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2023年9月16日 (土)

「汚染水」などという手合いには損害賠償訴訟をすべきだ

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再稼働をめぐっては全国各地で30を超える原告団が結成されて、各地の地裁で「勝利判決」が出ています。
たとえば、2016年3月に大津地裁運転差し止め判決がありました。
こんな判決です。


「関西電力高浜原発3、4号機(福井県高浜町)は安全性が確保されていないとして、滋賀県の住民29人が再稼働差し止めを求めた仮処分申請で、大津地裁は9日、関電に運転差し止めを命じる決定を出した。山本善彦裁判長は「過酷事故対策などに危惧すべき点があるのに、安全性の確保について関電は主張や証明を尽くしていない」と判断した。仮処分決定は直ちに効力が生じるため、関電は運転中の3号機を10日に停止させる。
 高浜3、4号機の差し止め決定は昨年4月の福井地裁に続き2件目。運転中の原発を止める仮処分決定は初めて。
 関電は決定を不服とし、異議と執行停止を申し立てる。3号機は10日午前10時から出力を落とす作業を始め、同日午後8時に停止する予定。
 山本裁判長は決定で「東京電力福島第1原発事故の原因究明は道半ばだ」と指摘。事故を踏まえた新規制基準の過酷事故対策について、「関電の主張や証明の程度では、新規制基準や(原子力規制委員会が審査で与えた)設置変更許可が、直ちに公共の安寧の基礎になると考えることをためらわざるを得ない」と述べた」
(時事2018年3月9日)

なにが「原因究明は道半ばだ」っての。

大津地裁運転差し止め判決 その1 山本裁判官の「法の名の下の無法」: 農と島のありんくりん (cocolog-nifty.com)
大津地裁運転差し止め判決 その2 電力会社は今後の抑止のために損害賠償訴訟をすべきだ: 農と島のありんくりん (cocolog-nifty.com)
大津地裁運転差し止め判決 その3 日仏原子力規制を比較してみると: 農と島のありんくりん (cocolog-nifty.com)

これを原告団は「画期的判決」などと歓喜していましたが、確かにこの人らとは真逆の意味で「画期的」なことには違いありません。

Photo_2
http://news.ameba.jp/20160309-632/

山本善彦裁判官はたった4回の審理で、ろくに専門家も呼ばないまま安全基準の検証などきれいさっぱりスルーして出した判決がこの再稼働差し止め仮処分命令でした。
いやー、専門家が何年もかかって再稼働を認めたものを、一瞬で覆せるってわけで、この裁判官神の如き人ですな。
そもそも仮処分などは金銭債権者が倒産しそうな債務者の財産を急いで差し押さえる時になど使われる法律です。
あくまでもその本旨は経済案件に使うもので、仮処分というから仰々しいのでなんのことはない倒産、夜逃げ、ローン破産などで使ってきた法律なのです。
それを社会のエネルギーインフラの稼働の可否に適用するというのですから、筋違いも甚だしいんじゃありませんか。
裁判官も法曹なら、こんな勘違いなことを裁判所に訴えるな、とたしなめるべきなんですが、運動家と一緒になってワッショイ、ワッショイ、原発再稼働をゆるさないぞぉ、なんてやっているんですから、困った君です。

これでは原子力安全行政の権限を持つはずの原子力規制委員会の頭越しに、裁判所が原発の運転の可否を決めていることになります。
原子力規制委員会は、会計検査院と同等の独立性を担保された国家機関なことをお忘れか。
規制委員会は、「内閣からの独立の地位」を与えられて原子力の規制・監視を しているわけです。
言い換えれば「政治からの独立」がなければ、原子力の規制監視は素可能なのです。

ところが、この大津地裁判決は脱原発派への政治的従属を選んでしまいました。
まるで裁判官は、原発の再稼働権限をただの裁判官の個性や思想に左右される属人的なもののように扱っています。 
つまりこの大津地裁判決は、再稼働について唯一権限を与えられた原子力規制委員会の独立性に対する著しい侵害なのです。
まるで司法はスーパーバワーをもって、三権の上に超越しているとでも思っているのでしょうか。

原子力規制委員会の決定は、政府はおろか、国会ですら取り消せないことを思い出して下さい。ん
それほど規制委員会は専門家を結集し、専門家を集めて原子力施設の安全性を徹底検証しているのであって、その厚みを知らない者のみが、たった4回の短期審理で専門家不在のまま判決をデッチあげられるのです。

福島事故の時の、素人政治家の事故処理介入による混乱を反省して、政府は任命権者であっても、指導することはできない独立した機関を作ったのです。
このような行為を、越権行為、あるいは「法の名の下の無法」と呼びます。
山本裁判官は、原子力規制委の独立性を侵害することで、せっかく出来た福島事故を総括して生まれた規制委員会の新安全基準など「緩やかにすぎて合理性を欠き、適合しても安全性は確保されていない」と簡単にひねり潰したのです。
唖然とするような傲慢さと無知です。

しかし、わが国では司法の構造上できてしまいます。
そしていったん放射脳の裁判官にあたったら最期、いくつも出て、その都度再稼働は動いては泊まり、止まっては動くを繰り返すことになります。
その結果、電力は恒常的に不足し、どこか一カ所の狩意句発電所が停止したりすれば、2018年の北海道大停電のような事態を引き起します。

今回の海洋放出についても同じことが起きないとは言えません。
海洋放出についてどこかの「市民団体」が放出停止の仮処分命令を提訴した場合、オカシナ者がゴマンといる地裁判事で同調して仮処分命令を出さないともかぎりません。

どうしたらよいのでしょうか。
電力会社と政府が唯々諾々と訴訟を待っているのではなく、「汚染水」あるいは「汚染海産物」などと発言した団体を提訴することです。
この大津地裁差し止め判決によって、関西電力は原発停止による1日5億5千万円といわれる損害を被り、管内の電気料金値下げは不可能に追い込まれました。
このような「基準外的圧力」による原発停止に対しては、電力会社はその失われた損失の対価を原告団に請求すべきです。

こんなことが司法にできるのならば、沖縄米軍基地使用差し止め仮処分、自衛隊職務執行差し止め仮処分なんかも可能かもしれません。(もちろんできませんので念のため)
こういう法を借りた無法行為を起こさせないために、風評をばらまく団体やメディアに対して法的措置で臨むべきです。

 

 

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コメント

 地裁には色々な裁判官がいます。
反原発の有名どころでは樋口英明判事のような人もいて、「裁判官は事件を論評せず」の基準を軽率に破るヤカラもおりました。
けど、日本の司法は上級審では信頼を失墜することなく、我が国は三審制でホントに良かったとしみじみ思えた事件でした。

なお、「汚染水」と呼称する人たちは、デブリに触れた処理水が科学的にどのように変化し、人体に有害な状態を作り出すのか?その立証責任があります。そこを誰も説明し得ていません。

科学的態度って書くと、偉そう風、小難しい風、面倒くさい風だったりしますが。
例えば、最近「予報精度No. 1!」とCMをやっている超有名天気予報アプリがありますよね。
「予報精度No. 1」としか言っていないCMを見て、あれ?検証の仕方や比較の条件はどうなってるの?と思うか。(アプリを開いたら、今朝フジの情報バラエティで特集があるとの告知があり観てみたら、やっぱりその説明は無かった)
それとも「へーそうなんだー」と流して忘れるか、忘れるよりそれをそのまま信じて自分の知識になったと思うか。
ある程度には根拠を意識する素養って、理工系人文系に関係なく持っていて良いはずと思うのです。いや持っていないと、この世の中で騙される機会が増えるし、騙されたことにも気づけないし、気づかず人を騙すことにもなる。
そこが始まりで、うん?気象庁は毎日5時に始まって24時間で数回の発表で、あの会社は24時間いつも5分で予報を変えることも可能だけど、どうなってるのかな?と、その会社のホームページを調べると、朝5時発表のその日の天気予報を対象にして、誰が何をどうやって評価するのかが、気象庁の同種情報へのリンクとともに説明されてあります。
あれ不思議だな?と思う、思って確かめてみる、いつもこうするのは、習慣になっていない人にはしんどいことかと考えますが、騙されたり他人を騙すことになるよりは、ずっとマシではないでしょうか。
「主張や証明を尽くしていない」「原因究明は道半ばだ」は山本裁判長の主観ではない、そのことを担保する根拠には、何がありますの?何がどうなると原因究明が完了し主張や証明が尽くされたと裁判長は判断できますの?それを言わずに他者を「尽くしていない」と決めるには、裁判長が根拠の説明を尽くしていないのではありませんの?あなたの「尽くしていない」は「あなたの思い通り希望通りの説明ではない」と同義ではないですかと聞かれたら、あなたはどう合理的な反論をしますの?
不思議だからムズムズして、そう詰めていきたくなります。
いや世の中には、いちいち詰めない方が良いこともあるって、私だって少しはわかっています。
あの気象予報会社には、全国多くのユーザーからリアルタイムで画像映像や適中してるしてないの情報が寄せられて活用するシステムがあるのですから、少なくとも気象庁との比較で完全公平と言い切れるかな?とも思ったりしますが、そこは企業努力でもあるでしょうから、そこまでは詰めません。(そもそも沖縄のような島では天気予報は難しくて、明確に見えるものから「そう感じる」まで、気象庁の方が当たっていることもあれば、漁師が言うことの方が当たった、なんていうのもあるあるなわけで)
だがしかし、流さず詰めなくてはいけないこと、己の主観を極限まで排さねばならぬこと・そういう時、それは確実にあるのです。

山路さんも言われた樋口裁判長は最近になってその「功績」を讃える記録映画までできてしまいましたね。なんとも気持ちが悪いものです。

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