露クルスク原発に大手をかけたからウクライナは和平提案ができた
では、なぜこの時期に、このクルスクに越境したのでしょうか。今日はそのへんを考えていきます。
「この時期」という問いに応えるのは簡単です。
昨日見てきたように、11月に最大の支援国である米国の大統領選があり、トランプが勝つ可能性が残っているからです。
トランプになった場合、最悪の場合、支援は打ち切られるか、よくても先細りとなり、無理やりに望まざる「和平」会談の席に座らされる可能性があります。
もちろん「和平」会議をウクライナに押しつけるために、米国は「独立の保証」などと口当たりのいいことを言うでしょうが(実際にバンスが言っていますが)、これもかつてのブタペスト覚書を再演するようなものです。
ロシアの要求は、ウクライナがNATOに加盟することについてロシアが拒否権を持ち、それを法制化しろということでした。
2021年には露外務次官はこんなことを言っています。
「要求項目には、ウクライナのNATO加盟に対してロシアが拒否権を持つことといった、西側諸国が既に除外している項目も含まれている。
要求項目の詳細を初めて公表したロシアのリャブコフ外務次官は報道陣に対し、ロシアと西側諸国は関係再構築のために白紙から始める必要があると指摘。「米国とNATOがここ数年、安全保障状況を積極的に悪化させようとしている路線は絶対に容認できず、極めて危険だ」と訴えた。
さらに「米国とNATOの同盟国は、予定外の演習など、わが国に対する敵対行為を直ちに中止し、ウクライナ領土での軍備増強を即時中止すべきだ」と強調した」
(ロイター2021年12月18日)
スっと読まないで下さい。
仮想敵国に拒否権をもたれる条約締結などありえません。お前属国になれということにに等しいのですよ。
相手が弱いと侮ると、こういうことを平気で言うのがロシアという国のイヤラシサです。
具体的には西側も入れて、かつてのブタペスト覚書のようなものをもう一回作れということになるでしょう。
ブタペスト覚書というのは、独立当時核兵器を多数保有していたウクライナから核兵器をもぎ取るために、ロシアと米国が結託して「独立の保証」という甘言をついて核兵器を放棄させたこととです。
当時、ウクライナは旧ソ連から引き継いだ核兵器を大量に保有しており、世界第3位の核保有国でした。
ソ連核ミサイル基地を公開 発射施設、ウクライナ中部 - 日本経済新聞 (nikkei.com)
1992年初めの時点で、ウクライナには最低で2800発から最大で4200発の戦術核弾頭を持ち、その他に戦略核として176発の大陸間弾道ミサイルを保有していました。
この核ミサイルの製造にはウクライナの技術も使われており、放棄するかしないかはウクライナの主権に属することでした。
ですからグレゴリー・アンドリーも言うように、核を手放す必要はなく、核を手にしていれば、今のロシアの宗主国然とした拡張主義はありえなかったとも言えるのです。
当時のウクライナには核兵器を保全できなかったという技術論もあるようですが、それこそ米国に助けさせればいいのです。
ウクライナは米国のクリントン政権の裏書きがあったので、こんなもんに署名してしまったのです。
そして当然のようにこんな約束は反故にされ、2014年にクリミア、2022年には全土にロシアは侵攻します。
その時、米国は約束どおり身を挺してウクライナの独立を守ったでしょうか。
いえいえ、オバマ政権は口先だけの制裁でお茶を濁しました。
ウクライナは米露の詐欺に引っかかったのです。
今になってクリントンこう言っています。
「米国やロシアなどが、1994年にウクライナの核兵器放棄で合意した「ブダペスト覚書」に関し、米側の当事者だったビル・クリントン元大統領が6日までに、ウクライナが現在も核兵器を保持していれば、ロシアが侵攻することはなかったとの認識を示した。放棄を促したことを後悔していると述べた。アイルランドの公共放送RTEがインタビューを報じた。
クリントン氏は「ウクライナは、核兵器が領土拡張主義のロシアから自国を守る唯一のものだと考えていた」と指摘。ウクライナは核兵器放棄を恐れていたが「私が同意させた」と振り返った」
(高知新聞2023年4月6日)
ウクライナ核放棄「後悔」 覚書署名のクリントン元大統領 | 高知新聞 (kochinews.co.jp)
グレゴリー・アンドリーは『プーチン幻想』の中で唇をかみしめるように言っているのは、ウクライナは独立に際して核を手放すべきではなかった、保有していれば独立が犯されることはなかった、という悔恨の念を述べています。
核兵器の是非うんぬんという抽象論ではなく、自国の独立を他国に委ねるということをしてしまった当時のウクライナの失敗は後々に響いて来ました。
核を手放す必要はなく、核を手にしていれば今のロシアの侵略はありえませんでした。
いったん戦争で領土を失えば、それは二度とテーブルでは戻ってきません
これが世界外交のイロハのイであって、プーチンはもとより、ゼレンスキーもいささかの幻想も持っていないはずです。
仮に和平会談をするのなら、あくまでもウクライナのイニシャチブでせねばなりません。
8月27日、ゼレンスキーは、米国の次の大統領候補ふたりに和平案を提示すると述べました。
「[キーウ 27日 ロイター] - ウクライナのゼレンスキー大統領は27日の会見で、ロシアとの戦争を終結させるための計画を、米大統領選候補のハリス副大統領とトランプ前大統領、バイデン大統領に提示する予定だと述べた。
ロシア西部への越境攻撃は別にして、計画には外交・経済面でさらなる措置を含むと述べた。
ゼレンスキー氏は記者団に対し、この計画の主旨はロシアに戦争を終結させることだと強調。「そして、それがウクライナにとって公平であることを強く望んでいる」とした上で、9月下旬にニューヨークで開催される国連総会への出席を希望していると述べた。
ゼレンスキー大統領は、ロシアとの戦争は最終的に対話を通じて終結するだろうが、そのためには今年開催を目指す和平サミットで強い立場に立つ必要があると言明。また国産弾道ミサイルの初実験を実施したと明らかにした」
(ロイター2024年8月27日)
バイデン・ハリス・トランプ3氏に停戦計画提示へ=ゼレンスキー氏(ロイター) - Yahoo!ニュース
いちおう「越境攻撃は別にして」とぼやかしていますが、これは越境攻撃と独自の弾道ミサイルの実験成功があってのことです。
そして裏返せば、この越境攻撃は大統領選挙の11月タイムリミットをにらんでのことだとわかります。
11月までの残り少ない期間になにができるか、なにをせねばならないのか、ウクライナ政府中枢は智恵を絞ったことでしょう。
そして、キーウ防衛戦を成功させた立役者であるシルスキー総司令官を中心に立案したのが、この越境作戦でした。
ところでこの越境作戦には、いくつの柱があります。
西村金一(元陸自一佐・幹部学校戦略教官室副室長)はこのようにウクライナの目的を整理しています。
①政治戦略としてはロシア国家・プーチン政権を不安定にさせること
②経済戦略としてはロシアから欧州へガスを供給する最大の輸送回廊の中継点をコントロール下に置くこと
③戦争戦略としてはクルスクの侵攻により今後の停戦交渉を有利に進めるカードにすること
④軍事戦略としてはロシア軍東部・南部の戦線の戦力を引き抜きクルスク正面に転用させること
⑤戦力転用することにより東部・南部戦線を弱体化させることであると予想できる。
ウクライナのクルスク進攻に隠された、停戦交渉材料よりずっと重要なこと バイデン米大統領が思わず漏らした「プーチンのジレンマ」とは(1/7) | JBpress (ジェイビープレス) (ismedia.jp)
①の対露政治目的は、プーチン政権の不安定化です。
もう勝利は掌中にしたと驕り高ぶるロシアにの頬を張り倒し、ウクライナは勝利できるという声を世界に響かせることです。
②は先だっての記事でもふれたように、クルスクで真っ先にウクライナ軍が押さえたのがスジャというロシアのガスパイプライン中継所であったことで明らかです。
スジャ中継所を支配し、いつでも破壊できることを示すことは、ロシアの経済のチョークポイントを押さえたことと同義語です。
③は和平交渉の場でテーブルにこのクルスクというカードを載せて少しでも有利に交渉を進めることです。
④、⑤は、現実的軍事的要請としてクルスクに増援部隊を送るために、露軍が部隊を抽出しドネツク州などへの攻撃が弱くなることを期待しています。
今はFSBの治安部隊を増援に送り込んでいますから、ドネツク戦線に影響は出ていないようですが、やがてクルスクで孤軍となっている部隊が包囲殲滅されそうな事態にでもなれば本隊から抽出せざるをえないはずです。
そしてもうひとつ忘れてはならない要素が核抑止です。
クルスクにはロシアの原発が二カ所あります。
一カ所は、すでに稼働と建設を停止しているチェリノブイリと同型の黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉が6基、近隣にはロシア型加圧水方原子炉が2基存在します。
Google Earth
このクルスク原発から、ウクライナ軍が支配しているスジャまでの距離を計ってみると58キロです。
Google Earth
ハイマース(HIMARS)の通常射程距離は80kmですが、地上発射型小直径爆弾(GLSDB)を使えば射程 150㎞㎏まで延伸できます。
そして米国はすでにこのGLSDB弾を供与しています。
前者をハイマース80、後者をハイマース150と呼びます。
【そもそも解説】米が提供する新兵器、ウクライナの戦況を変える? [ウクライナ情勢]:朝日新聞デジタル (asahi.com)
完全にハイマース150の射程圏内に、クルスク原発が入ってしまったことがお分かりでしょう。
クルスクのどこかにハイマースがいることは、セイム川にかかった3本の橋への精密攻撃で明らかになりました。
クルスク原発は歩兵で占領できればいいのですが、そこまでは要求されていません。
ハイマースの有効射程にロシアのクルスク原発が「ある」という無言の圧力こそ、意味があるのです。
« 越境攻撃という方法で眼を覚まさせる | トップページ | 領空侵犯には無害通航はない »





2021年11月というロシア外務次官発言は同時に既に侵攻準備している中でのことですね。サラッと凄い脅しをかけています。
遡って1992年時点の疲弊したウクライナでは核兵器なんぞろくに管理も出来なかっただろうというのも事実。
で、パパブッシュの時に冷戦が終了して唯一の超大国アメリカが「世界の警察」を名乗って湾岸戦争を「多国籍軍」で戦って、後を継いで米国経済を急上昇させたのがクリントン。彼らにとってはソ連の核兵器があちこちに散らばってしまうのだけは避けたかったからロシアに纏めた。
それから20年30年と経ち···まあ、その程度のスパンでの未来すら読めずに楽観的だったアメリカの落ち度です。プーチンが政権についてからはロシアはジワジワと独裁化し、ドイツもロシアのガス頼り。
そこに97年の京都議定書に始まる「温室効果ガス削減」という、今や利権ばかりのドグマと化したヨーロッパ各国の対応の問題もあります!
投稿: 山形 | 2024年8月28日 (水) 04時54分
ウ軍はベルゴロドへも侵攻の範囲を拡大させています。
さすがに心配になりますが、プーチンはモスクワでハンバーガー食っている連中にも徴兵令状を発出しなければならなくなるかも。
特別軍事作戦だの、対テロ作戦などと詭弁を言ってロシア人をだまし続ける事は困難になるでしょう。
そうすると、①の目的のようにロシア国内でのプーチンの政治的立場が揺らぐ事になりそうです。
投稿: 山路 敬介(宮古) | 2024年8月28日 (水) 18時25分