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2023年9月12日 (火)

放射能パニックは原発事故直後の情報発信の失敗により起きた

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福島事故当時、政権にいた民主党は、あらゆる局面で失敗を繰り返していました。 
ズブの素人である菅氏が、原子力事故の現場指揮に介入し、海水の注入を止めるように「命じた」かと思えば、避難指示は猫の目のように変わり、逃げた先のほうがより線量が高かったりする悲劇が頻発しました。
一方、女房役の枝野官房長官は、伝えるべきSPEEDIによる放射性物質拡散情報を隠蔽したうえに、「直ちに健康被害を及ぼすものではない」という言い方を再三にわたってテレビで繰り返しました。 

当時、枝野氏による「直ちに健康被害を及ぼすものではない」という台詞を、テレビで毎日のように聞かされたものです。
絶句する表現です。 おおよそ専門知識を持った人間が言うことはではありません。

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このように政府から言われれば、国民は「そうか、時間が立つと放射能の毒が拡がって、病気になるのだな」と、晩発性障害の可能性があると政府が言ったと受け取ります。 
実際に、多くの国民がそう理解して、東日本の食品を拒否し、ミネラルウォーターや西日本の農産品に走りました。 
そして、終わることのない数年間に及ぶ「風評被害」が始まるのです。
きっかけを作ったのは、この「今は問題ないが、後になったら知らないぞ」といわんばかりの枝野氏の言葉でした。

もっとも重度の放射能バニックに罹った人たちの中からは、自主避難者がでます。

・県外自主避難者数・・・23,000名(約半数)
・県内自主避難者数・・・18,000名(避難区域でない市町村からの避難者数)
・計      ・・・約41,000名

以後3年間もの長き間、東日本の住民は無明地獄をさまよい続けることになります。

これは事故後のリスクコミュニケーションの問題としてとらえ返されるべきです。 

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                    『スウェーデンは放射能汚染からどう社会を守っているのか』

ここにひとつの原発事故を総括した、優れた報告書があります。 
スウェーデン政府はチェルノブイリ事故発生直後の1年間の社会的混乱を総括して、一冊の報告書にまとめました。
これは、スウエーデンの防衛研究所、農業庁、スウェーデン農業大学、食品庁、放射線安全庁が1997年から2000年までに行った合同プロジェクトで、「どのように放射能汚染から食料を守るか」という報告書にまとめ上げられています。 
『スウェーデンは放射能汚染からどう社会を守っているのか』(合同出版)という邦訳もあります。 

この報告書の完成は、事故後10年まで待たねばなりませんでしたが、その報告の範囲は食料だけにとどまらず実に広範で、事故対応、放射能規制、広報のあり方、食品規制、農業対応、そして防衛研究にまで及ぶものです。 
わが国の事故調が技術的解明に終始し、一部においては「だから日本人は」というような安直な文明批評に陥ったことと較べると、その徹底した総括に対する態度に感銘を覚えます。 

これを手にしてみると、スウェーデンでも事故直後、多くの問題が発生していたことがわかります。
チェルノブイリ事故以後、北欧は深刻な放射能汚染にさらされました。  

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 チェルノブイリ事故だのヨーロッパのセシウム137分布図
(ネーチャー誌2011) 

スウェーデンは、事故後の風向きの下流に位置したために、スウェーデンの一部は、福島における40㎞地帯に相当する被曝を受けました。
また、放射性物質を吸着しやすいキノコ類や、またトナカイやヘラジカを好んで食べる食習慣があったことも、より問題を複雑にしました。 
スウェーデン政府は率直に、この社会的混乱の原因を分析しようと試みています。 

■スウェーデンの原発事故処理の教訓1 
バニックは事故直後の情報発信の失敗により起きる  

実は、スウェーデンも事故発生直後の1年間は、日本と変わらない社会混乱が起きていました。これについてスウエーデンは、一冊の報告書を政府が発行しています。 

報告書冒頭でスウェーデン当局は、このようにみずからの対応の失敗を省みています。


「チェルノブイリ原発事故によって被災した直後のスウェーデンにおける行政当局の対応は、『情報をめぐる大混乱』として後々まで揶揄されるものでした。(略)
行政当局は、ときに、国民に不安をあたえることを危惧して、情報発信を躊躇する場合があります。
しかし、各種の研究報告によれば、通常、情報発信によってパニックの発生を恐れる根拠は無く、むしろ、多くの場合、十分に情報が得られないことが大きな不安を呼び起こすのです。とりわけ、情報の意図的な隠蔽は、行政当局に対する信頼を致命的に低下させかねません。(略)
行政当局が十分な理由を説明することなく新しい通達を出したり、基準値を変更したりすれば、人々は混乱してしまいます」
(『スウェーデンは放射能汚染からどう社会を守っているのか』)

このようにスウェーデン政府は、情報の隠蔽と二転三転する説明こそが、国民に混乱を与える最大の原因だとしています。 
スウエーデン政府が自戒を込めて、ここで「行政当局はときに国民に不安を与えることを危惧して、情報発信を躊躇する場合がある」と述べていることに注目してください。 
このような大事故の場合、政府の危機管理能力を簡単に超えてしまうことが往々にあります。 
というか、チェルノブイリや福島第1クラスの原子力事故では、対応マニュアルを超えて当然なのです。

リスク・コミュニケーションの失敗です。わが国も取り返しのつかない失敗をしていることは記憶に新しいことです。
わが国の2011年に起きたことを思いつくままに挙げてみましょう。

①メルトダウンを否定するなどの事故状況の隠蔽
②放射性物質拡散状況(SPEEDI)情報、「最悪シナリオ」の隠蔽
③避難地域の二転三転。当該自治体への連絡の不備
④食品規制の朝令暮改
⑤「今直ちに健康被害はない」という政府発表が食品による晩発障害を示唆
⑥汚染マップ作成の遅滞
⑦工程表と冷温停止宣言の欺瞞 

まだまだありますが、スウエーデンでも同種のことが起きたことを深刻に総括しています。
原子力事故対策において、最初のボタンである汚染の拡大状況、事故状況、食品規制の三つのボタンをかけ間違えれば、それは「政府情報を一切信じない」、「まだなにか隠しているに違いない」という国民の不信に直結します。 

■スウェーデンの教訓2 農業対策をしっかり立てて農家と消費者に伝える 

国土の放射能汚染は、農業生産の危機に繋がります。スウェーデンにおいても農産物生産-流通で深刻な混乱があったことを認めています。
第3章 「放射性降下物の影響」では、農作物への影響が記述されています。
放射性物質にある地域の土壌や水が汚染された場合、地域の農作物に影響がでます。 
これが食品を通しての二次汚染に連鎖していくことをスウェーデンの例を通して説明しています。 
これは、政府が明確な食品規制の考え方を農家と消費者双方に説明しないと、かえって混乱を増幅する可能性があることを示しています。 
たった3回の会議で農業側の意見を聞き取りせずに決めた食品新基準値づくりなどは、まさにこの轍を踏んでいることになります。 

また、スウェーデンでは移行係数を消費者にも明示して、わかりやすく農産物への放射能移行を説明しています。 
これも、ただやみくもにゼロベクレルを要求する消費者の流れに対して考えさせられるものがあります。 

■スウエーデンの教訓3 食品検査は過剰でも過少でもいけない 

第2章「 放射線と放射性下降物」では健康への説明と、スウェーデンの2000年時点での検査体制が説明されています。 
ある意味、意外な感がしたのは、スウェーデンでは、牧草、野菜、肉などの農作物は、サンプリング検査しか行われていません。
かなりはっきりとした調子で、全量検査体制をすることは無駄だと言い切っています。 
それは、検査費用が膨大になって農産物価格にしわ寄せされてしまうこと、農家の負担が大きすぎ続かないこと、そしてなによりそれに見合った効果がないということのようです。 

この時に、政府は国民や民間企業の協力なくして収拾することは不可能です。そしてこの協力を得る近道は正しい情報の発信です。 
いかなる事態が起きて、今どのような状況なのかについて、隠し立てすることなく、明解に意思疎通すべきです。
何をあたりまえなことを、と思われるかもしれませんが、現実に多くの企業や行政が、大規模な事故においてやりがちなことは、この「情報隠し」なのです。
今起きている事故の状況で手一杯なのに、正しい情報なんか与えればいっそうこの混乱が広がてしまうと考えて腰が引け、いつしか出しそびれてしまい、隠蔽してしまい、週刊誌などにスッパ抜かれてさらに政府の信頼を傷つけるというパターンです。

当時、わが国の政府が最初に国民に伝えるべきは、いうまでもなく危険情報の基本中の基本である放射性物質拡散図でした。
これはSPEEDI情報として、官邸は持っていました。
しかし官邸はこれを握りつぶしてしいまいます。

Photoスピリッツ 右ページが早川マップ

そしてその後、火山学者の早川由紀夫が、上図の不正確な拡散シミュレーション図を週刊現代に暴露することで、いっそうパニックに輪をかけてしまうことになります。
この早川はカルト的デマッターに「成長」していきますが、当初このようなセンセーショナルな登場をしたために、多くの信奉者が多く出ました。
上の画像は事故から既に2年以上たった時期に出たおなじみの『美味しんぼ・福島の真実』のひとこまですが、この時期には政府の詳細な拡散図がでているにもかかわらず、雁屋はあいかわらず早川マップを使用しています。
いかに早川が、反原発運動に強い影響を与えたのかわかるでしょう。
かくして、火山ガスのシミュレーションにを使っただけの杜撰なもので、一切の計測をしていないこの早川マップによって事態は鎮静化するどころか、いっそう拡がっていくことになります。

そもそもこんな基本的情報は政府が直ちに発表するのかあたりまえなのです。
カルト学者が週刊誌にリークしてしまうこと自体が、度し難い政府の無能ぶりと国民に対する愚民視を表しています。 

スウェーデン政府は三つの情報は正確に直ちに伝達すべきだとしています。


①汚染の拡大状況
②事故状況
③食品規制

政府が、この三つのリスク・コミュニケーションに失敗すると、国民は「政府情報を一切信じない」、「まだなにか隠しているに違いない」という根深い不信感に直結していくことになります。 
そして以後、政府がなにを言おうと信じようとせずに、ネット空間の情報や週刊誌、テレビからのバイアスのかかった情報だけを信じる層が生まれてしまうことになります。

そして基準づくりについてもこのように述べています。

■スウエーデンの教訓4 事故直後は緊急の防護基準を作り、徐々に強化していく 

チェルノブイリ事故によって、スウェーデンにおいても食品をめぐる動揺が社会的に拡がりました。 
第4章「食品からの内部被ばくを防ぐ有効な対策」では、スウェーデン政府の放射能食品安全基準と、家庭の安全対策を紹介しています。
スウェーデンでは、事故前まで1mSv(ミリシーベルト)の射線量の防護基準を採用していましたが、事故直後からの1年間は5mSvの被曝も許容しました。

これは事故直後において、いきなり平時の放射線防護基準を適用することが不可能であり、無理にそうすることによる社会的な摩擦のほうが大きいと考えるからです。いわば緊急時基準です。
これは空間線量や食品基準値に適用されますが、このとき政府の説明がいいかげんだとかえって混乱を深めてしまいます。

■スウエーデンの教訓5 緊急時基準の引き上げの説明に失敗すると社会的混乱を招く

わが国においては、暫定規制値がこのスウェーデンの1986年基準値に相当するわけですが、満足な説明もなくそれを出したために、「輸入食品基準値よりなぜ高いのか、こんなものを食べて大丈夫なのか」、などの憤激の声が多く国民から上がりました。
そしてさらにアホな政府が「レントゲン1回分より低い」などという次元の違う比喩を使ったために、多くの消費者が東日本の農産物の買い控えに走りました。

一方日本では、福島事故直後に年間被曝基準を1mSvから20mSvに引き上げました。
まさにスウエーデンが言っていることの逆をやらかしたのです。
緊急時においては緊急時基準ということを説明して、平時基準を下げねばならないのです。
そしてまとめとしてこのように整理しています。

■スウェーデン政府の放射能対策一般原則 
➊現行法や国際的な取り決めに反した対策は行わない。
❷急性の深刻な健康被害を防ぐために、あらゆる努力を行う。
❸対策は正当性のあるものでなければならない。
➍講じる対策は、なるべく良い効果をもたらすように最適化する。
➎対策の柔軟性が制約されたり、今後の行動が制約されることはできるだけ避けるべきである。
❻経済的に費用が高くなりすぎない限り、農作物・畜産物は生産段階で汚染対策を行う。
❼一般的に大規模な投資の必要がない汚染対策を実行すべきである。

日本においても平易に書かれたこのような本を作るべきでしょう。
なんなら、スイスの『民間防衛』のように各家庭に一冊配布してもいいくらいです。

 

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コメント

チョルノービリ原発事故が世界に明らかになったのは、数日経ってスウェーデンの原発のモニタリングポストで観測された異常値からでしたね。
当時ソビエト国内ではペレストロイカとグラスノスチを進めていたにも関わらず隠蔽体質は簡単には変わらずゴルバチョフ書記長が正確に把握するのに時間がかかり、政権にも大打撃になりました。

福島事故から12年半。
あれだけ多くの方が米沢市や山形市に自主避難してきましたが「あれっ?自分たちやってたこと意味無くね?」と気付いた人も増えたようで、去年には県内への避難者は1000人を切ってます。
残ってるので多いのは当時幼児連れで来た人でこっちに生活基盤が既にあり、子供がこちらの学校で育ったという方々ですね。

変わった例だと福島第一原発から3キロ北の沿岸部請戸で酒蔵丸ごと津波に飲まれた「浪江錦」の酒屋さんでしょうか。
社長さんはとりあえず会津の喜多方市の酒蔵で間借りしていたけど、ちょうど山形県長井市で後継者いなくて廃業する酒蔵があったので「好きに使っていいよ」と声掛けられて移住。内陸なので気候もコメも水も酵母も違うので試行錯誤だったそうですが頑張って事業継続。
そして昨年ついに故郷に新たに出来た新しい道の駅なみえに併設された酒蔵が地元の酒米と地下水で復活しました。並々ならぬ努力の成果です。もちろん放射線検査は検出限界以下ですよ。こういう人の頑張りは感動しますし応援したくなります。

実はオレ日本酒は苦手だというオチがありますけど。。

日本は残念ながら、科学的事実を尊重する風土に乏しく、科学的事実を多くの国民が理解するには時間が掛かり過ぎ、危機対応には何の役にも立たないのです。
時間が掛かる理由の第一はマスコミ。真実よりも、危機を煽る報道を優先すること。
第二は政府が科学的事実よりマスコミ報道に影響された世論に迎合すること。
第三は、第一、第二と関係するが、まともな科学者にきちんと情報が伝わらず、また、マスコミ、政府に呼ばれないので、一般の人に科学的に正しい情報発信する機会が得られないこと。
結局、情けないことですが、処理水問題のように、時間を掛け、国際機関などの他国の科学者に頼るしかないのが現状です。

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