兼業農家保全のためだけの減反
昨夜の6時台のニュースはほぼすべての局がコメがあるスーパーはここだ、みたいな内容でしたね。
やれやれ、困ったスカベンジャー(腐肉食動物)たちだ。
新米価格を高騰させたくてしかたがないみたいです。
踊らされないでくださいね。もう新米が溢れるほど出ているんですから。
新米価格が気になる方も多いでしょうが、とうぜんこれだけ騒動を煽れば上がるに決まっています。
まったく馬鹿じゃないか。
「JAしまね(松江市殿町)は26日、コメを出荷した農家に支払う2024年産米の概算金(コシヒカリ1等米、60キロ当たり)を23年産より4600円高い1万6800円に引き上げると発表した。増額は3年連続で、15年の概算金制度導入以降では最高値。生産資材高騰が農家の経営を圧迫しているのに加え、国内の消費拡大に伴う全国的な価格動向を踏まえて決めた」
(山陰中央新報8月27日)
コシヒカリ 最高値更新 24年産米買い取り価格 JAしまね | 山陰中央新報デジタル (sanin-chuo.co.jp) 。
ついでにこの間転化できなかった機械、燃料コストなどの上昇も、この時とばかりに乗せるでしょう。
と言っても概算支払いにすぎませんから、相対取引で決まるのが大部分です。
農家はクールに眺めていますが、消費者がテレビに踊らされて騒げば騒ぐほど市場価格は上がるのです。
コメが喰いたいとデモするよりお平らに、お平らに。
スカベンジャーらの言うことは、8掛けで聞いて下さいな。
さて、昨日からの続きです。
ではコメの生産量管理制度が守ろうとしている「農家」とは誰のことでしょうか。
コメ生産で言う「農家」は、稲作に関わる生産者のことです。
したがって、プロフェッショナル農家だけではなく、パートタイム農家、つまり兼業農家も含んでいます。
生産管理制度の最悪なことは、プロもパートタイムも含んで一律に規制をかけていることです。
野菜や畜産、果樹では勤め人が片手間にやることは不可能ですが、コメは農業全体を見渡してももっとも機械化が進んだ分野なので、わずか2週間程度の労働で出来てしまいます。
兼業農家も先祖からもらった水田を持っていますから、作らないでペンペン草を生やしていると村内で肩身が狭いのです。
まして改良区と言ってパイプラインで大面積を給水する大規模水田に、自分の田んぼが統合されようものなら、やらないと隣の農家の視線が痛いわけです。
だから、コメではまったくといっていいほど儲からないのに、兼業農家は泣くような思いで、一年に数日しか使わないトラクターやコンバインを買ってコメを作っているのです。
機械なんか共同化しろなんて言う経済評論家もいますが、あんたねぇ同じ時期に収穫期が来るんですから、共有なんぞしたら毎日取り合いです。
こういう評論家に限って、農村では家に3台も車がある、なんていかにも儲かってウハウハだみたいな言い方をしていますが、それは子供たちがそれぞれ別なところに働きにいくからです。田舎には電車なんか通っていないしね。
コメを作ると悪いことのようで、減反割り当てが、たとえば36%と決まると、減反の消化で本業の農業がおろそかになるほどです。なにせ36%なんてザラです。
このように村のしがらみでやっているパートタイム農家と、本格的に水田を借り集めて、大型機械で耕作し、自分で売るルートも開発するというプロフェショナル農家も、等しく耕作する水田の実に4割弱を「作るな」というのですから無茶いいなさんな。
こんな馬鹿なことを農家にやらしている国は、自慢じゃないが、世界広しといえどわが国だけです。
立派なカルテル行為です。公取委なんとかしろ。
昔は青刈りといって植えてまだ実が入らない前に刈り取っていましたが、余りに農業者の評判が悪いので(そりゃそうだ)、何か植えることにして「転作奨励」という形にしました。
そこで、登場したのが当初は大豆などでしたが、農家にやる気が出ずに捨てづくりとなって品質劣悪で失敗。
次に登場したのがエサ米(飼料用米)といって、人が食えるシロモノでないコメが大量に出来る品種を作って、家畜にやるのが流行っています。
これは一頃大流行しましたね。なんで世界一うまいコメを家畜に食わせるのよ、やればやるほどバカバカしくてやってられんと、これまた捨てづくり。
そしていまの流行は米粉です。作っている友人が言っていましたが、一粒一粒ホカホカの米粒が立つ、キラキラと輝いてえもいえず美しい、これを目標に研鑽してきたらお国がすり潰して粉にしろ、ですか。冗談ではない。
馬鹿にするのもいいかげんにしろ、とは思っても、これを飲まなきゃとコメを作れないのですからしかたがありません。
もう笑うきゃありません。ここまでして「減反」やらなきゃならないのか、と思いました。
官僚の作ったエサ米のお題目は、笑えることには「家畜飼料の国産自給」です。これには腹を抱えました。
税金の補助が大部分の竹馬を履かせて、なにが「国産飼料の自給」なんだか。
霞が関文学の真骨頂。役人の苦し紛れの思いつきを、さも政策のように語るんですからつきあいきれません。
家畜飼料が外国依存なのは構造的な問題で、この構造を指導したのは農水相でしょう。
それを捉えて、リベラルな消費者団体好みの「国産自給」という題目と絡ませて、実は減反奨励でしかないエサ米を拡げようとします。
内実はなんのことはない、税金まみれの減反対策、すなわち、コメを作らせない国家カルテル維持の手練手管にすきません。
そんなバカな減反があるのは、「赤信号、皆んなで渡れば怖くない」とばかりに、先の兼業農家を大量温存をしてしまったからです。
そしてそれを集荷するJAにとってみれば、コメの扱い手数料は馬鹿になりません。
JAにすれば、兼業農家もプロの農家も等しくひとり一票の組合員。
出荷してくれれば、等しく手数料が取れます。これが馬鹿にならない。
かといって、JAが儲かっているかといえば、そういうふうにも見えないので、なんのことはない、こんな馬鹿げた農政も大量に利害関係者がいれば合理化できるというわけです。
かつて民主党が大勝利した時に、いままで自民党の票田だったJAの多くが1人区で民主党支持に回りました。
なんせ民主党は個別農家補償制度なんて言い方で、まるで各戸にカネを配るように聞こえる政策を出していましたからね。
ちなみにこの言い方を考えたのが、あの小沢御大です。
一方、自民党が進めようとした品目横断政策は集約化を目指すと思われて、JAの逆鱗に触れました。
その時、多くのJA関係はなんと言ったのでしょうか。「小規模農家切り捨てを許さない」でした。
「小規模農家」と言うとまるで零細農家のように聞こえますが違います。兼業切り捨てるなということです。
かくしてコメは、聖域のようになっていたのです。
このコメの聖域化は誰かが作った人工的構造ではなく、自然にできてしまったしがらみのような構造的宿痾ですので、それを半世紀もやってくればもはや各層の利害でがんじがらめで、身動きがとれなくなってしまいました。
コチラが減反縮小といえば、アチラが反対というわけです。
しかも最大の農業団体であるJAが、(単協によって温度差がありますが)、兼業農家をたくさん抱え込んでいれば皆揃ってこれも村の衆なので、切り捨てるわけにもいきません。
減反やめたら、価格維持ができなくなって米国産並に下落するぞ、と農水に脅されれば、そんなリスクはとりたくない、だから揃って大反対というわけです。
この減反は、農業者のやる気を著しく削ぎました。説明する必要もないでしょう。パートタイム農家も、20ヘクタール、50ヘクタールやっている本気の農家も減反割り当ては一律なんですから。
この減反を墨守するために、外国からの安価なコメと価格競争しないように、高関税が必要だったのです。
農業以外の人たちに誤解していただきたくないのですが、こんなおかしな制度はコメだけです。
よく知ったかぶりのコメンティターが、「高関税で守られている農家のために、都会の消費者は世界一高い農産物を食べさせられているんですよ」などと聞いたふうなことを言っているのを聞くと、情けなさでがっくりきます。
そりゃコメだけだろうって。
ひたすらコメが、若い人の集団に混ざった年寄りよろしく、平均を押し上げているだけで、全体は主要国としては平均値です。
だから、コメを他の品目と同じ扱いにしろ、と私はかねてから主張しています。
そのためにもし政策誘導したいのなら、関税ではなく各農家の工夫と努力に対して支払われる直接支払い制度が望ましいと思っているわけです。
さまざまな方法が考えられます。担当省庁は農水省の専管である必要はまったくありません。
というか、農水からもぎ取って、各省庁断にするほうがかえって今までの農政とのしがらみがないだけ自由です。
たとえば農地の規模に対しては、コメなどでは、いままでのように減反したら補填されるのではなく、逆に農地を集積して大規模化した農家に対しては、10ヘクタールにつき一定の直接支払いをする方法もできます。これは農水。
棚田などの伝統的な農法による景観の保護のための直接支払いは環境省。
あるいは、水源保全や水利を目的とした国土環境保全目的での支払いは国交省。
もちろん、有機農法やアイガモ農法などの環境保全型農業には、環境省と農水省と文科省。
このように、農業者のやる気を出させる支援をせねば、税金は捨て金となってしまいます。
いままでのように、「皆で知恵を絞って作るな」と均一に減反させるのではなく、「皆で智恵を絞って儲けよう」に転換せねばなりません。
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米は兼業でも生産できることの弊害の一例ですが。
ちょうど30年前の今頃の話。平成の米騒動が起きた暑い夏だった94年のことです。ダムがカラカラになるほどで豊作見込みの宮城県南部で集中豪雨がありました。農業ダムが貯水率ゼロから一晩で100%越えて緊急放水するほど。
当時は毎週のように土日は仙台に行ってたのですが豪雨翌日の土曜日は宮城県側で国道も幹線道路も至るところで寸断。普段は高速使わなくても1時間半程度なのが川崎町から先手国道崩落で迂回に迂回を重ねてようやく白石市で大動脈の国道4号に出たけれど、橋が壊れて旧道を迂回する大渋滞して4時間かかりました。
で、途中で見事に実った稲穂が無残に水没している光景を見て溜め息つきましたが県農水課の知り合いが言ってたけど、普通なら大雨予想が出たら直前に一気に収穫するんだけど兼業農家は基本サラリーマンなので会社優先。週末の連休(敬老の日含む)まで作業が出来なくて壊滅したとのこと。
専業なら普通に2日早く刈り取れていたのに、耕地整理された場所なのに全滅していました。大河原町や白井市や岩沼市のあたりですね。
投稿: 山形 | 2024年9月 5日 (木) 07時15分
昨日、当地のJAの店にコメを買いにいきました。
新米が大量に積まれていたのは予想どうりだったんですが、驚いたのが価格。もちろん予想はしてたんですが、ざっと去年の倍でした。
3800円。ま、もう少しすれば落ち着くんでしょうが、ちょい、びっくりでした。
投稿: ゆん | 2024年9月 5日 (木) 08時20分
米粉を作るのは米農家さんにとっては屈辱だったのですね…まあ確かにそうか…そう考えたことは無かったので、目から鱗でした。
「まあまあ、日本酒だってせっかく使った米を半分近くも削り捨てることもあるし」、とか…違うか…
投稿: ねこねこ | 2024年9月 5日 (木) 09時23分
昔から、思っていることなのですが、米を含めて、日本の農産物を全て完全な自由競争経済、需要と供給のみの市場原理に晒したら、どれくらいの農家が生き残れるのでしょうか?そもそも日本で農業が産業としてなりたつのでしょうか?先ず条件の悪い中山間地の農家(ほぼほぼ兼業農家)はいなくなるのは間違いないと自分は思います。そこで生活の基盤が整えられれば良いですが、おそらくそれは無理なので、条件の良い平場に移住し、中山間地は人のいない場所になるでしょうね。ま、ある意味、そのほうが生活の質とかは、無理して不便な所に住むよりましなのかも?そしたら、先祖代々の土地が云々などともいわれなくなるのでは?そもそも、農業とは、米とは日本人にとって何?なのでしょうか?何故にそこまで固執するのでしょうか?
投稿: 一宮崎人 | 2024年9月 5日 (木) 16時11分
そんなこんなで守られてきた兼業農家もこれから激減していきます。
三菱総研が出しているレポートによると、集約しやすい田んぼは既にかなり集約委託してしまっているようですね。
https://www.mri.co.jp/knowledge/insight/policy/20230719_2.html
就農者や耕作地の推移のグラフを見ると、深刻だが崖っぷち、お先真っ暗では無いように思います。
本日の農家さん達のマインドを伺い知れる記事を読んでから経済目線のレポートに目を通すと、頭に浮かぶ先々のイメージの幅が広がるように思いました。
我が家の近所のスーパーは、3000円前後の新米を個数制限で並べています。普段から激安にはしないけれど手頃なラインナップのお店。
対してオープン記念に新之助5キロを1300円で叩き売っていたTVにいつも出る八百屋系スーパーは今4000円。
きっとどちらも直販ルートを持っているのでしょうが、仕入でどういう商いをしているのか垣間見られます。
投稿: ふゆみ | 2024年9月 6日 (金) 00時20分