ギロチンとLGBTQに乗っ取られたパリ五輪
マクロンはオリンピックの開会式典を、LGBTQの祭典にしてしまいました。さすがは革命国家フランス。
それでなくても雨の中に選手を詰め込んだ漁船をどぶ川に浮かべ、つまらない踊りと歌をさんざん聞かせた後にコレです。
「26日(日本時間27日)に行われたパリ五輪の開会式で、18世紀のフランス革命で処刑された王妃マリー・アントワネットがギロチンで切り落とされた自らの首を持って登場するパフォーマンスがあり、世界に衝撃が広がった。
パフォーマンスが行われたのは、セーヌ川沿いのコンシェルジュリ。王妃が処刑までの日を過ごしたかつての監獄で、現在は観光名所になっている。真っ赤なドレスを着て自らの首を小脇に抱えた女性がベランダにたたずみ、革命時代に流行した歌「サ・イラ」(仏語で「うまくいく」の意味)がヘビーメタル調で流れるという演出だった。演奏の終盤には建物の窓から流血を思わせるような真っ赤な紙テープが空に舞うとともに赤い煙が噴き出し、ドラマ効果をあげた。
保守系の仏紙フィガロ(電子版)は「革命の暴力を恥知らずに想起させた。1793年の国王夫妻の殺害を礼賛した」と論じた。米FOXニュースも、この演出は「複雑な反応を引き起こした」と報じた」
(産経9月27日)
パリ五輪開会式「首を持つ王妃」演出に賛否沸騰 「恥知らず」「メダルに値する」 - 産経ニュース (sankei.com)
パリオリンピック開会式の演出が攻めすぎ→投獄された場所でマリーアントワネットの斬り落とされた首が歌い出す - Togetter [トゥギャッター]
その座興を世界に見せたコンシェルジュリーはパリのシテ島にある旧監獄で、ここでは名前さえ呼ばれず囚人番号280と呼ばれていたマリーは、コンコルド広場で処刑されました。
今回の座興には実物のコンシェルジュリーがつかわれるという念の入れ方です。
窓という窓からは大量の血が流れだしています。悪趣味の極。普通ここまでやるか。
パリ五輪中継、深夜に映った「斬首女性」の強烈演出にネット悲鳴「怖いけどセンス凄い」「攻めてるなあ」 | THE ANSWER (the-ans.jp)
処刑場に連行時の絵が残されています。決して五輪で見せたような華美なものではなく、白い質素な服でした。
態度は落ち着きはらっていて、常に前を見ていました。
「マリー・アントワネットとフランス」23 マリー・アントワネット処刑 | 粋なカエサル (amebaownd.com)
彼女が残した妹エリザベートへの最後の手紙の一節。
「犯罪者にとって死刑は恥ずべきものだが、無実の罪で断頭台に送られるなら恥ずべきものではない」
マリー・アントワネット - Wikipedia
フランス革命は、マリーと夫の首を切り、以後無辜の国民を大量虐殺しました。
殺しも殺したり、パリだけでギロチンにかけたのが1400人、全土では4万人です。
その先駆けとなったのがマリーです。いまもなお墓を暴かれて、首を持って歌を歌わされるという座興に駆り出されています。
フランス革命の末裔達には、死者に対して払うべき敬意などかけらもないようです。
ちなみにギロチンは「人道的処刑道具」として出来たもので、全体の処刑数の2%ていどにすぎませんでした。
それ以外にはナントで船に市民を満載にして沈めて約1万人 、一斉射撃や大砲の散弾、さらには手斧やその他の方法による殺害で、犠牲者数は推定で60~80 万人と言われています。
その大部分は弁護人はおろか裁判さえありませんでした。
毎日、広場で十数人の首を切ったので、広場のそこここに首が転がり、子供がサッカーのボール代わりにして遊んでいたとか。
フランス革命の輸出だったナボレオンの外征まで含めると犠牲者数は200万人規模となります。
まさに血の海から生まれたのが、今のフランスでした。
それを堂々と「平和の祭典」の座興にして暴力を正当化してしまうとは見事な鉄面皮ぶりです、さすがです、マクロン。
この式典を演出したのはトマス・ジョリーで、彼はオープン・ゲイにしてクイアー、つまりLGBTQのGとQの人物だそうです。
パリオリンピック2024開会式の演出家はトーマス・ジョリー!年齢や経歴は? | MUSIC ROUND (masaourino40.com)
「クイア」とはウィキによれば、このような人たちです。
「クィア(英: Queer)とは、ヘテロセクシュアルでない人々およびシスジェンダーでない人々を指す総称。元は「不思議な」「風変わりな」「奇妙な」などの意味を持つ同性愛者に対する侮蔑語であったが、20世紀後半から戦略的にあえて自分達をクィアと呼ぶことで権利を主張していき、現代では肯定的な意味合いを持つ言葉に変化した」
クィア - Wikipedia
この薄気味が悪いトマス・ジョリーなる人物は、「誰もが代表されていると感じて欲しい」と言っているそうですが、ムリに決まってるだろうって。(笑)
そもそもどんなカッコウをしようと、顔面白塗りにして現れようと、帽子を足に履こうとそちらの勝手ですが、それはあなたが自分の「表現」をしているだけのことであって、誰かを「代表する」性格のものじゃありません。
私はLGBTQを差別する気はいささかもありません。どうぞお好きになさってください。自由主義社会はそれを容認します。
しかしLGBTQもまた自分の価値観を押しつけないでください。
ノーマルな人たちの価値観や、大事にしている宗教を嘲ったりする権利はないのてすから。
このトマス・ジョリーがイベントの目玉に持ってきたのは、ダビンチの最後の晩餐のパロディーというより頭の悪いガキの仮装行列のような一場でした。
もちろんキリスト教に対する冒涜と嘲りが目的で、イスラム教徒相手にやれば即座にテロで仕返されるようなシロモノでした。
考えてみれば、坊主の首を斬って(文字どおり)、あの世か外国に追放してしまい、教会は物置か公衆便所にしたような国だけあります。
キリスト教の皆さん、アレを黙って見ていたんでしょうか。
事実、世界各国ではキリスト者から抗議の声が上がっています。
「米カトリック誌『National Catholic Register』によると、フランス司教協議会は、エッフェル塔付近の橋で、女装したダンサー「ドラァグクイーン」らがレオナルド・ダ・ヴィンチの名画「最後の晩餐」の構図をオマージュしたシーンが「キリスト教に対するひどい嘲笑」だとし声明を発表。世界中の教徒も連帯で遺憾の意を示したという。
そして、司教らは、「オリンピックの祝賀会が、一部のアーティストの思想的な好みをはるかに超えていることを、彼らが理解することを願っています」と付け加えたという。また、マルタのシャルル・シクルナ大司教はXで、駐マルタフランス大使に「パリ2024オリンピックの開会式で、アーティストグループがイエスの最後の晩餐をパロディ化した際のキリスト教徒に対する侮辱に苦悩し大きな失望をした」とメッセージを送ったという。
また、このシーンを巡っては米実業家のイーロン・マスク氏もXで「キリスト教徒に対する無礼」「公正で正しいことのために立ち上がる勇気がもっとなければ、キリスト教は滅びるだろう」とポストした」
(THE DIGEST編集部2024年7月28日)
開会式で話題のシーンに仏キリスト教団体が怒りの声明「思想の好みをはるかに超えている」【パリ五輪】 | THE DIGEST (thedigestweb.com)
中心の太った女性の周りはドラァグ・クイーンばかりです。
ちなみにこの女性は、クィアのレズで「団結のために戦っている」LGBTQ活動家だそうです。
ドラァグ・クイーンとはこういう人たちです。
「ドラァグクイーン(英: drag queen)は、誇張した女らしさや性表現(女装)でパフォーマンスを行う人物。ゲイのシスジェンダー男性であることが多いが、さまざまな性的指向や性同一性のドラァグクイーンも存在する。纏った衣装の裾を引き摺る (drag) ことからこう呼ばれる 」ドラァグクイーン - Wikipedia
よくわかりませんが、あえて過剰なメイクや服装をする連中のようです。彼らの好むパーフォーマンスは、公衆の面前での局部の露出です。
ちなみに、画面左の男も局部を露出させています。うへぇ~、見たくないぞ。
わ、はは、オリンピックの開会式典でペニスをプラプラですか。
そして流れた曲がジョンのイマージンですから、こりゃプラックジョークです。
Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace
この歌は、ジョンがアナーキーズムに傾倒していた時期のものですぜ。
それにしてもこれ以上ないみごとなまでにグロテスクな開会式でした。
ヨーロッパの劣化を広く世界に宣伝してくれて感謝しますが、あんなものを世界に見せてしまったマクロンにも明日はないでしょうな。
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コメント
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住み分けの重要性を、反面教師的に見せてくれた見事な(笑)演出だったようですね。
差別などする気はありませんが、少なくともLGBTQの方々は少数派だと思います。
政に関わる人間が、多数派を蔑ろにして少数派の意見を大々的に前面に押し出せば、多数派の支持を失うことになる。
マクロンは多数派の支持を失ってでも、LGBTQの言いなりになる道を選ぶというなら、その結果も粛々と受けていただきましょう。
ギロチンの無い時代で良かったですね。
投稿: エントランス | 2024年7月29日 (月) 06時41分
単なるエンタメ興行であったら別にあれでもアリだったのに、オリンピックでアレでは、日本オールドメディアの皆さんも困惑、問題の部分にはなるべく触らずそっ閉じするしかない。
あれに落胆や怒りや羞恥を表明するフランス人もいるので、ラ・マルセイエーズの歌詞からしてお国柄なのだ、みたいな雑な全体化はせずに、任された人と任せた人の感覚を考えてみる。
オリンピックなのだから、オーストリアの選手団も観客も視聴者もいるのを知らない筈は無く、トランス女性・トランス男性の競技参加問題とシス/トランス両当事者の希望や苦悩を知らない筈も無く、知っていて態とやった、己の思う正解以外全く頓着無い、ですかね。
歴史を経た現在の価値観として暴力を認めないメッセージも無ければ、機会の平等と生物学的条件の平等にどう折り合いを付けるのかの提案も無く、従って、自覚しているかしていないかは知りませんが、「僕の私の思う正解」しか見ていないのだと考えます。
「ドラマや映画や本やショーになったらそれは即ち事実や史実」だと思い込む人はどこにでもいますが、とりあえず、「フランス革命は貧民や平民が格差から自由にななった良い革命」と信じ、そう述べるかどうかによって、その人のレベルを測れてしまう指標のひとつにはなるかな。
投稿: 宜野湾より | 2024年7月29日 (月) 14時10分
私は翌日のニュースでダイジェスト版しか見てませんが、相当に下品ですね。
これなら、全部ミニオンにして短編映画でも流した方が良かったですね…
投稿: ねこねこ | 2024年7月29日 (月) 17時28分
グロテスクというか、醜悪です。
まさか、大多数のフランス人がこれを良しとしているワケではないようです。してみると、マクロンが総選挙を五輪前にしたのも、これがあるからだったのか?と勘ぐってしまいます。
また、カトリック教会がもっとマシな声明を出すべきで、けれど司教様らが小児同性愛指向だから無理か?
一方、米国の福音派はこの件で勢いづいていて、トランプも取り上げています。私的には、このような狂った五輪が許されるなら、もう五輪はやらないでいいと思います。選手たちには別の機会を作った方がまし。
投稿: 山路 敬介(宮古) | 2024年7月29日 (月) 18時46分