日本とドイツの敗戦工作の違い
先日来見てきたように、このウクライナ戦争を終わらせるにはロシア軍の軍事力を粉砕するだけでは足りません。
なぜならそれだけではプーチンの力がは温存され、彼は必ず報復を準備するからです。
そうさせないためには、もう一つの力、すなわちロシア内部でプーチンを排除する勢力が必要です。
ところがロシアの問題は、「もうひとつの力」の存在などゼェ~ッタイに許さないことです。
一般ピープルもデモしただけで逮捕、権力の中で甘い蜜をすすっていたはずのオリガルヒすらも逆らえば全部暗殺。
なかなかですね。
どうしてこういうことを平気でするのといえば、ウクライナ戦争が「絶対戦争」だからです。
絶対戦争とは、敵を完全に打倒するまで戦う、自分のイデオロギーの優越を賭けた戦争のことです。
したがって、苛烈な価値観をともなった戦争ですから、痛み分けとか妥協はありません。
スッキリ白か黒しかないのです。
勝ったら丸取り、負けたら坊主です。
かつてこの絶対戦争をしたヒトラーは、己と国土、時には、世界を業火で焼き尽くす「ネロ指令」を出して終わります。
しかしそのようなナチスドイツ内にもヴァルキューレ作戦に見られるような硬骨の人士はおり、彼らはヒトラーを暗殺し、クーデターで政権を握り次第連合軍と和平交渉する心づもりでした。
7月20日事件の首謀者クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐
ヴァルキューレ作戦 - Wikipedia
7月20日事件 - Wikipedia
今のロシア国内に、ひとりのシュタウフェンベルクがいることを祈らずにはいられません。
当時のシュタウフェンベルには、かなり多くの軍内部の要職にある同志がいました。
彼の同志は、この7月20日事件以後、徹底的に捜索されて全員処刑されています。
一方、わが国は大戦末期にどうだったでしょうか。
実はドイツやロシアとは対照的です。
幸いにも和平派が温存されたのです。
まず前提として、わが国の大戦は絶滅戦争ではなく、第1次大戦型の太平洋・アジア地域をめぐる「勢力圏戦争」でした。
日本が「大東亜の解放」を言い出したのは戦争途中からで、戦争目的は国際社会からの物資の封鎖に耐えきれなかったからです。
そして致命的なことには、日本は米国の出方を読み違えたのです。
近衛文麿|近代日本人の肖像 | 国立国会図書館 (ndl.go.jp)
「庄司氏は「近衛は、米国に多くの幻想を抱いていた。米国は大国だから、生存権に基づく日本の正当な行動を理解してくれるだろうという甘えがあった」と語る。41年7月、日本は南部仏印に進駐した。近衛の楽観的な予想に反し、米国は在米日本資産の凍結と石油の対日全面禁輸で応じた。日米は一気に戦争という危機的状況を迎えた。
(略)
近衛は望まなかった対米戦争が始まったことから、真珠湾攻撃を冷めた目で眺めていた。開戦直前に首相職を辞した自分を「臆病者」「卑怯者」と呼ぶ政界やメディアに対し、「やはりこのまま勝つと信じているのですかな。来年(1943年)の年賀式には何と僕に挨拶することだろう」と反論した。
また12月8日、真珠湾攻撃の当日、「この戦争は負ける。どうやって負けるか、お前はこれから研究しろ、それを研究するのが政治家の務めだ」と、側近に語っていた。翌42年1月、近衛は木戸幸一内大臣に、戦争終結の時期を早急に検討すべきであると強調した。木戸は、2月5日天皇に拝謁、「大東亜戦争は容易に終結せざるべく、一日も早く機会を捉へて平和を招来することが必要」と上奏している」
(朝日globalプラス『日米開戦の日、「悲惨な敗北」予期していた近衛文麿 終戦工作重ねた末の「A級戦犯」』牧野愛博 2021年12月8日)
日米開戦の日、「悲惨な敗北」予期していた近衛文麿 終戦工作重ねた末の「A級戦犯」:朝日新聞GLOBE+ (asahi.com)
この牧野記者の記事にある庄司氏とは、前出の『大東亜戦争』の執筆陣のひとりの庄司潤一郎氏(防衛研究所幹事)のことです。
「近衛は遺書のなかで米国について多くを割いた。そのうえで、「所謂戦争犯罪人として、米国の法廷に於て、裁判を受けることは堪え難い」と明かした。
近衛は1943年夏ごろから、積極的に終戦工作に乗り出す。45年2月には天皇に宛てた近衛上奏文で、一日も早い戦争終結を訴えた。庄司氏は「五摂家の筆頭として、天皇制を守りたい意識が働いたのだろう。東条内閣の打倒や終戦に、近衛が果たした役割は大きい」
(牧野前掲)
大戦末期、すべての勝機が去った時、ヒトラーは自分もろともドイツ全体を消滅させることを命じましたが、日本は違いました。
それを端的に現しているのが、「聖断」の言葉に現れています。
「このうえ戦争を続けては結局我が邦まったく焦土となり、万民にこれ以上苦痛をなめさせることは私としては実に忍びがたい。(略)日本がまったく無になるという結果にくらべて、少しでも種子が残りさえすれば、さらにまた復興という光明も考えられる」
(下村海南『終戦秘史』)
方やおのれもろとも国民も自爆して果てる、方や国民にこれ以上の塗炭の苦しみを味合わせられない、この正反対の思想によってドイツと日本の和平交渉はまったく違うものとなりました。
日本には「和平派」という存在がありました。
戦前の対英米穏健派は、早い時期から和平を模索し始めていました。
先の近衛は真珠湾攻撃のその後に「この戦争は負ける。どうやって負けるかお前たちはこれを研究しろ」(『語りつぐ昭和史3』)と命じます。
さらに開戦の翌年1942年2月、この近衛の意志を受けて木戸幸一内大臣が天皇に拝謁しこう上奏しています。
「大東亜戦争は容易に終結させざるべく、(略)1日も早く機会を捉えてへいわう招来することが必要」(『木戸幸一関係文書』)
そして天皇自らも、この年の2月12日、明確に東條首相に対して和平を述べられています。
昭和天皇「拝謁記」入手 語れなかった戦争への悔恨 | 注目の発言集 | NHK政治マガジン
「戦争の終結につきては機会を失せざるよう充分に考慮しいることとは思うが、人類平和のためにも徒に戦争の長引きて惨害の拡大しいくのは好ましからず」
(木戸文書前掲)
象徴天皇としての限界はありながらも、はっきりとした和平の指示です。
このような和平の意志を天皇はすでに戦局悪化の前から持っておられ、それがひとつの「和平派」の隠然たる流れとなっていきます。
重臣としては近衛、岡田啓介、海軍では米内光政、高木惣吉、陸軍では皇道派の一部、外交官では吉田茂などです。
それはやがて東條内閣打倒運動として表面化し、東條内閣は退陣します。
日本ではこれらの和平派の人々が、監視を受けて行動を制限されていたとしても活動を継続していましたが、それに対してドイツはヒトラーにより残酷な摘発と処刑によって根絶やしにされていました。
これが和平にとって大きな差となって現れます。
一方、米国内においては「知日派」が存在していました。
たとえば、国務次官のジョセフ・グルーは、戦争中から各地で講演し、こう演説しています。
ジョセフ・グルー
「日本には『穏健派』もしくは『リベラル』が存在し、軍閥を打倒して彼らを中核として政権を担当させれば、国際協調敵な日本を建て直すことが可能であり、天皇は彼らの側にある」
(庄司『大東亜戦争』前掲)
この対日穏健派の影響によって、ポツダム宣言の中にこのような一項が加えられています。
「日本国政府ハ日本国民ノ間における民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切の障壁ヲ除去スベシ」
この知日派の影響によって、天皇を処刑し、一切の工業を持ち去り属国の地位に落とすという米国内の「無条件降伏派」の意見は退けられたのです。
日本国内の和平派は、この動きを中立国経由で知り、終戦工作を加速させていきます。
日米両国にいた和平派なくして1945年8月の終結はなかったはずです。
この和平工作については大変面白いので長くなりそうなので、別の機会にゆずります。
ではひるがえって、いまのロシア国内に、かつての大戦中の日米両国のような和平派がいるかです。
プーチン政治の特徴はヒトラーのような反対派の徹底粛清です。
彼は多くの者を粛清し続けてきました。
めぼしい者は皆海外に逃げるか、牢屋にいるからです。
このような国においては和平派はほとんど息すらできない状況です。
しかし、彼らを助け、プーチンを倒さねば、この戦争は終わりません。
ロシア軍に向かってウクライナ国旗を振るヘルソン住民とみられる動画が公開された/From Telegram
ウクライナに平和と独立を
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もうどうしようもなく愚かな男のテロに斃れた安倍晋三氏を、かつて呑気に口汚く「アベヒトラー!」とプラカード掲げて行進してた人たちは別に言論弾圧されていないからあんな行動が出来た訳で、目の前にいる本物の独裁者で侵略者とその国民に対して何か言わないんでしょうかね?今のロシアだったら全員ボコられて逮捕拘禁されてますよ。
対極にいる人たちの一分ではプーチンは偉大なアレクサンダー大王の生まれ変わりなんでしたっけね。小国出身の侵略の天才ですけどいつの時代の話なのやら。ただ版図を拡げるだけならプーチンとちょっとは似てないこともないですが。
どっちも浮世離れ過ぎていて正に「お花畑」な脳内の話で、現代社会で何が起きているのか直視できないようなので論評に値しません。どちらも唾棄する程度の話。
かつての大日本帝国ではまだまだ自由な思想がありました(もちろん弾圧もありましたが)。近衛文麿なんて人気だけで無能な殿様でしたけど、大混乱の中華(一応、蒋介石政権)には強硬でしたが明らかに対米回戦には反対。当時のドイツと違うのは、日本は国力の限界なのにいわゆるABCDラインとも言いますけど実質アメリカに中華(満州)利権を譲らずに締め上げられて、最悪のタイミングで最悪の手を打った真珠湾攻撃で太平洋海戦に突入。親米派だった山本五十六が連合艦隊司令長官の大博打だったのは全く皮肉な話です。
開戦以前に五十六も「国士」に襲撃されたり、もっと古い時代だと5/15事件や2/26事件があったわけで。逆の意味でバランスが取れていました。
朝日新聞はひたすら親独で対米英開戦を煽っていましたけど。
ドイツではヒトラー暗殺が何度も企図されては失敗しました。残るのは粛清。
今のロシアにそれが出来るのか?ですね。
かなり難しいかと。やれるとしたら西側情報機関によるドローン攻撃ですが···もしもそれが成功したら、プーチン死後にロシアはどうなるのか。
革命ってのは残虐なものです。日本はいわゆる明治維新という世界情勢の絶妙な時期に成し遂げましたけど、古くは典型的なフランス革命後のジャコバン派やロベスピエールといった恐怖政治が台頭して、ナポレオン帝政という流れが200年前の出来事です。
今、誰がどうやってプーチンを討つことができるのか?プーチンを殺しても、帝政ロシアから大混乱の末に共産主義で飼い慣らされてきたロシア国民は民主政治の経験が皆無なので(ゴルバチョフ追悼!)、トンデモな連中が台頭して核の脅しを世界にかけながら暗闘するのではないかと大きな危惧がありますね。
投稿: 山形 | 2022年10月20日 (木) 10時37分
たぶん長すぎたので分けて追記です。
勝手に周辺国を侵略しまくって、ポーランド侵攻に返す刀でフランス制圧までは良かったけど、BOBに手を付けながら惨敗して、東に向けてバルバロッサ作戦で完全な挫折をしたのがナチスです。
チェコ侵攻あたりまでは容認していた英国チェンバレンが8ヶ月前のフランスのマクロンみたいだなあ、と。
世界はこれをどう見るのか?
サウジが米国と微妙になってるのもありますけど、イランはもうプーチンの共犯関係ですね。
またキルギスはOSTOに基づきロシアに支援要請しましたけど、ロシアにそんな余力は無いことは知ってるでしょう。
で、中国がぶち上げた「上海協力機構」はあくまでも「中国の夢と一帯一路」のための機構なので、全く実効性がありません。
習近平様独裁体制を成し遂げたばかりですけど、一応中国がどう動くかは懸念材料ですね。。
投稿: 山形 | 2022年10月20日 (木) 10時50分
なんでも、米国はプーチンの斬首作戦も可能だと言っているようなので、もしそれが本当なら、あとは大義名分が立つのを待っているという状況だと思われます。
待っているのは、プーチンが核を使う瞬間です。この時、狂人独裁者プーチンが全世界の一般市民に対する共通の敵だという認識が出来て、この事実は誰にも反論の余地はありません。米国が堂々とプーチンのお命頂戴してしまい、そうなればウクライナの戦争は意外に呆気なく終わりそうです。
ただその後、ロシア国内は酷いことになります、巨大な草刈り場となって内戦ですわ。次の独裁者を狙う有象無象が、メチャクチャな行動を起こします。独立宣言する地域も出て来て、もうワヤです。独裁国家の末路なんで、同情なんかしませんけど。こういう時、皇室の存在は大きいですわ。古代を除いて実質権力を持たないのに、権威があったので、その時々の動乱期に日本がバラバラになるのを防いで来ました。
で、米国としても自国の利益(新ロシア内の権益)を確保できるよう、なるべくソフトランディング出来る戦後処理を練っているハズ。まあ、戦後ロシアが巨大なアフガニスタンにならないように祈るしかないですわ。
日本としては千載一遇の好機で、北方四島を奪還する計略を仕込まない手はありません。いくら「返して!」と言っても無駄なんで、こういう時にドサクサにまみれてナニするのが古今東西の鉄則ですわ。岸田さん、もう検討に検討を重ねて準備してる?お願いしますよ。
投稿: アホンダラ1号 | 2022年10月20日 (木) 23時52分