れ流す現状を憂いていますが、このBLOGが救いです。

一度でいいから安倍さんの謦咳に接したかったですね

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