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« プリゴジン、ロシアの「戦争の大義」を完全否定 | トップページ | 「ワグネルの乱」と核兵器 »

2023年6月29日 (木)

プーチンとプリゴジン、そしてゼレンスキーに見る歴史の天才的凝縮

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秦郁彦氏によれば、歴史には「天才的凝縮」があると言ったのはステファン・ツワイクだそうです。
その凝縮された一瞬にいかに身を処するのかで、その人物のみならず歴史まで変わってしまいます。
たぶんプーチンとプリゴジンにとって、先週からの2日間はまさに「歴史の天才的凝縮」の時間だったに相違ありません。

ロシアは、プリゴジンがモスクワに200キロと迫りながら突入しなかたっことを「ロシアの民度の強さ」「社会の安定性」なんて言っているようですが、笑止です。
プーチンは勝ったわけではなく、ただプリゴジンの戦略意志が不徹底であることに助けられただけのことです。

プリゴジンはこう言っていました。

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ANN

「ワグネルの司令官評議会は、軍指導部がもたらした悪を阻止しなければならないとの決定を下した。彼らは兵士の命を軽視し、正義という言葉を忘れた。われわれは正義を取り戻す。何万人ものロシアの兵士を殺した者は罰せられるだろう。
抵抗しないでください。抵抗する者は脅威と見なし、直ちに抹殺する。

 これを終えたらわれわれは祖国を守るために前線に戻る。大統領府、政府、内務省、国家親衛隊、その他の組織は通常のように機能するだろう。軍の正義は回復するだろう。その後、全ロシアに正義が戻る。
ショイグ(国防相)はわれわれの男たちを殺すためにヘリコプターを飛ばした。説明を回避するためにひきょうにも逃げた。
われわれは2万5千人おり、なぜ国で無法状態が起きているのか解明しようとしている。
これは軍事クーデターでない。正義の行進だ。われわれの行動は軍隊を妨害するものではない。軍人の大部分はわれわれを熱烈に支持している」
ワグネルのプリゴジン氏主張 | Reuters

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ワグネルが武装蜂起、ロシア軍の南部軍管区司令部を制圧(JSF) - 個人 - Yahoo!ニュース

なんとプリゴジンは、自称2万5千の軍を動かし、空軍機を8機撃墜し、南部軍管区司令部を占拠して、なおこれを「軍事クーデターでない。正義の行進だ」と言っているのです。
彼は、いわば2.26事件の皇道派のようなことをしてしまいました。
君側の奸であるショイグによってプーチン大帝の眼が曇っている、これを実力排除しさえすれば大帝は正気に戻られる、それを哀訴しにモスクワに行く「正義の行進」だという論法です。
ですから大帝自らが「反乱は許さない」と断ずれば、それで終わってしまいます。

こんな不徹底な意志で勝てる道理がありません。
明確に現政権を打倒する軍事クーデターだと自覚し、そのためにあらゆる軍事的、政治的手段を使うのでなければ目的が成就するはずがないのです。
その中に核兵器の奪取が含まれていれば、今頃私たちはモスクワにプリゴジン「新政権」が生まれ、サンクトペテルブルクの「旧政権」と対峙している光景を見られたはずです。
ただし、仮に核を奪ってもそれを管理し作動させる能力はあるとは思えませんが、威嚇効果は充分でしょう。
もっとも欠落していそうな政権奪取後の運営能力も、政治犯らを釈放し擬似的にでも大統領選挙をしてしまえば、なんとか凌げるでしょう。

とまれ、プリゴジンには勝機がありました。
いったん「蜂起」したら走りきるしかないのです。
プリゴジンは誰にでもなく、自らの不徹底な意志に敗北したのです。

一方プリゴジンに攻め込まれそうになったモスクワは、上を下への大騒ぎだったようです。
プーチンは真っ先に政府専用機でサンクトペテルブルクに逃げ出してしまい、側近や官僚たちの多くが逃亡し、「逃亡禁止令」が出たほどでした。
彼らが恐怖した最大の原因は、南部軍管区が戦わずワグネルの支配下に入り、ロストフの住民たちもこぞってワグネル軍を歓呼の声で迎えたことでした。

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購読して読む|フィナンシャル・タイムズ (ft.com)

モスクワタイムスが、彼らの当時の状況をこう述べています。

「下院は、新たな軍事反乱が発生した場合に当局者がロシアを離れることを禁止することを提案した ロシア当局は、テロ対策作戦(CTO)体制が導入された場合、国を離れることを禁止されるべきである、と下院副スルタン・カムザエフは述べた。
「地域にCTO制度が導入されたことで、あらゆる階級の役人が国を離れることを法的に禁止されるべきである」と副官は述べた。
副官は、現時点でそのような禁止が法執行機関の代表者に適用されるとした。
6月24日に、モスクワでの行進を発表したワーグナーPMCの指揮官エフゲニープリゴジンの軍事反乱を背景に、CTOは首都、モスクワ、ヴォロネジ地域に導入された。
同時に、高官らはモスクワを逃げ始めた。
特に、特別飛行分遣隊「ロシア」の航空機がサンクトペテルブルクに飛行したが、誰を輸送していたのかは不明である。(略)
CTOの時点で、モスクワの占拠の脅威に関連して、政府機関をサンクトペテルブルクに移管する可能性がある。
エリートたちはもはや完全に安全だと感じていない、とネザヴィシマヤ・ガゼタの編集長であるコンスタンティン・レムチュコフはニューヨークタイムズに語った。「反乱の日に何人かの有名人が首都から逃げた」と彼は言っている 」
(モスクワタイムス6月27日)

モスクワでは、迫り来るプリゴジンのたかだか2万5千(実態は半分以下)の傭兵軍に怯えてテロ対策作戦法(CTO)が発動されたようですが、すでに多くの政府職員や政治家はモスクワから逃げ去ったようです。
どうやら保安部隊には死守を命じたとみえて、モスクワ市内には軍隊が配置され、歩兵戦闘車や多くのトラックが映像で確認できます。
ただ動きは鈍く、これらの部隊は戦車などの重装備は持っていなかったようです。

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ロシア軍事指導部の悪事を止めなければ!プリゴジン氏“報復”を明言 ワグネルをミサイル攻撃か…モスクワは軍用車両で警戒|FNNプライムオンライン

また政府中枢をサンクトペテルブルクに遷都させることすら検討されていたようで、プーチンはここから指揮を執るということになっていたようです。
当時ワグネル軍は、ロストフでガス欠のために進軍どころではなかったようですので、これでは水鳥の羽音に怯えて逃げまどう平家です。
なんせ、南部軍管区は、ドネツクからロストフまでトレーラーに戦車を乗せて突っ走るワグネル軍を止めるどころか、検問ひとつできないでボーっと突っ立っていたのですから、消極的支持と見られたのでしょう。
唯一まともに阻止を試みたのは空軍だけで、その結果あえなく7機ものヘリと希少な空中指揮管制機まで落とされるありさまです。

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ワグネルが撃墜したロシア軍機か SNSに残骸の画像 - CNN.co.jp

「ロシア軍はまともに抵抗した様子が無く、無血開城に近い形で南部軍管区司令部をワグネルに明け渡しています。この他に行政府の庁舎や警察署、FSB(情報機関)の庁舎、軍事基地、飛行場なども制圧されています。一体何が起きているのでしょうか?
今のところワグネルの武装蜂起に正規軍や国家親衛軍が合流する動きは見られません。ですが正規軍がワグネルの武装蜂起に何も反撃しないというのも奇妙です」
(JSF6月24日)
ワグネルが武装蜂起、ロシア軍の南部軍管区司令部を制圧(JSF) - 個人 - Yahoo!ニュース

南部軍管区司令部ロストフ・ドヌーを無抵抗で落とした後、先鋒はすでに首都圏のリペツクの先にまで達していました。
たぶん抵抗がなければ、半日もかからない距離です。

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ワグネル部隊撤収 ロシア政府、プリゴジン氏の罪問わず ベラルーシに出国へ:北海道新聞デジタル (hokkaido-np.co.jp)

占領したロストフ・ドヌで、プリゴジンと南部軍管区司令官、国防次官と思われる2人とまるで茶飲み話のように話あっていますが、ただショイグとゲラシモフを連れて来いだけではなかったはずです。

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プリゴジン氏、なぜプーチン氏に牙むいたか - WSJ

上の写真は、ロストフドヌーでの南部軍管区司令部で話あう、同司令官のウラジミール・アレクセーエフ中将とユヌスベク・エフクロフ国防次官の様子です。
なにが話あわれたのかはわかっていませんが、穏やかな雰囲気が察せられ、軍事占領したならず者と軍区司令官と国防次官との会談とは思えません。
オメー、ガスは足りてんのか、榴弾砲貸そうか、ウチのテカ連れってくか、プーチンはオメーを許さねぇと言っとるらしいぞ、とか言っていそうです。

この状況を見て、プーチンやショイグは、南部軍管区はすでに寝返ったと判断したのかもしれません。
ワグネルと南部軍管区のが合流するとなると、国家親衛軍の治安部隊だけではとうてい抑えきれるせのではないという危惧が現実のものになりそうなので、あわてて首都にCTOを出して、要人を逃がしたのでしょう。

プーチンは携帯にプリゴジンが出ないという理由で、ルカシェンコに交渉を丸投げしてしまいました。
その上、「蜂起」当初の24日午前には、プリゴジンを裏切りだと断じて処罰すると言っていたのを翻し、反乱罪に問わない決定を下してしまいました。その間たった半日。朝令暮改も極まれりです。
国内の反乱を外国の首脳に調停をお願いするだけでも充分に醜態なのに、どうぞ亡命してください、なんならワグネル軍もお連れ下さいでは、話になりません。

しかも我が身かわいさで、サンクトペテルブルクに真っ先に逃げ出しているのですから、この人物のマッチョ神話は完全崩壊です。

さてもうひとり、このウクライナ戦争で「歴史の天才的凝縮」された時間に遭遇した人物がいます。
いうまでもなく、それはゼレンスキーです。

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ロイターさんはTwitterを使っています: 「「われわれはわが国の独立を守る。それがわれらの未来だ。男性も女性も、わが国を守る人々に栄光あれ! #ウクライナ に栄光あれ!」(ウクライナのゼレンスキー大統領) https://t.co/duyELxLzS7」 / Twitter

「ウクライナ戦争でそれに近い瞬間を探すとすれば、ロシア軍の侵攻から2日目の2月25日の夕方、主演はウクライナ軍の最高指揮官を兼ねたゼレンスキー大統領といえそうだ。(略)
まず注目したいのは、前線部隊の健闘状況を知り得ない側近たちの多くが、悲観的気分に包まれていた心理状況である。(略)
ロシア軍の圧倒的な軍事力を知る内外の軍事専門家たちは、ウ軍に勝ちめはなく、72時間以内にキーウは占領されるだろうと推測していた。米欧諸国も半ば見放していたのか、ウ側からの至急の援助打診しても色よい返事はなく、代わってゼレンスキー以下の脱出や亡命を促してきた。ヘリを派遣してもよいとの申し出もあった。(略)
大統領はがスタッフを集めて決意を告げたのは、25日の夕方である。「ここに残るかどうかは各人の判断に委ねる」と告げるや、泣きだす女性もいたという。(略)
暮色の迫る午後6時半、自撮りした写真はやや鮮明さを欠くが、「われわれは屈せずに戦う」と宣言し、「「独立を守るウクライナに栄光あれ」と結んだゼレンスキーの肉声はSNSを通じて世界中に流れ、感動を与えた」
(秦郁彦『ウクライナ戦争の軍事分析』)

いまでもこのゼレンスキーの姿はまぶたに焼きついています。
それにひきかえプーチンは身内同然の元調理人の「反乱」にさえ立ち向かえない。
戦争は人の真実を暴き出します。
この対極的ともいえる差は、指導者以前の人格の問題です。

 

 

 

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「ウクライナ軍は不可能を成し遂げた」=ゼレンスキー大統領  ロシアのウクライナ侵攻100日 - BBCニュース
ウクライナに平和と独立を

 

 

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コメント

なんとも数奇な「歴史的事象」が今現在起こってるということですね。

プリゴジンはロシア各軍に「蜂起」の呼びかけはしていたようで。。事成らず、元々取り上げて貰ったプーチン本人には直接批判もしないという···結局プーチン側近達への不満(それは分かる)を並べるだけで結局保身というなんとも中途半端なことになりました。
まあ事が成っていたら、それはそれで核管理含めてカオスになっていたかもしれませんけど。
まあ、戦国時代最大のミステリーで本能寺で一応トップの首だけは取った明智光秀よりも遥かにショボい。それでも生き残れてるのが摩訶不思議ですね。

あのゼレンスキーの毅然たる態度には感動しました。そして1年4ヶ月も経ちましたが今も健在というのが事実です。
ただしゼレンスキー本人が手を焼いていたウクライナ行政の不正や腐敗は残っているようで、先日のウクライナのアンケート会社によるとウクライナ国民の「政府改革は必要だ」が7割と。
こんな国家の緊急事態である戦時にありながらウクライナは国内にも不安要素が蔓延っているという残念さです。

私としては、あいかわらず観察しているほかありませんが、中共も観察して学んで、己の穴だと思うものを塞いでくるだろうと考えると、うんざり・(語弊ありでも)楽しい•厄介が三分の一ずつ。

これまでウクライナ侵攻において大きな影響力をはたしていたと思われていたワグネルが突然最前線からスコっと抜けたわけですから戦線に大きな変化が起きるのは不可避だと思うのですが、そのような情報はいまだに発信されることはありません。
自称2万5千もの兵員が動いたんですよ、もう現場は大混乱でしょうに。
それともプリゴジンがイキり散らして悪目立ちしてただけでワグネルそのものの戦線への影響力って実は大したこと無かったって事なの?
いやいや…そう考えるとその程度の勢力があと一歩でモスクワを落とすところだったわけで、ロシアの国防どうなってんのよ?
考えれば考えるほどこの騒動の実態がよくわからなくなってきます。

A bad peace is better than any war.
ルカシェンコはプーチンに、
悪い平和はどんな戦争よりも優れています。 判断を急がないで。と説得したらしいです。
彼らの世界観に重なるレイヤーを幾つも垣間見たような、色々な場面での状況解釈が、私達のそれとかけ離れているのを今回まじまじと見ています。戦争を仕掛けている人に言ってるし。

これ的な展開をする思考回路を欧州人達は付き合いのふるさで知っているからこそ、私達から見ると日和ったり寝返ったり渋ったりしているような動きをするのだと感じます。

ウクライナが領土と暮らしを取り戻すための最短路は正義と綺麗事だけではない、勢いや無茶振りやダブスタやドサクサを必要とするのは必定と頭に書き込んで、私は宇軍と政府にエールを送ります。

 でもある意味、「紙一重」だったんだろうと思うわけです。
プリコジンとてスロヴィキンのような存在と呼応できると考えていただろうし、それは南部軍管区での談笑まがいの写真にも表れています。
結局はロシア軍はソ連崩壊時のクーデター未遂でもそうでしたが、やはりパッとしない、本質的に緩々の堕落した軍隊である印象だけが残りました。玉砕しても首都を守ろうとした硫黄島のような戦いは出来ようがない。
統治機構そのものが揺らいでしまうロシア国家の脆弱さも露呈しました。「歴史の凝縮」たる転換点の要素はプーチンとロシアには欠片もなく、ゼレンスキーとウクライナの国際的な政治力は高まる一方です。

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