日本農業の宿痾、減反
久しぶりにホームグラウンドの農業をテーマに書いています。
さて、私は減反は日本農業の宿痾だと思っています。
減反とは、文字通りコメを生産管理して「反」(たん)を減らすことです。
反とは10アールのことですが、ここでは象徴的に使っています。
減反政策とは、政府が国家規模のカルテルを結んで、米価を一定の水準に保つことで「農家を保護」する仕組みです。
70年頃からコメ余りになった結果、食管制度(食料管理制度)が財政的に持たなくなったために生れました。
おいおい、今どき社会主義やってんじゃないよ、と思いますが、そのとおりです。
念のために言っておくと、こんなダルな社会主義統制経済をやっているのはコメくらいなもので、他の農産品は熾烈な産地間競争をしています。
ですから、たまに元気のいい農家がオレは50ヘクタールの大規模コメ農家になるんだ、と資本主義宣言をすると、行くところ行くところで頭をぶつけコブだらけになるという仕組みです。
それはさておき、かつてのガチガチの減反をやっていた頃の食管制度は、下図のような仕組みでした。
戦時経済統制が、そのまま戦後の今もそのまま残存していたのがおわかりでしょうか。
なんとこの時代は、作れば全量をお国がお買い上げ頂いてお金を支払ってくれるという夢のような時代だったのです。
こんな無茶ぶりな制度を作ってしまったのは、戦後の食料難の時代に、なんとしてでも主食のコメを確保しようと考えたからです。
今では信じられませんが、1970代まで一家に一冊、米穀通帳(知ってます?)なるものがあって、消費すら一定の枠があったという時代です。
もっと食べてくれぇと叫んでいる今とは違いすぎてウソみたいですが、この米穀通帳がないとコメが買えない時代があったのです。
ですから米穀通帳は身分証明書代わりにもなっていました。
生産部門には食管制度、消費部門には米穀通帳というわけで、川上から川下までお国が一元支配していたのです。
社会主義だねぇ。日本社会は妙にこういう社会主義制度となじむ体質があるらしく、まったく違和感なく社会になじんでいました。
下写真が実物です。
そもそも生産奨励や、農家にきちんと供出させる意味で作った食管制度を作ったのですが、ところが豊かな時代になると、コメは余り始めます。米穀通帳まで作って、喰いすぎるなと言っていたのが、もっと喰ってくれという悲鳴が上がるようになったのです。(笑)
下図をご覧ください。
(図 農水省米改革の取り組みよりhttp://www.maff.go.jp/j/wpaper/w_maff/h19_h/trend/1/t1_1_1_02.html)
グラフのオレンジ線がコメの個人あたりの消費量です。1960年代から較べて2007年には約半分です。政府は食管制度を維持するために、備蓄しまくっていました。
グラフ下の棒グラフを見ると、1960年代から70年代かけては700万トンという凄まじい量を備蓄して、古米、古古米の山を築いていました。
こんな備蓄を抱えながら、なお全量買っていたのですから、そりゃパンクするわな。これに音を上げた政府が1970年から始めたのが、減反です。
政府指導でコメの生産調整をしようと考えたわけです。
戦前や終戦直後には農家はいかに多く作ったかを競い、多収量を達成した農家は農林水産大臣賞が貰えた時代から一転、作らないように励むとお褒めに預かる時代になって、今に至ります。
今は表面的にはとりあえず、「食管はなくなったことにしよう」「減反もないことにしよう」ということになっています。
正式には、2018年度に完全廃止ということになっていますからね。
もちろんウソです。
なぜこんな見え透いたことを言っているのかといえば、80年代に吹き荒れた貿易自由化交渉において、農業保護をしているとなると交渉で著しく不利になったからです。
WTOやFTA交渉に行けば、こんな前近代的な農業保護をいまだしていることが知れると、肩身が狭いでは済まなかった時代がやって来たのです。
しかし現実には、今でもコメは農水省が生産調整を行なったり(地域に丸投げしていますが)、備蓄米を作ることで、裏減反は健在です。
村や地域などには生産調整の枠があり、それに合わせて、過剰になったコメは米粉にしたり、あるいは、その分エサ米に転換したりしています。協力しないと補填金を受けられませんが、この補填金というのも一般には分かりにくいものでしょう。
日経の(2015年6月15日)の記事をご覧ください。
「農林水産省は5日、2014年産コメの価格下落を受け農家に総額514億円(計5万8千件)の補填金を支払う見込みだと発表した。07年に発足した収入減少影響緩和対策制度に基づく支払いで、07年の313億円を上回り過去最大となる。
補填金は国と農家が3対1の比率で拠出している。減収額の9割までを補填する仕組みで、コメ以外には麦や大豆なども対象となる。14年産コメの60キログラムあたりの収入額は全国平均で約1万2千円で、過去5年間の標準的収入を3千円程度下回った。60キログラムあたり約2500円が農家に渡る見込みだ。
国は15年度予算で802億円を計上しているため、支払いに問題はないという」
これは農水省が、今年の米相場が悪そうなので「収入減少影響緩和金」を800億用意しているよ、という「心強い」ニュースです。
これがコメの補填金です。農家も3分の1払っていますが、国が3分の2出して、事実上国の価格支持政策です。
いちおう食料管理制度(食管)がなくなったというのがタテマエなのですが、なんのことはない内実は一緒なのです。
「生産調整」という名の減反、作りたくても作れない仕組み・・・、この国の農業のコメ部門だけだけには社会主義計画経済が生き残っています。なんというアナクロ。
しかし、これが始まって半世紀。もはや村の「和合」の象徴のようになってしまいました。
では、この「ムラの農家」ってなんでしょうか。
長くなりましたので、今日はここまでにします。
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裏減反と言っても共産党がデマを飛ばした事実は変わりませんが。
投稿: エネルギー名無し | 2024年9月 4日 (水) 05時38分
うーん、大戦直後のGHQ支配下でようやく日本が無理矢理ながら民主主義政治になった時の総理大臣は社会党の片山さんですね。55年体制が出来る前の話ですな。
私はこの時代の政治家に大きな責任があると思っています。ついでに動き出したら止まらない大規模公共事業とかも···秋田県の八郎潟を埋め立てて真っ平らな田んぼになったのが減反開始の1970年です。
後には近年の諫早湾干拓事業とかやってますしね。
その後は現在に至る自民党が右派左派合流したし、社会党(社民党)も極左から穏健派までが合併。93年には小沢の乱やらあって政治はバタバタしたけど、まあ農政には変化無しでした。
1人一票の民主主義国家ですから、既に少子高齢化が予想されていても田舎の老人の票を集めるのがずっと国会議員の最重要案件でしたから。
あと、エネルギー名無しさん。
短文でチャチャ入れるだけで自分の意見も言わず丁寧にお相手してもマトモなリアクション無しなら、今すぐにご退場願います!ただのノイズですよ。
投稿: 山形 | 2024年9月 4日 (水) 09時40分
たいへんわかりやすくスッキリとまとめていただいて、ありがたいです。明日も楽しみにしております。
投稿: あいうえお | 2024年9月 4日 (水) 10時47分
ブログ主でもない方が(…あれ?もしかして私の勘違い?でしたらすみません🙇♂️)、コメントの仕方の「作法」を強要するのは、これまた違う気が…
投稿: ねこねこ | 2024年9月 4日 (水) 21時56分