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2023年8月16日 (水)

ヤンバルはそれはそれは山の中

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ヤンバルの続きを書きましょうか。
ヤンバルとは山原のこと。要するにかつての王府・那覇から見て片田舎といったニュアンスですが、その境界ははっきりしません。 
中部のどこらからかヤンバルが始まるという人もいれば、いや名護からだという人もいます。中部のどこからか説は、もっぱら「片田舎の始まり」とされた名護の連中が言っているようです。 

では中部のどこからかということになると、定説はなくて、一説によればなぜか恩納村なのです。
「オンナ村に入ればりっぱなヤンバルさぁ」と北の名護人は言います。冷たいことに同じ中部でもより南のコザ(現沖縄市)の連中も、そうさね、やっぱり恩納村はヤンバルでしょう、などと突き放します。泣くな、恩納村。 

私が住んでいたシマは、逃げも隠れも出来ないヤンバルの真っ只中でした。海沿いを走る1号線から山に入ること30分の鬱蒼たるジャングルの中でした。
そうそう沖縄では、「シマ」とは集落のことをそう呼びます。
今、ふと「1号線」と書きましたが、行政的には58号線です。58号はこのまま国頭(くにがみ)からためらうことなく海中を突っ走った先は鹿児島県、という不思議な海中国道です。

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沖縄の道路事情☆移住者が知りたい、暮らしのアクセス | 糸満晴明病院 (seimei.org)

「1号線」とは旧軍用1号線のことで、米軍施政権下で、大型軍用トレーラーがブワーっと通れるだだっ広い軍用道路を米軍はお作りになったわけです。カッコつけてハイウエイ・ワンなどとも言います。 
ともかく直線、どこまでも直線。参ったかという直線。ジェット戦闘機も離発着できるさぁ、というのが島の人の自虐的自慢です。
地図に定規あてて道路を作ったのですな。いかに住んでいた住民を無視したかお分かりでしょう。
復帰前の米軍は、占領軍だったというのがよくわかります。

那覇から走ると、両側は行けども行けども米軍基地。観光名所にするべくヤシの樹なんぞ植えてやがって、ここはカリフォルニアか、つうの。 どうせ植えるならヤエヤマ・ヤシを植えなさい、と言いたい。
考えてみれば、こういう力づくで押し寄せて来る外国をいったん受容して、やられっぱなしかと思うと、どっこい鼻づらを掴んで手玉に取るようなことがウチナーの伝統芸ではあります。
今も仲井真さんが名人芸を見せて、民主党政権のにわかエライさんを引きづり回していますね。
もっともその後、島のサヨクに死ぬ目に合わされましたが。

それはさておき、その1号線からとある河の源流にあったのが私が入植した村でした。一回廃村になりかかっています。
廃村になる理由というのはおおかた学校問題です。村には小学校がないのです。
東海岸のシマに行くか、西海岸のシマに行くか、いずれにせよ子供が歩いて通える距離ではありません。 

道路に転がっている棒っきれかと思えばハブ、縄張りを荒らされてはならじと自動車に突撃を敢行してくるノータリンのリュキュウイノシシなどが道路の上に珍しくもなくのたくっていますから。  

この私が入った村、島の言葉で「シマ」は、一時は多くの村民がお茶やミカンを作っていたようです。島米を作った水田跡も残っています。  

戦時中は南部からの避難民が決死の逃避行をした場所としても有名で、多くの避難民が病死したり、ハブの餌食となった哀しい話も残っています。
このシマも復帰以降に急速に村民を減らしていきました。やはり海洋博やそれに向けての高速道路建設がきっかけでした。 

海洋博は目と鼻の先の本部(もとぶ)で開かれたのですが、ここへの出稼ぎに男たちが大勢行ってしまい、留守を預かるのはオジィとオバァ、それにヨメさんと子供ということになっていったようです。 
こうなるとヨメさんの肩にズシッと重圧がきます。残った田んぼや畑の管理、炊事、子育てにめげそうになったのでしょう。
そして田畑売り払って、一家総出でひとりまたひとりとシマを出て行ったのです。 

こうしてこのシマには、一時はただひとりのオジィを除いて廃村になったのでした。 
当然電気も通っておらず自家発電でした。

人の数が増えて(といっても14所帯ですが)、やっと電気が入って「県で最後の電気なしのムラに灯が」なんてテレビに出たそうです。
私が入ったのは、この電灯がまだ神々しく見える時期でした。

 

■写真 ヤンバルのパイン畑から八重岳を望む。
パイン畑の脇に積み上げてあったハネのパインをよく頂戴した。鎌で皮を向いて野天で食うパイン。うまかった。
ただし、パインを食うネズミを狙ったハブがいますんでご注意を。
 

 

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コメント

ご無沙汰です。
ヤンバルが大好きで毎週末通っては3台の車を使い潰してしまいましたが、4台目の車で今度は管理人さんの遠い記憶のお言葉に思いを馳せながら通ってみたいと思います。
東海岸側にはまだ共同店もあり地元産の美味しい珈琲もいただけますよ。
いつもありがとうございます。

そこでBIGINの「国道508号線」を出さないわけにはいかなくなりました笑
https://www.youtube.com/watch?v=fsCeIGLFGwg

国頭街道が1号線 1号線やたんやー
1号線から58(フィフティーエイト)
58(フィフティーエイト)から58(ゴーハーチ)
(作詞 BIGIN)

日本の国道は那覇-糸満の507号までで、タイトルと歌詞にある「国道508号線」は存在しないのですが、沖縄の本島離島の隅々から島の外までみんな繋がっている、との思いから歌詞に用いているのだそう。
離島差別、やんばる差別、首里か首里以外か、他シマ(他の集落・地域)差別…etc. 同じ沖縄の中でさえ、様々な差別被差別の歴史は刻まれていて、笑って話す中に今も、本気成分や無意識成分は完全消失したわけじゃない。
そういう事実を、楽しい歌の力も使ってフラットに捉え続けられるか、糊塗してしまうか。
深い森があるから良い海が保たれる、でも便利な都市部に住んで、田舎は自然を守って不便で貧しく暮らしていろという事に意味はあるのか、何をどうしたら何処がどう良くなるのか。順番付けやトリアージや循環の始まりが必要なら、それは何処からなのか。
同じことをぐるぐる、つらつら考えるだけで、いっかな進歩がない己…。
だがしかし。沖縄産パイナップルは、あっとぅー的にうまし。
(台湾産パイナップルもすごく美味しいですが、盛期が沖縄よりやや早いのでセーフっと)

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