ネタニヤフの司法制度改革に赤信号
もう少しイスラエルの内政問題を続けます。
瑣末に見えるかもしれませんが、このハマス・イスラエル戦争の行方を考える上で重要なことだと私は考えています。
というのは、この戦争はネタニヤフの個性に支配されているところが濃厚にあって、仮に彼ではなく別の人物が首相の座に座っていたら、たとえ言いがかりだとしてもジェノサイドだなどということは言われなかったと思うからです。
ネタニヤフが固執していた国内政策に司法制度改革というものがありました。
なぜネタニヤフが司法制度改革にこだわるのかといえば、建国以来の基本法( 憲法)によれば、政府が決定した法律が国家にとって合理的ではないと判断される場合に、最高裁がこれを却下する権限がある、とされているからです。
そして最高裁には15人の判事(保守派(右派系)がおり、その内訳は保守系判事7人とリベラル系判事8人という構成になっています。
長官はリベラルです。
ネタニヤフ首相
ネタニヤフ政権の即時退陣要求=モービルアイCEO | ロイター (reuters.com)
最高裁は、ファーライト政権のネタニヤフ政権が「国家にとって合理的ではない」と思われる政策を提案した場合、最終的に拒否権を有しているわけです。
結果、ネタニヤフが国会で可決した法案したにもかかわらず、多数が最高裁で却下されてしまいました。
いまやネタニヤフの政敵となった最高裁をなんとか黙らせたい、そもそも司法府が行政府と立法府の上を行くことになってよいのか、これは民主主義の原理に反すると叫んで、最高裁のこの権限を認めないために作ったのが「合理性法」です。
ネタニヤフはメチャクチャな男ですが、これには確かに一理あります。
最高裁の裁判官は、民主的な選挙で選ばれるものではないものが、国民の選挙で選ばれて付託を受けた政府の動きを否定してよいのかという言い分です。
とうぜん、彼の支持母体の右派、宗教政党は賛成しました。
一方、リベラル派と宗教世俗派たちからすると、このネタニヤフの作った合理性法を受け入れると、政府の暴走を許してしまい、戦時挙国内閣であることをよいことに好き放題に暴走されてしまうと考えて「合理性法」反対に立ち、完全に国論が二分する状態になりました。
戦争中に内政で国論分裂ですからシャレになりません。
イスラエルはイスラエル嫌いの人からすると一枚岩のユダヤ教国家に見えるようですが、そんなことはありません。
極右国家ならキブツなどという社会主義的農業組織が健在なはずがありません。
アラブ系住民は165万人もおり、人口の20、7%を占めています。
彼らの多くはイスラム教です。
キブツは労働力不足からアラブ人を大量に雇用しており、イスラエルにはアラブ人の政党も議席を持っているほどです。
そのキブツでハマスは大虐殺をやってのけたのです。
イスラエルのアラブ系市民 - Wikipedia
ところで議会も、リベラル勢力は過半数はとれませんでしたが、前政権のラピド首相はリベラル派であり、ほぼ保守派と議席数をわけあっています。
大統領のヘルツォーグは労働党出身です。
イスラエルの大統領 - Wikipedia
イスラエル右派が過半数、ネタニヤフ氏復権へ 総選挙結果公表:中日新聞Web (chunichi.co.jp)
昨年7月に、ネタニヤフは「合理性法」を与党多数(といっても7議席差程度ですが)の国会で可決させ、基本法に加えるという動きをとりました。
議会を二分し、かつ世論調査でも国民の大多数が反対する「合理性法」を力づくで通してしまう、というのがいかにも我らがネタニヤフです。
当の最高裁はがどのような判断をするかが注目されたのですが、昨年1回は延期し、1月1日に合理性法案を却下するかどうかの最高裁の採択が行われました。
結果は予想されたように、合理性法却下に賛成する判事は13、反対は2で、保守系判事を含めて圧倒的多数で「合理性法」は、基本法から却下の発表がされました。
ちなみに、すでに基本法に加えられている法律が却下されるのは、イスラエル史上初めてだそうです。
日本で言えば、最高裁による違憲判決ということです。
移民、ポップスター...イスラエルの司法制度の運命を決める最高裁判事 |イスラエル |ガーディアン紙 (theguardian.com)
最高裁長官のエスター・ハユット判事はリベラル派だと言われています。
ハユット判事は、最高裁長官就任演説において、ネタニヤフを前にして「適正に適用された法の支配こそが、イスラエルの分裂を防ぐ」という演説をしてのけた女性です。
「進歩的」な最高裁長官エスター・ハユットは、パレスチナ人に対しては厳しい態度をとっているが、恵まれない人々の側にも立っており、右派から批判を受けている。
2017年にイスラエル最高裁判所の首席判事に就任したエスター・ハユットは、常に髪を真ん中できれいに分け、バレッタで後ろに留めた眼鏡をかけた女性で、イスラエルの司法を弱体化させようとする政治的動機による試みから国の司法を守ることを誓った。
適切に適用された法の支配こそが、わが国を団結させる接着剤の役割を果たしている。司法制度に亀裂が入らないことを祈ります」と、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相を含む聴衆に語った」
移民、ポップスター...イスラエルの司法制度の運命を決める最高裁判事 |イスラエル |ガーディアン紙 (theguardian.com)
この最高裁判断の背景には、10月7日のハマスの大虐殺とまだ奪還できていない百数十人の人質と、増大する戦死者があると言われています。
このネタニヤフの「合理性法」が、国論の分裂を招きながら、あまりに強引に基本法に繰り入れられたことに対して、今はそんなことをしている場合か、国を失ったら生きていけないイスラエルの民が内輪もめしている場合ではない、という声が強くなったのです。
その声はネタニヤフの足元のリクードにも及んでいます。
ガリット・ディスティル・アトバリヤン
イスラエルタイムス
元リクード党の大臣は、10月7日の攻撃に先立って国を引き裂くことで「罪を犯した」と言います |タイムズ・オブ・イスラエル (timesofisrael.com)
もとリクードの大臣であったアトバリアンはこう述べています。
「かつて合理性法を強力に推進してきた元リクード党員のガリット・ディスティル・アトバリヤン氏は、公共外交大臣として、国内で合理性法を推進する担当に任じられていた。戦争前までは、合理性法を推進し、かなり強く、反対派を批判する側に立っていた。
ところが、アトバリヤン氏は、ハマスとの戦争が始まって数日後に、自らこのポジションを辞任した。
12月31日、テレビでのインタビューで、「10月7日のハマスの攻撃を知り、一瞬で自分がしてきたことが間違いであったと察した。私自身が国に亀裂と分裂を生み出し、それが、国を弱体化させて、結果的にハマスの虐殺を招く結果になった。」と明確に、自分の罪だったと認め、公的に謝罪する声明を出した。
アトバリヤン氏は、今ではネタニヤフ首相を批判する立場に立っている。しかし、同時に、ネタニヤフ首相の政治家としての力量は他に類をみないこと、汚職疑惑についても、ネタニヤフ首相がはめられた部分もあると感じているとして、複雑な思いも語っている。
またリクード内部に混乱を持ち込みたくないとして、総選挙の案が出た時には、反対票を投じると言っている」
(イスラエルタイムス1月1日)
元リクード党の大臣は、10月7日の攻撃に先立って国を引き裂くことで「罪を犯した」と言います |タイムズ・オブ・イスラエル (timesofisrael.com) 。
ネタニヤフは焦りすぎています。
なにもこの時期を選んで「合理性法」という国論を分裂に追い込むような法律を通すことはありませんでした。
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コメント
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ネタニヤフは時期もやり方も拙速でした。
司法界がその権限を用いて左翼的に偏しすぎていて、急速な世俗化をし過ぎていたのは事実でしょう。
選良が議会を通じて決定した事柄を公務員である裁判所がひっくり返せるのなら、それは韓国の裁判所と同じこと。
米欧などの「司法の独立性が脅かされる」という批判は総花すぎて、全然しっくりこない。
我が国では内閣に法制局を置いたり、憲法審査会を設置して巧みに司法消極主義を実現しています。
憲法違反は、「解釈の余地なく、一見して明らかな場合」のみが該当します。そうでないと、今のアメリカのいくつかの州裁判所のような司法の暴走を防げない。
ただ、問題はそう単純ではなく、「ネタニヤフの汚職隠しに使われる」、あるいは「政権の責任回避」などに利用される危惧が大規模デモなどの理由になっているようです。
つまりはネタニヤフ政権がすべき事ではなかったし、戦時のドサクサに紛れて行う決定でもなかったと言うべきでしょう。
投稿: 山路 敬介(宮古) | 2024年1月13日 (土) 17時11分