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2024年9月27日 (金)

息子を殺害された父親の手紙

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深圳で殺害された10歳の男の子の父親の手紙が公表されています。
この手紙は中国のSNSで拡がり、大きな同情と共感を得ています。
本文はさがしましたがわかりませんので、レコード・チャイナからの引用でご紹介します。

「文章は、殺害された男児について「日本人であり、中国人でもある」と強調した。母親は中国人で日本で10年近く暮らしたことがあり、父である自分は人生の半分近くを中国で過ごした日本人だと説明し、外部がどのように取り上げてても男児が「日本と中国の両国をルーツとして持っている事実は変わらない」と論じた。

また文章は、男児は当初、深センに行くことをためらっていたと紹介した。ただし、渡航直後には食べ物に慣れられなかったが、最近では中国の食べ物が好きになり、バスケットボールにも夢中になっていたとして、「彼がこんなに突然に去ってしまうことを、私はまったく予想していませんでした」「彼を守ることができなかったのは、私の一生の悔いです」などとつづった。

文章はさらに、「中国を憎むことはないし、同様に日本を憎むこともありません」「国籍にかかわらず、われわれは両国を自分の国と見なしています。風習や文化には違いがありますが、私は、われわれは皆同じ人であることを誰よりもよく知っています。だから私は、歪んだ思想を持つごく少数の卑劣な者の犯罪によって、両国の関係が破壊されることを望みません」「私の唯一の願いは、このような悲劇が二度と起こらないことです」などと論じた。

文章によると、殺害された男児の父は日中間の貿易の仕事をしている。また、殺害された男児は父親と同様に、「日中貿易の仕事に従事し、両国間の橋渡しをして双方の認識の違いを埋め、円滑なコミュニケーションを促進すること」を望んでいたという。文章は「このような不幸に遭遇しなければ、彼は私よりも役立つ人間になったと信じます」「今後も日中両国の相互理解のために小さな貢献をしていきます」「これは私の最も愛する息子への償いであり、犯人への報復でもあります」と表明した。

文章は最後の部分で、「彼が私たちを両親にしてくれたことに感謝して、彼が私たちのそばで10年8カ月7日間の時間を過ごしてくれたことに感謝します。私たちは引き続き強く生きて、彼のために、彼の未完成の道を歩み続けていきます」と表明した」
(レコードチャイナ9月21日)
深センで殺害された男児の父親のものか、「中国を恨まない」などとする文章が出回る(レコードチャイナ)|dメニューニュース(NTTドコモ) (docomo.ne.jp)

非常に感動的な文章で、私も不覚にも涙してしまいました。
母親は中国人で、幼い頃は母親の中国人家庭で育ち、父親の日中貿易の志を継いで自らも日中の架け橋となりたいと常日頃言っていたそうです。
私はこの父親の手紙を読んで一輪の花を手向けるためにやって来る中国人に救われた思いです。

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日本人男児襲撃事件に地元市民「憎悪教育」、中国メディア「憎悪宣伝など存在しない」 (msn.com)

福島香織氏が言うように、反日は中国共産党の党是、すなわち国是です。
中国共産党の政権としてのレジティマシィ(正統性)は、反日闘争を戦って勝利したという虚構にあります。
ほんとうは戦ったのは国民党軍で、共産党軍ははるか辺境の延安ち落ち延びて逼塞して日中戦争には関わりがありませんでした。

習近平は、中国共産党建党100周年での習近平の記念演説、いわゆる「七一演説」では改めてこんなことを言っています。

「中華民族の偉大な復興を実現するため、中国共産党は中国人民を束ねて率い、血まみれになって戦い、幾度の挫折にも屈せず、新民主主義革命による偉大な成果をあげた。
我々は北伐戦争、土地革命戦争、抗日戦争、解放戦争を経て、武装した革命をもって武装した反革命に対抗し、帝国主義、封建主義、官僚資本主義という(中国人民を苦しめた3種の反動勢力である)「3つの大きな山」を覆し、人民が主人公となる中華人民共和国を立ち上げ、民族の独立と人民の解放を実現した」

ここで習が並べてみせた北伐戦争、土地革命戦争、抗日戦争、解放戦争ですが、4つのうち三つまでが内戦です。
つまり中国共産党の正統性とは、内戦、すなわち中国人相手に血を流した結果得られたものにすぎないということになります。
それもここで並べた最初に出てくる北伐戦争を行ったのは、蒋介石率いる国民党軍です。
北伐とは、蒋が孫文の遺訓に従って北の軍閥を打倒した戦争でしたが、それが始まったのは1926年。
当時共産党は自力の軍隊はおろか、独立した政治グループですらなく、ひたすら身元を偽って国民党内部に潜入していた浸透作戦の真っ最中でした。

周恩来は広州にあった国民当軍士官学校「黄埔軍官学校」の副校長にもぐり込み、蒋介石は上司にあたる校長でした。
毛沢東の肩書など、国民党宣伝部長(笑)です。
これを「第1次国共合作」などと言っていますが、実際に共産党がやったのは、統一の戦いではなく、ひたすら国民党の内部に浸透し、遺伝子を書き換えて多くの共産党幹部を作ることでしかなかったのです。
実際にこの黄埔軍官学校からは、後に共産党軍の大将クラスが輩出することになります。
なんのことはない、蒋介石は自分の党内に共産党の人材ソースを作ってあげてしまったわけで、これにやっと気がついた蒋は1927年に、共産党を叩き出します。
そして大戦の最中には戦うことは国民党に任せて、辺境の洞窟で昼寝をしていました。
そして大戦が終了するやいなや、戦いで消耗していた国民党に襲いかかったのです。

こういう歴史しか持たない共産党にとって、抗日の歴史を改竄し、全部自分がやったことにしてしまうなどお茶の子でした。
反日は使い減りしない万能の「真実」で、国民の意識をとにまとめ上げ、社会不満が起きればその矛先を自らに向かないように日本や日本人に誘導することは、いままでさんざんやってきたことでした。
福島香織氏は「反日誘導をやめるとき、それは共産党独裁の終焉のときだと思います」とまで書いています。

今回もいつもどおりの反日教育をし、ヘイトを教え込んできたのですが、この父親の手紙で風向きが変わってしまいました。

「この「父親の手紙」やそれを引用したりコメントしたりするネット投稿が撤去され、献花の花束が撤去される理由は、建前はさておき、犠牲の男児への同情論が盛り上がりすぎると、最終的に矛先が行き過ぎた反日教育を指導した共産党政府の政策が悪い、という方向に行きかねないという懸念があるからだと思います。
中国では集団的な哀悼行動が反政府的なデモに発展する歴史があります。天安門事件は胡耀邦哀悼から始まった民主化デモに対して行われた武力鎮圧でした。白紙革命も新疆・ウルムチ市でおきたアパート火災の犠牲者追悼と絡んでいます。江沢民がなくなった時も李克強がなくなった時も、当局は大衆の追悼行動に目を光らせていました」
(福島香織 中国趣聞NO1066)

共産党はやりすぎたのです。
反日意識にあぐらをかいて煽ったあげくとうとうこんな子供を犠牲者にしてしまい、中国国民の中にも反日教育が行き過ぎた結果このような殺人が起きたのではないか、という意識を生んでしまったのです。
私は、このように自らの利害のために中国人と日本人を争わせる中国共産党を批判します。

 

 

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コメント

文春を引くのは些か気が引けもするのですが、安田峰俊氏の取材記事なので、私は昨夜目を通しました。宜しければご参照くださいませ。
https://bunshun.jp/articles/-/73727

連投申し訳ございませぬが、思考ついでに。
かつて大日本帝国が版図に入れたアジアの他の国々だって、日本による侵略被害の歴史も自国民に教育しています。当然です。
でも、日本人学校への投石、物の投げつけ、落書き、そしてこの度の日本人殺人事件、このような事が起きていないのは、かつてと今現在の区別をしているからではないでしょうか。
なぜ中共ではこのようなことが起きるのか?あの犯人は犯行理由をどう言っているのか?と、そこをいつまでも度々、我が国は中共政府に問い合わせ続けるといいと考えます。
「本気で抗議せず政治化せずで流すと、中国は再発防止策も真面目にやらない」(安田峰俊氏X)に同意。
なお蛇足ながら、もし高市さんがここで首相になったら、靖国参拝は上手なキレ方にはならないだろう、とだけ。

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