立憲はかねてから「自然エネルギー立国」を唱えてきました。
「立憲民主党の枝野幸男代表は23日、日本外国特派員協会で記者会見し、自身が唱える「自然エネルギー立国」の実現により脱原発を達成したいと意欲を示した。「原子力を発電に使わないという方向を、できるだけ早く実現する。自然エネルギー分野を成長させて、国内(需要)の100%に近づける」と述べた。 自然エネルギーはコストや安定供給といった課題を抱えるが「供給量や価格は、時間の問題で解決できる」と断言。技術を発展させ、世界に売り込む考えも示した。使用済み核燃料の処分や廃炉、立地地域の雇用など脱原発の課題を挙げ「正面から向き合い、解決へ努力したい」と強調した」 (秋田魁新法2020年9月23日)
いつまで同じこと言ってんでしょうか。原発ゼロと再生可能エネルギーのワンセットです。 福島事故後の数年間ならまだしも、いまでもこんなことが争点になっていると思う神経が理解できません。 もう論じ尽くしたテーマなので延びきったラーメンのように食欲がでません。
論点はいくつかあります。 枝野氏は再生可能エネルギー(再エネ)という表現が一般化する前の「自然エネルギー」に表現を替えましたが、言っていることは一緒です。 というかゼンゼン進化しないね、このヒトたち。 いやいっそう定向進化しちゃって、なんだって「国内(電力需要の)100%にする」ですって(笑)。ぶ、はは。100%無理。 いまでも風力、太陽光、地熱など合わせても8%に満たないのに、どこをどうしたら100%になるんだつうの。 北海沿岸の風力発電から長距離送電網を作って、森林伐採しまくってまで「自然エネルギー」を増やしたメルケルのドイツですら、せいぜい2割台です。
2018年(暦年)の国内の自然エネルギー電力の割合(速報) | ISEP 環境 ... isep.or.jp
脱原発に熱心で、民主党政権時代にはグリーンニューディールなんて言っていた米国も、早々と壁にぶち当たって、いまや原子力を増やそうとしています。
「クリントン政権の発足当初は、核不拡散を最優先課題とし、エネルギーについては原子力を重視せず「再生エネルギーを重視」するものであり、前ブッシュ政権時代と比べて原子力開発予算は劇的に削減され、重要プロジェクトは次々と中止に追い込まれた。 逆に、政権の2期目では、原子力に対する政権の取り組みが徐々に変わり、地球温暖化防止、輸入石油への依存などの現実から、「原子力をエネルギー源選択のオプションとして残す」方向へと政策は変わってきた。 また既存の原子力発電所 の定期検査 のサイクルの長期化、出力増加等により発電量を増大させるとともに「原子力2010」計画により新規原子力発電所建設を目指し、補助金、規制改革など民間の取組を支援している。 国内の石油、ガス価格高騰、大規模停電等の問題解析のため、2001年5月「国家エネルギー政策」を発表し、これを受けて上下両院で包括エネルギー法案の審議が開始された。審議は難航したが、2005円4月下院を通過した。同6月上院を通過し、上下両院協議会に入り、合意を得た後、8月8日に大統領が署名し成立した」主要国のエネルギー政策目標 (01-09-01-01) - ATOMICA -
今どき世界ひろしといえど、原発ゼロにして再エネを100%に近づける、なんてイっちゃったことを言っているのは立憲くらいです。 そもそも「自然エネルギー」で唯一モノになるのは水力くらいでしたが、脱ダムやっちゃったのは民主党政権でしたっけね。
「自然エネルギー立国」なんて、イメージだけでしゃべっているからこうなるのです。 本来、政策化するためにはテーマを切り分けて、目的をはっきりとさせねばなりません。 地球気象変動を止めたい、そのために地球温暖化ガスの二酸化炭素を削減するか、その温暖化ガスの原因となる化石燃料を削減するために再エネを増やしていくのか、はたまた放射能ゼロ、別の言い方で原発ゼロなのか、です。 このヒトたちの脳味噌の中ではきっと、地球温暖化阻止→火力発電削減→原発ゼロ→再エネなんて公式が並んでいるのでしょうね。
実はこれらの事柄は、なにも考えないとスッと矛盾なく繋がるようですが、実は矛盾しあっている要件です。 というのは、地球温暖化の主な原因が二酸化炭素かどうかはとりあえず置くとして(私は懐疑論者ですが)、現実にCO2削減をしようと思うと、もっとも手っとり早いのが、原子力を増やすことだからです。
原子力はなんせ二酸化炭酸ガスや硫黄酸化物をまったく排出しない「クリーン」なエネルギーだからで、ただCO2削減が目的ならば、化石燃料発電(火力)をさっさと止めて、原子力に一本化するのが近道です。 ただし、3.11の福島事故のように事故が起きた場合、その規模と影響の時間尺の長さは巨大で、他のエネルギー源のそれとは比較になりません。
また原発が未完成な技術体系なことは確かです。 いま新世代原発の登場によって福島事故のような全電源停止状況でも炉心冷却可能なタイプが生まれてきてはいますが、むしろハード以外の耐用年数制限の問題、高濃度廃棄物の最終処分のあり方、核廃棄物と原発稼働数との関係(総枠規制)、あるいは核リサイクル施設の存続といった未解決な問題が山積しています。 これらの諸問題は、いくら新世代原発がステーションブラックアウトであっても炉心冷却出来るようになったととしてもつきまとう問題です。 ですから、原発は「今なくては困るが、そこそこに」というのが私の考えです。 私はその意味で、少なくともGE型のような旧世代原発から段階的に削減していくしかないと考えています。
しかし福島事故以前は約3割のベース電源であったために、直ちに「原発ゼロ」といっただけではなんの問題解決にもなりません。 しっかりとその3割のエネルギーの穴を埋める代替エネルギーがなくてはなりません。 それをまったく考えずにやったのが民主党政権で、それをまたぞろ性懲りもなく押し入れから取り出したのが立憲です。 小泉元環境大臣のパパは有名な反原発運動家ですが(総理大臣だったって噂がありますが、ほんとかしら。ウソでしょう)、翁はこう言っています。
「今こそ原発をゼロにするという方針を政府・自民党が出せば一気に雰囲気は盛り上がる。そうすると、官民共同で世界に例のない、原発に依存しない、自然を資源にした循環型社会をつくる夢に向かって、この国は結束できる 」 (ハフィントンポスト 2013年10月2日)
まるでマックのセットメニューです。 ところが、実はここれら微妙に絡んではいるものの、相互に矛盾していて、本来なんの関係もないそれぞれ別途に検証せねばならないテーマなのです。
さて再エネは、もっとも古典的なエネルギー源として古くからありました。 中世にはほぼ今の原型を完成させていますが、産業革命で大部分はすたれつつも、地域にしぶとくしがみついて生き抜いてきました。 それが改めて再注目されたのは、1979年のスリーマイル島事故以後の脱原発運動の盛り上がりからです。 この中で再エネ(当時の言い方では「市民エネルギー」)は、その言葉のニュアンスどおり市民が、「裏庭で自分の家のエネルギーくらいは作ってみせる。その分原発はいらないんだ」というはなはだ牧歌的なものでした。
自然エネルギーのイデオローグであった飯田哲也氏の初期の本には、1986年のチェルノブイリ原発事故以後のスウェーデンで、同じような地域で市民が知恵と金を出し合って風車を建てていくエネルギー・デモクラシーの様子が描かれています。 世界中で市民が日曜大工で怪しげな「エネルギー発生装置」を作ったり、市民ファンドで風車を回していたのです。
このような牧歌的な再エネは、今では「神代の時代」の昔語りにすぎません。 なぜなら、今や脱原発運動は、裏庭どころか再生可能エネルギーを社会全体の代替エネルギーと位置づけてしまったからです。 この本来は、地域の生活や生産に密着した「裏庭エネルギー」だったものが、一躍世界上位の工業国家の代替エネルギーなどという身分不相応の位置を与えられれば、そりゃ失敗して当然です。
発電規模のケタが違う再エネを「飛躍」させようとすれば、必ず別の矛盾を引き起こします。 それは反原発運動の意識の延長で国家規模の、しかも世界で屈指の工業技術国の代替エネルギーを再エネに据えてしまったドイツの経験が物語っています。 ドイツではいくら優遇策であるFIT(全量・固定価格買い上げ制度)に厖大な金をつぎ込んでも再エネは07年時点で最大で16%にしか伸びませんでした。 (下図参照)
熊谷徹氏による
ちなみにその内訳は、風力発電が4割、バイオマスが3割、水力が2割、太陽光が1割未満です。 驚かされるのは、太陽光は再エネの代表選手のように思われているものの、実は全エネルギー源の0.2~0.4%(2010年現在)にすぎないことです。 一方、ドイツは原発を暫時停止(完全停止していません)することによって、低品質の硫黄酸化物の多い国内石炭火力発電が49%にも増えてしまいました。 ですから、皮肉なことには脱原発政策によって化石燃料シフトが起きてしまったのです。 これによってドイツの炭酸ガス排出量は一挙に増えていきます。
実はわが国もまったく一緒でした。わが国はある意味ドイツより過激な「全原発停止検査」ということを初めてしまったからです。 なんの法的根拠もなく、ただのカン氏の「お願い」で、全原発ストップですから呆れたもんです。 結果がこれです。火力発電一色となりまなした。 皮肉にも原発ゼロにすると火力発電が増えてしまい、したがって炭酸ガス排出量が増加するというトレードオフの関係がはっきりしてしまったのです。
2013年度のエネルギー源別の発電電力量の割合 http://www.japanfs.org/ja/news/archives/news_id035081.html
2018年度の実績値 → 2030年度の計画値 原子力 6% → 20-22% 石炭 31% → 26% LNG 38% → 27% 石油 7% → 3% 再エネ 17% → 22-24%(*再エネは水力を含む) 出所: ・ 2018年度エネルギー需給実績(速報値) ・ 第5次エネルギー基本計画(2018年7月発表)
化石燃料を主体とした発電を続ける限り、わが国は二酸化炭素を削減することは不可能です。 原発を止め、 9割弱を化石燃料に依存している現状では、パリ協定目標を達成することは不可能です。 つまり、エコ政策を突き進もうとして二酸化炭素ガス削減するためには原発を一定割合で組み込まねばならず、組み込んだら今度は反原発派から「危ない原発反対」とやられるという二律背反になってしまうわけです。 枝野氏にどうやったら原発を止めたままで、CO2削減できるのかお聞きしたいものです。
特に2008年からの2年間の二酸化炭素の排出量の増加は危険視されています。脱原発よって環境が確実に悪化したのです。 2009年の国連気象変動サミットにおいて、鳩山元首相が国際公約してしまった1990年比で2020年までに25%温室効果ガスを削減するという目標年になってしまいましたが、原子力発電なくしてどのようにするのかはまったく不透明です。 (*CO2削減率問題については過去ログをご覧ください。) http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-a3c7.html
下図を見ると、1997年の京都議定書以降も、CO2は増加の歯止めがかかっていないのが現状です。 京都議定書 - Wikipedia
化石燃料などからのCO2 排出量と大気中のCO2 濃度の変化出典:電気事業連合会「原子力・エネルギー」図面集2010http://www.jnfl.co.jp/recruit/energy/warming.html
このように京都議定書は失敗し、パリ協定もまた実行が疑問視されていることは確かです。 それ以前の1990年に8%削減という政府目標を立てた時ですら、そのために原発を9基増設し、当時60%台だった稼働率を一挙に81%にまで引き上げ、太陽光も20倍にする、と試算されていました。
また、2009年時点で、政府は電力に占める原子力の割合を当時の30%から2030年には50%にまで引き上げる計画を立てていました。 とうぜんのこととして、それらの計画は3.11以後、完全に白紙になりました。 ここで、ではどうやったら原子力なしでCO2削減ができるのか、という問題に直面せねばならなくなったわけです。
このように簡単に「原発ゼロ」と言って済ませられる問題ではないというのがお判りいただけたでしょうか。 原発問題というのは、放射能リスクばかり強調されがちですが、むしろエネルギー問題だと私は思っています。 原発のリスクをなくすということは、別なリスクを取ることでもあります。その新たなリスクの大小が、代替エネルギーを選ぶ基準となります。
問題のあり方を切り分けられず、トータルに代替エネルギーを見られない連中だけが、いまだに「自然エネルギー立国」なんて脳みそが日焼けしたことを感覚的に言っているにすぎません。 枝野さん、いつまでも「グリーン立国」なんてお菓子ばかり食べていないで、真正面からエネルギー問題を見たらいかがでしょうか。
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