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2025年6月 2日 (月)

日本型エコシステムの要、水田

Photo_2

正直、やっとコメが国民注視の話題になったのか、という思いがあります。
いままで日本人は、ハッキリ言ってコメとそれを産み出している水田に対してあまりにも無関心でした。
このブログでも10年以上前から議論を呼びかけていました。
いろいろな意見をいただいたのですが、その中にこのようなものがありました。

「1) 国土の保全が水田の役割というが、700%超もの関税で守っているのであれば、水田以外の方法でやったほうが最終的なコストは安いのではないのか?
2) 水田が生物多様性に寄与しているというのは本当なのか?農業というのは基本自然破壊を伴うのでは?(景観は確かに保全されるが)
3)仮に1,2の目的を水田が果たしているとしても、コンニャク、小麦、バター、砂糖等の関税が異常に高いことは正当化できない。
4)農業従事者の主たる反対理由は、上記1,2等ではなく「自分達の生活が苦しくなるから」と一般には受け止められている。(集会等で政治家を罵倒している旧態依然とした態度はそうした見方を助長。)
そう受け止められている以上、1)2)は詭弁だと言う人が多数でるのは自然なことの気がする。」 

なるほどね、私はこう答えました。
この方のご意見は半分はごもっともです。
TPP時の農産物関税についてや、今回のコメ騒動の時に起きた「百姓一揆」デモなどでの発言は、おしなべてコメでは食えないと口々に言い、今の高騰した米価を正当化するものばかりでした。
こういう意見は農民の中に根強くあります。
コメは儲からない、コメは組内のつきあいでやらされているという人も少なくはありません。
特にGWを丸々潰して田植えをやらざるをえない兼業の人にとっては、正直たまらん、こんな儲からないもんは早く止めてしまいたいという気分があるのも事実です。

そういう「気分」があるために、環境問題をもちだすとキレイゴト言ってるんじゃないよという揶揄を受けます。
JA全農がTPP時に、富山和子氏の素晴らしい文章を使ってそれを訴えた時、都市生活者の多くの反応は問題をすり替えているというものでした。
まぁ仕方がない、JAは農民階層の経済的利害ばかりを言いすぎました。
しかし大きく農業を国土との関係で見ないとわからなくなる、農家自身も自分を見失うというきが私の考えです。
「農業が自然破壊を伴う」のが事実だとしても、ならばなおさらのこと、環境再生のための農業に作り替えて行かねばならないはずです。

①についてですが、結論から言えば、農業という環境維持のためのスタビライザー(安定化装置)を利用しないと、防災インフラを再構築せねばならなくなり、その公共投資のコストは天文学的になりますよ、ということを言い続けてきました。

農業という存在を田んぼ単体で考えているから分からなくなるのです。
田んぼは水利・治水の全体で見ないと見えません。 

 

Photo                     図 座間市HPより

田圃にはその灌漑のための水系が付属します。河川から水を取り込む小規模河川、網の目のような農業用水、そして干天に水を放出し、大水の時に水を蓄え込むため池などがそうです。 
また、田んぼに常に水を涵養しておくための山も重要な存在です。田んぼを作るためにはげ山に植林し、その森林が水をしっかりと蓄えられるようになって初めて「田んぼ」が出来るのです。 

いわゆる水田は、田んぼという土と水のエコシステムの一部でしかありません。さらにこの水田から出来るコメだけ取り出して700%の関税がうんぬんという議論は、木を見て森を見ない議論に思えます。
もっと大きな目で見て下さい。これが分からないと、ではどうやってこの700%超の関税を改革していくのかという議論につながりません。
そうでしょう。その価値がわからない人が、コメの価格だけ高い安いと言っても始まりませんものね。

さて、北朝鮮でなぜ大水が頻繁に起きるかご存じでしょうか。酔狂にもわざわざ見に行った人の話によれば、天井川になっているのです。 
天井川とは、河川の底が土砂で埋まって岸より高くなっている河のことです。こんな河はたいした大雨でなくてもすぐに溢れます。 
この土砂はどこから来るのかと言えば、河沿いの山肌の崩落が原因です。北朝鮮の山ははげ山なのです。
それは樹を引っこ抜いて、山に土留めもせずに根の浅いトウモロコシをビシッと植えたからです。こんなことをすれば、山はどんどん崩れていくのは当たり前です。 

Photo_3

今、現代日本人が漫然と見ている山もかつての先人たちの営々とした植林によって出来たということを富山和子氏が『米はいきている』という名著で述べています。
昔、盛んになるのは江戸中期頃からですが、 米を食いたければ山に樹を植えるところから始まりました。
漫然と植えたのではなく、樹が水を蓄えることを当時の人が知っていたからです。それが治水に役立つこともそれ以前から知っていました。
そして苗を植えて100年、やっと山が緑に覆われてくる頃、初めてそこから湧き出る水を集めて田んぼを作りました。 

そして水を山から引く農業用水路を整備し、天候の変動に備えてのリザーブ・タンクとしてのため池を堀りました。
もちろん縄文末期から田んぼはあるのですが、植林、山の手入れ、水路などを一体のものとして作り始めたのはこの頃からです。
こうして、今の見学の外国人が公園のようだと評する農村風景が出来上がりました。

樹を植えて三代。そこから稲ができるまでまた1代。毎年の山の手入れは永代。川さらい、農道の普請は地域で毎年。まったく気長な話です。
これを営々と村の共同の作業として維持してきたのが「田んぼ」なのです。 人々の汗の積み重ねがあって、日本の土と水は保全されてきたといえます。
この営為を「生活」のためだというなら、そのとおりです。 「生活」のためにコメを作り、森林を保全し、河川を維持してきたのです。そのなにがいけないのでしょうか。

さてこれを「水田以外の方法」でやってみるとなると、どうなるでしょうか。
今、60年代に作った全国の公共インフラは耐用年数を迎えつつあります。笹子トンネルの崩落事故などはその前兆です。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-6.html
これは公共事業=悪玉論によって愚かにも公共事業費を削減し続けたからです。
公共事業費を消すると、真っ先にメンテナンス部門にしわ寄せが行きます。 
ですから、今早急に道路、河川、トンネルなどの補修事業をせねば、想定される大地震などの天災でまた多くの国民が亡くなってしまうことになります。
それだけで巨額な公共投資を要します。しかし、やらないわけにはいかないわけです。 

この時期に、わが国の国土特有の治水の要である水田や小規模河川、それに付随するため池、農業用水、そして山の手入れを全部潰すとなるとどうなるか考えて下さい。
 あまりシミュレーションしたくないのですが、基幹的公共インフラの整備ですら膨大な財政支出が必要な上に、今まで「農業」という見えない形で支えていたものが消滅するわけですから余り想像したくないことになるのは明らかです。
北朝鮮なみに年中河は溢れ、住宅地や農地は水に漬かり、道路は寸断され、トンネルは埋まり、河口付近の湾は河から押し流される土砂でとんどん浅くなって港湾機能も失われていくことでしょうね。 

これを「他の方法で」で解決するとなると、田んぼの代わりに小規模多目的ダムを全国に無数に作ることになります。もちろん税金でです。まぁ、そんな金があったらの話ですが。
多目的ダムはこんな概要です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BB%E6%B0%B4%E3%83%80%E3%83%A0

容量は河川によっても異なりますが、たとえば小型の熊本県球磨川・五木ダムが36万㎥の貯水量があります。
建設コストは一概に言いきれませんが、群馬県倉淵ダム(建設中止)、当初予算の275億円は最終的には550億円となったようです。大体は用地買収などが手間取って当初予算の数倍にハネ上がっています。

第一、作りたくとも今や八ッ場ダムで分かるように、環境破壊がひどいので建設のためのコンセンサスがとれなくなってきています。
一方、仮に田んぼに20㎝分だけ貯水したとすると、大分県の試算では、10アール当たり200トンの雨水を受け止めるのに相当し、大分県内の水田(4万2500ヘクタール)すべての貯水量は、1240万㎥となり、小型ダム約3基分に匹敵する貯水量があります。

http://www.oita-press.co.jp/bousai/115571175632564.html

馬鹿げてはいませんか。農業が黙々とやってきた環境スタビライザー機能を他の手段で置き換えるというのは。言うのは簡単ですが、まったく割に合わない愚行です。
別にこれはわが国だけに限ったことではなく、世界中どこの国でも農業が国土の基本インフラであるのは常識です。農業は取り替えが効かない部門なのです。
だから農業保護ということにどこの国も必死になるわけです。それをしなければ、国土が崩壊して、外国産の安い農産物で潤う以上の損失を国土にもたらすことがわかったからです。

よく「食の安全保障」といいますが、それは単にカロリーで表記できるだけのものではなく、農業が守っている国土インフラ保全の安全保障まで含む概念だと私は思っています。
今の中国のように無計画にそれを壊してしまうと、修復にはとてつもないコストと時間がかかることを、多くの国は理解しているからです。
だから、一般的な競争原理にはなじみません。
といって、誤解されたくはないのですが、まったく今までどおりでいいとも私は思っていません。

減反政策と高関税は一対のものです。減反を維持するために馬鹿げて高い高関税を敷いているのは事実です。私はもはやこのような関税ブロックは賞味期限切れだと常々思ってきました。
その意味でも、私は農業は改革が必要だと考えています。
そしてそれは狭く農業に止まらず、環境政策、あるいは国土建設という立場からもトータルに考えるべきなのです。
小泉大臣にやや期待するのはそのへんです。

 

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