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2022年7月 8日 (金)

ドイツの脱原発政策がプーチン帝国を作った

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もう少しゲオハルト・シュレーダーについて考えていきます。
昨日はケチョンケチョンに書きすぎたので、若干補正しておきます。
私はかつてシュレーダーや、かれと連立を組んだ緑の党のヨシュカ・フィッシャー のような「左翼」が日本にいたら、だいぶ政治の風景が違っていたのにと嘆息したことがあります。

よくも悪しくも、シュレーダーのような政治家は日本では生まれません。
今回のような故無き一方的侵略という現実を突きつけられても「頑固に平和。9条を平和外交に」などと言っていられるのは、ひとえに自民党が真正保守の安倍氏、高市氏から、原発反対の河野氏や小泉氏、そして中間派の岸田氏までウィングを伸ばしているデパートのような政党だからです。
だから、投票用紙に自民党と書いておけば、その思想的分布のどこかに必ず当たります。
逆に言えば、自民支持といっても、なにも言ったことにはならないわけてす。

私はそれはそれでいいと思っています。
そのようなあいまいさというか、いいかげんさこそが、自民党を国民政党たらしめているのであって、安全保障とエネルギー政策という国の根幹だけしっかり持っていてくれたなら文句はいいません。
河野、小泉両氏に点が辛いのは、後者を軽く見すぎていると思えるからです。

さて一方、ドイツはいかにもあのゴリゴリしたあの国らしく理屈っぽく左右両陣営が対立しきった構造がありました。
保守陣営は米国ベッタリですし、原発推進の立場でしたが、左翼陣営は反核・反戦・反原発を掲げて、その中間はない、妥協なんかするもんか、と言っていたわけです。

これを変えたのがシュレーダーと、後に彼の内閣で外相となる緑の党のヨシュカ・フィッシャーでした。
写真の真ん中のスマートな人物です。スニーカーを履いて政府に来たこともあって、スニーカー大臣と呼ばれていました。
私、けっこう彼のファンです。

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1998年、シュレーダー率いるSPD・緑の党の連立政権が誕生。 中央のフィッシャーは外相に就任した。 左はシュレーダー首相、右はラフォンテーヌ財務相(フランス系ドイツ人)http://www.newsdigest.de/newsde/column/jidai/3119-eintritt-der-gruenen-in-die-hessische-landesregierung.html 

では、その時メルケルおばさんはどうしていたかといえば、キリスト教民主同盟(CDU)という保守党で、原発には肯定的立場でした。
メルケルは東独の物理学畑出身であるだけに、原子力については好意的で、むしろ脱原発政策を進めていた社民党政権には批判的だったほどです。 
後のメルケルを知っている私たちには意外ですが、メルケルは3.11までバリバリの原発推進派だったのです。

シュレーダーは複雑な人物で、マルクス主義的革命観が濃厚に残留するドイツ社会民主党(SPD)で、まずやったことは、口を開けば教条的なことしか言わない党内左派を排除したことです。
その方法が面白い。
ただ強権的に左派所排除をしたのなら平凡ですが、なんと、環境運動的にはさらに急進的な緑の党(同盟90/緑の党)との連立を掲げたのです。
こうした緑の党との連立が実って、シュレーダーは1998年に政権党の党首となり首相となって緑の党のフィッシャーと組んで政権をとりました。
フィッシャーには外相という重要ポストを任せます。
つい最近まで反戦・反核を主張してきた党に、外交を任せてしまったのですから冒険です。

では、なぜ緑の党のフィッシャーに外交を任せたのでしょうか。
首相となったシュレーダーがとった政策の柱は4つをみればわかります。
シュレーダー政権が掲げた政策は、①ロシアと中国への接近政策、②労働市場改革、③脱原発路線、④集団安全保障体制のNATOを重視などですが、すべてがからみあって④の脱原発に落ち込む構造になっています。

現在の視点から見ると、④集団安全保障体制以外は全部まちがっていますが(失礼)、なかなかすごいと思いませんか。
労組の政治部であるSPDが、労組がもっとも嫌った労働市場改革をしたのですから。
集団安全保障体制も、当時のNATOはふにゃふにゃで存在意義さえ問われていた時期でした。(つい最近までそうですが)
20世紀末には冷戦が終わったのに、なんでNATOなんか残ってるんだ、という不信の声に包まれていました。

しかし世界情勢の流れはNATOを許してはおかず、コソボ紛争などで域外派兵が望まれていました。
戦後ドイツにとって初めてのNATO域外派遣で、戦闘さえ覚悟せねばならないのですからシュレーダーはよく踏み切ったものだと思います。
ドイツも、日本以上に贖罪から戦後を始めざるを得ませんでした。
ともかく謝る、ひたすら謝る、悪ぅございました、許して下さいと土下座する、これが戦後ドイツに許された唯一のサバイバル術でした。
にもかかわらず、この時期のドイツで政権を握れば、逃げようもなくNATO域外派兵問題と直面せねばならなかったのです。

それをあえて「反戦反核」を切って政権を共にとった緑の党のフィッシャーにやらせたのですから、たいしたものです。
フィシャーは党内で、赤ペンキを顔にぶつけられて、片目を失明しているほどの目にあっています。
日本の左翼政党にとって反原発政策は、しょせん彼らが並べる数多くの反対メニューのうちの一品でしかありませんが、フィッシャーは「反戦・反核」という左翼反体制的方針をバッサリ切り飛ばし、緑の党の譲れない一点である「脱原発」に絞り込んでいったのです。
関連記事ドイツの脱原発のふたつの資産・地方政府と緑の党 それを融合させたひとりの男: 農と島のありんくりん (cocolog-nifty.com)

かつて民主党政権で閣僚になりながら、辺野古容認に舵を切ったためにあっさり辞任してしまった福島瑞穂氏とは根性が違います。
ちなみに現実的安全保障政策へと転換した今の緑の党は、かつての左翼仲間からは「アーミーグリーンの党に改名しろ」と揶揄されるまでに「好戦的」です。

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今回のウクライナ侵攻にあたっては、おたつく社民党を尻を叩いて真っ先に武器供与に賛成しています。
政党別でウクライナに対する武器供与の支持率は、一位が緑の党で、緑の党支持者の70%が武器供与の増加に賛成し、二位がメルケルのいるCDUで支持者の60%が賛成、ドンケツは極右のAfD(ドイツのための選択肢)で支持者のわずか17%が賛成、という結果でした。
ドイツ極右は、フランスの国民戦線と一緒でプーチン大好きだったせいもあります。

見事にフィッシャー路線は健在なようです。

さて、このSPDと緑の党の連立政権が打ち出した中心政策こそ2002年の「原子炉の稼働年数を最長32年に限る」とした脱原発政策でした。
メルケル政権から10年も早い第1次脱原発政策でした。
この時大反対したのが、今や脱原発派の星となっているメルケル率いるキリスト教民主同盟(CDU)だったのは皮肉です。 
メルケルおばさんは、後に政権を奪還してから財界の意見を取り入れて原発稼働年数を12年延長することをしています。  
つまりシュレーダーの脱原発政策をぶっ壊したのですな。

次に、中国とロシアへの異常接近です。
今はこれが仇となって、シュレーダーは政界追放に等しい目にあっているのですが、ロシアに接近するのは、脱原発をやるためにぜひとも必要だと考えたからです。
中国接近はもちろん輸出大国ドイツの市場目当てです。

シュレーダーについて川口マーン恵美氏は、「大国にすり寄ることによって、自分を大きく見せようとする姑息なところがある」と評しています。 
任期中には、徹底してロシアの気に入らないことは言わない、という卑屈なまでの親露的態度を取り続けます。
当時から若きプーチンとは昵懇の仲で、育てあげるような気分で接していたようです。
シュレーダーは、崩壊したソ連の焼け跡から出てきた民主主義のリーダーとプーチンを深く勘違いしたのですね。

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プーチン氏と親密の独元首相、ロシア企業会長を退任へ 侵攻後も報酬 [ウクライナ情勢]:朝日新聞デジタル (asahi.com)

後にその関係は逆転して、プーチンから天然ガスの会社の要職を恵んでもらって巨富を得るようになります。
初めはロシアと組むことは脱原発政策のための必要悪だと考えて接近し、次にプーチンを民主派と取り違え、さらにロシアが原油大国になるに至ってプーチンの僕となってしまったという悲喜劇です。

シュレーダー政権は、2000年6月、「アトムコンセンサス」と呼ばれる原子力漸減政策を立てて、政府と大手電力会社の間の協定としました。
続いて2001年12月には、脱原発法を通過させ、翌年の4月から施行します。
そしてこの「アトムコンセンサス」で失うエネルギー供給の損失分を、ロシア産原油・LPGで補填しようとしたのです。

ここで恒常的にロシア産原油・LPGを輸入する手段として企画されたのが、あの悪名高きノルドストリーム2でした。
当時、ロシアからの天然ガスはベラルーシからポーランド、あるいはウクライナからスロバキア・チェコ経由のいずれかの地上ルートでドイツに到達する仕組みでした。
下図の中央の黒線がそれです。
この地上ルートはロスが多い上に、各国の利害が絡んで複雑なので、スッキリ海底を通そうと考えたのです。
下図の緑線です。

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エマニュエル・トッド「ドイツ帝国が世界を破滅させる」より 

2010年に、この直輸入ルートの第1期完成(完工は2020年)を見越して、シュレーダーは脱原発に本格的な舵を切ったわけです。
ただし、その副作用として、ドイツのエネルギー源の極端なロシア依存体質が生まれました。
原油に占めるロシアからの全輸入は実に33%、天然ガスでは35%(2009年現在)、ここまで支配されたら国の基盤を他国にやるようなもので、ほとんど売国的です。

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http://www.de-info.net/kiso/atomdata01.html

一方ロシアにとっては、国内価格の実に8倍もの高値でドイツに輸出でき、ここにドイツとロシアの共通の利害、ハッキリ言えば、強依存関係が生まれたのです。
ドイツの脱原発への転換で、もっとも潤ったのがロシアでした。

結果、ロシアはエネルギーの飢餓輸出によって外貨を稼ぎ、再びソ連帝国の再興を視野に入れました。
いわばドイツの脱原発政策で、プーチン・ロシアは帝国再興の手がかりをつかんだと言えるのです。

もうひとつ付け加えるなら、シュレーダーの失敗は、当時流行し米国も罹った「経済が豊かになれば中間層が増え、彼らが民主主義を求めるために、やがて民主主義国家に変化していくだろう」というノーテンキな誤解に基づいています。
結論はお分かりのように、まったくそうはなりませんでした。

独裁国家は独裁政治体制をいささかも変えないまま、経済的に肥大化して手もつけられない専制国家に成長してしまったのです。
ロシアはプーチンという100年にひとりの極悪人を生み、中国は習近平という中華帝国を夢見る男を作り出しました。
ただし、ここでシュレーダーが持っていたロシアに対する感情は、日本の年寄り左翼に時折ある「労働者の祖国」への憧れ、自分の青春期への郷愁といった湿り気を帯びたそれとはまったく次元が違うものでした。

彼の目的はロシアの原油と天然ガスを脱原発の原資とすることでした。
方やプーチンは、崩壊した帝国を原油で建て直して超大国に返り咲きたい、この思惑がふたりを見事に接着します。
そして石油利権がシュレーダーを絡め取ります。
一時代を共に戦った相棒のフィッシャーは、そんな彼をどのような目で見ていたのか知りたいものです。

 

 

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ウクライナに平和と独立を

 

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