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2023年9月15日 (金)

偽薬としての再エネ

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事故直後には幅広い層に共感をもたれていた脱原発運動ですが、いまはかつてのような勢いは完全に失せています。
その理由は色々ありますが、代替エネルギーについてリアルな提案ができなかったこともあるでしょう。
現実には9割弱が化石燃料に依存する国になっているにもかかわらず、初めからその代替は再生可能エネルギーで「決まり」だからです。
現状日本は9割、化石燃料依存ですぞ。それを太陽光で決まり、みたいに言われてもねぇ。

下の2枚のグラフを見てください。紫の原子力がグラフ右端では消滅して、替わりに火力のピンク色が激増しているのがわかりますね。
これが、「原発ゼロ」の現実です。

 

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 (図電源別発電電力量構成比 - 電気事業連合会

同時に、電力会社は燃料コストの増加によって、電力料金を値上げせざるをえなくなっています。

Photo

                             (図 東電HP)

このシビアな現実をいつまで続けていくつもりなのでしょうか。電気料金の値上がりは、2011年から消費税5%分に等しいと言われています。
まちがいなく、この電力高騰と薄氷の電力供給態勢は、日本のデフレ脱却の足をモーレツに引っ張っています。

Photo                   (写真 日本全国、どこもかしこもメガソーラーだらけ)

このたいへんな状況に対する偽薬が、再エネです。
電力は、原子力だろうと、火力だろうと、はたまた再エネだろうと、消費者にとって、要は電力を安く安定供給してくれることが一番なはずなのに、電源選択こそが至上の命題であるかのような錯覚を作ってしまいました。
この無関係なふたつを強引に結合させてしまったのが、「東電悪玉論」、あるいは「東電戦犯論」と呼ばれる東電バッシングです。
つまり、飯田哲也氏あたりにいわせると、こういうロジックになります。


「東電という極悪な会社が、政府から原発と引き換えにして、まるで幕藩態勢のような地域独占を与えられて肥え太り、競争相手がいないのをもっけの幸いにしてクソ高い電気料金を課し、そのくせ原発の安全に注意しなかったためにフクシマ事故を起こしてしまった」

こんな東電は潰してしまえ。そして独占を解体して、市民参加の出来る再エネにチェンジしよう、そのためのロケットブースターがFIT(全量固定価格買い取り制度)だ、と言うわけです。

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これを分解してみると、こんな論理パーツで成り立っています。


(1)電力制度批判
①電力会社は地域独占体制で利益を貪っている(電力会社幕藩体制論
②電力会社は総括原価方式でコストを電力料金になんでも転嫁できるので原発を国の言うままに量産しまくった(総括原価方式特権論

(2)東電バッシング
③電力会社は事故を未然に防げたにもかかわらず、対策を怠ったために大事故を起こした(福島事故事前防止可能論
④事故に際しては現場から撤退を図った(東電撤退論

(3)原発再稼働反対
⑤全原発も直ちに廃炉にするべき (再稼働阻止

(4)再エネ普及のためのFIT推進
⑥原子力がなくとも、省エネと安全・安心な再エネがあるので大丈夫だ(再エネ代替論
➆再エネ普及のためのFIT推進

(5)電力自由化
⑧電力会社の特権を剥奪し、電力市場を開放しろ(電力自由化

スッと読むと納得しそうですが、こうして区切ってみるとまったく別の次元の論議が雑然と積み重なっているのが分かるでしょう。
最後の電力自由化論に至っては、原発とはなんの関係もありません。
それを強引に接着しているセメダインが、「東電憎し」「東電極悪論」です。
だから、反原発派にとって、ナニガなんでも、福島事故は極悪の東電が安全を怠ったために起きた人災でないと困るのです。

念のためにお断りしておきますが、再エネ自体が間違った技術だと言っているわけではありません。むしろ非常に面白いし、はまる所にはまれば大変に有力な電源です。
ただし、それは以下の条件が必要です。

①水量が豊か、風が強いなどの自然条件に合った地域特性が利用できる場合
②長い送電網を通して消費地に送るという送電ロスがなく、地場で費消できる条件
③発電の不安定という宿命的な欠陥を補うための蓄電設備

これらの条件が揃えばいいのですが、現実には実現が難しい。
ですから、再エネに対する過度な思い入れによって、まるで原子力にすぐに取って替われるというような幻想は持たないことです。
再エネは、使い方を間違えねば、漢方薬のように社会の体質を変えるいい薬ですが、世界トップクラスの工業国のベースロード電源になるような代物ではまったくありません。
今の反原発派が主張するように、ベース電源全部を再エネに入れ換えるといったやり方をすれば、ただの偽薬となって、かえって症状を悪化させるだけです。

そしてこのような脱原発運動は、急速に国民大衆から離れてただの左翼運動に転落していきました。
つまり党派の囲い込みとドグマ化です。 
山本太郎はこう述べています。


「脱原発派だけどTPP賛成というのは嘘つき」「TPP推進派は『向こう』に行ってくれたらいい。逆に『こちら』の空気を醸し出しながら中立を装うのが一番怖い。それでは第2、第3の自民党だ」
(ニューズウィーク 2014年2月11日号同) 

このような自分の主張のみが正しいとするカルト化傾向に対して、運動初期の指導者だった飯田哲也氏はこう警告しています。


「挙げ句の果てに運動の『セクト化』が進み、互いを罵る悪循環に陥った。まるで革命を目指しながら、内部分裂と暴力で崩壊した連合赤軍のようだ」
『最初はみんな熱く盛り上がるが、熱が冷めて自分たちが少数派になるにつれ、運動が純化し極論に寄ってしまう』」
(ニューズウィーク2014年2月11日)

あるいは、福島県出身の社会学者・関沼博氏の表現を使えば、もっと手厳しくこのように述べています。


「あたかも宗教紛争のようだ。
脱原発派科学者の筆頭だった飯田でさえ自然エネルギーの穏やかな転換をとなえただけで隠れ推進派として攻撃される。
「事故当時は女子中学生で、運動参加者から脱原発アイドルと呼ばれる藤波心も『なぜか原発推進派』と批判されたことがある。『こだわりすぎて自分の活動に酔いしれるだけでは原発はなくならない』と藤波は指摘する」
(ニューズウィーク前掲)

ここで出てくる藤波氏というのは、当時脱原発アイドルだった藤波心さんのことですが、彼女を誹謗した人たちは、「原発はなくならない」ということなどということは、とうに折り込み済みなはずです。  
なぜなら、原発がなくならない限り運動対象は不滅だからです。 
原発がなくならない以上、永遠に脱原発運動も組織も存在する理由があり、運動の中心にいる左翼政党はそれによって党勢拡大の手段にできると思っているからです。

もし、本気で原発をなくしたいのなら、デモなどするより、原子力に替わるエネルギー源の開発のための研究を真面目にしたほうが、よほど現実的なはずです。
そして、その代替エネルギーが実用化するまで電力会社が体力を維持できるように暫定的に安全性を規制委員会から認められた少数の原発を稼働してつないでいくというのが、現実的な選択なはずです。 
しかし、この脱原発運動家たちは、本気で原発をなくすつもりがないとみえて、街頭で「再稼働反対」と叫ぶことが、ただひとつの脱原発の道だと信じているようです。 

そして、自分ひとりが叫ぶだけならまだしも、徒党を組んで、時間をかけても本気で原発をなくそうと考えるような人間たちは「原発推進派だから向こう側」であり、つまりは「敵」であり、フンサイ対象なのです。
なんと不毛なことでしょうか。 

 

 

 

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コメント

再生エネルギー、大変結構だと思いますが、実用、実益を得るためには「金」だけでなく「時間」もかかると言うことを頭から抜いている人たちばかりだった、と言うことでしょうね。

とある自動車メーカーのCMで、花屋さんが、電気自動車にしたのは、EVは排ガスが出ないので、少しだけ地球環境に優しくなれるから云々の下りがあるのですが、あのセリフを聞くたびに、充電されるその電機を作るのに、どんだけのCO2が出てるの?といつも突っ込みを入れたくなります。もし本当にそう思っているなら、どんだけ自己満の世界にいるねんと思ってしまいます。市販の携帯バッテリーを充電するソーラーパネルでフル充電して走っているなら、地球環境に優しいでしょうけどね。

 山本太郎は左翼ですから、彼の党純化路線は狂っているように見えて、実は自身のカリスマ性を土台に据えた独裁体制保持のための道具です。先鋭化すれば、少数でも組織も強くなりますから。

ただ、新興保守の側も似たり寄ったりですかね。
参政党なんか特にそうで、どの意見を党論とするかが発端でもめ、異なる見解を発信する松田学氏は代表を辞任。今はもう吉野某が提唱する非科学的な食品添加物問題だとか、ワクチンに関する尖った意見だけが生き残っている状態に見えます。

百田新党はLGBT法の成立で自民党に愛想を尽かしたのが発足動機で、本来ゆるいはずの「保守の一致点」を妥協で具現化していかないとこれまでの粗製乱造された保守派党と同じ事になってしまいそう。
しかし、それだと「自民党でいいや」って事になるから、難しいところです。

それにしても、再生可能エネルギーの本格活用は難題だらけですね。
風力だけは少しはマシに見えましたが、たかだか一年やそこら事業を前倒しさせる事だけのために、倍の売電料金で国民に負担を強いる変更された入札基準を撤回しないあたり、いかに穏健な私でも怒り心頭です。

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