究極のセンタク
東京都民の皆さん、お気の毒です。
人もあろうに、小池氏と蓮舫氏を選ばねばならないなんて。
政治家以前の蓮舫氏の人としての資質がたまらない。
人格うんぬんは品下りになるのですが、この人に限っては政界広しといえどこれほどダブスタがひどい人も珍しいですな。
防衛大臣の稲田トモミ氏をいじめまくっていたことがありました。
大方の人は忘れたでしょうが、同性である稲田大臣に対してもっとも口撃をしかけたのは蓮舫氏でした。
筋ばった顔を引きつらせていじめまくる、まくる。
その時は大臣になるはるか前の10年前2007年に稲田氏が受けた対談の一コマを取り上げて追及していました。
まぁ内容はともかく、蓮舫氏そのいたぶり方がすさまじいこと、すさまじいこと。サド女王か、あんたは。
出典不明
「稲田氏は『10年前の一議員の発言』『長い対談の一部」と拒んだが、蓮舫氏の追及に、『どうしても読めというので読みます』と朗読。唇をかみ、声が震える場面もあった」
(日刊スポーツ2017年1月31日)
10年前に女性の働き方についてしゃべったことを、罰ゲームよろしく万座の前で朗読させて悦にいるわけです。
まったく稲田氏を評価していない私も、こりゃ度がすぎると思いました。
同性に徹底的な屈従を強要するんですから、この人は、自分の中に政治的サディストのバイアスがあるのです。
「政治的人間」という種族は、えてして自分の好悪にすぎない感情を政治的な装いで表現しますが、その意味で蓮舫氏はまことに「政治的人間」です。
稲田氏が都議選で派手にオーンゴールの決勝点を上げた時の、2017年7月6日の蓮舫氏の発言。
「既遂で違法行為を行った大臣がその発言を訂正した所で違法行為が消える訳じゃない。法律違反をしてる大臣は一刻も早く罷免すべき」
この発言の「大臣」を「党首」に入れ換えれば、蓮舫氏の記者会見はそのまま辞任会見となったでしょうな。
ただし、いうまでもなく、自分は「別」です。
常にそう、自分はゼッタイに批判を受けない存在なのです。
「民進党の蓮舫代表は11日、東京都内で開かれた「ベストマザー賞」(NPO法人日本マザーズ協会主催)の授賞式にプレゼンターとして出席した。20歳になる双子の男女を育てた蓮舫氏は式後、「(子育てで)一番こだわったのはあいさつ。『ありがとう』『ごめんなさい』をちゃんと言えるように教えてきた」と記者団に振り返った」
(産経2017年5月11日)
す、すいません、思わず口元がほころんでしまいました。「ごめんなさいを言える子に育てる」ですか。ガハハ。
じゃあ蓮舫さん、あなた、母親の教育が悪かったんだねぇ。
溺愛していたご長男からは、母親のやり方は好かんと言われて親子の縁を切って自民党に入党されちゃいましたし、家庭内で鉢植え以下の扱いだったご亭主は耐えきれずに離婚して逃げ出してしました。
実母も蓮舫さんと縁を切っているそうです。
さて二重戸籍という議員資格にも関わることが発覚した時の会見は、戸籍謄本を見せたまでは常識的対応でしょうが、また余計なことを言ってしまっています。
「手続きを怠っていたことは事実だ。私はずっと日本国籍だと思っていた。疑ってもいなかった」
(産経2017年7月18日)
もちろん見え透いた嘘です。時系列を洗ってみます。
この事件は要するに、1985年の国籍法改正に伴って、当時18歳に達していた蓮舫氏が日本と台湾(中華民国)との二重国籍状態を解消する手続きをしていたのかどうかです。
法務省の「国籍選択の流れ」をみるとこうなっています。
戸籍謄本を開示せねば問題が終わらないわけ: 農と島のありんくりん (cocolog-nifty.com)
法務省
今回適切な重国籍解消の手続きをしていなかったことを認めていながら、「疑ってもいなかった」と言ってしまうサガが哀しい。
というのは、蓮舫氏はむしろハーフであることを売りものにしたタレントだったし、二重国籍であることを積極的に付加価値にしてメディアから愛好された政治家でもあるからですから、知らないはずがありません。
こんなことを言うから、SNSによって過去の様々な言動がわかってきています。
週刊現代(1993年月6日号)では、「お母さんは日本人か」という問いに答えてこうはっきりと答えています。
「私は二重国籍なんです」
この時点で彼女はとうに成人に達した25歳で、しかも国籍法改正で父系でも母系でも国籍取得できる緩和があったのですが、蓮舫氏そのまま放置していたことになります。
1985年以前の法改正以前だと、父系のみの血統主義でしたから、日本国籍は取得できなかったわけですが、すべての条件が揃っているにもかかわらず、知らんぷりをしていたことになります。
当時彼女はテレビタレントでしたが、同じ1993年にテレ朝のステーションEYEにキャスターとして起用された時の抱負の言葉も残されています。
「在日の中国国籍の者としてアジアからの視点にこだわりたい」
(朝日新聞1993年3月16日)
自分は「在日の中国人だ」と言っていました。
台湾人ではなく、「中国人」だというところがこの人の経歴を知るといかにもいかにもです。
続いて1997年29歳の時の発言。
「日本語しか話せないのが自分の中でコンプレックスになっていました。自分の国籍は台湾なんです。父のいた大陸というものを一度この眼で見てみたい」
(クレア1997年)
2004年に民主党から立候補したときの選挙広報です。これは致命的です。
これはメディア相手と違って、ここに虚偽を書くと公職選挙法違反で失職し、公民権停止となる可能性があります。かつて学歴詐称で失職した前例もあります。
笑えることに、蓮舫氏が挑戦する小池氏のほうはここに「カイロ大卒」と書いてしまい、自分は首席で卒業したとまで吹いています。
立候補する際に二重国籍を隠すことは可能です。それは戸籍謄本には国籍選択宣言が乗らないからです。
しかしそれが「帰化」という表現までしてしまうと話は別です。「日本国籍を持っている」まではほんとうですが、同時に台湾国籍も持っていたのですから「帰化」はしていないことになり、すなわち虚偽記載です。
政治家となった後もむしろ得意気に「私は華僑」発言まで飛び出しています。
2010年、中国でのインタビューに答えての発言。
「ずっと台湾・中華民国籍を維持して、双子にも(中国語を)教えている。華僑であることを忘れずに何度も中国を訪れてきた」(中国国内線機内誌『飛越』)
これは逃げようがありませんね。蓮舫氏は意図的に重国籍を維持するメリットが、何かしら存在したのです。
2016年9月6日、疑惑を追及されての発言。
「昭和60年に日本国籍を取得し、台湾籍の放棄を宣言した。台湾籍は有していない」
もうこのくらいでいいでしょう。
蓮舫氏は違法状態を長期間知っており、それを修正することなく放置してきました。
それによるなんらかのメリットがあったのだと考えられます。
まぁ、他人の10年前の雑誌の対談の一節を切り取って、口を究めて口撃した蓮舫氏のことですから、よもや忘れたとは言わないでしょう。
「多様性を否定するものでなく、わが党の仲間が私をどうのこうの、というものでもない。私は多様性の象徴だと思っている。その部分では共生社会を作りたいと民進党の理念には一点の曇りもない。
ただ、そこに対して、若干の曇りが私自身の二転三転した説明にあるという疑念がなお残っているのであれば、それは明確にさせていただきたい。そのことに尽きる」
「差別主義者やレイシストの方たちの声に私は屈しないし、世の中一般的に絶対にあってはいけない」
(Jcast2017年7月13日)
安倍氏を追及する時は、「明らかにしろ。逃げるのか。説明責任を果たせぇ」と絶叫し、自分に不利なことには二転三転してやり過ごそうとする、こういう体質だから逃げきれずに最後は「あたしを追い詰める奴は、みんなレイシストだぁ」ということになるのです。
蓮舫氏は批判者をレイシストとまで罵りながら肝心なこの議論を回避したいようで、言を左右して、あっただのなかっただのという言い訳を1年間もし続けました。
愚者の不気味さすら感じます。
余談ですが、このひとの罵り文句は汚いことで有名です。
岡田代表は「つまらない男」、安倍氏には「同じ空気を吸いたくない」だもんな。
自分は今でもいけている美女だという自信がおありなようで(笑)、政治家評までが痴話ゲンカ風です。
自分の党の代表まで腐すので、党内での不人気は目を覆うばかりです。
立憲の同僚は、こんな権高の女は出ていってもらえばナンボかうれしいことかと密かに思っていることでしょう。
それはさておき、むしろこれは彼女の人格特性なのでしょうか、批判を受けるとハリネズミのようになって、首相のプライバシー交遊関係を厳しく批判して政局にしようとしました。
そういうことをすれば、天に唾する結果となるのは必定です。そういう政治の機微が、わかってないんだなぁ、この人は。
正義は常に自分だけで、批判できるのもまた自分だけだと思っている人なのです。
で、ついたあだ名が「カミツキガメ」ようです。
噛みつくだけが能のサヨク正義病患者によくある症状で、好き放題バッシングしながら、いったん反論されようもんなら「もの言えぬ雰囲気」「レイシスト」なんていいだすわけです。
戸籍謄本を開示した上で、私は重国籍であるが、国会議員の資格には重国籍は問われるべきではないと言えばいいだけの話です。
その上で、自分の理念の多文化主義を語ればいいのです。
というわけでこの都知事選は、挑戦者と現職が共に仲良く経歴詐称の疑いがあるという似た者同士の戦いとなりました。
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