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2024年4月24日 (水)

消滅しつつある沖縄への「同情と共感」という資産

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沖縄は他県にない「資産」を多く持っています。
それは美しい海、篤い人情など、触れることができるもの以外にも存在します。
それが、本土人の沖縄への憧憬と共感なのです。
そしてこの共感には、沖縄戦に対する本土人の慙愧の気持ちと、後に本土から切り離して異民族支配に置き去りしてしまったこと、そして復帰後も過重な基地を押しつけたことに対する沖縄への深い同情があります。

よく沖縄反基地派が言う本土の冷淡非情というのは当たっていないと思います。
実は、年間約3000億円、累積11兆円にも達する振興予算は、むしろこの「同情と共感」を原資にしています。
もちろん基地と基地負担がらみなのは、言うも愚かであたりまえです。
しかし、それだけでは割り切れない、半分しか言っていないのです。 
少なくとも、復帰から相当期間は、本土の沖縄に対する贖罪意識でした。
だからこそ、復帰以降、社会資本の投資にしても、生活関連の補助にしても、全国最高度のものが惜しげもなく投下されました。  

 

Photo_6(写真 現在の石川ドーム。振興予算をつぎ込まれて作られた。沖縄県の社会インフラの整備状況は全国有数である) 

 

Photo_7(写真 かつての石川闘牛場。私はこっちのほうが好きだ。闘牛はハマります)

 そして日本一の貧困県だといいながら、町並みの調和を乱す都庁並に巨大な県庁。どどーん。

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沖縄県庁|導入事例|音声認識の株式会社アドバンスト・メディア (advanced-media.co.jp)

すいません。那覇市庁舎を上げていましたので差し替えます。

振興予算は気がついてみれば、累積11兆。一国の国家予算に匹敵する額が既に投入されています。 一国へのODAといい勝負です。
しかし、それにもかかわらず、沖縄県民に豊かになったという気持ちが湧かず、感謝の言葉も聞かれないのも事実です。
感謝どころか むしろ、沖縄を自ら植民地と呼び、先住民が異民族支配にあえいでいるという「沖縄独立論」すら登場するありさまです。
県知事の演説など、歴史の恨み節全開です。
まるで、本土政府がいくら謝罪しても千年たっても許さない、と言っているようにすら聞こえます。 

さて、今やこの年間3000億円を越える、膨大な振興予算は仕切り直しの時期に来ています。
今までのように、本土の贖罪意識に乗った基地との見返りで、青天井で支払われていた時期は終わりつつあります。 
基地を材料とすれば無限の如く金が湧きだすような時代は、今や終了しつつあったのです。

 

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(図 沖縄タイムスによる

上図をみれば、振興予算が06年から11年にかけて右肩下がりになっていくトレンドに気がつかれるでしょう。
12年からまた増加し、再び3000億円を超えたのは、仲井真前知事が移設容認をした見返りでした。

 

Photo_2(写真 左翼に転向したばかりの翁長氏。右隣が稲嶺名護市長。まだ赤ゼッケンとシュプレッヒコールが似合わない。それもそのはず、かつてはデモをかけられる立場だった)

つまり、振興予算は負担軽減政策で進むはずだった普天間基地の除去、北部訓練場の返還などで、いっそう進む基地縮小に合わせて減額の方向にあったのです。
3000億円に乗せたのは、移設承認の御祝儀がわりでした。
本土政府には、今後もこんな馬鹿げた振興予算を垂れ流す気はないという時代の変わり目に現れたのが、かの翁長氏でした。
翁長氏の登場とは、基地関連の振興予算の減少に危機感をもった利権政治家の焦りから始まっているのです。
翁長氏がやっているのは見かけは左翼的な「独立」論ですが、一皮むけば、振興予算利権の永久化にすぎません。
もし、彼が本気で「琉球独立」をしたいのなら、今のギリシャ以上の厳しい歳出削減が要求されるはずです。

ならば、身の丈の経済に合わない振興予算の竹馬を捨てねばなりません。
島の貧しさから突き抜けて、ひとり豊かになった公務員の賃金や雇用数の削減は避けて通れないはずです。
しかし、翁長氏がそれに手をつける気がないのは明らかです。なぜなら、翁長陣営とは、公務員労組である官公労と沖教組こそが、支持母体だからです。 
そしてもうひとつの振興予算の支出先は、公共事業でした。他県と比較しても異様に大きな割合を占めています。 
今までも振興予算は実感の乏しい金と言われてきました。その理由は、大部分が公共投資という形で社会インフラ整備に投入されてきたからです。

それは沖縄の土木業者と、そこから派生した観光業者のみに恩恵を与えていたことは事実です。
念のために言っておきますが、私は土建業か悪いなどという立場にはたちません。 
土建業は沖縄の基幹産業中の基幹であって、土建業資本から観光業やスーパーなどのサービス産業が生れてきています。 
多くの地場ホテルはルーツを土建業に置いています。
それらの抱える雇用者は、裾野まで含めると膨大なものがあります。否定できるはずがありません。 

しかし一方で、なんのために社会インフラを作っていくのか、というグランドデザインがないところでの公共投資は、いたずらにハコモノを増やしただけだったという批判があります。
また、出せば出すほど、伝統的な沖縄の暮らしや環境を破壊しているという面も多く見られるようになってきています。 
それは、振興予算の受け手である沖縄自身が何をしたいのか、どんな沖縄を作りたいのかさっぱり見えてこないからです。  

たとえば、北部に金融特区を作ろうとして、名護にのみ認められている金融・情報特区を利用した「きんゆうIT国際未来都市・名護」という構想がありました。  
これもあえなく頓挫しています。このプロジェクト委員だった小西龍治九大大学院教授はこう述べています。


「金融特区に過大な期待を寄せるのではなく、沖縄が自分で考えていかないと沖縄は変われない。他人が現状を変えてくれるものではない」

そしてこう小西氏は続けます。


「沖縄の精神構造をむしばみつづける利権構造に思いが至ったとき、悔しいですが『かなわない』と思ったのです。
『なぜ立ち上がらないのだ。なぜ身を売ることを続けて、薄情卑劣な政府にすがってばかりいるのだ』というやり場のない怒りがありました」

私は小西氏と違って本土政府は「薄情卑劣」どころか、基地と贖罪意識が故に、腰が引けて腫れ物にさわるように沖縄に接していると思っていますが、この小西氏のワジワジとする気分は理解できます。
ワジワジとは、沖縄弁で「ジリジリする」ってニュアンスでしょうか。
かつての若き日の私も、沖縄の自立を助けようと沖縄に農業者として飛び込んだ経験があります。

翁長氏がこの公共事業の分野でしたのは、自分の派閥の金秀と「かりゆしグループ」に利権を配分するだけでした。
つまり、翁長氏には県民の鼻面に「民族自決」というニンジンをぶら下げてナショナリズムをくすぐるだけで、かんじんの「沖縄をどうしたいのか」というグランドデザインが欠落しています。
本土政府もグランドデザインがありませんが、それに牙をむく翁長「沖縄権力」の側にもないのです。
こういう相互の「大きな絵」がないところでの争いは、反対運動の戦術の過激さを増すだけとなります。

先日、デニー知事は自衛隊訓練場の建設に反対しました。
コロナ対応で医療崩壊すれば自衛隊に泣きつき、豚コレラで県畜産が大打撃を受ければこれまた自衛隊に出動してもらい、日常的に不発弾撤去や離島急患の移送などで自衛隊がなくてはならない存在であるのに、協力はしたくない、どの口で言えるのかと思います。

そして言葉だけはエスカレートして「独立」などということを平気で言う。
自分で自分を言葉で煽っています。
こんな過激さが増せば増すほど、沖縄県外の国民の沖縄を見る目は冷やかになり、今まで沖縄の見えない資産であった「共感と同情」を葬り去っていくことでしょう。

 

 

 

 

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コメント

再放送の「ちゅらさん」とか観てると、沖縄に対する気持ちがますます複雑になります。
観光客が戻ってもバスやタクシーが足りないとか。
あと島の東西の連絡が悪くて···例えばスポーツ公園が整備されたけど、FC琉球戦を観ようとしても那覇空港からは渋滞だらけの中停留所が50箇所以上の路線バスしかないというね。不便すぎます。どこにカネつかってんだ?と。
小さな島に我が県よりも多い人口が住んでいて、自然は豊かで、開発する度に不発弾という摩訶不思議な場所です。
あのゆったり感は独特でみんな大好きなんですけどねえ。。

何度か沖縄を訪れる度に、町が大きく変わっているのがわかります。道路が変わり建物が増え、大きなモールができている。地元の人たちはどう思っているのかわかりませんが、他の県から行くものは、沖縄が何か違うところに思えます。自分がイメージしていた沖縄と。だから何?と言われると、よくわからないのですが、今でもわが宮崎県と同じレベルの貧困県(個人所得が低い)。投資された多額のお金は、本当にどこにきえているのでしょうかね?

 自ら提議した訴訟において、最高裁判決に従わないという沖縄県当局。法に従えない者は社会の敵。それが沖縄県のデニー知事。
沖縄の自然や人情を大好きな本土の人たち、「分断」は中共の思うつぼと考える人たち、それでも本土は我慢の限界に近づいているようです。

もはや、いつも何をやらせてもダメダメであることが、ネット言論中心に沖縄県像、沖縄県政像に予期を通り越して期待すらされがちになっているようで、また、所謂「ウチナータイム」「なんくるない」的なもの、その言葉とイメージを、沖縄内外が表層的、娯楽的に使い過ぎているようで、自虐的なお気持ちも反発するお気持ちもあり。
先日の津波警報の時に、警察が宜野湾市内県道81号の一部を高台への一方通行にして、避難車を流したことを書きました。
後の報道によれば、避難呼びかけに向かった宜野湾署の20代〜30代の警察官3名が、全く動かない車列に遭遇して危機を覚え、高台とは反対の那覇方面向けが空いていることに気付いて署に連絡し、交通の危険の恐れがある時に警察官の判断で交通規制が認められる道交法に基づいて手信号で誘導した、とのことでした。
現場の3名も、組織としても、その場の良い判断だったと思いますし、職務への忠実さや全体への奉仕の精神を感じます。
官民大抵どこにも、質を伴った仕事が出来る人や集団はあるものです。
私が知る限り、県庁の中にも出来る人はいます。
一方で、沖縄県職員の普通退職者数が増加していることが県議会で問われ、報道上では退職理由について、「仕事の負荷の増大」「コロナ対応」「知事との板挟み」「県政の順法精神崩壊」などなど、いろいろ憶測が言われています。
個人の内心は知りようがないので、退職理由の推定や傾向を求めてもあまり詮無いこと。
誰の身の周りにも個人レベルで、出来る人、物凄く努力している人、だから応援したり見習ったりしたくなる人、前向きな刺激を貰える人、嫉妬を感じてしまう人はあるだろうと思います。
人間関係を断ったりしなくとも、己にとって、構う・関わる順位が下がる人や物事とは距離を置いて、己が想定する最悪にも耐えられるような備え、実力の充実を目指している人はいます。
頑張ったり率先すると目立って、周囲からネガティブな意味で「あいつ張り切っちゃって」と思われる、陰口を言われる、足を引っ張られるのを恐れて、本当に何もしない人もいるし、こっそり努力する人もいます。
組織の中で何としてでも生き残って、何かを変えようor/and保とうとしている人もいれば、万一に己ひとり何とでもやっていけるよう裏を固める人もいます。
ダメな人がいるお陰で自分のマシさや価値を感じられる、なんてこともあり。
何をやるか、何をやらないか。それは何故で、やるならどうやるか。考えて選べるのは己自身だけ。
何でもかんでも他責にする感情に囚われると時間を無駄にして碌なことはなく、我々の手元には、我々のありように相応しいものしか残らない。
欲しくて手に入れたものが身の丈に合わないなら、それは有効に使いこなせずに早晩自分で手放す羽目になる。
そうはならないよう、そうなる確率を下げるよう、同じ失敗はしないよう、様々な選択を個人がやっていく、他人の選択が己にとって好ましいとは限らないが、ともかくも数々の選択の総和が、社会を、郷土を、国を、崩壊よりはずっと良い方、マシな方へ向かわせるならばそれが何よりなのだけどな、と考えます。

エリートであるはずの県職員の退職者が急増しているということで問題になっています。時間外手当がちゃんと支払われていなかったりもあったようで。「一人も取り残さない知事」の足元で櫛の歯が欠けるようにぽろぽろと職員がいなくなる。しかも40代が多いとか。よほど耐えられない何かがあるのでしょうね。
https://news.yahoo.co.jp/articles/cfac48ed21c13b8c07eb38d53494d9e4ec1ae0b1

重箱の隅をつつくようですみませんが4番目の写真は那覇市役所です。

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