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2024年3月 4日 (月)

ナワリヌイ葬儀、一粒の種

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ナワリヌイの葬儀が行われました。

「ロシア北極圏の刑務所で急死したと2月16日に発表された野党指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏(47)の葬儀が1日、モスクワ南部で執り行われた。葬儀の行われた教会や墓地には、ナワリヌイ氏を追悼するために数千人の市民が集まった。多くの人が花を持ち、ナワリヌイ氏の名前や反政府のメッセージを連呼した。
教会や墓地周辺には朝からフェンスが設けられ、警察官も多数出動した。
人権団体によると、同日夜までにロシア各地でナワリヌイ氏の追悼に参加した人が90人以上逮捕されたという。
ロシアのテレビ局は、ナワリヌイ氏やその葬儀についてほとんど報じていない。そのため葬儀の様子は、ナワリヌイ氏が立ち上げた「反汚職基金」が、ナワリヌイ氏のユーチューブチャンネルからリアルタイムで実況した。
葬儀は現地時間午後2時に、モスクワ南東部マリイノ地区にある教会で始まった。マリイノは、ナワリヌイ氏がかつて住んでいた地域。
教会に霊柩車(れいきゅうしゃ)が到着すると、集まった人々は拍手で出迎えた。
(BBC 2024年3月1日)
ナワリヌイ氏の葬儀、モスクワで執り行われる 数千人が集まり行進 - BBCニュース

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BBC

ナワリヌイの葬儀の情報が一切禁止される中、彼の遺したチームは教会での追悼式をユーチューブでライブ中継し、数十万人のロシア国民がその画像を追ったといいます。
当局は、ユーチューブの動画に妨害をかけ、たびたび中継はダウンしましたが、最後まで続けられました。
この葬儀参列は、FSBなどの監視の中で行われ、参加すること自体が身ばれによる不利益や拘束を被る可能性が高かったのですが、その葬列は長く続きました。

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ロイター

なお、葬儀にはモスクワ駐在の欧米各国の大使たちの姿が見られました。
日本大使の参列はなかったようです。

一方、葬儀の日、プーチンはこんな演説をしました。

「ロシアのプーチン大統領は、日本時間の29日夜、内政や外交の基本方針を示す年次教書演説で、3年目に入ったウクライナへの軍事侵攻について「ロシア軍が主導権を握っている。さらに多くの領土を解放している」と述べ、ロシア軍が攻勢を強め戦果を得ていると強調しました。
また、ロシアの核戦力を誇示するなど、ウクライナへの支援を続ける欧米側を強くけん制しました。
ロシアのプーチン大統領は、日本時間の29日夜6時すぎからモスクワ中心部のクレムリン近くで、2時間以上にわたって年次教書演説を行いました」
(NHK2024年2月29日)
プーチン大統領 年次教書演説 “ロシア軍が攻勢”戦果を強調 | NHK | プーチン大統領 

核兵器を誇示し、ウクライナ侵略を完遂するとのことです。
拍手はまばらで、さすがのロシア国民もしらけきって見ていたようです。

ところで、プーチンは赴任5年目の1989年11月、目の前で一国が崩壊する姿を目撃しています。
当時、この男はKGB工作員として東ドイツに赴任し、西ドイツの過激派のハンドラーをしていたといわれています。
東ドイツ秘密警察のシュタージやKGBの予想を裏切って、11月9日、東西分断の象徴であったベルリンの壁は民衆によって叩き壊され、東西ドイツは一気に統合を目指します。

東西ドイツの再統合とは、東ドイツの崩壊を意味します。
ソ連圏随一の優等生として安定していたはずの東ドイツでは、全国に民主化デモの波がわき起こり、壁崩壊から1カ月後の12月にはプーチンが住んでいたドレスデンも民主化デモに洗われます。
12月5日、プーチンの事務所があったシュタージの建物は真っ先にデモの標的となり、市民はシュタージが作った市民の監視記録を奪おうとして押し寄せました。

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 NHK

民衆は怒りの声を上げながら、シュタージの建物を占拠しましたが、その時のデモのシュプレッヒコールは、「我々が人民だ!我々が人民だ!自由を手に入れろ!」だったそうです。
「我々が人民だ、自由を手に入れろ」、この市民の声は一生プーチンの耳から離れないはずです。

そしてれから1年後の1990年10月、東西ドイツが統一し、東ドイツは崩壊しました。
そしてプーチンが祖国に逃げ帰った後を追うように、ソ連もまた1年後の1991年12月、多くの衛星国を独立させ、崩壊します。
独立を得た国のひとつにウクライナがありました。

これがプーチンの原体験です。
プーチンがもっとも恐れるものは米国ではなく、民衆の民主化への希求なのです。 

「ウィーンコン発フィデンシャル」の長谷川良氏はこう述べています。

「そして今回、プーチン政権の強権の犠牲となったナワリヌイ氏の追悼式に2キロ余りの列ができた。これを“ナワリヌイ・ライン”と呼びたい。追悼式に参加した人々からは「ロシアに自由を」「愛は恐怖より強い」といった声が飛び出していた。ナワリヌイ・ラインを見て、クレムリンの主人プーチン大統領はどのように感じただろうか。
 「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる」(「ヨハネによる福音書第12章24節)というイエスの言葉を思い出す。ナワリヌイ氏の犠牲が近い将来、ロシアで豊かな実を結び、ロシア国民が独裁政権から解放されることを願う」
ウィーン発 『コンフィデンシャル』 (livedoor.blog)

 ナワリヌイはこのプーチンが恐れる民衆をまとめる「一粒の麦」でした。
それがゆえにプーチンはナワリヌイを殺したのです。
私もナワリヌイの葬列に手を合わせて祈りましょう。

ロシアが一日も早くプーチンという名の悪霊の手から自由を取り返しますように。

 

 

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コメント

 次々と訪れる献花のための人波から、プーチン政権への不満のシュプレヒコール。「ウクライナ人は良い人たち」などの合唱もありました。
プーチン容疑者とその政権の圧制に抗して、スターリニズムの再来を予見するロシア民衆自身が立ち上がる機会を図っているように思えます。

一方、ロシア政権の悪質なプロパガンダは日本にも広範に及んでます。YouTubeを含むSNSでは、ナワリヌイは欧米のスパイだったが、用済みになって見捨てられたのだ、とか。
死亡に欧米が関与した、などとする馬鹿々々しい情報が垂れ流されています。リテラシーのない一定層の人たちは、それでも信じてしまうアホらしさ。

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