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2023年8月17日 (木)

ジルーと呼ばれる陶工がいた

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いつものような記事は載せないのか、というお叱りをうけそうですが、沖縄のことを思い出す記事を続けています。
以前にも書いたとおり、私の沖縄への関わりは文化と風土からでした。
風が運んでくるサンシンを爪弾く音色、群青の海、突き抜ける入道雲、そしてなによりもこの島に住む陽気な人々を愛してしまったのです。
ついでにテビチやそばも(笑)。

それを心に止めようと雑文を書き始めたのが、このブログの始まりです。
しかし沖縄の政治と関わるようになり、大きくいまの道へと逸れていくことになります。
よかったことなのかどうなのか、それでもう十数年の時間が経過し、始まりの時を忘れていたことに、ふと気がついた次第です。
今週一杯はこの調子で続けて、来週から元に戻します。

                                                          ~~~~

沖縄にジルーという伝説的な陶工がいた。
沖縄の民窯をヤチムンいう。そもそも完全な日用品として始まった。戦後、焼け野原になった沖縄ですっかり什器が焼けてしまったんで、せっせと日常使いの皿やお碗を作ったのが、金城次郎さん、いやジルーたち戦争から返ってきた沖縄の陶工たちだっだ。

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ジルーの陶器を特徴づけるのは、そのスピードと勢いだ。
アートを作っている気なんか作る方も使う方もさらさらないから、スピードが第一。一日何個が出来るのかが大事だったんだろうね。そして当時はガス窯なんかないから、登り窯だろ。もう製品としてばらつきなんてのは当然なわけだ。それがジルーの勢いのある線彫りの面白さとなって生きてくる。手工業的ではあるが、量産がジルーを生んだともいえる。
彼の作品はたまに抱瓶(ダチビン)の注ぎ口がゆがんでいたりする。たぶん大手の工房でこんなものを作ったらハネ品だろう。上の写真のダチビンも実際にジルーの工房で買ったものだ。まだ彼がご存命だった時だ。たぶん彼が50代のバリバリの時だ。まだ私が29の時くらいだったか。
その時のことは今でも鮮明に覚えている。

8月の沖縄。ご想像くだされ。12時半くらいに、迷い迷って彼の読谷の工房にたどり着いて、昼休みだったので汗だくでへたへたと木陰にへたり込んでいた。
1時頃に工房の人たちがぞろぞろ出てきて、その中にジローさんもいて、冷たいお茶をごちそうになり、ちょっとだけ話が出来た。こっちも汗だくだが、ジローさんもヨレヨレの汗くさいTシャツを着て、グローブみたいな「使える手」を持つ働く男だった。まるで農民の手みたいだった。
工房(なんてシャレたものというより町工場)の横で直販していたヤチムンをいくつか買った。
そのときにジルーはいくつかあるダチビンの中で、いかにも金のない私を見たのか、「これがいいよ。口が曲がっているが。色がいい」と言って譲ってもらったのが、もう手元にはないが、藍色のグルクンが踊るダチビンだった。

すばらしいあの藍色、線刻の勢い!グルクンがあの狭い空間が足りなくて、踊って飛び出しそうだ。そして私はあの藍色がたまらなく好きだ。あれは豊穣の沖縄の海の色だと思う。
その深い藍色はお孫さんの金城吉彦さんにも受け継がれている。しかしスピード、つまり勢いまでは遺伝しなかったが。
なぜなら、今彼が作ろうとしている工芸であり、アートであり、偽悪的にいえばみやげ物だから。そして祖父が作っていたのは日常雑器だったから。

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ジルーは人間国宝なんてものになりたくもなくてなってしまい、自分のたかだか一個のマーカイ(お茶碗)がウン万円の値がつけられた時に、「ちゃーならんさ」(訳す必要はないだろうが、「しょうがないね」)と言ったそうだ。そして老齢も重なって急速に作る意欲をなくしていった。
生涯一陶工で何が悪い。ゲージュツ家になんかなるものか、それがジルーの心意気だった。
金城吉彦さんもジルーの孫という七光プレッシャーと戦っているのかもしれない。なにせ今や彼の属する工芸集団は金城一門なんて大相撲みたいな存在だから。
確かに線刻の勢いはないが、それは偉大すぎたジルーオジィと比べられるからだと思う。

夏になると、あの農民の手を持った陶工金城次郎のことを思い出す。

 

 

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コメント

ブログの原点なんですね、こういう記事を書いていると心が安らぐんじゃないですか?
読み手も気持ちが和むと思います。沖縄に対する愛が伝わってまいります。
夏ですし、しばらく続けても文句を言う人はいないのではないでしょうか。

私は沖縄へ行ったことはございませんが、孫が6月に行ってきて水族館やら名護のパイナップル園やらの話を、自分で色付けしたシーサーのお土産もあります。
これらは観光地の話なので生活圏のことは分からないですが、記事から色々と想像をめぐらしておりやす。

ブログ主の沖縄ヤンバル便り
〜茨城行方便りから楽しく
読ませていただいてます。

ブログ話題が、冷奴のトッピングにも、良かれビリカン(東北方言)の梅干しや、透けるくらい薄くても、ご飯の友になる
タクアンなどなど、、
 
今回のお盆内容は、、
ブログ初期からのファンには
嬉しいですね!

もちろん変化球交えながらも
直球投げ込む時事解説は道しるべにしてます。
 
今月始めに沖縄🍍パイナップルの仕事で石垣島〜西表島を、
廻りましたが、食べ尽くした
のは、町食堂の「ソーキそば」
「ゴーヤチャンプルー定食」
極めつけは西表島の「猪チャンプルー」でオリオンビール&
島酒でした。

ちょうど「オリオンフェスト」が開かれていてディアマンテス観たかったんすけど長居すると帰りたくなくなるんで帰路に着きました。

沖縄また行きます。
geronimo秋葉

朝起きて沖縄回想の記事を拝読し、仕事場では今週紅型の資料を漁る機会があり。
いやいや生地だけ調べれば良いものをついヤチムンにも目移りがするお盆の週です。
風が私の頬も掠めていくような、今週の記事ですね。

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