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2024年2月24日 (土)

北方領土交渉の失敗、反省をこめて

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認識を誤っていました。
ウクライナに対するロシアの姿勢を見て、ロシアに対する私の認識が根本的に甘すぎたことがわかってきました。
私の認識の甘さは、2019年1月に書いた『北方領土交渉は最終直線コースに入ったのかもしれない』によく出ています。
北方領土交渉は最終直線コースに入ったのかもしれない: 農と島のありんくりん (cocolog-nifty.com)

この記事は、2019年1月22日に控えた日露首脳会談前のラブロフとの会談後に書かれたものですが、私の記事は妥結までの最終ストレッチに入ったという誤った見方をしていました。
しかし現実には、ラブロフ外相はこう言っていたのです。

0029306132 時事

「会談後、ラブロフ外相が単独で記者会見に臨み、北方領土におけるロシアの主権を認めるよう、日本側に改めて要求したことを明かした。
また、日本の法律で「北方領土」という文言が使われていることについて「受け入れられない」と反発したことや、平和条約について交渉を進めるにあたり、日本側が第2次世界大戦の結果をすべて認めることが必要だと伝えたという」(ハフィントンポスト2019年1月15日)
https://www.huffingtonpost.jp/2019/01/14/meeting-taro-kono-sergey-lavrov_a_23642564/

ラブロフは、当時の河野外相に愛想もこそもなくこう言っていました。
「北方領土問題などというものはない。この諸島の主権はロシアにあり、日本はそれが第2次大戦の結果であることを認めよ」
この意味するところは、「戦争の結果」に従え」、もっと砕いて言えば、返してほしくば戦争するんだな、、ということです。
ロシアという国は、建国の昔から一貫して、戦争で領土を拡げてきたのです。

そして私の大きな判断の間違いは、これを単なる危険球だと軽視してしまったことです。
ラブロフは交渉というと必ず課題な要求を出して最後通牒めいたことを言うのが習いなので、また投げやがったと思ってしまったのです。
ところが、これは外交交渉上のレトリックではなく、まさにロシアの真意でした。
2020年には、とうとう憲法に「領土割譲禁止」を入れたくらいです。

ところが2021年になっても、佐藤優はこう述べています。

「ロシアのプーチン大統領は4日、昨年7月に改正された憲法に領土割譲を禁止する条項が盛り込まれたことを踏まえ、北方領土問題について「憲法を考慮しないといけない」と述べた。この条項が領土交渉に影響する可能性を認めた格好だ。一方で「(日本との)平和条約交渉を止めるべきだとは思わない」とも語り、交渉継続に意欲を示した」
(毎日 2021年6月11日佐藤優 『北方領土交渉に対するプーチン大統領の意欲』)

そして佐藤はあの迫力のある顔で、ロシアが懸念する米国の中距離ミサイル配備を日本が拒否し、4島に固執せずに2島返還で折り合うならば北方領土は返還されると説いています。
この男のミスリードは政府にすら影響を与えました。

「プーチン氏は2000年の大統領就任直後、日ソ共同宣言の履行に前向きな姿勢を示したが、日本側が4島返還を求めたことに反発し、交渉が停滞した時期がある。
 一方、「日露とも戦略的観点から平和条約締結に関心を持っている」とも強調。ただ、米軍による日本への中距離ミサイル配備の可能性には改めて懸念を表明した」
(佐藤前掲)

この2島返還論は、鈴木宗男なども盛んに提唱していたもので、この平和条約を進めつつ並行して経済開発で信頼醸成し、2島先行返還交渉を具体化していく、米軍は駐留させない、という戦略に安倍氏も強い影響を受けたと思われます。
私もそれが現実的解決方法だと考えていました。

しかしこのロシアに歩み寄ったかに見える2島先行返還論ですら幻想にすぎませんでした。
ロシアにはテンから北方領土を返還する気などなく、返してもいいというそぶりはフェイントにすぎず、その裏にはなにかの政治的意図が針のように隠されていました。
ありていにいえば、ラブロフがいうようにロシアには「北方領土問題」など存在しないのです。
したがって、交渉そのものが無意味です。
わが国はロシアが1990年代のソ連崩壊直後のように疲弊にあえぐ時に機敏に再交渉するしか道はありません。

にもかかわらず、日本は北方領土交渉においてロシアに対して甘すぎました。
それにはいくつか理由があります。
ひとつには、ロシアが戦後処理を急いでいると考えていたことです。
ロシアにとって残された戦後処理は日本の北方領土交渉だけで、これか喉に刺さったトゲとなって日露平和条約は締結に至っていません。
ここで日本が考える「戦後処理」とは、あるべきものをあるべき者に返還すること以外にありません。
そもそも北方領土は、敗戦のどさくさに紛れて、ロシアの没義道な進攻によって奪われたわが国固有の領土だからです。
いわば「固有領土論」とでもいうべきものです。

ロシアが言っているのはそれと正反対に、「第2次大戦の結果をすべて認めよ」という「戦争結果論」の立場ですからかみ合うはずがありません。
彼らロシア人に言わせれば、第2次大戦の結果とは、今の戦後の国際秩序そのものであり、日本もその中で生きている以上、これを前提にするのが当然ではないか、というものです。
したがって、国境の変更を言い出しているのは日本の側であり、ロシアは戦後秩序の守り手なのだというわけです。

そしてプーチンはいくつもの餌を撒きました。
その最大のものは、プーチンが2001年3月のイルクーツクでの首脳会談での「1956年宣言」の有効性を認め、その履行はロシアの義務だ」という発言です。

「(日ソ)共同宣言の有効性を、ロシア首脳で初めて公式に認めたのがプーチン大統領だ。2001年、イルクーツクでの日ロ首脳会談では声明で、平和条約の交渉プロセスの出発点となる基本的な法的文書と明記した。大統領は日ソの両議会が同宣言を批准したことを重視し、ソ連の継承国として「履行義務がある」と言及している。
ただし大統領は、歯舞、色丹の2島を「どのような条件で引き渡すかは明記していない」とクギも刺している。主権の問題を含めてすべて交渉次第というわけだ」
(日経 2016年10月19日)
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO08527230Z11C16A0EA1000/

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地球コラム】プーチン大統領、「2島マイナスα」が本音か:時事ドットコム

この「1956年宣言」とは、鳩山一郎政権時にソ連と締結した宣言で、この時も領土問題で行き詰まっていました。
平和条約を締結するにはまず相互の領土を確定せねばならず、この部分でスッタモンダのあげく、宣言はこういうことで落ち着いています。

●日ソ共同宣言(1956年)
歯舞群島及び色丹島を除いては、領土問題につき日ソ間で意見が一致する見通しが立たず。そこで、平和条約に代えて、戦争状態の終了、外交関係の回復等を定めた日ソ共同宣言に署名した。
→平和条約締結交渉の継続に同意した。
→歯舞群島及び色丹島については、平和条約の締結後、日本に引き渡すことにつき同意した。
外務省『北方領土』
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/hoppo_rekishi.html

つまり、ソ連は日本と平和条約を締結された後に、歯舞・色丹を日本に引き渡す、ということです。
ですから、プーチンがこれは「1956年宣言はロシアの義務だ」とまで言ったということは、平和条約を締結すれば返すという意味以外に取りようががありません。

この理解に基づいて安倍氏はプーチンが危惧するトゲを抜いてやりさえすれば、北方領土は返還されると読んだのです。
このトゲとは、北方領土に在日米軍と中距離ミサイルなどを進駐させないことや、さらには民族主義者プーチンの国内への顔をどう立ててやるかということなどで、いずれも解決可能なことだと安倍氏は考えていたようです。

Fb

プーチン大統領が「シンゾー」と言わないワケ

結局は、この安倍氏の判断が誤っていたのはご承知のとおりです。
プーチンはいかなる妥協も拒みました。

「しかし、2004~05年を境にその発言内容は一変、以降は「南クリルが第二次大戦の結果正式にロシア領になったことは、国際法で認められており、これについて一切議論するつもりはない」、あるいは「1956年宣言には、島を引き渡すとしても、どこの国の主権が及ぶかは書かれていない」、「日本との間に領土問題は存在しない」などという、日本としては理解しがたいレトリックを繰り返し、一貫して強硬な姿勢を示してきた。
特にここ数年のプーチン大統領の発言は、どれも2000年代前半の時分とはかけ離れたものだ。それにもかかわらず、安倍政権は当時のプーチン氏の発言に引きずられてきた可能性が高い。シンガポール合意で、日本が1956年宣言まで下りる決断をしたのも、まさにプーチン氏が当時、1956年宣言の履行はロシアの義務と認めたという一点に、望みをつないだ結果だったと考えられる」
(吉岡 明子 2021年1月13日キャノングローバル研究所)

思えばこのプーチンを日本に呼んで開かれた日露首脳会談時は、すでにロシアのクリミア進攻が起きていたのです。

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ロシア軍、クリミアの重要拠点を掌握 - WSJ

訪日に応じたプーチンの胸中にあったのは、2島返還などではなく、日本を西側陣営から領土交渉で釣り出すことだったようです。
まさに西側分断工作の一環だったのですが、安倍氏はそれに乗ったことになります。
そしてかくいう私もそれに引っ掛かってしまいました。

この2014年3月のクリミア進攻で、ロシアはG8として西欧と協調する路線を完全に放棄し、対決へと舵を切っていました。
これは単なる一時の局地的紛争ではなく、世界秩序を支える根幹の枠組みそのものの変更を迫るプーチンの挑戦状だったのです。

これは2点で重要です。
ひとつは、露骨なNATOへの挑戦です。
軍事的にNATOはすでに膨張を続けるロシアと対峙できる能力を喪失しかけていました。
あまりに極端に開いてしまったロシアとの軍事費の差は、まるでナイアガラのようです。
下図は、先日も紹介した1992年を基準値にして直近の2020年を比較し変動倍率を算出したものですが、ロシアは実に4千935倍というウルトラ軍拡をしているのがわかります。
一方、本来ならばNATOの中軸たるべきドイツ軍はメルケル緊縮でズタボロの状態でした。

米国は声を枯らしてNATOに国防費の2%の増額を求めましたが、応じたのは英仏ポーランドなどごくわずかというありさまでした。
クリミア進攻を待たずして、NATOは「戦っても勝てないから、戦わないように」という不戦敗の心理に陥り、初めから軍事的に対抗していく戦略を放棄してしまったのです。

そして第2に、ウクライナ問題において、NATO諸国が掲げるべき大義を裏付けるものに欠けていました。
型式的にはウクライナがNATOに加盟できていないことですが、それだけではありません。
本来なら、ウクライナに対するロシアの軍事侵攻は、1945年以降、国連を中心に形成してきた世界秩序そのものへの敵対であり、国連安保理はこのために作られたといって過言ではない機関のはずでしたが、これが完全に空洞化していました。

中国もほぼ同時期に南シナ海を軍事要塞化していきますが、ウクライナのロシアと一緒で、このならず者ふたりが揃って国連安保理の常任理事国であるという悲喜劇です。
不戦敗戦略を実質とったNATOは、頼みにすべきは国連安保理での制裁決議のはずでしたが、これも得られることは絶対にありえなくなりました。
理由はいうまでもなく、当のロシアが常任理事国なので拒否権を発動するに決まっているからです。
これがクウェートに進攻したイラクや、核開発に走る北朝鮮に対する時とは本質的に異なる理由です。
ましてウクライナは加盟申請中であって加盟国ではないために、米国とNATOは仮にロシアと軍事的に対峙しようと思うなら、「有志連合」の形をとらざるをえないのです。

つまり、2014年を境にして、東と西で大きなパラダイムシフトが起きていたのです。
西ではクリミア、東では南シナ海において。
私は、このような大きな戦後史の転換点を視野からはずして、日露2国間に狭めて考えていました。
もちろん、西側陣営のわが国もプーチンにとっては例外ではなかったはずでしたが、安倍氏は老練な政治家にありがちなプーチンとの強い人間関係を頼りに解決を図ってしまいました。
外交の天才とまで言われ、G7の指導的立場にいたた安倍氏の唯一の失敗でした。

 

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コメント

第三次世界大戦が始まって(気づいてないだけでもう既に始まっている、なんて声もありますが)、戦後の整理という形でしか、北方領土は取り返せないんですかね。

ロシア自体も30いくつかの小国に解体して、二度と大きな力を持たないようにして。

 しかし逆に、ロシアとの交渉が上手く行く前提でした私を含めた浮かれたコメントに対して「そうは甘くない」、「終戦時のドサクサでソ連がいかにしたか?を見ろ!」と叱咤したのもブログ主様でした。
結局のところあれは分断工作であって、トランプが大統領になれば再び日本に対して同じように仕掛けて来るでしょう。
二年前、国境に兵力を集めたプーチンが何と言ったか?
ウクライナへの軍事侵攻は考えていない、と繰り返し述べていたのです。今考えればですが日本との合意など屁とも考えていない、歴史上常に言える事でしょう。

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