放射能を浄化した日本型エコシテム
小泉ジュニアが予想外というか、予想に違わぬキレキレです。
完全に状況のイニシャチブを握ってしまいました。
というか、農水族がマヌケなのです。
森山幹事長はこんな寝ぼけたことを言っています。
「スピーディーな対策を続ける中、気になるのは農水族と呼ばれる議員たちの存在。中でも、森山裕幹事長は農水族のドンとも呼ばれ、「農家が頑張って作ろうという気持ちでやってもらわなければ、食料安全保障は成り立たないと(小泉氏に)しつこく言ってある」と生産者サイドに立った主張もしている」
(スポニチ6月2日)
小泉進次郎農相 “農林族のドン”との連携は?対立構造は否定「何でも対立をあおりたがる人もいる」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
「農家がガンバロウという気持ち」ってなんなんですかね。たぶんいまの高騰が青天井に貼りついた状態のことでしょう。
いま、ナニがテーマなのか、この高騰を押さえてコメ・パニックを落ち着かせることです。
それを全体を見渡す立場の幹事長が、「農家が作ろうという気持ち」もないもんです。
こういう余計なことを言うから、農業者全体が高値のままでいてほしいと願望しているように見えてしまいます。迷惑な。
また、備蓄米を放出しきったらコメを無関税で入れると言ったと流されましたが、小泉大臣はそこまで踏み込んではいません。
これを流したのは毎日です。
「小泉進次郎農相は26日夜、テレビ東京の番組で、コメの輸入を増やすかどうか問われ「あらゆる選択肢は否定しない」と含みを持たせた。」
(毎日5月27日)
小泉進次郎農相、コメ輸入「選択肢として否定しない」 テレビ出演(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
毎日のこの記事のタイトルは「小泉進次郎農相、コメ輸入「選択肢として否定しない」 テレビ出演」ですから、煽り記事です。
正確には、自分の記事でも引用しているとおり、「選択肢としては否定はしない」ていどのニュアンスです。
これがSNSで拡散すると「備蓄米が無くなったら関税無しで輸入米を入れる」という風に変形します。
正確にはこのていどの発言です。
「今、(日米)関税交渉については赤沢亮正経済再生担当相が責任を持ってやられているので、できるだけ交渉担当の方の自由度は縛りたくない。一方で、農水相としては安易にカードを切ってもらいたくない。それは、やはり日本の守らなければいけないものがあります。
ただですね、現時点で私が言えることは、やはり私が今向き合って戦っている先はマーケットっていうところもあるので、これは現時点であらゆる選択肢は否定しない。あらゆるカードは使う覚悟を持って、できることは全部やる。そういった思いで向き合っているというふうに思っていただきたい」
(毎日前掲)
小泉氏が言っているのは、「あらゆる選択肢」、それも「あらゆるカードを使う覚悟」です。
飛ばさない、飛ばさない。
コメの自由化はいずれ避けられない問題ですが、こんな飛ばしから口火を切られたらたまりません。
さて、原発事故以後の福島復興が長引いた原因の一つは、一部の人たちが「福島」を原発の恐怖のシンボルとして祭り上げてしまったからです。
これがいわゆる風評被害で、彼らは口を揃えて「フクシマには人は住めない。フクシマに行っていけない。フクシマのものを食べてはならない」などと言って、恐怖を煽り立てました。
今でも数こそ減りましたが、そのような人たちは残存しています。
それを伝播した朝日、毎日、東京などのメディアは、訂正記事のひとつ出すでもなく、しかとして口をぬぐっています。
関連記事福島にはもう住めない、行くなと言った人々は自然の浄化力を知らなかった: 農と島のありんくりん
とまれフクシマに行くなという被災地差別まがいのことを言う人はさすがに減っても、福島県産のコメを不必要に恐怖したりする人は今でも絶えないようです。
一方、多くの国民は不必要に恐れることはなくなりましたが、それは政府の除染作業の結果だと思っていますが、それは間違いです。
むしろ1ミリシーベルトを目標とした除染は、莫大な費用をかけてむしろ復興を遅らせました。
真に、フクシマを清浄化したのは、自然の日常の営みによるものです。
私は2011年夏、霞ヶ浦の環境保全に関わる地元大学の専門家と共に霞ヶ浦や付近の河川や水田などを実測調査したことがあります。
※関連記事霞ヶ浦放射能汚染の実態その1 河川流域が短いほど汚染濃度が高い: 農と島のありんくりん (6回連載)
河川で有意な放射線量がわずかに測定されたのは事故直後だけで、それは静かに移動して湖や海に流出していることがわかりました。
では荒木田氏のいうように、「海に拡がるのを阻止」する」必要はあるのでしょうか。
ありません。それは水系の仕組みをみれば理解できます。荒木田氏などが考えているように山や街に降った放射性物質が、キャッホーと一気に河を経て海に流れ込むわけではないのです。
山に降った放射能は、水田に流れ込み、用水路を経て河川に流れ込みます。その過程をひとつひとつ検証せねば、「福島が住めない」などと安直にいえないはずです。
座間市HPより
では順を追ってご説明していきます。
できるだけ専門用語を使わずに、図表を使って平明に解説します。
「いくら街を除染しても、すぐに山から汚染水が流れてくる」といわれた、山系に降った放射能汚染はどうなっているのでしょうか。
実は阿武隈山系には、研究者の実地調査が何度も入っています。
まずは、もっとも初期の11年9月に、福島県山木屋地区標高600mの福島第1原発側斜面で、新潟大学・野中昌法教授が行なった土壌に対するセシウムの沈着状況の計測結果です。
●山木の土壌の放射性物質分布
・A0層(0~7㎝)・・・・98.6%
・A1層(7~15㎝)・・1.4 (2011年9月測定)
このように、放射性物質は微生物が分解中のその年の腐植層(A0層)に98.6%存在し、その下の落ち葉の分解が終了した最上部(A1層)には達していないことが分かりました。
事故後、福島の山間部では、この森林に降下したセシウムが、A0層とA1層の間にある地中の水道(みずみち)を通って雪解け水となって流れ出していくものと推測されます。
セシウムは、葉と落ち葉に計71%が集中しており、それは地表下7㎝ていどに99%蓄積されていました。
畑以上に表土に結着した量が多いようです。これは山の表土がトラップに有効な腐食土に覆われているためだと思われます。
言い換えれば、山は畑以上にトラップ力が強いようです。
大部分は土中にトラップされますが、2011年に降った放射性物質の一部は沈下せずに、むしろその下の去年の腐植層との隙間を流れ出したと思われます。
いわば、初年度の汚染水は大部分を土壌に残留し、土壌分子に固定されながら、一部が地表を滑ったような形で下に流れ落ちたのです。
国立環境研究所は筑波山における調査に基づいて、この山からの流出量は「事故後1年間の放射性セシウムの流出量が初期蓄積量の0.3%だった」と述べています。
放射性物質を含む廃棄物に関するQ&A~入門編~
わずか0.3%であっても汚染物質は、山と里地との接点である谷津田の水口(みなくち)を汚染しました。
私たちの地域での自主計測会の様子 ガイガカウンターをビニール袋に入れて計測している。筆者撮影
下の谷津田のデータは同じく野中教授らのグループが測定したものです。
11年度米で、もっとも多くセシウムが検出されセンセーショナルに騒がれたのは、谷津田水口周辺でした。
放射性物質を含んだ山からの水は、まず水口でトラップされ、下へ流れるに従って減衰して、より下流の水路や河川に流れていくのがわかるでしょう。
●福島県二本松・放射性物質が玄米で500bq検出された水田付近の測定結果
同上の空間線量(マイクロシーベルト)
・水口・・・・1.52
・中央・・・・1.05
・水尻・・・・1.05
同上土壌線量(ベクレル /㎏・セシウム134・137の合計)
・水口・・・・6200
・中央・・・・3900
・水尻・・・・2600
しかも、事故から5年近くたった現在は、この11年の汚染された山の地層の上に、さらに新たな腐葉土の地層ができたために、11年の地層は50㎝以下に沈下しているはずてす。
これによって、事故直後山の表土を滑り落ちる汚染水の流出量は、今はほぼ途絶えたか、激減しているはずです。
さてこの山からの汚染水は谷津田を経て用水へ、用水から川へと流れこみます。ではこの河の汚染状況はどうでしょうか。
阿賀野川 http://www.hrr.mlit.go.jp/agano/kangaeru/tushinbo/2009/places/06_g-agmzpl.html
これについても゛新潟県が2011年に調査したデータがあります。
ほぼこの底土、護岸部分にトラップされたために水質自体の汚染は非常に低く、河口での線量は著しく減衰しているのがわかります。
●阿賀野川放射性物質調査結果 2011年新潟県
http://www.pref.niigata.lg.jp/housyanoutaisaku/1339016506464.html
1 阿賀野川の河川水
5月29、30日に、上流~下流の7地点の橋で採取した河川水から、いずれも放射性セシウムは検出されませんでした。
これまでの阿賀野川水系の淡水魚の測定結果
8魚種で検査を実施 不検出~49ベクレル/kg
2 阿賀野川の底質(泥等)(別紙1参照)
5月29、30日に、上記7地点の橋から採取した川底の泥、砂等の10検体を分析し、最大68ベクレル/kg湿の放射性セシウムを検出しました。
3 阿賀野川岸辺の堆積物
5月29日に、川岸3地点で試料を採取し分析したところ、中流の岸辺で表面から深さ30~40cmの層で採取したものから最大232ベクレル/kg湿の放射性セシウムを検出しました。
私が述べたように、河川水からは検出されず、川土や川岸からのみ検出されています。
これはセシウムの特性が水に溶けにくい性格のためです。これは農水省飯館村除染実験時の調査記録にも記されています。
下の計測図を見ていただくと、表層の粘土がもっとも多くセシウムをトラップし、その下のシルト(粘土が混ざった層)はそれにつぎ、砂質になるとまったくといっていいほどトラップしなくなるのがわかります。
だから、セシウムは地表5㎝前後の部分に多くあったわけです。
http://www.s.affrc.go.jp/docs/press/pdf/110914-09.pdf
反原発派の自然知らず その2 セシウムと土壌の性格を知れ: 農と島のありんくりん
この飯館村除染報告書はこう述べています。
「放射性セシウムは農地土壌中の粘土粒子等と強く結合しており、容易に水に溶出しない。一方、ため池や用水等、水の汚染は軽微である。」
つまり、放射性物質は河に流出したとしても、水に溶けにくいために底土、岸に吸着してしまい、水質汚染につながりにくいのです。
というわけで、新潟県の阿賀野川の計測結果で水質汚染がなかった理由がこれです。
では、「除染に意味があるとしたら河川の除染だ」というようなことをしたらどうなるでしょうか。
除染方法が具体的に述べられていないのですが、河川や湖沼では底土を大きなポンプ浚渫船で吸い込むしか方法はありません。
こんなことをしたら、せっかく河口や底土、あるいは岸の土壌に決着してトラップされているセシウムは攪拌されて、泥と水が混ざり合って、元の木阿弥です。
このように河川の「除染」は意味がないばかりか、かえって汚染の拡散となってしまうのです。
ですから、環境省は福島県、茨城県の湖沼や河川の除染にはあえて手をつけていません。
河川以外にも、一部は下水路から処理施設へと向かいますが、この段階で処理場汚泥に沈殿するのは冒頭に見たとおりです。
このように山から流れた汚染水は、森林から海への長き道のりを辿って各所で「捕獲」されて封じ込められていっています。
そして海にたどり着いた放射性物質も、海流で沖まで持っていかれ、海流に乗って拡散していきます。
このような複雑に絡み合う日本のエコシステムは、放射能という新たな敵に対しても健全に機能し、放射性物質を各々の持ち場で封じ込め、次の場所に譲り渡していったのです。
これが自然生態系の外敵に対する防衛機能です。
そしてこの自然のトータルな協同の力によって、放射能物質はいまや見る影もなく衰弱していました。
今国が民主党の置き土産としてやり続けている「除染」作業は、この自然の摂理に従ったセシウムトラップの数億分の1の働きもしていないでしょう。
人間のやることが、いかに小さいものかお分かりいただけたでしょうか。
農業はエコシステムのなかで大きな位置を占めているのです。
ですから、農業は関税で守るのではなく、農民自身の営為とそれを助ける国家の環境への支援によって守られねばなりません。
農業には環境直接支払いが必要なのです。
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「ecologyエコロジー」(科学者には「生態学」でしかないが、現代は「政治的生態学」という研究分野もある)や「sustainability持続可能性」などは今や、使う文脈や使用者によって胡散臭くも陳腐にもなる言葉ですが、梅棹忠夫と吉良竜夫両理学博士の1950年代から70年代の言葉「人間と土地は一つのシステム」で「一部が全てに影響する」ことは、今では誰でも知ってはいる概念かと思います。その中身を具体的にはよく知らなかったり、関連付けを特に意識していなかったり、都合で無視したりなわけです。
両博士の時代から時が経ち知見はより積み上がり、膨大な犠牲と引き換えに更に得られた知見を、塩漬けにするより活かす方がいいはずなのは確か。
「やっとコメが国民注視の話題になったのか」と管理人さんが昨日仰った通り、相当に追い詰められてから考え出し言い出すのが我々人間の宿命的「あるある」か、と自省と自戒をするも、回復不能に陥らない範囲で人間の生活を(ぶっちゃけ)優先できる方法や境界を集合知で探り当て続けるしかないか…、という超漠然としたことしか言えないと思った昨日。
システムの一員、一部品として我々が可能な限り物心豊かに、かつより安全(=許容できないリスクがないこと。リスク=発生確率と酷さの組み合わせ)に生活するには、誰も手を付けないまま古くからある森林や河川はそのままに残し、必要な管理をされるシステムを機能させることになります。綻び無く機能させ続けるには稼げることが必要で、稼げるにはどうするか。
システムの一員たる我々全てが稼げるのが良いのは当然として、直に関わるコメや他の農業と共に、例えば人工林の手入れになる林業が、再びかつてのように、山林を保全しながら良質な苗を育てて成長させる時間とコストが掛けられて、輸入材に優って稼げるサイクルをつくるにはどうするか。
また、詮無いことだが今20年近く前を思えば、農家への所得補償制度と輸入自由化を併せてやれていたら、どのように違う歴史になっていただろうか。
消費者は消費者で、「高くて良いもの」の価値は認めるも、実際は「安さがいちばん」志向を捨てられないか、捨てられないと思い込んでいる。
どの立場であれ変化は不安なものだし、'no pain,no gain'が我が身に及ぶのは辛い。
せっかくの知見の活用に避けられない「欲望願望のセルフコントロール」を思って、些かとっ散らかる私の今日。
だがしかし、静かな期待はやっぱり残っています。
投稿: 宜野湾より | 2025年6月 3日 (火) 22時21分