羽田事故と似ている「テネリフェの惨事」
もっとも恐ろしい航空機事故のタイプは、航空機と航空機の誤進入(runway incursion)による衝突です。
今回の羽田事故もそれに該当します。
しかもそのどちらかが満員の旅客機だった場合、甚大な事故につながります。
それが現実に起きたのが、1977年3月に発生したスペイン領テネリフェ島でのジャンボ・ジェット旅客機2機による衝突事故です。
これはいまだ世界最大の航空機事故と呼ばれています。
「テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故は、1977年3月27日17時06分(現地時間)、スペイン領カナリア諸島のテネリフェ島にあるテネリフェ空港(現:テネリフェ・ノルテ空港)の滑走路上で2機のボーイング747(ジャンボジェット)同士が衝突し、両機の乗客乗員644人のうち583人が死亡した事故の通称である。
生存者は乗客54人と乗員7人であった。死者数においては史上最悪の航空事故である。
死者数の多さなどから「テネリフェの悲劇」「テネリフェの惨事」(Tenerife Disaster)とも呼ばれている」
テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故 - Wikipedia
この事故が起きたテネリフェ空港は1本しか滑走路と誘導路しかない古い地方空港で地上管制レーダーもなく、ジャンポ機を多数受け入れるような施設が整っていませんでした。
そこに事故当日は、爆弾事件の影響で空港にはダイバート(代替着陸)した旅客機が数多くいました。
しかも天候は視界の悪い濃霧で、離陸滑走を始めたKLM(オランダ)のジャンボ機が、濃霧の中、誘導路代わりに滑走路を進んでいた米パンナム(パンアメリカン航空)のジャンボ機に正面衝突したものです。
パンナム機はKLM機に乗り上げるようにして双方ともに炎上しました。
このテネリフェ事故でも羽田事故と同様に管制官と機長の間にコミュニケーション障害が起きており、それが主原因でした。
時系列で追います。
「KLM4805便の機長はブレーキを解除し離陸滑走を始めようとしたが、副操縦士が管制承認が出ていないことを指摘した。
17時6分6秒、KLM4805便の副操縦士は管制官に管制承認の確認を行う。
17時6分18秒、管制官はKLM4805便の飛行計画を承認した。これはあくまで「離陸の準備」であり、「離陸してよい」という承認ではないが、管制官は承認の際に「離陸」という言葉を用いたためKLM4805便側はこれを「離陸してよい」という許可として受け取ったとみられる。
17時6分23秒、KLM4805便の副操縦士はオランダ訛りの英語で、“We are at take off”(これから離陸する)または“We are taking off”(離陸している)とどちらとも聞こえる回答をした。
管制塔は聞き取れないメッセージに混乱し、KLM4805便に「OK、(約2秒無言)離陸を待機せよ、あとで呼ぶ(OK, … Stand by for take off. I will call you)」とその場で待機するよう伝えた。この「OK」とそれに続く2秒間の無言状態が後に問題とされる」
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テネリフェにおいても、羽田事故における海保機のケースに似たミスが起きます。
KLM機はすでに地上滑走しようとしていましたが、いったん離陸の承認を得るために停止していました。
管制塔から来ている指令は「テイクオフ準備」でしたが、KLM機は「テイクオフ」の部分を離陸許可と勘違いしました。
そしてKLM機は 、本来は「停止・待機」指示だったにもかかわらず、「われわれは離陸している」と通信して滑走を再開してしまいました。
ちょうど羽田事故で、停止して待機命令を聞き違えて、誘導路から滑走路に出てしまった海保機のようにです。
管制官はこのKLM機の真正面からパンナム機が滑走路に進入していたことを知っていましたが、ここでなぜか「謎の2秒間の沈黙」をしてしまいます。
たぶんKLM機のオランダ訛りの英語が聞き取れなかったためだと言われていますが、管制官は自分の出した「停止・待機」指示を了解したものだと受け取ったようです。
この通信のやりとりは、もう1機のパンナム機でも傍受されていました。
このような傍受は、本来混信を避けるためにできないことになっていますが、このとき管制官はマイクの送信ボタンを押しっぱなしだったのです。
このような大事故も、小さなミスの集積だとわかります。
とまれKLM機に待機指示がでていると思ったPAA機は「滑走路があいたら離陸する」と応えます。
「17時6分26秒、管制官は改めてPAA1736便に対し“Report the runway clear”(滑走路を空けたら報告せよ)と伝え、PAA1736便も“OK, we'll report when we're clear”(OK、滑走路を空けたら報告する)と回答した」
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この通信もKLM機にも聞こえており、仰天したKLMの機関士はパンナム機が滑走路にいるのではないかと機長に危険を進言します。
そのときのKLM機内部の会話がボイスレコーダーに残っていました。
KLM機関士:「まだ(パンナム機が)滑走路上にいるのでは?」
KLM機長:「何だって?」
KLM機関士:「まだパンナム機が滑走路上にいるのでは?」
KLM機長/KLM副操縦士:(強い調子で)「大丈夫さ!」
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機長は機関士の上司であり、しかもKLMの中でも最も経験があるパイロットだったために、機関士は重ねての進言は控えてしまい、この乗客・搭乗員の運命は決定しました。
羽田事故においても、管制塔と海保機が重大なコミュニケーションミスをしています。
44分56秒 管制 JAL 516 滑走路34R着陸支障なし。風 310度8ノット。
45分01秒 日航機 滑走路34R着陸支障なし JAL 516
11秒 海保機 タワー、JA 722A C誘導路上です。
管制 JA 722A、東京タワー こんばんは。1番目。C5上の滑走路停止位置まで地上走行してください。
19秒 海保機 滑走路停止位置C5に向かいます。1番目。ありがとう。
海保機は「待機・停止」指示であったにもかかわらず、この通信の「1番目」を一番最初の離陸と勘違いし、日航機の手前の滑走路上に出て停止してしまいました。
またテネリフェでもそうであったように、羽田も双方から互いの機体は見えず、衝突まで気がつきませんでした。
しかも双方共に滑走路が極度に立て込んでおり、一刻も早く離陸を急ごうとして焦る「ハリーアップ症候群」が生じていと指摘されています。
今回の羽田事故がテネリフェ事故のような大惨事にならなかったのは、一に日航客室乗務員の勇敢な脱出活動によってでした。
彼女たちの真にプロフェショナルな仕事は、称賛してもしすぎることはありません。
このテネリフェ事故は47年も前に起きた事故ですが、それから航空機の安全装備や訓練は大きく進歩しましたが、この管制塔と航空機のコミュニケーションは無線交信というある意味で原始的なツールひとつに任されたまま残されています。
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あのトラブル続きと濃霧の中で起きたテネリフェ事故は、管制官がポケットラジオでサッカー中継聞きながらやってたとか、双方の747クルー(特にKLMパイロット)が当時激しかった労使交渉で勝ち取った乗務時間制限をやたら気にしていたという「ハリーアップ症候群」。
あの大事故の後でICAOは空港やパイロットでバラバラだった安全性に重要な用語に必ず「クリアードフォー〇〇」や「リクエストフォー〇〇」といった世界共通用語に統一されて、事故は減りました。
が、もちろん万全ではなく聞き逃しや思い込みでの誤進入はあるわけで、国内だけでも「重大インシデント」が過去20年で20数件起きてます。
ヒヤリハットの1/30ってハインリッヒの法則でしたっけ?マーフィーではないな。本当に事故ったということ。
羽田は世界有数の混雑空港ですので、管制官側のアラート表示は出ていたとか、誘導路には既に侵入禁止ランプ表示装置が設置されていたけれども昨年4月から点検中のままだったとか···いろいろと出て来てますけど、事故調査委員会はあらゆる可能性を検討するせいか結論出すのが遅いですから、まあ今年中に最終結論が出るかな?と。。
投稿: 山形 | 2024年1月 8日 (月) 06時42分