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2023年1月24日 (火)

なぜ、共産党は党名変更ができないのか

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もう少し共産党について考えてみましょう。

共産党はどうして「日本共産党」などというカルト的響きのある党名を変更できないのでしょうか。
だってそうでしょう。
「共産党」という一般人にとって禍々しい響きしかない党名は自己満足しているぶんにはいいのですが、おおよその国民にとっては、うわぁ気持ち悪い、コワイでしょうね。
中国や旧ソ連、はたまた北朝鮮(労働党ですが)と同名ですもんね。
「共産党」という党名のでプラスのイメージはナッシングです。
この党名から喚起されるイメージは、虐殺と拷問、飢餓と牢獄、そして戦争のイメージだけです。
あんな血に塗られた共産党なんて看板を、後生大事にしている神経がわかりません。

ある党員からこの党名さえなければ、なんぼか選挙がラクなんだがとこぼされた記憶があります。
たとえば「日本国民党」とか、「ミュージック&エコロジー」(ファッションメーカーかって)みたいなね。
ところが、エライさんはガンとして、そんな現場の声に耳を貸しません。
志位氏など、このアナクロそのものの党名を100年先まで変えないとがんばっています。

「共産党は15日、創立100年を迎える。志位和夫委員長は14日、国会内で記者会見し、「平和と民主主義、社会進歩を目指して、どんなに強大な権力だろうと勇気を持って正面から立ち向かってきた歴史だ」と100年の歩みを振り返った。そのうえで今後について「新たな躍進を勝ち取るべく奮闘する決意だ」と抱負を述べた。
共産党は1922年7月15日に発足した。志位氏は会見で、治安維持法による「弾圧」を受けた戦前や、旧ソ連や中国共産党に従属しない「自主独立路線」を掲げた戦後の歴史を振り返った。党が存続してきた理由について、「どんな困難でも国民を裏切らない不屈性」を持ち、「常に自己改革を進めてきた」ためだと総括した」
(毎日2022年7月14日)
共産党創立100年 志位委員長、「この先100年もこの名前で」 | 毎日新聞 (mainichi.jp)

私は共産党との距離が、あなたが民主主義をどれだけ理解しているのか、あるいは民主主義とどれだけ距離があるのかを計る計測器だと考えてきました。
ひと頃の立憲などはほとんど合体せんばかりですから、きわめて危険な立ち位置にいるのがわかります。
枝野氏は共産党についての今の政府見解を、政権をとったら変更すると言い出しました。

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産経

「立憲民主党の枝野幸男代表は16日、共産党が「敵の出方論」に立った暴力革命を選択肢から排除していないとする従来の政府見解について、衆院選で政権交代を実現した場合、変更する可能性を示唆した。国会内で記者に「枝野内閣で変更するのか維持するのか」と問われ、「少なくても私は、今、共産が暴力革命を目指しているとは全く思っていない」と述べた」
(産経2021年9月16日)
「共産は暴力革命方針」の政府見解、枝野内閣で変更も - 産経ニュース (sankei.com)

おいおい、政府を取ったら政府見解を変えるだろうなんて願望ではなく、まず自分の「同盟者」である共産党に問えばいいだけことではありませんか。
志位さん、あなたがたは暴力革命は「敵の出方論」ですよね。
ほんとうにあなたの党は暴力革命論を放棄したのですか、政府の出方次第でまた変えようというんじゃないでしょうね、と。

まぁ、いちおう志位氏は答えてはいるのです。

「一方、共産は8日の中央委員会総会で、暴力革命を排除していないとの受け止められるのを避けるため、過去に使用していた「敵の出方論」と呼ばれる表現を今後は使わないと決めた」
(産経前掲)

な~んだ、今度は「敵の出方」論は、「表現」として引っ込めますというだけのことで、口先でモゴモゴ濁しただけのことです。
変えるのはあくまで「表現」だけで、考え方の「中身」ではありません。
いままで綱領の金科玉条だったマルクス・レーニン主義を「科学的社会主義」にすり替えたように、こんども「表現」の言い換えで目先を変えようというだけです。
でも、それって「偽装転向」じゃないですかね。

とまぁ、今までさんざんこういう言葉のすり替えで凌いできたから、不破時代まで濃厚に引きずってきた暴力革命論と真正面から向き合わなかったのでしょうに。
こういう言い換え詐欺に引っ掛かる立憲のほうが愚かなだけですが。

さて、立憲が共産党と組むことはズバリ劇薬、いや毒を飲むことと一緒です。
なぜなら共産党は昨日も書きましたが、一般の野党と違って、民主主義政党ではなく「カルト」政党だからです。
そもそもこの党は近代的な「政党」ですらありません。 

あらかじめ言っておきますが、私は共産党が左翼政党だからダメだと言っているのではありません。
主張の内容ではなく、この党の組織そのものが民主主義制度とは相いれない「カルト」だからです。

闘争の指導経験もなく、志位氏が立身出世した理由をご存じじょうか。
彼が、時の絶対権力者であった宮本顕治氏に見いだされて出世の糸口となったのが、伊里事件という陰惨な粛清事件でした。

伊里一智が1985年の日本共産党第17回大会に際して、東京都大会で代表となり中央委員会への批判を公表した。日本共産党中央委員会議長を務めていた宮本顕治の辞任を要求し、減少していた共産党の党勢を「立て直そう」と提案する。
これが所属の支部で可決され都大会の代議員として選出されるべく、東大大学院の他の支部にも働きかけ、6割の支持を得て可決された。
これに対し、当時日本共産党中央委員会青年学生対策委員だった志位和夫は宮本顕治の直接の指示を受け、党の規律に背いて他の代議員に対し働きかけた分派活動と断定し伊里を1986年に日本共産党から除名し追放した。
この働きを認められ、宮本顕治による抜擢で1987年(昭和62年)の第18回党大会で准中央委員に選出され、1988年(昭和63年)に書記局員に任命される。」(ウィキ)

当時、宮本氏が絶対的権力を握っていた共産党中央を、東京都委員会代表伊里氏が厳しい批判をしました。
これは都委員会で6割の支持を集めた合法的な批判でしたが、宮本氏は激怒します。
そして宮本氏の意を受け、伊里氏を分派活動として粛清したのが、他ならぬ志位氏でした。
ほら、出てきました「分派の禁止」です。

異論を言うと、査問にかけられ除名。
戦前の非合法共産党時代となんらかわらない陰湿な粛清体質です。
戦前は殺して埋めたのですが、さすがに今はしないだけのことです。

それはさておき、この粛清を指導して出世階段を登れたことが志位氏にとって成功イメージとなったようです。
指導部に対する批判はどのような形であろうと一切許さない、これが志位氏の一貫した政治スタイルですが、その出発点は20代に既にあったのです。
だから志位氏は自分の時代になっても、規約にこう書くことをためらわなかったのです。

「第3条4
4 党内に派閥・分派はつくらない。」

党は頂点の委員長から末端まで一直線に上意下達の命令系統が貫徹する組織でなければならないから、分派などは異端。 
指導部に文句など言おうものなら、異端審問官がよだれを垂らして待っている「査問会」にかけられ、死ぬめに合います。(ブルブル)

悪名高き「民主集中制度」も、共産主義実現のために階級闘争という「戦争」を戦っているというのが共産党のアイディンティティですから、最高指揮官たる党委員長は絶対的な権限を集中せねばならないのです。
共産党は権限が上部に極端に集中する階級社会だともいえます。

かつてソ連はノーメンクラトゥーラという特権階級を作り出しました。
彼らは豪奢な邸宅に住み、庶民が一生味わえないような美味を食い散らしました。
われらの日本共産党も同じです。
代々木版ノーメンクラトゥーラ は、豪邸に住み、高級自家用車や豪邸、ボディガード、お手伝いさんもつけてもらえます。
いったん病ともなると代々木病院の特別室に入院できます。
宮本氏は一流好みで、銀座英国屋で背広を作り英国製の靴しか履かなかったと言われています。
つまり、かつてのオウム真理教が日本の中にオウム王国を作ろうとしたのに対して、共産党は国内に「ミニ共産国家」を作ってきたわけです。

このように見てくると、共産党がいまでもこの100年間も愛用してきたアナクロの極みのような党名を変えないのは、変えてしまうと党外から一般の人たちが入り込んでしまって、この民主集中制を揺るがしてしまうからです。
だって松竹氏が要求しているように、党首選せにゃならんでしょう。
そんなもんしたら、一気にいままで共産党を支えていた独裁の背骨がへし折れてしまいますからね。

Photo_6http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-07-13/09_0401.html

西欧最大の共産主義組織だったイタリア共産党は「左翼民主党」と党名変更して、しばらくして消滅してしまいました。
というわけで、志位さんは選挙に負けようとどうしようと、絶対にその「党首」の地位が揺らぐことはないのです。
このような組織体質を持つ党が、先進民主国家の政党として存在し、国会に議席を持っていること自体が驚きです。

 

 

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コメント

 今日の記事は共産党のこと、私が若いころの時代風景が懐かしく浮かんでまいります。過激派もおりましたね。反代々木派とか言っておりました。
 
 学内には学生新聞が発行されており、それは革マル派が握っておりました。これを砦にして、日共(民青)と激しく対立しておりました。その学生新聞の内容は難解であり理解はできないので、当時は、私の頭が足りないのだと自分を責めイライラすることもありました。

 私の職場の後輩の女性がおり、アメリカ人と結婚し現在はバージニアに住んでいます。彼女が沖縄にしばらく居たときに、アメリカ民主党は共産党と同じだと言ったのですが、この意味はすぐには理解できませんでした。今思うと、いくつか共通点はあり、双方共に自分のイデオロギーを絶対視するところなんでしょうね。反対意見は封殺しようとします。

 ダボス会議のことも最近考えております。世界統一政府の樹立を考えているようですが、私には到底受容できないものですね。世界の金持ちや賛同する実力者たちが集まるようですが、怪しいもの達の集まりのように思えます。

 今は、アメリカも大変な状況です。アメリカ立ち直れと言いたいです。MAGA頑張れです。日本も世界のリーダーとなり世界運営に携わってもらいたいものです。

オカルトや陰謀論を娯楽として突き放して楽しめる人にとって、それと似たスタンスで日共を眺めるのは楽しいと思います。いわゆる共産趣味ってやつですかね。
党内に分派はつくらないと言っても、分裂して全学連を支配したりブントを生んだりするのと何が違うのかね?という感想しかないです。
祖父達や県外勤務時代の先輩方から聞いた話と、不破氏などの著書を参考にざっくり振り返ると。
平和主義革命への批判を受け入れるスタンスの国際派があってはならない分派として退場させられると、平和主義革命への批判を受け入れない所感派が主流になりましたが、それが一転、平和主義から転向して暴力革命を掲げて極悪大冒険を始めてしまうわけですね。
武装闘争の指導書に「球根栽培法」「栄養分析表」なんてタイトルをつけて普及させて、警察官を襲うまでに散々やらかし続けたので、破防法が施行されることになり、当時の国民から嫌悪され、衆院で議席無しに。
で、その大失敗を後にどう総括したかを超簡単に言うと、「暴力による闘争はソ連と中国に言われて所感派が勝手にやったこと」「暴力で革命とかいう時代じゃないのにそれを読み違えて極左冒険主義に走ったあいつらが悪い」「これからはどの国からも干渉されないで自主独立!」(1961年の第8回共産党大会)でした。
で、武装闘争放棄ということにはなりましたが、暴力による革命を全否定するには至っていませんね。
これで日共を信じなさいって言われても、多くの人にとって無理無理。
ただ、日共が生活困窮者への支援や無医地域への医療提供などで有り難がられたのも事実だそうですから、支援と引き換えに相手を党やイデオロギーや活動へ引き入れるようなこと(今もそんな話が聞こえてる〜)がなければ(ここ大事)、その面で存在価値を発揮してもらっても。でも、純粋に支援だけっていう風にはできないのだろうなぁ。
党名変更で以前を無かったことにできると思い込むよりはマシですが、党名を維持し党内異論も新陳代謝も多様性も封じれば、党勢拡大はできないけど存続できる、でも党員年齢上その存続も危ういし、自分が委員長で党勢衰退とかは嫌、ならば若年層の弱者を集めてつけ入るしかないでしょうからねぇ。

宜野湾よりさん。
たぶんオレはその類の人です。

先輩たちからはかつての左翼の激しさを聞かされて、特に中核派はヤバイとか。
が入学した頃には中核派は学内に2人だけ!地味にシコシコとガリ版刷りのアジビラとか作ってましたけど···貼ってるところに「ここ、間違い!」「この天皇の戦争責任の引用記事の英国ザ·サンってのは日本でいうと東スポだから信憑性落ちるだけですよ!」なんて先輩に指摘したら「是非手伝ってー!」と、一度だけ編集と印刷(ガリ版使えるのって私くらいが最後でしょうを)お手伝いしたことがあります。実に大人しい人達でした。隣県の東北大学ではまだ白メットが合格発表や学祭の時にスピーカー使って元気に大騒ぎしてましたけど。。
革マルは見た事無く、そっち系は青メットが牛耳ってましたね。
学生寮には白メットと鉄パイプがダンボールに大量に遺産として残されていて埃を被ってました。

中核派はヤバイのは確かでしょうけど、その噂が過剰に流れていたのは他のセクト(青とか)が意図的に流していたのではないか?と。
中核派と同様に地元や隣県の仙台や新潟の大学で「同じくらいヤバイ」とされていたのが「原理」です。統一教会ね。

もはや時代の遺物となりつつあるマルクス経済学の正当性を信じているというか、少なくとも今の人類にはとうてい無理だと言う事を認められないのでしょうね。
SFのような完全にAIに統治を任せた世界じゃない限り到底不可能ですもん。
たしかに情熱に任せて理想を追い求める時期というのは珍しい事ではありませんが、清濁飲み込んでベターを導く民主主義が今のところ最適解だと気がついた人はみんな卒業していきます。

民主主義や自由経済に欠点は無いとは言えませんが、少なくとも問題が表面化し「なんとかしよう」という動きが起きるだけかなりマシなシステムだと思っています。

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