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2023年8月15日 (火)

共同売店というものがあります

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今はどうか知りませんが、私が住んでいた当時、沖縄本島には売店ひとつない地域がごまんとありました。
たまにあっても、なんとしたことか定価より高いのです。定価100円の上に120円などという手書きシールがペタっと貼ってあるのです。
こんなものは初めて見ました。激安デフレの時代にまっこう楯突く地域、これがヤンバルでした。

本土から那覇に来ると、値引きどころか定価維持で精一杯、それが国道58号線で下るにつれてだんだん高くなり、名護を超えると割高セールとなってしまいます。
それも割高であろうがなんだろうが、売ってくれる商店があればこそですが、それがないのです。
食品店などがあるのは名護まで。それ以北は店すらありませんでした。

日航オクマリゾートがあるって?あれはナイチャーの作った租界地です。
ないとなると名護までいちいち出かけなければならないのであまりにも不便、というわけで「共同売店」というものを作りました。

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共同店 - Wikipedia

ムラの人たちが、資金を出して小さな店を作り、商品を買い入れて、あんまーやネェネェが替わり番で店番をするのです。
新聞もここに取りに来ます。ちょっと集落から離れた場所の人は、郵便もここに置いてあります。
私の住んでいた場所は、本島北部脊梁山脈の真上の猫の額のようなウルトラ過疎地だったので、郵便屋に来いというほうが無茶です。

毎夕、共同売店に出かけて新聞を取って、郵便をもらうという生活をしていました。そのとき必要な買い物をするのですが、当時は米軍の横流し物資が悪びれもせずに売られていました。
バドワイザー120円、オリンピア100円、島ビールのオリオン180円といった具合で、私が島暮らしをしていた当時はオリンピアという水みたいなビールしか飲んだことはなかったですね。あ、そうそう、アサヒやキリンなど影もなし。
島ビールは復帰特別措置法の酒税軽減でそうとうに優遇されていたはずですが、米国産ビールに価格では太刀打ちできませんでした。
ま、そりゃそうだ。アメちゃんビールは米軍基地のPXからのもので、基地に勤めている知り合いから買い込むのです。
そもそも米軍基地のPXは在外駐留米兵のために価格を下げてしいるのですから、かなうはずがないのです。

ですから、ヤバルで老人会や豊年祭があると、おジィ、おバアがサンシン片手に飲むのは、バドワイザーと決まっています。
本土に帰ってから、若者たちがナウ(←死語)に「バドくれ」などと言っているのを聞くと、私は「バドワイザーはヤンバルではジジババビールだぜ」、と可笑しかったものでした。

午後、牛にやるグヒチ(カヤ)を刈りにポンコツトラックで北部を回り、1トンほど刈り取り、シャツを絞れば汗がしたたるようになった帰りすがりに寄る共同売店。ありがたかったですね。
そこで一本のオリンピアとテンプラ(さつま揚げ)を1枚買い込み、私ひとりしか知らない東シナ海の蒼い海がみえる眺望の丘で飲む一時。

ああ、あれが人生の至福というものでしょうか。

 

 

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コメント

めちゃ旨そうな、そして鮮やかに情景
が蘇る

こういう気の効いた文章を書けるように私はなりたい…

バドワイザーとかクアーズの北米ビールは、まあ喉乾いてる時には美味い!って感じ。メキシコのコロナやオージーのスワンとかもアッサリスッキリ系で、沖縄のオリオンはただのブランドで実際には高いだけの劣化米軍向け仕様だというね。あのバブル期にキレ重視で大ヒットしたのがアサヒスーパードライ。
まだ日本経済が良かった時代に夏ギフトでヨーロッパの缶ビールセットとか貰ったり、珍しい物も地元の酒屋で売ってると買ったりしましたが、欧州のビールは奥が深いと。やっぱり基本は濃いめのエールかな。
当時はF-1イギリスGPの売店ででサッポロ生がバスやクアーズの倍の値段でもバカ売れしてたとか。。
その後日本経済は停滞してますけど、規制緩和でクラフトビールが続々と。大手がやってるのも含めて個性があっていいですね。安易に拡げ過ぎて破綻するところも多いですけど。
2000年頃には例えば「常陸野ネスト」とかが地方にも流通するようになって、地元の「やまや」で買えるように。実際に美味いし!高いけど。

20代でガチに食品関係の肉体労働してた頃は夜中の仕事終わりに帰って飯と一緒に飲むビールが最高だったけど···腎臓結石でのた打ち回る痛さで内視鏡手術になってからは、たまにしかビール飲んでませんけどね。最後に飲んだのは同級生が急に帰ってきた時に外飲みに出掛けたプレモルか。もう2年前。
今はというか昔からだけど毎日ウイスキー派。
まあ、ジンもウォッカもラムもテキーラも大好きなんですけどね。
テキーラは大抵翌日に喉がイカレます!

ウチの母方の実家も相当な田舎でしたけど、さすがにそこまでではなかったですね。
子供の頃にお盆とか祭の時期に帰省すると、一応まだ40軒くらいで商店も一軒ありました。現在はその実家も空家で残り4軒という超限界集落ですけど。。
南の沖縄とはまた違って豪雪地域ですので、冬になると他の近隣集落と共に子供は小学校や中学校の寄宿舎で暮らしたり、郵便や新聞も2日置きにしか配達されなかったり。
1月末から3週間ほど「寒休み」があったりでした。。

沖縄はしばらく自動販売機なんかの缶の清涼飲料が本土より安い時期がありました。オバァが1人でやっているようyなお店でも輸入物のコカ・コーラが安く売られていて値上げできなかったから。もうそんなことありませんけど。

山原では協同売店まだありますけど、国頭村や東海岸でもコンビニが進出してますので、いずれ無くなる運命かもしれません。寂しい限りですが。

バドワイザーが旨いのは真夏の晴れた昼の海外のみです。

時代の移り変わりで抱える問題はあれど、どっこい生きてる共同売店。
私の好みにパーフェクト・マッチ
、でも大手流通には乗らない豆腐を扱っている共同売店や、これまた好みど真ん中なぜんざいを出してくれる共同売店などがあり、その近くに仕事の用事を拵えては、今も割と当たり前に利用する方です。
なので今日の記事を拝見して、改めて「沖縄 共同売店」でググってみたら、新聞やテレビから個人まで、古いもの新しいもの、問題点や成功例などたくさんの記事があり、共同売店を応援するサイトもありました。
沖縄マニアな県外の方々のご利用もあるそうです。
共同売店を維持する苦労と工夫はきっと尽きないと思いつつ、「ステュウstew=シチュー」「カフィcoffee」「ハッダーグhotdog」「ワラwater」…「耳から英語」で完璧な発音を駆使するおばぁ達を、懐かしく思い出しました。

すみません、海岸のつもりが海外になってました。

 あぁ、なつかしいですねぇ。
宮古では、今でも北部の島尻には共同売店は存在します。
共同売店はいろいろですが、黎明期は住民も出資していたようです。
また、その前は行商時代でして、寡婦の方やらタフなおばちゃんたちが商品をしょって村まで必需品を届けてくれたりと。沖縄女性のたくましさの源流に近いものと思います。
やがて共同売店を経て農協がその役割を担い、いまではサンエーやらかねひで、果てはイオンまでつながる流通史になってます。

こんにちは

以前、国頭村に住んでいた本島在住民です。
買い物は名護までいかないといけない、本当に不便でした。

協働売店は、よく利用していましたけど、価格がすごく高いですね。知らずに買い物したとき、すごく驚いた記憶があります。

いずれ消えていくかもしれませんね。

本日のエッセイというか紀行文というか、素晴らしいですわ。普段書いている記事の文章とは又違った、遠い目をしながら語りかけるような物言いには感じ入ります。管理人さんの遠い青春?の至福の日々が、沖縄の海に輝いているようですわ。

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