改憲は、理念の段階から実現工程に入りました
改憲問題を考える時に、忘れられがちなのが「いつ」というタイミングの問題です。
理想的な(といっても諸外国並のですが)憲法ができました。しかしそれが数十年後でした。その時は尖閣はおろか沖縄まで某国自治区になっていました、ではなんの意味もありません。
こういうことを言うと両方から殴られそうですが、私は護憲派と改憲頑固派はメダルの裏表だと思っています。
護憲派の錯誤の源泉は、「9条が日本を守ってきた」という認識に今なおしがみついていることです。
もっと正確にいえば、「9条で日本を侵略させなかった」ということに憲法の存在理由を見いだしています。
護憲派の井上達夫氏『憲法の涙』 に、それを批評してもらいましょう。
「世界は大きく多極化していく」井上達夫教授 退職記念インタビュー【後編】 - 東大新聞オンライン (todaishimbun.org)
「ここではっきり言っておきましょう。9条が日本の平和を守ったというのは嘘です。
ふたつの問題を区別したほうがいい。ひとつは9条は海外の戦争・戦闘に日本が関わるのを防いだか?
もうひとつは、日本が侵略されなかったのは、9条のおかげか?」
(井上達夫『憲法の涙』)
井上氏も認めるように、護憲派のいう「戦後70年間、一発の弾も撃たずに済んだのは9条があったからエというのは嘘です。
日本が自衛隊という最低限の防衛力を持ち、かつ米国と安保条約を結んでいたからにすぎません。
国際政治から見れば今さら言う必要もないくらいの常識ですが、護憲派はすでに日本が他国を侵略する可能性がゼロになった反面、ウクライナ戦争で顕在化したように他国から侵略を受ける可能性が日に日に増大していても、この古い認識にしがみついていました。
日本は軍事的根拠地である在日米軍基地を提供することで、米国の国際戦略を支えてきたわけで、その反面、米国の軍事根拠地を攻撃できないが故に日本は守られてきたのです。
単純な真実です。
護憲派はウクライナ戦争後、いくらでも考え方や運動方法を変えるチャンスはあったはずです。
故無き侵略はありえるのだ、敵意を持っていようとなかろうと一方的に侵略されることはありえる現実なのだということが分からないようでは仕方ありません。
口先だけで平和や話し合いを唱えているだけでは、自国の領土、国民の生命と財産が守れないことはわかったはずです。
ウクラナイナはなにひとつ外交的紛争を抱えていないのに侵略されたのですから。
護憲派は、このような新たな国際状況の中でに憲法が置かれていることに気がつきませんでした。
ですから半世紀言い続けてきた「憲法を守れ」だけで、自国民の安全を守る最低限度の現実的な安全保障へのアプローチを見ようとはしませんでした。
ならず者国家の侵略が起きた際に、自国民の安全をどう確保するのか、どうその有事に備えるのか、有事に政府はどうあるべきなのか、といったことをまったく明示できないままただたただ護憲反安保を言っていれば済むと思っているようでは話になりません。
井上氏もこう嘆いています。
「戦後日本が外から侵略されることなく平和でいられたのは9条のおかげではなく、自衛隊と日米安保のおかげです。憲法の命じるとおり『非武装中立』でいたら、戦後日本が平和でいられたか、保証の限りではない」
(前掲書)
正直、笑ってしまうほど幼稚な認識です。これが高等教育を受けた人の言論とは思えませんが、氏は東大法学部の教授なのです。
この程度の初歩の初歩の概念ですすら、護憲派にとっては死ぬ気でないと言えないようなことのようで、井上氏は護憲派から裏切り者扱いされたようです。
というわけで、いまや護憲派内部からも井上氏のような9条懐疑論が飛び出すように、9条護持派はいまやカルトの域に入りつつあります。
ですから、いつまでたっても建設的な議論になりようがないために、憲法審査会は果てしも無く空転しつづけることとなります。
いや、審査会を空転させて議論させないことが、一種の牛歩戦術のようになっているのだから始末におえません。
憲法学者にして課長補佐だった小西某が、審査会を進めることがサルだと言ったのは、彼が正直すぎたからです。
井上氏は政府と護憲派が、実は表裏一体の存在ではないかと考えているようです。
「『9条があるのでちょっと』とか、こちらの手札としては9条は使おうと思えば使えた、ということですね。だからそういう動きを遅延させたかもしれないが、防衛費は増えていき、結果的には海外派兵しているわけですから、決め手にはなっていない。遅延させたが、抑止はできなかった。
『保守の智恵』のひとつだったかもしれないが、そういう9条頼みは、結局、大人の交渉力の陶冶を妨げた」
(前掲書)
さて、ここで改憲論においてコペルニクス的転換をした政治家が現れました。
理念を持ったリアリストである安部氏です。
安倍氏は、9条2項の削除にこだわるあまり、ニッチもサッチもいかなくなった改憲論議を、「自衛隊を国軍とする」という一行を挿入することで、手品のように変えてみせました。
いままで憲法学者が葬ってきた「芦田修正」を蘇らせたのです。
日本は日本国家の大元である(国体)天皇の地位を守るために、すべてを捨ててしまいました。
現行憲法を作ったGHQが、天皇の護持と9条をワンセットで出してきたからです。
戦争の放棄、交戦権否認、戦力不所持などは、在日米軍と米国の国際戦略が前提になければありえないものでした。
つまり、日本は人類の高貴な理想たる「戦争の放棄」というロマン主義に酔うためには、日本国中に在日米軍を受け入れねばならなかったわけです。
なんのこたぁない、表向きは戦争放棄だなんだといいながら、世界最大最強の軍隊を受け入れ、その世界戦略の一部になることで戦力の不所持ができたのです。
これってそうとうに嘘っぽくありませんか。日本人の困った時の得意技、本音と建前の二重底です。
表面では「戦争を知らない日本人」を演じながら、実は米国に多くの基地を貸し出して、それを国の守りの根幹の中にビルトインしているんですから、したたかというかズルイというか。
やや乱暴な言い方をすれば、この二重底構造をスッキリ本音と建前を一つにして作り直せというのが改憲派で、スッキリ自衛隊はなくせ、米軍は出て行けというのが護憲派です。
もっぱらこの9条を舞台にして、半世紀以上喧々ガクガクの戦いが繰り広げられてきました。
別名神学論争。憲法の最大を仕切るのが、憲法学者という名の司祭たちです。
私自身は前者に近いものの、実際には無理だとかんがえていました。
しかし、ちょっと待てよ、憲法9条だけを見ないで、憲法全体をよく観察するとスゴイ構造になっているぞということに気がついたのが、篠田英朗外語大教授でした。
読売・吉野作造賞:篠田英朗氏「集団的自衛権の思想史」に | 毎日新聞 (mainichi.jp)
篠田氏は、平和構築学と言ってPKOなどの国際平和活動を研究されていた方ですが、彼の新釈憲法学は実に面白いものでした。
まず篠田氏は戦争放棄という概念が、戦後憲法の専売特許くらいに吹聴してきた護憲派に対して、こう冷やかに切って捨てます。
「戦争放棄は日本国憲法が初めて宣言したものではなく、日本はすでに1928年不戦条約に加入したときから、自衛権行使以外の戦争の放棄を宣言していた。日本が新奇な戦争放棄の理念を導入したわけではない」
(篠田英朗 『ほんとうの憲法』)
逆に日本は戦前、「国境の実力による変更」をしてしまったために、自らこの条約を破ってしまったわけです。
先の大戦は自衛権では説明しきれないもので、植民地解放理念を接ぎ木しました。
保守派は後者を崇高な理念として、それで大東亜戦争すべてが説明できるとしますが、私はそうは思いません。
今の目で見れば、当時の日本がやったことは「国境線の実力による変更」と「国際法への挑戦」だからです。
したがって篠田氏は冷厳に戦後憲法は、国際法遵守への復帰だとします。
「日本が国際法を破って侵略行為を繰り返したために、日本に国際法を遵守させるために導入したのが日本国憲法だ」(篠田同上)
ここで大東亜戦争が侵略か否かには拘泥しないで下さい。
大事なことは、いかなる理由によろうとも、当時の日本が戦前の国際社会と国際法の枠組みに挑戦したということであって、植民地が解放されたのはその結果でしかありません。
さて国際社会は、戦前のような国際秩序の崩壊がおきないようなスタビライザーを仕込みました。
それが国連憲章にある集団的自衛権です。
「第2次世界大戦後、国際法体系は、国産検証の成立によって、戦争違法化の流れをさらに強化した。その動きと表裏一体の関係にあるのが、集団安全保障である。集団安全保障の補てん策として設定されたのが、個別的・集団的自衛権である」(篠田同上)
日本国憲法は、この国連憲章に対応しています。
意外に思われるかもしれませんが、9条1項の戦争放棄は国連憲章2条4項の武力行使の一般的禁止と照応しています。
●国連憲章2条4項
すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。
https://www1.doshisha.ac.jp/~karai/intlaw/docs/unch.htm
国連憲は冒頭の第1条1項に、領土保全と政治的独立」に対する「武力による威嚇」を禁じると言っているわけで、日本国憲法が「世界で唯一の平和憲法」だなんて、ただのナルシズムです。
憲法前文が、この国連憲章第2条4項と同じ「平和思想」で書かれていることに注目下さい。
●憲法前文(抜粋)
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
ここで憲法前文が言っているのは、護憲派好みの寝ぼけた平和主義ではなく、「国境線の実力による変更」、すなわち侵略行為に対して「平和を維持」し、独裁政権による民族絶滅政策などの「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去することを努め」ることで、「国際社会の名誉ある地位を占めたい」と宣言しているのです。
憲法前文が、憲法全体の理念を語るものだとするなら、これを指針にして9条も読み解かれねばならないのです。
ですから、日本が放棄したのはあくまでも侵略としての軍事力であって、自衛権としての防衛力はむろんのこと、さらには「専制と隷従、圧迫と偏狭」に対して戦う国際社会と協調して共に戦う軍事力はまったく否定されるどころか、むしろ「名誉ある地位を占めたいと思う」とまで言い切っているのです。
これは国連憲章の第1条1項の「目的」に対応します。
●国連憲章第1条1項
国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること並びに平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争又は事態の調整又は解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること。
3月28日、虐殺を続けるミャンマー国軍に対して山崎統合幕僚長が各国の軍トッ プと共同声明をだしています。
その内容の一部にはこうあります。
およそプロフェッショナルな軍隊は、行動の国際基準に従うべきであり、自らの国民を害するのではなく保護する責任を有する。
これは画期的な自衛隊自らの宣言です。
いままで自衛隊は国際法上の「プロフェショナルな軍隊」として、各国軍隊のトップと連名で共同声明を出すことによって「専制と隷従、圧迫と偏狭」に対して戦う国際社会と協調して共に戦う「名誉ある地位を占めたい」という立場を鮮明にしました。
このように見てくると、私は実に日本国憲法は「よくできている」と思うわけです。
極論すれば、このままでも改憲せずに充分にやっていけるとさえ思っているくらいですが(異論はあるでしょうが)、いかんせん一般的にはわかりにくい上に、護憲派の神話的解釈がはびこっているために、若干の手直しは必要かなとは思います。
ですから、改憲といってもそのまま9条を残してもなんらかまいませんし、それに自衛隊を書き加え、さらに緊急事態条項を添えればよい、という安倍加憲案は考え抜かれたものだと思います。
このような最低限の改正で可能なところまで安倍氏は煮詰めて、現実的政治日程に乗せるところまで醸造してくれていたのです。
政治日程としては与党の改憲案を定め、発議に足る勢力を構築するという現実化の工程に突入しました。
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公選法違反、道交法違反、著作権法違反と、「憲法をもとに制定された法律」を悉く破る事が常態化しているどっかの政党が護憲を標榜するって何のブラックジョークでしょうか。
投稿: KOBA | 2023年5月 8日 (月) 10時40分
仰る通り、篠田先生の「ほんとうの憲法」(ちくま新書 2017)に出逢えるか出逢えないかは、なかなか大きいことではないかと思います。
右にも左にも無駄に勇ましい人々の行動や考えに比してとてもマイルドである、国際法や国連憲章に添った「社会契約の普遍性が日本国憲法の一大原理である」のを我々があらためて確認すること、そこから始めるのが良きと考えます。
その上で改憲するしないの案や議論はあっても当然なのですが、改憲の話すらけしからん!と言う人たちは、議論すると「負ける」予感に慄いてでもいるのですかねぇ。
そうだとして何を以て「負け」と思っているかは知りませんけれど、面子の話よりも、時代に合わなくなったことや間違った前提に基づいたことをアップデートする話はした方がよろしいはず。
投稿: 宜野湾より | 2023年5月 8日 (月) 13時45分
「篠田解釈」←勝手に命名、本当に画期的でした。今回進めたい改憲課程で、自衛隊の現場の方々が苦言を呈される「必要最小限」の押し問答がクリアされることを望みます。
親露派の人達はまるでロシア侵攻やチャイナの人権侵害を天災の如く「あるもの」「降ってくるもの」として語るのに、災害救助の時とは違って自衛隊の全力を封じます。
その時点で論理破綻しているのですが、清々しいくらい真っ直ぐ語るんですよね…。
投稿: ふゆみ | 2023年5月 8日 (月) 17時15分
「やっぱジャ〇プには無理だったか、なら俺らUSAがケンポーを作ってやんよ、どーせ数年もすりゃ主権を取り戻したジャ〇プが自分達で憲法を作るんだろーから俺らの都合がいいように作ってやれ、武力は一切禁止だ、もう俺らに歯向かうんじゃねーぞ!」
「天皇陛下をフツーの人間にするような憲法なんて、俺たちには逆立ちしても作れん、もうアメ公の言う通りに和訳しようや、数年もすりゃアメ公も帰っちまうんで、そん時に俺たちで新憲法を作り直せばいいんだ」
双方がそのつもりだったのに、色々な事情が絡み絡んで令和の世にまで『日本国憲法』がそのまま残ってる。もう12歳の子供じゃないんだから、成熟した大人の独立国として、自分達の憲法ぐらい自分達で作らないと情けないですわ。
投稿: アホンダラ1号 | 2023年5月 8日 (月) 21時46分